第32話 生まれ変わった少女
~郡上side~
「う……っ、く……ぐぅぅ……っ!」
「白川、頑張れ! 俺が付いてる、絶対手を離さないからな!」
有降町にある超大型ショッピングモール『アリフレモール』。
その施設内には、元の世界の総合病院どころか、最先端の大学病院すら凌駕するほどの破格の医療設備を備えた『有降町中央病院』が存在していた。
清潔な白で統一された静かな個室内で、白川はベッドの上で身をよじり、汗だくになりながら激しい苦痛に耐えていた。
彼女の細い腕には血管へと続く管が繋がっており、そこには見慣れない透明な点滴液がゆっくりと注入されている。この点滴は、ハトピー医師たちが誇る最高峰の医療テクノロジーによって作られた特殊な解毒剤だ。体内に蓄積・残留した有害な薬物成分を分解し、強制的に外部へと排出させるという、セッテ王国はおろか現代日本にも存在しない魔法のような代物である。
だが、その劇的な効果と引き換えに発生する副作用は凄まじかった。
体内の毒素が急激に分解・排出される反作用として、全身を襲う猛烈な倦怠感、激しい吐き気、そして体力が削り取られるような猛烈な息切れが発生するのだ。
特に白川の場合、長年にわたって市販薬のオーバードーズを繰り返していた上、この世界でも大滝を脅して受け取った植物から自分のスキルで生成した薬物を摂取し、先日の戦闘でもバーサクドラッグを服用していた。
長年かけて積み重なった体内毒素の量は膨大であり、それに比例して跳ね上がる副作用の苦しみは、並の人間なら気絶してしまうほどのものだった。
「はぁっ、はぁっ……っ! 苦し……息が……っ!」
「白川! しっかりしろ! 呼吸を整えろ、吸って、吐いてだ!」
苦しさのあまりベッドの上で激しく体を震わせる白川の手を、郡上は両手で力いっぱい握りしめた。 白川の指先は氷のように冷たく、汗でじっとりと濡れていた。最初は郡上の手を振り払おうとしていた白川だったが、もはやそんな力すら残っておらず、すがるように郡上の手に爪を立てて耐えている。
「……こんな時だが、実は大滝はな、お前に渡していた原料から『依存性を引き起こす有害成分』をあらかじめ極限まで除外して調整していたんだよ。本人から聞いた」
「え……っ?」
「この治療、依存症の有無でも副作用の強さが変わるって最初に聞いてただろ? それで大滝のおかげで、依存症そのものは発生してないんだ。だから、今お前が戦ってるのは純粋な『体内の毒素の排出』だけだ。本来の解毒治療に比べたら、これでも遥かにマシなはずなんだよ」
必死の思いで言葉を紡ぐ郡上に、白川は弱々しく白目を剥きかけながら、恨めしそうな視線を向けてきた。
「ウソ……でしょ……? これで……マシだなんて……冗談じゃないわよ……っ! 死ぬ……マジで死にそうなのよ……!?」
「死なせねぇよ! 俺がここにいる! 絶対にお前を死なせたりしねぇ!」
無理もない。いくら精神的な依存症状が無いと言っても、物理的に体内の毒素が分解される苦痛そのものが消えるわけではないのだ。それに依存症がないのはこの世界に来てから摂取した薬物についての話で、日本で摂取した薬物については別の話。
白川にとっては、そんな専門的な理屈を感じている余裕など一塵もないほど目の前が真っ暗になる苦しみの渦中にいる。
「それで……っ、はぁっ……この……地獄みたいな点滴……あとどれくらい……続けなきゃいけないのよ……!?」
「……1日1回、3日間だ。1回の点滴にかかる時間は……およそ3時間だそうだ」
「う……嘘でしょ……うわぁぁ……マジかぁ……っ……」
白川は絶望のあまり、ベッドの枕に頭を預けて唸声を上げた。 治療を開始する前、ハトピー医師からしっかり説明を受けていたはずなのだが、実際にこの激痛と苦しみを体感した上で改めて突きつけられると、心が折れそうになるのも無理はない。しかもこの点滴の恐ろしいところは、3時間の投与が終わったからといって即座に副作用が引くわけではない点だ。
点滴を終えても副作用は徐々にしか消えないため、点滴中も含めておおよそ5~6時間は、この猛烈な吐き気と倦怠感が持続する。
まさに、一日作業の壮絶な闘病生活だった。
「大丈夫だ。俺が面会時間の許す限り、ずっとそばについていてやる。だから……白川、お前は絶対にこの苦しみを克服できる。俺と一緒に元気になるんだ」
「……ふん。どうだか……っ。あんたが居たって……この吐き気が消えるわけじゃないのに……余計なお世話よ……」
副作用の苦しみに悶絶している最中だったため、白川はいつものようにぶっきらぼうに吐き捨てることしか出来なかった。郡上の言葉の深い意味を噛み締めるような精神的余裕など、今の彼女には一切無い。
だが、郡上の言葉は口先だけではなかった。その日以降も、郡上は有降町に買った自分の家から毎朝病院へ通い詰め、面会時間が終了する夜遅くまで、毎日ずっと白川のベッドの脇に座り続けた。
彼女が吐き気に苦しめば洗面器を差し出し、汗をかけばタオルで丁寧に拭い、不安で体を震わせている時は、その手が温かくなるまでずっと握りしめ続けた。
白川がどんなに毒を吐こうが、冷たい言葉で突き放そうが、郡上は一切怒らず、ただただ不器用な言葉で彼女を励まし続けたのだ。
そして、運命の3日間が過ぎた。
「ふぅ……。体内の有害物質、すべて綺麗に分解・排出されたッポ! これで退院OKだッポ!」
ハトピー医師の明るい声が病室に響き渡った時、ベッドの上に座っていた白川の顔には、かつての青白く不健康な陰りはすっかり消え去っていた。 頬には健康的な赤みが差し、目の下の凄惨なクマも消え、瞳には力強い輝きが戻っていたのだ。長年彼女の身体を蝕んでいた毒素が完全に消え去り、文字通り『生まれ変わった』瞬間だった。
「……なんか、体が信じられないくらい軽いんだけど。頭のモヤモヤもすっきりしてるし……」
自分の両手をまじまじと見つめ、驚きを隠せない様子の白川。そんな彼女の私物が入ったバッグを肩に担ぎ、郡上は照れくさそうに頭を掻きながら笑いかけた。
「だろ? だから言ったろ、絶対元気になるって。……よし、約束通り、快気祝いにアリフレモールで一番高い美味いもんでも食べに行くか!」
「……っ!」
郡上が差し伸べた手を見た瞬間、白川はハッと息を呑んだ。そして、なぜか急激に顔を真っ赤に染め上げると、バッと激しくそっぽを向いて郡上の手をペシッと軽く叩いたのだ。
「な、なによ! 自慢げな顔しちゃって……! あたしが治ったのはハトピーの技術とあたしの根性のおかげだし! あんたが横でうるさく手を握ってたからじゃないんだからね!」
「お、おいおい、急に怒り出すなよ……」
「べ、別に怒ってないわよ! ……ただ、その……」
白川は耳たぶまで真っ赤にしながら、チラチラと盗み見るように郡上の方へ視線を走らせ、消え入りそうな小さい声で呟いた。
「……ありがと、郡上。……ずっと、そばにいてくれて」
「……え?」
聞き返そうとした時には、白川は「早く行くわよバカ郡上!」と叫び、走るように病室を飛び出していってしまった。
残された郡上は、不器用に赤くなった自分の手を見つめる。
長かった3日間の戦いを経て、白川の中でに対する意識が、決定的に変わり始めているのを実感せずにはいられなかった。
***
~雄心side~
「――やっぱり、何度見ても不思議だな」
「ね~。外側の皮はどこからどう見ても本物の樹木なのに、中身は金属のパーツやら配線やらでギッシリなんだもん」
「……ぎっしり詰まった精密機械。もしこれが、自然界の樹木がある日突然変異してこうなったのだとしたら、あまりにも異常。一夜にしてカラクリ魔物に変貌する規模としては大きすぎる……」
郡上君と白川さんが有降町の病院で集中治療に励んでいる、まさにその頃。 僕、日向、成美の三人は、よろず農園の敷地内にある研究施設にいた。
白衣を着たタヌぽん研究員たちが慌ただしく行き交うハイテクな実験室の中央。ステンレス製の大型解剖台の上には、かつて僕たちがピアンタ大森林の入り口で回収し、僕のアイテムバッグの中で保管されていたあのカラクリ魔物――『マシントレント』の死骸が横たわっていた。
なぜ、普通の木がカラクリ魔物に変貌してしまうのか。フィオーレ公国の学者たちでさえ未だに答えを出せずに困り果てていたこの難問に、僕たちはこの暇な期間を利用して、自分たちの手で挑もうとしていたのだ。
「よし、それじゃあ解剖を進めよう。まずは外側の樹皮から剥がしていくよ」
僕が小さいノコギリのような解剖器具を手に取ると、横から白衣を着たタヌぽん研究員が専用のトレイを持って駆け寄ってきた。
「マスター、樹皮も極めて貴重なサンプルだポン! 傷つけないように慎重に剥がして、こちらに渡して欲しいポン! 樹皮専門の研究チームがすぐにスキャンに回すポン!」
「了解。慎重にやるよ」
タヌぽん研究員の指示に従い、丁寧に樹皮を一枚ずつ剥ぎ取っていく。
剥がした樹皮をタヌぽんに手渡し、剥き出しになったマシントレントの『内部』を改めて全員で覗き込んだ。
そこにあったのは、植物の年輪や繊維など欠片も存在しない、無数の歯車、油に塗れたシリンダー、そして複雑に絡み合う極細の銅線やケーブルの群れだった。
「うわぁ……。成美の言う通り、マジでぎっしり機械が詰まってるし。見てるだけでクラクラしてきた……複雑すぎるっしょ、これ」
日向が頭を押さえて思わず半目になった。この異常な高密度機械群には眩暈を覚えたらしい。
「……ちょっと待って」
その時、ずっと無表情のまま解剖台に顔を近づけていた成美が、鋭い声を上げた。
「成美? 何か気になることでもあった?」
「……これ、一見すると無秩序で複雑な機械の塊に見える。でも、構造をよく観察してみて」
「構造……?」
僕と日向は首をかしげながら、もう一度異形の機械構造をじっくりと見つめた。成美は小さなピンセットを取り出すと、カチカチと配線の隙間を指し示しながら解説を始める。
「……ここに、橋渡しをしているような配線と、綺麗にはまる継手が見える。これらを基準にして、全体を俯瞰してみると……この機械、実はブロックごとに完全に分かれている」
「えっ!? ブロック!?」
日向が驚きの声を上げる。 成美の指示通り、全体の構造をパーツの単位ごとに区切って観察してみると――驚くべきことに、巨大なマシントレントの内部メカは、百数十からなる小さな機械ブロックが組み合わさって出来上がっていることが見えてきたのだ。
「本当だ……! プラモデルやブロック玩具みたいに、小さな基本パーツが連結して巨大な構造を作ってるんだ!」
「うん。どんなに複雑に見えても、最小単位のブロック構造はすべて同一の規格。……つまり、このカラクリ魔物は最初から巨大な機械として作られたわけじゃない」
成美はピンセットを使って、マシントレントの内部からブロックをいくつか手際よく取り出し、精密顕微鏡のセットされた観察台へと移動させた。
その時だった!
「だ、大発見だポンーーーーッ!!」
実験室のドアがバーンと勢いよく開かれ、樹皮研究チームのタヌぽんが、撮影されたばかりのレントゲン写真のような画像を掲げてドタバタと飛び込んできた。
「急にどうしたの?」
「剥がしてもらった樹皮を超高精度のCTスキャンにかけたら、信じられないものが写ったポン! これを見るポン!」
タヌぽん所長が提示した画像には、樹皮の断面図が大きく拡大されていた。
そこには、肉眼では到底見落としてしまうような、微小な『穴』がいくつも写し出されていたのだ。
「小さな……穴?」
「そうだポン! 実物の方の樹皮を顕微鏡で確認したら、樹皮のシワとシワの間の、一番目立たない隙間に……まるで虫食いのような、直径わずか数ミリの穿孔が何カ所も発見されたポン!」
画像を見た日向が、思わず眉をひそめて腕を組んだ。
「こんな目立たない場所に穴が開いてるなんて……。もし誰かが意図してやったんだとしたら、完全に確信犯っしょ」
「……もしかして」
二人の会話を聞いていた成美の瞳が、怪しく光った。
彼女は言葉少なに顕微鏡の覗き込み口に目を押し当てると、精密ピンセットを握る手に集中させた。カチカチ、カチカチと、顕微鏡の下で金属の小さな音が静かに響く。
「成美……? 一体何をやって……」
「できた」
僕が問いかける前に、成美は作業を終えてピンセットを置いた。
そして、顕微鏡のモニター画面を僕たちの方へと向けた。
そこに映し出されていた映像を見て、僕と日向、そしてタヌぽんは「えっ……!?」と同時に息を呑んだ。
画面に映っていたのは、金属ブロックなどではなかった。
「これって……金属の……イモムシ!?」
「うん。さっき取り出した機械ブロックを顕微鏡で拡大して観察したら、無数の微小なパーツが複雑に組み合わさって構成されていることがわかった。しかも、パーツのあちこちに可動式の関節がついていて……変形できそうだと思った。だから、ピンセットで関節を特定の順序で動かしてみたら……この形に変形した」
成美が発見したそのイモムシ型のカラクリメカは、体長わずか数ミリ程度。
だが、その先端は鋭利な螺旋状のドリルになっており、胴体部分には高速で回転しそうな微小な歯車と関節がギッシリと詰まっていた。
「すぐにこのイモムシメカの金属物性と関節データを、研究所のスーパーコンピューターに入力してシミュレーションを回してくれだポン!」
「了解だポン!」
タヌぽんの一人がカタカタとキーボードを高速叩き、解析プログラムを実行する。 大型モニターに、シミュレーション結果が即座に弾き出された。
『解析完了:対象のドリル機構および掘削トルクは、概ねあらゆる樹木の木質繊維を容易に穿孔・貫通可能』
「なんてことだポン……! つまり、マシントレントの発生メカニズムはこうだポン!」
シミュレーション結果を見て、タヌぽんが震える声で結論をまとめた。
「まず、無数の『イモムシ型カラクリメカ』が、ターゲットとなる普通の樹木に取り付くポン。そして樹皮の隙間からドリルで内部へ侵入し、木の内側を食い荒らしながら掘り進む……! 十分に内部へ侵入したら、自らの体を展開してブロックへと変形し、お互いに連結して木構造を内側から機械化していく……! そうして誕生したのが、あの『マシントレント』だポン!!」
「そんな……! 外部から機械を埋め込まれたんじゃなくて、極小の虫型メカが木の中に侵入して、内側から乗っ取ってマシントレントに変化させていたなんて……!」
想像を絶するカラクリ魔物の生態に、僕は背筋が寒くなるのを感じた。フィオーレ公国で誰にも原因が分からなかったはずだ。まさかこんなミリ単位のメカが木の中に侵入して変形しているなんて、異世界の魔法技術の常識では思いつくはずもない。
しかし――事態の解明に安堵しかけた僕たちに対し、成美は冷徹な声で最大の疑問を投げかけた。
「……けれど、これで終わりじゃない。新たな、そして最大の疑問が残る」
「最大の疑問……?」
成美は顕微鏡画面のイモムシメカを指さした。
「……このイモムシメカの構造を見る限り、自力での移動能力は極めて低い。数メートル移動するだけでも相当な時間がかかるはず。……ピアンタ周辺に存在する樹木まで、このイモムシメカが『単体で長距離移動してきた』とは到底考えられない」
成美の指摘に、僕と日向はハッと顔を見合わせた。
「確かに……! こんな小指の先より小さい金属の虫が、何キロも先の森まで這って移動できるわけないじゃん!」
「それって……つまり……」
僕の喉が、引きつった音を立てた。
「……この大量のイモムシ型メカを、ピアンタ大森林まで運んできて散布した運び屋となる何かが、あの森のどこかに存在しているということ」
沈黙が、実験室を支配した。
マシントレントの謎を解き明かしたはずの僕たちは、新たな敵の存在を予感し、息を呑むことしかできなかった。




