第29話 白川の抱える闇
「おい、白川! 返事をしろ!! 白川ぁぁっ!!」
畳の上でけいれんを続ける白川さんの肩を、郡上君が激しく揺さぶる。
その顔は蒼白で、声は完全に動揺で裏返っていた。
「郡上君、触っちゃダメだ! 喉に詰まらせる危険がある! 横向きに倒してあげて!」
「くっ……! おい、しっかりしろ!!」
僕は慌ててスマホを取り出し、タヌぽんから教えてもらっていた緊急連絡先へとダイヤルを繋いだ。
「もしもし!? 緊急事態です! 住宅街の角地、白川さんの家で人が倒れてます! 泡を吹いて痙攣してて……!」
『要請を受理したポン! すぐに救急車両を発進させるポン! 本来なら住宅街まで20分かかるポンが、今回は速度制限と信号を全て解除した緊急モードで飛ばすポン! 10分前後で到着するポン!』
受話器の向こうで凄まじいエンジン音が鳴り響く。休憩所のハイテクインフラは伊達じゃない。
「郡上君、今診療所に連絡した! 速度制限解除の緊急扱いだから、10分前後で救急車が到着するって!」
「じゅ、10分……!? 頼む、持ってくれよ白川……!」
受話器を置いた僕に、電話口のタヌぽん医師からの指示を伝える。
「それと、医師からの指示があった。到着まで患者を無理に動かさず、安静にさせておいて欲しいって。それから、喉を詰まらせないように吐物の処理をして……あと、白川さんが服薬した可能性のある『薬物の特定につながるもの』を早急に確保してほしいって!」 「薬物の特定……!? ッ、まさかオーバードーズか!?」
郡上君が悔しそうに歯を食いしばる。
「オッケー、ウチらに任せとくし! 部屋の中、片っ端から探すよ!」
日向が腕まくりをして叫んだ。
「女の子の家を探すなら、同じ女の子であるボク達が適任。男子だったら気まずくて探しにくい隠し場所もあるはず。ボク達は私物や衣服の周り、トイレや洗面所を捜索する」
成美の冷静な指示に、マーガレットさんも「わ、わたくしも手伝います!」と力強く頷いた。
「よし! 僕と郡上君、大滝君は居間の床に散らばっている薬の錠剤や瓶を回収しよう!」
僕達は分担して動き出した。 畳の上には使いかけの錠剤やラベルの剥がされた怪しい小さなプラスチック瓶、そして白い粉末がうっすらと残った小袋がいくつも転がっていた。それらを慎重に透明な袋に集めていく。
そうこうしているうちに、外から『ピーポーピーポー!』というド派手なサイレン音が響き渡り、凄まじいドリフト音と共にほぼ十分で救急車両が玄関前に滑り込んできた。
「患者はどこだポン!?」
白衣を着て、両手に巨大な往診バッグを持ったタヌぽん医師と、救急隊員のタヌぽん達がドカドカと和室に雪崩れ込んできた。
タヌぽん医師は手早く白川さんの脈を取り、瞳孔を確認すると、バッグから液体が入った大きな注射器を取り出した。
「容態確認したポン! 薬物の種類は大体わかったから、今はこれを打つポン!」
迷いのない手つきで白川さんの腕に注射が打たれる。
すると、あんなに激しく痙攣していた白川さんの身体からゆっくりと力が抜け、荒かった息遣いがすーっ、すーっと規則正しい寝息へと変わっていった。白目を剥いていた目も閉じられ、顔にわずかな血色が戻ってくる。
「ふう……投与したのは、汎用的な解毒剤だポン。とりあえず命の危険は脱したポン。……けど、これはあくまで一時的な応急処置。根本的な治療や体内毒素の完全排出にはならないポン」
「そ、それじゃあ……! 白川はどうなるんだ!?」
郡上君がすがるような目でタヌぽん医師を見つめる。
「今日はこのまま、村の診療所まで搬送して一晩様子を見るポン。……けど、体内の解毒代謝機能が著しく低下している場合、うちの診療所では設備不足で治療しきれない可能性があるポン」
「その場合は……どうなるんだ……?」
「その場合は、有降町にある病院へ緊急移送することになるポン。あそこの設備であれば、どんな重篤な中毒症状でも完治させられる可能性が高いポン」
タヌぽん医師の説明に、僕達はホッと胸を撫で下ろした。
救急隊員の手によって、白川さんはストレッチャーに乗せられ、僕達が集めた薬物の残骸と共に救急車へ運び込まれていった。
サイレンを鳴らしながら去っていく救急車を、僕達は玄関前で見送る。
静まり返った田舎の道。初夏の風が通り抜ける中……。
ドスッ!! と、鈍い音が響いた。
「うわぁっ!?」
振り返ると、大滝君が胸ぐらを掴まれ、ブロック塀に押し付けられていた。
胸ぐらを掴んでいるのは――鬼のような形相をした郡上君だった。その拳は震え、目は血走っている。
「大滝……! お前、知ってたろ!? あの薬物は、お前が作ったんだろう!!」
「……っ!」
大滝君は息を詰まらせ、恐怖でガタガタと体を震わせた。しかし、郡上君の追及から目を逸らすことはしなかった。
「……そうだよ。正確に言えば……おれが作っていたのは薬物の原料になる植物だ。それを精製して、実際に薬物に変えたのは白川さんだよ……」
「同じことだろうがッ!!」
郡上君の怒号が響き渡る。
「結局お前は! 白川がその原料を何に使うのか知っていながら渡したんだろ!? 白川が元の世界でクスリに依存してたことも、それを探してたことも知ってたはずだ! なのに、なんで渡した!? なんで止めなかったんだよ!!」
郡上君の詰問に、大滝君の目からボロボロと涙が溢れ出した。
そして、今までの気弱な大滝君からは想像もできないような、悲痛な叫びを上げた。
「だって……っ! おれが拒否したところで無駄なんだよ!!」
「なんだと……!?」
「おれが『ダメだ』って言ったって、白川さんは聞きやしない! それに……おれの意見が、誰かに通ったことなんて……今まで一度も無かったんだからな!!」
大滝君は顔をぐしゃぐしゃにして、絞り出すように叫び続けた。
「二人とも、そこまでにしよう」
僕は二人の間に入り、郡上君の手をそっと大滝君の胸元から離させた。
「郡上君の気持ちもわかる。でも、ここで大滝君を責めても白川さんの体は治らないよ。大滝君も、自分がしたことの重さは分かってるはずだ」
「……ああ。悪い、頭に血が上りすぎてた」
郡上君は力なく手を降ろし、大きく息を吐き出した。
大滝君はその場にへたり込み、肩を揺らして泣きじゃくっている。
「今日は……一旦解散にしよう。よろず農園に行くのも、白川さんの容態が落ち着いてから、また日を改めて出直そう」
僕の提案に、誰も異論は唱えなかった。
郡上君は一人で家に帰り、大滝君はマーガレットさんに心配されながら帰っていった。
……まぁ、僕達三人は、夕方になったらそれぞれの様子を見に行くつもりなんだけどね。
***
~日向・成美side~
夕暮れ時。 朱色に染まる能孫村の田舎道を自動車で走り、日向と成美の二人は駅前商店街診療所を訪れていた。
受付のタヌぽん看護師に許可をもらい、廊下の突き当たりにある病室のドアをそっと開ける。
カラカラ……と軽い音を立てて開いた引き戸の先。白基調のシンプルな病室のベッドの上で、白川がポツンと体を起こしていた。点滴のチューブが彼女の細い腕へと伸びている。
「やっほ~、白川。元気してる?」
「お見舞いに来た」
日向が努めて明るい声をかけ、成美がパイプ椅子を引き寄せて腰掛けた。
「……あぁ。あんた達か」
白川の声は擦れており、顔色もまだ青白くぐったりとしていた。けれど、しっかりと意識ははっきりしており、言葉を交わせる程度には回復しているようだった。
「気分はどう? まだ気持ち悪い?」
「……最悪。頭が割れそうに痛いし、吐き気がする。……点滴のせいで、体に力が入らない」
白川は自嘲気味に鼻で笑うと、視線を窓の外の夕焼けへと向けた。
「あのさぁ、白川。なんでクスリなんてやったの?」
日向が真っ直ぐな目で白川を見つめる。
「大滝の反応や、部屋に転がってた量からしてさ……これ、相当長いことやってない? 具体的には、この世界に来てから」
「……なんであんた達に、あたしのプライベートを話さなきゃなんないの」
白川は煩わしそうに顔を背けた。しかし、成美が淡々とした、けれど温かみのある声で言葉を継いだ。
「白川のことが心配だから。それに、男子には言いにくいことも、ボク達女同士なら話しやすいことがあると思う」
成美の飾らない言葉と、日向の温かい眼差し。
軽蔑や好奇の目ではなく、純粋に自分を心配してくれている二人の雰囲気に、白川はしばらく黙り込んだ後、ぽつり、ぽつりと重い口を開き始めた。
「……あたしさ。家にも、学校にも、最初から居場所なんて無かったんだよね」
白川の回想は、彼女が中学生だった頃へと遡る。
「中学に入ってすぐ、くだらない理由で女子のグループからシカトされて、エスカレートしていじめを受けるようになった。机に落書きされたり、持ち物を隠されたり……毎日が地獄だった。耐えきれなくなって、学校に行けなくなった。不登校になったんだ」
そこまでは、よくある話かもしれない。だが、白川を完全に追い詰めたのは、実の両親だった。
「親は、あたしがいじめられてることなんて意地でも認めなかった。『根性が足りない』『世間体が悪い』って、毎朝あたしの布団をひっぺがして、無理矢理服を着せて、学校へ引きずっていこうとした。家の中にすら、あたしの味方なんて一人もいなかった」
限界を迎えた白川は、家を飛び出した。 行くあてもなく都会をさまよい、行き着いたのは、同じように居場所を失った少年少女たちが夜な夜な集まる事で有名な場所だった。
「そこで、教えてもらったんだ。……オーバードーズをね」
「オーバードーズ……」
「クスリを大量にキメるとさ、強烈な吐き気と眩暈が襲ってくる。立っていられなくなって、頭の中がぐるぐる回って、最悪意識が飛ぶ。……でもね」
白川は自分の細い腕をさすりながら、ぽつりと呟いた。
「それで……『生きている実感』が得られたんだ」
「生きている……実感?」
日向が眉をひそめる。
「どこに行っても居場所が無くて、誰からも必要とされてなくてさ。あたし、本当はもう死んでるんじゃないのかなって、何度も思った。世界から孤立して、透明人間になったみたいで。……だけど、クスリをキメて激しい苦痛に悶えたり、自分の身体を傷つけたりするとさ。『あぁ、あたしいま、猛烈に苦しい。痛い。生きているんだ』って、はっきり実感できた」
苦痛によってしか、自分の存在を証明できない。
それが、過酷な現実から逃げ出し、傷つきすぎた少女が辿り着いた、あまりにも不器用で歪んだ『生存戦略』だったのだ。
「で……そうやって補導されるのを繰り返してたら、補導員と親に『矯正施設』だって騙されて放り込まれたのが、あの昴田学園」
白川は蔑むような笑みを浮かべた。
「学園での生活は最悪だったけど、皮肉なことに、あそこは毎日が命がけだったからさ。暴力を振るわれるたびに、『生きている実感』だけは嫌ってほど味わえたよ。……そして、この異世界に来て、その感覚はもっと強くなった」
「あの戦い方……」
成美が呟いた。 フィオーレ公国で最初に目の当たりにした、白川が見せた捨て身の戦い方。敵の攻撃を恐れず、自ら傷つき、薬で無理矢理強化しながら刃を振るう、常軌を逸した立ち回り。
「そう。自分が傷つく機会が多いし、それで仲間や国のためになるんなら、一石二鳥じゃん? あたしの命なんて、どうせそんな程度の価値しかないんだから」
「白川……」
日向の顔が切なそうに歪む。
「……あんた達が、あたし達をこんな平和で綺麗な村に招待してくれたのは、すごく嬉しかったよ。……でもさ」
白川は天井を見上げ、ポツリと言った。
「ここ、平和すぎるんだよ。畳の匂いがして、風が気持ち良くて、みんな優しくて……まるで天国みたいでさ。……ここに居ると、あたしの『生きている実感』が、どんどん薄れて消えていきそうになるんだ」
「だから……クスリやってたの?」
日向のストレートな問いに、白川はただ「そう」とだけ答えた。
静寂が病室を包み込む。
白川の抱える深い闇と傷の痛ましさに、日向も成美も言葉を失っていた。しかし、過剰に同情したり、安易な説得をしたりすることはしなかった。ただ、彼女の苦しみを受け止めた。
「……白川の言いたいこと、よく分かったよ」
成美が静かに立ち上がった。
「このことは、後で郡上に伝えておく」
「はぁ!?」
白川がガバッと顔を上げた。同時に苦しそうな表情もしていたが。
「なんであいつに言うのよ!? 余計なこと言わないでよ!」
「郡上は、白川のことを誰よりも心配してる」
成美は表情を変えずに続けた。
「郡上は不器用だけど、白川のことを本気で仲間だと思ってる。多分、白川が自分を傷つけて一番悲しむのは、郡上」
「ッ……」
白川は言葉を詰まらせ、バツの悪そうに視線を落とした。怒るというよりは、恥ずかしさと申し訳なさが混ざったような表情だった。
「それじゃ、ボク達は行くね。しっかり休んで」
成美と日向が病室のドアに手をかけた時――。
「……待って」
白川の声が引き止めた。
「……何?」
「言い忘れてたけど……あたしが車の免許を取る気が無かったのは、ただの気まぐれじゃないから」
白川は少し照れくさそうに、けれど真剣な目で二人を見た。
「あたし……自分がクスリに依存してて、まともな精神状態じゃないって分かってたから。……昔見たテレビでやってた。薬物が合法な海外の国でも、クスリをキメた状態で車を運転するのは絶対的な違法だって。……そんな状態で運転したら、誰かを巻き込んで殺しちゃうかもしれないから」
一瞬、日向と成美の目が丸くなった。
「……それも、郡上に伝えといて」
白川はそう言うと、恥ずかしそうに布団を頭まで被ってしまった。
「……うん。了解だし。絶対に伝えておくからね!」
日向はニッと笑い、成美と共に病室を後にした。
夕闇が迫る廊下を歩きながら、二人は顔を見合わせた。
「ねえ、成美」
「なに?」
「白川、まだ良心が残ってたし」
「うん。まだ壊れきってなんかいない」
「……良かったぁ」
日向は深く息を吐き出し、空を見上げた。
どんなに荒れていても、どんなに世界に絶望していても、白川の中にまだ残っていた人間性とモラル。
それがある限り、彼女はきっとやり直せる。
二人の心には、先ほどまでの重苦しさとは違う、小さな温かい光が灯っていた。




