第3話 異世界のQOLが前世より高すぎる件(学園生活との対比)
スキルの鑑定という名のガチャ引き大会を終えた僕達は、それぞれの能力に応じた歓喜と絶望(主に僕)を胸に抱いたまま、王城の敷地内にある来客用の宿泊棟へと案内された。
案内された部屋を見て、僕は思わずその場で泣き崩れそうになった。
なんと、部屋は完全な『一人一室』だったのだ。
昴田学園の寮では、狭苦しい部屋に二段ベッドが二つ押し込まれた三〜四人部屋が基本だった。プライバシーなんて概念は存在せず、他人のいびきや歯ぎしり、ストレスでおかしくなった奴の不気味な寝言のハモりをBGMに眠るのがデフォ。少しでも音を立てれば同室の荒んだ連中と乱闘騒ぎになるという、常に神経をすり減らすタコ部屋生活だったのだ。
それがどうだろう。今、目の前に広がるのは、正真正銘、僕だけのプライベート空間である。
「こちらが、那須野様のお部屋になります」
「へぇ……すげぇ、めっちゃ落ち着いて過ごせそう」
本物の、それもメイド喫茶のようなフリフリではなく、ロングスカートで実用性と気品を兼ね備えた中世風メイド服に身を包んだお姉さんに案内され、僕は部屋に足を踏み入れた。
部屋の広さは現代のビジネスホテルと比べればかなりゆったりしており、天蓋こそないものの立派な木彫りのベッド、アンティーク調の椅子とテーブル、重厚なクローゼットやタンスなど、生活に必要な家具が全て揃っている。
大きな窓には落ち着いた色合いの厚手のカーテンが掛けられ、床にはふかふかの絨毯。壁には風景画のちょっとした絵画まで飾られており、非常に趣味が良い。高級な洋館のゲストルームといった趣だ。
メイドさんの説明によれば、ここは外国から来訪した外交団の中堅メンバーが利用することを想定した部屋だそうで、同じく転移したクラスメイト全員が、僕と同じ間取りの部屋に泊まるんだそうだ。
「天井の照明の操作は、こちらの壁にあるスイッチで可能です。フロアランプとテーブルランプのスイッチは本体のひも部分にございます。また、気温が不快に感じましたら、天井照明スイッチの下にある丸いスイッチを押して下さい。天井のシーリングファンが回り、風量を調節できます」
「えっ、スイッチで操作できるんだ? 火打石とか魔法で火をつけるんじゃないの?」
僕は壁のスイッチをパチパチと押しながら、驚きの声を上げた。中世ヨーロッパっぽい剣と魔法の世界なのに、電気のスイッチのような近代的な装置が存在しているのだ。
「はい。これは過去に召喚された『転移者』の方々の功績の一つです」
メイドさんは誇らしげに微笑んだ。
「転移者の中には、ご自身の世界の知識やスキルを用いて、魔力を動力源とする『魔導具』の開発や普及に尽力された方が何人かいらっしゃいました。この部屋に使用されている魔導具は王城仕様のためトップクラスに品質が良い物ですが、一般市民が使用している廉価モデルもあり、今やどんな辺境の田舎でも、魔導具を使っていない場所はセッテ王国にはほぼありません。蝋燭やランプは、もっぱら儀式や行事、あるいは非常用として使っております」
「なるほど……。過去の異世界転生者たち、マジで有能すぎるだろ……」
僕は心の中で、顔も知らない先人たちに深い感謝の祈りを捧げた。異世界チートで俺ツエーするだけでなく、インフラ整備までやってのけるとは。彼らにノーベル異世界賞を授与したい気分だ。
「ところで、魔導具以外にも転移者が尽力したものってあるの?」
「ございますよ。例えば、このお部屋の入り口付近の、廊下に出る扉の他に二つ、別の扉がお見えになると思います」
言われてみれば確かに、木製の扉が二つ並んでいる。
「片方がお手洗い、もう片方が洗面所とシャワールームになっているのですが、どちらも上下水道と魔導具の併用によって、清潔な水の供給と排水が自動で行われております」
「……じょ、上下水道!? 水洗トイレとシャワーがあるの!? QOL爆上がりじゃん!!」
僕は弾かれたように扉を開けた。
そこには、中世ファンタジー世界でポットン便所を覚悟していた僕の絶望を打ち砕く、見慣れた形状の『水洗洋式トイレ』が鎮座していた。ウォシュレットこそ無かったが、レバーを引けば水が流れる。これだけでも神の御業に等しい。
さらに隣の扉を開けると、そこには鏡とアメニティを置いておける棚が備え付けられた機能的な洗面所があり、奥には狭いながらも一人で使う分には十分すぎる広さのシャワールームがあった。ひねればきちんとお湯が出る。
シャワールームが自室にある。その事実が、どれほど僕の心を救ったか。
昴田学園での入浴は、大浴場という名の地獄だった。規則が刑務所並みに細かく、脱衣所から浴室まで、常に数人の筋骨隆々な教師が看守のように目を光らせている。
洗って、湯船に浸かって、着替えるまでの制限時間は、なんと驚愕の『十五分』。泡立ちの悪い粗悪な石鹸で全身を急いでこすり、芋洗い状態の湯船に数分だけ浸かって、濡れた体のまま急いでジャージを着込む。
別のクラスで少年院に入っていたという札付きの不良が「少年院の入浴と完全に同じシステムじゃねえか」と絶望混じりにボソッとつぶやいていたのが印象的だった。
そんな、自由もプライベートも尊厳も無い地獄の入浴と比べれば。
誰の目も気にせず、暖かいお湯を好きなだけ浴びながら、一人でホッと一息つけるプライバシーが確保されているというだけで、ここは間違いなく天国だった。
「明日より、こちらの衣服を着て生活して下さい。セッテ王国の標準的な服です。それと、明日からの訓練や授業の予定は、こちらの机の上の書類に書かれております」
メイドさんはクローゼットに数着の服を掛けながら言った。
「召喚の際、皆様にはこちらの『言語理解能力』も一緒に付与されていると王宮魔術師からお聞きしましたが、書類の文字は問題無く読めておりますでしょうか?」
僕は書類を手に取った。そこには、ミミズが這ったような、見たこともない複雑な記号の羅列が並んでいる。
しかし、不思議なことに、それを見つめていると頭の中にスルスルと日本語の意味が浮かんでくるのだ。
「うん、バッチリ読めてる。初めて見る文字なのに、普通に内容が理解出来るのはすごく不思議な気分だ」
「それは重畳でございますね。では、本日はゆっくりとお身体をお休めになり、明日からの訓練、頑張って下さいませ」
優しく一礼して部屋を出て行くメイドさんを見送り、僕はふかふかのベッドにダイブした。
スプリングの柔らかい感触に包まれながら、僕は誰にも邪魔されない至福の眠りについたのだった。
***
翌日から、魔王討伐に向けた僕たちの訓練が始まった。
『訓練』という単語を聞いた瞬間、クラスの連中全員が昴田学園のトラウマを呼び起こされて顔を青ざめさせたが、蓋を開けてみれば杞憂だった。
訓練の半分は座学で、もう半分は個人の戦闘訓練や『スキル』の能力解明・育成といった実技が大半だったのだ。怒鳴り声も飛んでこないし、竹刀で叩かれることもない。少なくとも、昴田学園の理不尽極まりないスパルタ授業(という名の虐待)に比べれば、何万倍もマシで人間的な内容だった。
特に座学は、セッテ王国で生活する上で必須となる知識――具体的には経済、歴史、地理などを学ぶ、かなり本格的なものだった。講師として呼ばれたのは、王族や貴族の子女の家庭教師を担当した実績を持つ、インテリジェンス溢れる穏やかな老紳士・淑女たちで、非常に分かりやすい授業を展開してくれた。
まず経済について。セッテ王国では『フェスタ』という貨幣単位を使用しており、書類などでは『F』と表記される。
物価や貨幣価値は現代日本と流通している物が違うので単純な比較は出来ないが、ざっくり『1フェスタ=1円』と同じような感覚で買い物が可能だと思って良いらしい。計算が楽で非常に助かる。
さらに驚いたのが、このファンタジー世界に『銀行システム』が確立して存在している点だ。
これも、過去の転移者の中で金融や経済学に精通していた変態(褒め言葉)がいたそうで、その人物が王国に掛け合って作り上げたシステムなんだそうだ。過去の転移者、マジでどんだけ優秀なんだよ。
近日中に僕達全員に銀行口座を作ってもらい、魔王討伐への協力の対価や、日々の生活費といった報酬をそこに振り込めるように手配してくれるそうだ。待遇がホワイト企業すぎる。
そして、重要な歴史と地理の授業。
セッテ王国は『セッテ大陸』という巨大な大陸のほぼ全土を手中に収める超大国だが、その内情は単一の国家ではない。実は6つの『公国』と、それらを取りまとめる中央の『王領』、合わせて7つの国から構成された巨大な『連合王国』なのだ。
なぜそんな複雑な国家体制になっているのかというと、そもそもセッテ大陸には古来より7つの異なる民族が住んでいたからだ。
それぞれ『橋の民』『花の民』『獣の民』『砂の民』『水の民』『山の民』『魔法の民』と呼ばれている。
ちょっと待て。今、講師の口からさらっと、とんでもないパワーワードが飛び出さなかったか? 『獣の民』!?
それってつまり、獣の耳や尻尾を生やした、いわゆるケモミミっ娘がこの世界のどこかに実在するってことか!? なんだそれ、神ゲー確定じゃないか! 魔王討伐のモチベーションが爆上がりだ!
僕だけでなく、クラスの男子たちの何人かが明らかに鼻息を荒くして前のめりになっている。
……と期待したのも束の間。
どうやら、外見上は人間と大きな違いは無いどころか、寿命や身体能力にも差は無いらしい。それぞれの民族の名前は、住んでいる地形や、持っている知識や技術に由来しているだけとのこと。つまり『獣の民』とは、単に畜産業や動物由来の素材加工に長けているから、そういう名が付けられただけなのだ。
僕たちの淡い期待は一瞬にして粉砕された。
授業によれば、それぞれの民族は住んでいる環境によって得意な技術や魔法、文化が全く異なっており、古くはそれらを使って交易し、助け合いながら(時には争いながら)生きてきた。そうした長い歴史の発展と統合の末、現在の強大なセッテ連合王国が成立したらしい。
ではセッテ王国の国王、つまりあのアレクサンダー陛下はどういう存在なのか。
彼は各公国の長である『公王』たちの取りまとめ役であり、公国同士の揉め事の仲介や、国全体の方針を決める折衝役なのだ。
こういった異なる民族間の『橋渡し役』を担うのは、セッテ大陸のへそにあたる中央部に住んでいた『橋の民』の歴史的な役割であり、国王を始め、中央政府の要職に就く人達はほとんどがこの橋の民の人達なのだそうだ。
「こういった歴史的経緯から、セッテ王国の都は、古くから交易の要所や民族同士の交流の場であった橋の民の一大拠点、つまりここ『チェントロ』に定められました。ちなみに橋の民の『橋』とは、物理的な橋ではなく、人と人、国と国とを繋ぐ『橋渡し』の意味が込められています」
そう言って、穏やかな笑みを浮かべながら講師の老紳士は授業を締めくくった。
なるほど、ファンタジー世界にもしっかりとした歴史と政治の地盤があるんだな、と僕たちが感心してノートを閉じようとした、その時だった。
「そうそう、大事なことをお伝えし忘れておりました」
講師は思い出したようにポンと手を打ち、笑顔のまま、とんでもないことを言い放った。
「すでにお聞きになっているかもしれませんが、ここ王都での基礎訓練が終了次第、皆さんのスキル適性や能力を鑑みて、それぞれ中央、あるいは各公国のいずれかへ引き取られ、そこで本格的な実践訓練と任務を遂行していただくことになります」
……ん? 引き取られる?
振り分けられるってことか?
「皆さんがどこの国へ所属となるかは、後日、アレクサンダー陛下と各公国の代表者様たちが集まる会議をもって決定するそうです。それでは、本日はこれまで」
老紳士が優雅に一礼して教室を出て行った後、教室は騒然となった。
最後にとんでもない爆弾発言が飛び出したぞ。なんだそれ、聞いてない。
要するに、各国のトップが集まって、僕たちを戦力として欲しがる国が指名していくってことだろ? それって完全に、プロ野球の『ドラフト会議』じゃないか!
『聖剣』やら『ハクスラ』みたいなチート能力を持った連中は、間違いなく競合の末にドラフト1位で指名されるだろう。引く手数多だ。 でも……待ってくれ。 僕のスキル、『休憩所』なんだけど!? ジェームズさんのフォローがあったとは言え、国王の反応からしてあまり期待されているようには見えないんだが! どこの国からもお呼びがかからず、指名漏れする未来しか見えない。
育成枠にすら引っかからず、最悪の場合「君、うちの国ではちょっと使い道ないから」と、王都の隅っこで本物の茶屋を経営する羽目になるのではないか。
異世界に来てまで就職活動の恐怖を味わうことになるとは思わず、僕は一人、机に突っ伏して頭を抱えたのだった。




