第8話 『有降町』へようこそ!
視界いっぱいに広がるのは、見慣れた灰色のコンクリートとアスファルト。駅のロータリー。
微かに聞こえるのは、風に揺れる木々の音ではなく、信号機の無機質な電子音。
異世界の森でカラクリ魔物の大群に囲まれていた絶体絶命のピンチから一転、謎の空間の穴に飛び込んだ僕と松島さんが辿り着いたのは、どう見ても『現代日本のありふれた駅前広場』だった。
「ちょ、え……? マジで日本じゃん。現代日本の建物っぽいし、信号機まで動いてる……。ほら、駅前にバス停もあるし! え、ウチら、死んで元の世界に戻ってきた系?」
「……いや、落ち着いて。まだ確信は持てないけど」
僕は思わず空を見上げた。そこには、どこまでも高く青い空が広がっていた。白い雲がゆっくりと流れ、眩しい太陽の光が降り注いでいる。セッテ王国の空とも、あるいはかつて僕たちが住んでいた地球の空とも見分けがつかない、あまりに普通な空。
けれど、だからこそ違和感があった。さっきまで僕たちは、鬱蒼とした異世界の森にいたはずなんだ。
「いたいたッポ。初めまして、マスター」
「ええと……!?」
目の前のシュールすぎる光景に事態が飲み込めず、二人してぽかんとしている僕達の足元から、不意に気の抜けた声が聞こえた。 視線を落とすと、そこには一人の……いや、一匹の『存在』が立っていた。全体的なフォルムはハトなのだが、頭が異様に大きく、目はアニメキャラのようにつぶら。首には赤い蝶ネクタイを締め、スーツのような服を着ている。サイズはなんと人間の子供くらいある。
例えるなら、地方自治体のゆるキャラか、テーマパークのマスコットをデフォルメして3DCGで実体化させたような、絶妙に胡散臭くて愛嬌のあるキャラクターが、パタパタと短い羽を動かしながら独特な口調で話しかけてきたのだ。
「ぼくは『休憩所』スキルの中の世界で、利用者のお世話と管理をするための存在ッポ。まぁナビゲーター、あるいは使い魔のようなものだと思えばいいッポ。ここ、休憩所の異空間限定だけど……」
「マスター?」
「マスターとは、スキル保持者である那須野 雄心、あなたのことだッポ」
「僕のことか……。つまり、ここは僕のスキルが生み出した空間ってこと?」
「その通りだッポ。そしてこの現代日本的な駅前広場こそが、休憩所スキルの初期エリアだッポ」
なるほど。つまり、このゆるキャラハトは、ゲームで言うところの『チュートリアルを案内してくれるNPC』というわけだ。一ヶ月以上うんともすんとも言わなかった僕のスキルは、攻撃でも防御でもなく、『異空間の街と繋げる』という、とんでもなくスケールのデカい空間創造スキルだったのだ。
「ぼくは初めてこの空間を利用する人への案内と、システムの説明役を担当しているッポ。とりあえず、こんな駅のロータリーで立ち話もなんだし、落ち着いて話せる所へ行くッポ。付いてくるッポ」
ということで、僕と松島さんは、ペタペタと二足歩行で歩く巨大なハトの後ろをゾロゾロとついて移動することになった。
駅前広場を抜け、見慣れたアーケード街のような通りに入り、彼が案内してくれた着いた先は――。
「ふ、不動産屋……?」
「そうだッポ。このゾーンでは、最初に生活拠点として『自分の家』を買ってもらう必要があるッポ。だから、この不動産屋が初期の案内所とチュートリアル施設を兼任しているッポ」
窓ガラスに『駅チカ! 敷金礼金ゼロ!』という見慣れたポップがベタベタと貼られた不動産屋の店内に通され、僕たちはふかふかのソファに座らされた。
異世界サバイバルから一転して、急に現実感あふれる物件探しイベントが始まってしまい釈然としないが、とりあえずハトの話を聞いてみることにした。
「まず、マスターのスキル『休憩所』の基本概要について説明するッポ。『休憩所』スキルは、外の現実世界と分断された異空間への扉を開き、過酷な戦いや慣れない環境に疲れた勇者の心と体を休ませ、完全な状態で次の戦いへの準備を整えることが出来る……超絶平和な空間創造型のスキルだッポ」
な、なるほど……、結構本格的、いやそれ以上に休憩出来るスキルなんだな。そして異空間ということは、戦場のど真ん中だろうが、魔物の大群の真っ只中だろうが、扉を開いてこの空間に逃げ込めば、絶対に敵が入ってこられない安全地帯で休めるということか。ようやく自分のスキルの全貌がわかってきた。
「ただし、休憩所のルールで一番気をつけて欲しい事があるッポ。それは『お金』だッポ」
ハトは短い羽でビシッと僕たちを指差した。
「ここでは、外の世界の通貨である『F』や、地球の『円』は一切使えないッポ。この空間内だけで通用する『独自の通貨』を使って欲しいッポ」
「えっ、マジで!? ウチら、今日のためにギルドでちょっと稼いできたF持ってるんだけど、使えないの!?」
「当たり前だッポ。お金というのは、外の現実世界の経済と社会を回すための重要な血液だッポ。そんな物を、外部から完全に隔離されたこの異空間に持ち込んでバンバン使われたら、回収不能になってセッテ王国の経済がインフレやらデフレやらで大混乱間違いなしだッポ。最悪の場合、国家が経済崩壊するッポ」
言われてみれば、確かにその通りだ。僕たちは魔王から国を救うために召喚された勇者候補だ。それなのに、スキル空間で大量に消費して現実の経済を混乱に陥れたら、何のために召喚されたのかわからなくなる。
よくある異世界ファンタジー小説では、主人公が謎のシステムショップでチートアイテムを爆買いしたりするが、現実的な経済の視点で考えれば、社会に循環しないブラックホールのようなお金の使い方は国家転覆レベルの混乱の元になる。その辺りの設定が妙にリアルでシビアだ。
「だから、休憩所の中では『ヴァカンツァ』という専用の独自通貨を使うッポ。表記は『V』だッポ。外の世界で手に入れた『魔石』を、この空間の銀行に持ってくれば、その魔石の質や大きさに応じてVと換金してあげるッポ」
「なるほど。魔石がここでの『課金アイテム』になるわけか。わかりやすいシステムだ」
「わかった。じゃあ、後で魔石を換金しに行くよ」
「銀行の場所は、この不動産屋の真向かいにあるッポ。ついでにマスターと松島さんの口座を開設しておくと便利だッポ」
続いてハトが説明してくれたのは、この謎の空間『町』そのものについてだった。
「この初期エリアは『有降町』という名前だッポ。コンセプトはずばり、『ありふれた日常』だッポ」
「ありふれた日常……?」
「そうッポ。セッテ王国は、小説やマンガの世界でよくある中世風の異世界。しかも君たちはチートスキルを持って転移した。普通の勇者達にとっては、一見夢のような世界に見えるッポ。……でも、環境も文化も、インフラも全く違う国で命懸けで生活するとなると、苦労も多いし、知らず知らずのうちにものすごいストレスが溜まるッポ。そして時々、転移前の『便利で平和だった現代日本』が無性に恋しくなる時が必ず来るッポ」
「……まぁ、それはそうかもな」
僕は両親が生きていた頃には、普通の家族としてのいい思い出をたくさん作ってきたので、たまにスマホを見たり、コンビニのアイスを食べたりといった現代日本が恋しくなることもある。スキルが一ヶ月以上全然開花しなくて、周囲から冷ややかな目で見られ、肩身の狭い思いをずっとしてきたからなおさらだ。
でも、他のクラスメイトはどうだろう? 昴田学園に入学させられた連中の大半は、家庭環境に深刻な問題を抱えていたり、親に厄える払いされた連中ばかりだ。そもそもいい思い出が無い国の日常なんて、果たして恋しくなることなんかあるのだろうか?
「んー、ウチは条件付きなら、まぁアリかなって感じだし?」
松島さんが、ソファに深く寄りかかりながら足を組んで言った。
「アイツらの顔や、学園のクソみたいな連中のことは、思い出すだけでヘドが出るほど胸糞悪くなるけど……それを除けば、コンビニのスイーツとか、カラオケとか、住み慣れた『インフラ』としての日本はね。多少は懐かしくもなるし、息抜きには最高じゃん」 「あ……そうなんだ」
それにしても松島さん、『アイツら』と呼ぶ瞬間、一瞬だけ目の奥が冷たく濁り、過激な言葉になったような……。
でも、深く突っ込むのはよそう。ここには色々な事情を抱えた奴らがいる。容易に触れてはいけない地雷のような部分な気がする。
「そういうわけで、この有降町では、外の世界の嫌なことやしがらみを忘れ、ごく普通の平和な現代日本の生活を送って、純粋に心身を癒やすという狙いがあるッポ。そして有降町は、大きく三つのゾーンに分かれていて、それぞれを無料の巡回バスが走って繋いでいるッポ」
ハトが広げた観光マップのようなパンフレットによれば、三つのゾーンとは以下の通り。
一つ目は、今僕たちがいる『駅前広場ゾーン』。二つ目は一軒家が立ち並ぶ、生活の拠点となる『住宅ゾーン』。三つ目は、スーパーや映画館、服屋など、ショッピングと外食が楽しめる大型複合施設『アリフレモール』。
これらをバスで移動しつつ、思い思いに休日を過ごす。ちなみにバスは非情に優秀で、十分待てば必ず一本は来るらしい。
「とまぁ、基本システムと町の説明はこんな所ッポ。何か質問はあるッポ?」
「ちょっといい、ハトピー?」
スッと手を挙げたのは松島さんだ。っていうか、ハトピー?
「……ハトピー?」
「あんた、ハトのキャラだからハトピーでしょ。それとも、実はちゃんとした名前があったりするわけ?」
「いや、特に固有の名前は無いッポ。名前があった方が呼びやすいとかなら、マスターたちが好きに呼んでくれて構わないッポ」
「じゃ、今日からあんたはハトピーに決定ね。……でさ、ハトピー。さっき有降町の説明をするとき、あんた『この初期エリアは』って言ってたよね? それに、今は電光掲示板で『運休中』ってなってるけど、ここ駅から電車にも乗れるっぽい造りしてるじゃん。もしかして、ここ以外にも行けるエリアがあったりするわけ?」
松島さん、鋭いな。
言われてみれば確かに、これだけ作り込まれた空間で、駅がただの飾りだとは思えない。有降町以外にも何かが広がっていそうな感じがする。
「正解ッポ! 観察眼が鋭いッポ。確かに、この空間には有降町以外にも、いろんなコンセプトのエリアが存在しているッポ。でも、初期レベルの今はまだ行けないッポ。他のエリアを解放して、行けるようになるには――」
ハトピーは、つぶらな瞳で僕の方を真っ直ぐに向いて、こう言った。
「マスターの成長……正確には『スキルのレベルアップ』が必要だッポ。スキルが成長すればするほど、行けるエリアが増えるッポ」 「なるほど! そういうベクトルの成長なんだ!」
戦闘系のスキルなら、『新しい剣技を覚える』とか『純粋な攻撃力や素早さのステータスが増える』といったRPG的な成長が想像できる。魔法系スキルなら『使える魔法の属性や威力が増える』という具合だ。
だが、僕のスキルの場合は『空間が拡張され、施設が充実していく』のか! 『街づくりシミュレーション』や『箱庭ゲーム』のシステムに近いか? 自分でレイアウト出来ないから違う気がするけど。
でも、どうやってスキルの経験値を稼いで成長させるんだ?
「スキルの成長条件は三つだッポ。一つ、この休憩所に他の人間を招いて休憩させた『利用人数』。二つ、その人たちがここで過ごした『滞在時間』。そして三つ、外の世界から持ち込まれ、Vに交換された『魔石の総量』だッポ。……マスター自身が外で魔物を倒して戦闘経験を積むことでも成長するけど、そもそも戦闘系のスキルじゃないからリスクが高くて全くオススメしないッポ」
「な、なるほど……経営シミュレーションのノリだ……」
だとすれば、今後の僕の取るべき方針は明確だ。外の世界で剣を振るってカラクリ魔物と戦うのは最低限の生活費(魔石)稼ぎに留める。そして本命は、なるべく多くのクラスメイトをこの空間に『招待』して、休憩してもらい、ポイントを稼ぐことだ!
この世界に来て一ヶ月以上経っている。皆、最前線で本格的な対魔王戦や過酷な訓練を行っているはずだから、心身共にボロボロで、日本の娯楽や安全な休憩を喉から手が出るほど欲しているに違いない。需要は無限大だ。最初は、王都チェントロに配属されている連中から声をかけよう。そして機会を見て、各公国に派遣されているヤツらにも出張して営業をかけ、この休憩所を使ってもらうのだ。
よし、なんだかようやく『僕にしかできない戦い方』が見えてきたぞ!
「それじゃあ、方針も決まったところで、マスター達は一旦向かいの銀行に行って、さっき森で拾ってきた魔石を専用通貨『V』に交換してきて欲しいッポ。そしたら不動産屋に戻ってきて、最初に住む『マイホーム』を決めて欲しいッポ」
ハトピーに促され、僕と松島さんは不動産屋を出た。
とりあえず、異世界で魔王を倒す前に、まずは銀行で口座を開き、マイホームのローン(?)を組むという、異例すぎる勇者の冒険が幕を開けたのだった。




