第30話 初めての拒絶 投稿 保存
「郡上君、いる?」
「……那須野か。どうした?」
「ちょっと、様子を見にね」
日向と成美が、診療所に入院した白川さんの様子を見に行っている間。僕は一人で、郡上君が購入した平屋の家を訪れていた。 ガラガラと玄関の引き戸を開けると、少しだけ目の下に隈を作った郡上君が顔を出した。今日のあの事件に、さすがの彼も相当堪えているのだろう。
「わざわざ心配してくれたんだな。ま、こんな所で立ち話もなんだ、上がれよ」
郡上君に促され、僕は靴を脱いで家にお邪魔した。 間取りは僕達の家とほとんど同じだ。ピカピカに磨かれた板張りの廊下を抜け、畳の匂いが心地よい居間へと案内される。縁側の窓は開け放たれており、初夏の涼しい夜風が室内を満たしていた。
ちゃぶ台を挟んで向かい合って座ると、郡上君は電気ポットでお湯を沸かし、急須で渋い日本茶を淹れてくれた。
カチャリ、と湯呑みが置かれる音だけが響く。しばらくの間、無言で湯呑みの縁を撫でていた郡上君が、やがてポツリと口を開いた。
「俺の母親……新興宗教にハマってたんだよ」
「えっ……じゃあ郡上君、世間で言うところの『宗教二世』ってやつなの?」
「そうだ。しかもその宗教、ただの信仰の集まりなんかじゃねぇ。信者を精神的に追い詰めて食い物にして、全財産を毟り取る……とんでもねぇカルト宗教だったよ」
郡上君の顔に、深い嫌悪と苦い感情が浮かび上がる。
聞けば、最初は些細な悩み相談から始まり、気がつけば高額なお布施や怪しげな壺、謎の祈祷料などをむしり取られるようになっていたらしい。
「当然、親父と一緒に何度も苦言を呈したし、目を覚ませって説得もした。だが、母親は断固拒絶した。完全に洗脳されてたんだな。それどころか、母親がその宗教関係で知り合った幹部連中から『素晴らしい全寮制の学校がある』って昴田学園を紹介されて……俺は無理やりそこに入学させられたってわけだ」
「それって……」
「ああ。十中八九、反抗的だった俺を完全に服従させるつもりだったんだろうな。実際、その知り合いの幹部も、俺と同じように反抗的だった自分の子供を昴田学園に入れて、帰ってくる頃にはすっかり従順になって、文句も言わずに宗教活動に勤しむようになったそうだからな」
吐き気を催すような話だった。純粋に親の心配をした子供を暴力と洗脳が支配する矯正施設に押し込み、子供の自我を完全に破壊して自分達の都合の良い人形に作り変える。それが実の母親の差し金だというのだから、郡上君の絶望は計り知れない。
「そんないい思い出なんて欠片もない、拝金主義のクソみたいな宗教だったが……」
郡上君は湯呑みのお茶をグッと飲み干し、窓の外の暗闇を見つめた。
「唯一よかったと思える、というか……俺の目に焼き付いて離れない光景があった。母親に無理やり連れていかれた宗教行事で、『弱い人間』をたくさん見れたことだ」
「弱い人間……」
「あそこの宗教そのものは、上層部が私腹を肥やすためのただの詐欺組織だ。でもな、そこにすがりついている末端の信者達の事は、俺は完全に否定できないんだよ。彼らのほとんどは、社会から見放されたり、どうしようもない不幸に見舞われたりして……何か宗教的なものを心の拠り所にしなければ明日を生きていけないような、弱い人間ばかりだった。何かに依存しなければ壊れてしまう人間がこの世界にはごまんといるってことを知れたのは……ある意味、自分の世界が広がったと言えるかもしれない」
人生を捧げてまで見る価値があるとは思えないがな、と、郡上君は自嘲気味に付け加えた。 そこまで聞いて、僕はようやく全ての点と点が線で繋がった。
「それで……白川さんにも、その信者達と似通ったところを感じてたんだね」
「……ああ。あいつが強がって人を寄せ付けないようにしてる裏側で、ギリギリの精神状態で何かに依存しようとしてるのが、痛いほどわかったんだよ。同じフィオーレ公国に配属されたことだし、放っておけなくてずっと気にかけていたんだ。……結果的に、防げなかったわけだが」
「なるほど……」
郡上君の白川さんに対する不器用な優しさと、深い後悔。そして、クスリの材料を渡してしまった大滝君に対して、あれほどまでに激怒してしまった理由も、ストンと腑に落ちた。
となれば、あとは――。
「大滝君にも、ちゃんと話を聞かないとね。彼には彼なりの、絶対に引けない事情があったはずだ」
「それは俺も同感だ。頭を冷やして考えれば、あの時の大滝の様子は明らかに尋常じゃなかったからな。……だが、今日はお開きにしようぜ。もう9時を回ってるぞ」
郡上君に壁掛け時計を指さされ、僕はハッとした。
深刻な話に聞き入っていてあまり時間が経っていないつもりだったが、実は結構な時間が経っていたらしい。
「明日、よろず農園に行き直すんだろ? その時に話を聞けばいいんじゃないか? 外の空気を吸いながらの方が、大滝も口を開きやすいだろうし」
「確かに、いつもと違う開放的な雰囲気の方が話しやすくなるかもね。……よし、わかった」
僕はポケットから真新しいスマートフォンを取り出し、画面を操作した。 『明日、朝10時にみんなでよろず農園に行こう』と、グループチャットにメッセージを送信する。
実は、フィオーレ公国の転移者メンバーとマーガレットさんは全員、教習所に通っていた三日間の隙間時間を縫って駅前商店街のケータイショップでこの世界のスマホを入手していたのだ。異世界にいながら元の世界と同じ感覚で連絡が取り合える、超絶便利なアイテムである。惜しむらくは、通信機能は休憩所内限定だが。
「じゃあ、僕は自分の家に戻るよ。また明日」
「ああ。明日、楽しみにしてるぜ」
郡上君の顔には、少しだけ憑き物が落ちたような、穏やかな表情が戻っていた。
***
翌日。
雲一つない青空が広がる絶好の行楽日和。僕達は、予定から一日遅れとなってしまったが、各自の愛車に乗って『よろず農園』へと向かっていた。
大滝君とマーガレットさんも、グループチャットの誘いに快く了承してくれた。そして何より驚いたのは――。
「……何よ。あたしが来ちゃ、悪かったわけ?」
僕の運転するステーションワゴンの後部座席で、白川さんが不機嫌そうにそっぽを向いていたのだ。 今朝、タヌぽんが運営する診療所に問い合わせたところ、体内の毒素は完全に抜けきっていないが日常生活を送る分には問題ないと判断され、外出できる程度には回復したらしい。
ただし、何かあった時のために『絶対に一人きりにならないこと』という条件付きでの外出許可だ。
助手席に座る日向が、ニヒヒと笑いながら振り返る。
「そんなこと一言も言ってないっしょ! むしろ白川も一緒に行けて、ウチら超テンション上がってるし!」
「ボク達も、白川を診療所に置いていく気なんて毛頭なかった」
成美の言葉に、白川さんは「ふん」と鼻を鳴らしたが、その耳たぶは少し赤くなっていた。
ちなみに、日向と成美が昨日病室で聞いた白川さんの事情については、すでに郡上君にも共有されている。白川さんもそのことを了承済みだ。
だからこそ、自分の隠していた最も弱い部分を知られてなお、変わらない態度で接してくれる僕達や郡上君に対して、少しだけ信頼を寄せ始めているのかもしれない。
十分程度の短いドライブの後、僕達の車はよろず農園の広大な駐車場へと滑り込んだ。
車を降りると、土と草の青々とした匂いが鼻腔をくすぐる。
「ようこそ、よろず農園へだポン!!」
ゲートの入り口で出迎えてくれたのは、青いツナギに首に白いタオルを巻き、麦わら帽子を被った『農業従事者スタイル』のタヌぽんだった。相変わらずコスプレのバリエーションが豊かすぎる。
「ここよろず農園では、農業体験ができる田畑や果樹園はもちろん、珍しい熱帯植物を栽培している大型温室、あまーいはちみつを生産している養蜂場、渋い盆栽工房、さらに昆虫採集ができる自然の森もあるポン! ぜひ、日頃のストレスを忘れて楽しんでいってほしいポン!!」
パンフレットを配りながら、タヌぽんが元気に解説してくれる。
そのラインナップを聞いて、郡上君が顎に手を当てた。
「盆栽工房か……ちょっと興味あるな。白川、お前も行くか?」
「ん~、盆栽なんてジジくさいけど……まぁ、郡上がいいなら別にいいわよ」
白川さんはまだ本調子じゃ無いのか少し気怠そうに目を細めたが、決して嫌ではないようだ。二人は連れ立って、和風の建物が並ぶエリアへと歩いていった。
「おれは、大型温室に行こうかな。元の世界に無い植物があるかもしれないし、フィオーレ公国での活動でも役に立ちそうだからさ」 「いいね。僕も行くよ。珍しい植物なんて、こういう機会でもなきゃ見ることも無いだろうしね」
「わたくしもお供します! 珍しい植物、とっても興味があります!」
というわけで、僕と大滝君、マーガレットさんの三人は、ガラス張りの巨大なドーム型温室へ向かうことになった。
「じゃ、ウチら二人は昆虫採集ができる森に行ってるわ。なんか、ウチの『デコレーション』のスキルに使えそうな、キラキラした虫がいるっぽいし!」
「ボクも行く。虫取りはゲームの中でしかやったことないから、リアルでは初めてだけど挑戦してみる。何かあったらスマホで連絡して」
日向と成美は虫取り網と虫かごをレンタルし、意気揚々と奥の森へと消えていった。カブトムシにラインストーンをデコる気だろうか。それはもはや新種の魔物なんじゃないかと思いつつ、僕達も温室へと足を踏み入れた。
***
自動ドアを抜けた瞬間、ムワッとした熱気と、むせ返るような濃密な花の香りが僕達を包み込んだ。
温室の中は想像以上に巨大で、ジャングルのように鬱蒼と茂る巨大なシダ植物から、色鮮やかな蘭の花まで、様々な熱帯植物が所狭しと展示されていた。
「まあっ! あの黄色くて大きな、とっても綺麗なお花ですね。どういうお花なのでしょう?」
マーガレットさんが、太陽のように大きく咲き誇る花を指さして目を輝かせた。
「ヒマワリだね。おれ達の世界では知らない人がいないほど有名な花で、夏を代表する植物なんだ。成長期には必ず太陽の方を向いて花が咲く性質があってね。しかも、真ん中の種は食用になって、そのまま炒って食べてもいいし、絞れば料理用の油も採れるんだよ」 「なんと! 美しいだけでなく、実用性も兼ね備えているのですね! 大滝さんは本当に物知りです!」
マーガレットさんが尊敬の眼差しを向け、大滝君が照れくさそうに頭を掻く。端から見れば、完全に微笑ましいデート風景だ。大滝君の植物に対する知識の深さと、それを楽しそうに聞くマーガレットさんの相性は抜群である。
二人の会話が一段落し、マーガレットさんが珍しい食虫植物の観察に夢中になっている隙を突いて、大滝君がそっと僕に話しかけてきた。
「那須野君……もしかして、おれと二人で話したかったんだろ?」
「あはは、バレてたか。実は昨日、君の家に寄ってちゃんと話を聞こうと思ってたんだけど、時間が夜遅くなっちゃったからね。今日、なんとか自然に話せないかと思ってたんだ。もちろん、温室の植物に興味があることはウソじゃ無いけどさ」
僕が素直に白状すると、大滝君は少しだけホッとしたような表情を見せた。彼自身も、昨日の今日で僕達に対してどう接していいか、ずっと悩んでいたのだろう。
「君は昨日、郡上君に胸ぐらを掴まれた時、言ってたよね。『おれの意見が通った事なんて今まで一度も無い』って。……それって、どういう意味かなって思ってさ」
僕の静かな問いかけに、大滝君は視線を足元のレンガ敷きの通路に落とし、ポツリポツリと自分の身の上について語り始めた。
「おれ、三兄弟の2番目でさ。次男坊なんだけど……兄と弟が、結構なワルでさ」
「兄弟が……」
「おれとは正反対の性格でね。昔から、おれが庭の隅で大事に育てていた花や野菜を、兄貴達はわざと踏み潰したり、引っこ抜いたり鉢植えをひっくり返して捨てたりして面白がってたんだよ。……でも、それだけじゃなかった。あいつら、自分の悪事を他人のせいにして、自分の言い分を信じ込ませる厄介な才能があったみたいでさ」
大滝君の拳が、微かに震えていた。
「何か問題が起きるたびに、両親に向かって『全部実がやった』『注意したら逆ギレして暴れた』って、嘘八百を並べ立てたんだ。そして……両親は、おれじゃなくて兄貴達の言葉を完全に信じ込んだ。おれが『違う、おれじゃない!』って何度泣いて訴えても、『お前はいつも言い訳ばかりする』『問題行動ばかり起こす不良だ』って、全く取り合ってくれなかった」
その結果、大滝君の両親からの評価は最悪なものになったという。
そして最終的に、両親から『真っ当な人間に生まれ変わるためのラストチャンスだ』という理不尽極まりない理由で、あの地獄の昴田学園へと放り込まれたらしい。
「両親からの信頼が皆無だったから……家でも、学校でも、おれの言い分が通ることなんて全然無くてさ。何を言っても無駄だ、どうせ誰も信じてくれないって諦めるしかなかった。だから……おれにとって、自分の意見が通らないこと、他人の言いなりになることが『普通』になっちゃってたんだよ」
「だから……白川さんからの要求も、拒否するだけ無駄だと思って言われるがままにクスリの材料を育てて渡してしまった?」
僕の言葉に、大滝君は力なく首を縦に振った。
長年にわたる家族からの精神的虐待が、大滝君から『ノー』と言う気力すら奪ってしまっていたのだ。
その時だった。
「そんなこと、絶対にありませんっ!!」
ビクッとして振り返ると、そこには顔を真っ赤にして怒っているマーガレットさんが立っていた。近くの食虫植物を見ていたはずだが、僕達の会話をしっかり聞いていたらしい。
「マ、マーガレットさん……?」
急に会話に割って入ってきた彼女の剣幕に、大滝君は目を丸くした。
マーガレットさんは大滝君の正面に立つと、彼を真っ直ぐに見据えて、凛とした声で言い放った。
「わたくしは、大滝さんの生真面目さを誰よりもよく知っています! あなたは、毎日泥だらけになりながら、手間がかかる植物のお世話を休むこと無く大量にやっておられます! わたくしのおばあさまや、フィオーレ公国の重鎮の皆さんの無茶な要求にも、文句一つ言わずに必ず最高の形で答えています! そんな素晴らしい努力ができる人の信用が無いなんて、絶対あり得ません!! もし、大滝さんの言葉を信じないような愚か者がこの世界に居るのなら、公王の孫娘であるわたくしが直々に抗議して差し上げます!!」
それは、ただの慰めではない。フィオーレ公国という異世界の地で、大滝君の働きぶりを一番近くで見てきた彼女だからこそ言える、魂からの全肯定だった。
そしてマーガレットさんは、一歩踏み出し、大滝君に強く発破をかけた。
「ですから大滝さん、今すぐ白川さんの所へ行って、はっきりと言ってやって下さい! 『もう身体を壊すようなお薬の材料は、絶対に提供出来ない』と!!」
「マーガレットさん……でも……おれは……」
長年のトラウマが足を引っ張っているのか、大滝君はまだ躊躇するように視線を泳がせた。
すると、なんとマーガレットさんは、背伸びをして大滝君の首元に腕を回し――ギュッと、彼を強く抱きしめたのだ。
「えっ……!?」
「大丈夫です」
大滝君がパニックになりかけるのをよそに、マーガレットさんは耳元で優しく、けれど力強く囁いた。
「わたくしが、大滝さんに『勇気』を分けます。……あなたなら、必ずできますから」
温室の柔らかな光の中、13歳の少女の背伸びした、けれど真っ直ぐな想いが込められた抱擁。
その温もりが伝わったのだろう。大滝君の震えが、ピタリと止まった。
「……わかった」
大滝君の瞳から、気弱な色が消え去っていた。
彼はマーガレットさんから静かに離れると、決意に満ちた表情で振り返り、温室の出口に向かって全力で駆け出した。
「行きましょう、那須野様!」 「ああ、見届けよう!」
僕とマーガレットさんも、大滝君の背中を追って走り出した。
向かった先は、先ほど郡上君達が向かった『盆栽工房』だ。
古風な木造建築の入り口を潜り抜けると、中庭には無数の見事な松の盆栽が並んでおり、その奥で白川さんが郡上君と一緒に退屈そうに盆栽を眺めていた。
「白川さんっ!!」
息を切らしながら駆け込んできた大滝君の怒号のような声に、白川さんと郡上君がビクッと肩を揺らして振り返った。
「大滝……? そんな急いでどうしたのよ……」
怪訝な顔をする白川さんの言葉を、大滝君は強い口調で遮り、真っ向から言い切った。
「こんな場で言うことじゃないのはわかってる! けど、今すぐに言わないといけないから言う! ……おれはもう、白川さんにクスリの材料をあげることは、絶対に出来ない!!」
かつてないほどの大声。それは、大滝君が人生で初めて、自分の意志で他人の要求を明確に跳ね除けた瞬間だった。
静寂が、盆栽工房を支配する。
僕達は息を呑んで白川さんの反応を見守った。怒るか、それとも冷たくあしらうか。
しかし、しばらくの沈黙の後。白川さんはふっと肩の力を抜き、自嘲するような、けれどどこかスッキリとしたような微かな笑みを浮かべて口を開いた。
「……そっか。まぁこんな事が長く続くなんて、あたしも思ってなかったけどね。今日が、その時なんだ」
白川さんは、まっすぐに大滝君の目を見つめ返した。
「わかった。あたしもあんたに、もう二度とクスリの材料を要求しない」
「白川さん……」
大滝君が、安堵からかその場にへたり込みそうになるのを、後ろから追いついたマーガレットさんが慌てて支える。
そして白川さんは、今度は隣に立っていた郡上君に向き直り、はっきりとした声で宣言した。
「あたし、決めた。有降町にある病院に行って、オーバードーズの根本治療、受けるわ」
その言葉に、郡上君は驚きに目を見開き、やがて顔をくしゃくしゃにして、不器用に笑った。
「……ああ。退院したら、快気祝いに何か美味いもんでも奢ってやるよ」
初夏の風が盆栽の葉を揺らし、心地よい音を立てて通り抜けていく。
僕達は、大きく一歩を踏み出した大滝君と白川さんの姿を、ただ温かい目で見守っていた。




