第26話 完璧な『おばあちゃん家』
「――では、これで皆さんが購入する家は決定だポンね。代金として、それぞれ100Vをいただきますポン!」
二足歩行のタヌキのゆるキャラ――もとい『タヌぽん』が、丸っこい短い手をパタパタと振りながら、窓口の電卓を叩いて見せた。
その提示された金額を見て、郡上君が引きつったような声を上げる。
「お、おい那須野……本当にそんなジュース一本買うような値段でいいのか? バグか何かじゃねえだろうな?」
「いや、バグじゃないよ。僕も最初はめちゃくちゃビビったけどさ。転移者向けの特別割引……っていうか、心身を癒やすための超絶福祉サービスなんだよ、郡上君」
「それにしても安すぎるだろ。この世界の不動産価値の崩壊を心配したくなるレベルだぞ……」
まぁ、最初に直面した時は誰もが面食らうよな。完全に僕が通った道だ。ちなみに郡上君たちには、銀行での口座開設の際、この休憩所内での独自通貨『V』の価値や、1Vが外の世界の1フェスタ(ほぼ一円相当)と同じくらいの感覚で使えることについては既に説明してある。
僕たち一行は、タヌぽんの不動産屋に到着するなり、まずは各自の生活拠点となる家を決めることにした。 当然ながら、僕と日向、そして成美の三人は、有降町の時と同じく共同で一軒の家を購入。問題は、他のメンバーの部屋割りだった。
郡上君と白川さんは別々に家を購入したのだが、立地はなんと隣同士だ。 白川さんが「あたしは静かな角地がいい」と無愛想に家を決めた直後、郡上君が間髪入れずに「じゃあ俺はその隣で」と即決したのだ。
白川さんは「……ストーカー? うっとうしいんだけど。あたしのパーソナルスペースに入ってこないでよ」と、これ以上ないほど冷たい目で郡上君ににらみつけていたが、郡上君は「何かあったらすぐに駆けつけられる距離にいるだけだ。お前がまた変なことしねえように監視する」と、心配そうな目線を崩そうとはしなかった。
白川さんは『チッ』と盛大に舌打ちをすると、それ以上は何も言わずにそっぽを向いてしまった。
だが、一番の衝撃はそこではなかった。 なんと、大滝君とマーガレットさんが、全く同じ家を共同購入したのだ。これにはゴシップ好きでなくとも耳を疑うレベルである。
「な、なんでおれと同じ家に……!? マーガレットさん、おれみたいな男と同居なんて、色々と問題があるんじゃ……!」
案の定、お人好しで気弱な大滝君は、顔を真っ赤にしておろおろとうろたえまくっていた。だが、十三歳ながらおませで気品ある公王の孫娘は、ツンと澄ました顔で腕を組んでみせる。
「大滝さん。せっかくの休暇だというのに、あなたを一人きりにしたら、またお部屋に引きこもって怪しげな植物の栽培を始めそうだからです。これは監視ですよ、か・ん・し! それに、わたくしは皆様のように『転移者割引』が適用されませんので、購入金額が何十万倍も高くなってしまいます。少しでも生活費を節約したいですし、お部屋はたくさんある一軒家なのですから、別々のお部屋で寝れば何の問題もありませんよね?」
マーガレットさんは淀みない口調で言い訳を並べ立てていたが、僕から見れば、その耳たぶがほんのりと赤くなっているのは隠せていなかった。
タヌぽんから鍵を受け取り、大滝君たちの背後を歩きながら、僕たち三人はこっそりとヒソヒソ話を始める。
「もしかしてさー、マーガレットちゃんってば、大滝に完全に惚れてね? あからさまなツンデレなんですケド!」
「うーん、でも……マーガレットさんの言葉も間違ってはいないような……」
「日向も雄心も、核心を突いているようでちょっとズレてる」
成美が、いつもと変わらない無表情のまま、ボソリと割って入ってきた。
「多分、マーガレット自身は自分の気持ちにまだ『恋』というラベルを貼っていない。つまり、無自覚。けれど彼女自身、自分の感情の正体がわかっていないから、『監視』っていうことで自分を納得させている」
「な、なるほど……」
成美の心理分析に、日向が苦笑いを浮かべる。自覚のないまま直感だけで男との同居を強行突破する十三歳。そう考えると、マーガレットさんは実は僕たちの誰よりも行動派なのかもしれない。大滝君の未来の貞操が、別の意味でちょっと心配になってきたな。
「それじゃあ、これが皆さんの家の鍵だポン! そろそろバスの出発時間だから、それに乗って住宅街に行くといいポン!」
タヌぽんからずっしりと重い真鍮製の鍵束を受け取った。 僕たちは不動産屋を後にし、駅前ロータリーに設置されたバス停へと向かった。
やって来たのは、有降町の時に乗った最新式のクリーンな市バス……ではなく、妙に丸みを帯びたボディに、排気ガスの匂いが漂う、昭和レトロな『旧式ボンネットバス』だった。車内に入れば、床はワックスの匂いが染み込んだ板張りで、シートはどこか古い緑色のモケット。
『こんな所までコンセプトを守るんだ!?』と僕は心の中で盛大なツッコミを入れながら、揺れる車内に身を任せるのだった。
***
旧式バスにガタガタとのんびり揺られること、約二十分。有降町のバス路線よりも移動時間が長く感じられるのは、やはりこちらの方が様々な面積が広く、建物同士の間隔が広いからだろう。
やがて目的地の住宅街のバス停に到着し、バスのドアがプシューと開いた。ステップを降り、僕たちの目に飛び込んできたのは――。
「こ、この光景は……」
「うん。ひどい生活を送ってきて、こんなのどかな光景とは無縁の生活を送ってきたあたしでも……なんか、胸の奥がぎゅっとする」 「なぜか、無性に懐かしく感じるよね……」
郡上君、白川さん、大滝君が、それぞれ足を止めてぽかんと立ち尽くしていた。その表情には、異世界に来てからずっと張り詰めていた緊張が、潮が引くように消えていく様子が窺える。
目の前に広がっていたのは、見渡す限りの『古き良き日本の農村』だった。黒い瓦葺きの、平屋の一軒家が等間隔に並んでいる。道路はアスファルトではなく、砂利が混ざった素朴な土の道。整然と立ち並ぶ電柱からは、これまた懐かしい電線が複雑に空を切り取っている。
背景にそびえる青々とした深い山々と、どこからか聞こえてくるひぐらしの『カナカナカナ……』という物悲しい鳴き声。 現代日本で都会暮らしをしていた僕でさえ、思わず『ただいま』と言いたくなるような、圧倒的な郷愁感がそこにはあった。
「あの……皆様? 皆様の故郷というのは、このような町並みなのですか? 皆様がなんだか、とても懐かしそうに、ホッとしたようなお顔をされているのが不思議で……」
マーガレットさんが、服の裾をぎゅっと握りしめながら、大きな目をパチパチとさせて尋ねてきた。彼女たち異世界の住人にとっては、完全に未知の異文明の光景だ。どうして僕たちがこの風景に対して張り詰めていた肩の力を抜いているのか、純粋に疑問に思ったのだろう。
「人によると思うよ、マーガレットさん。ビルやマンションだらけの街で育った人もいれば田舎で育った人もいる。ただ、僕たちの間には共通の約束事として、『田舎の夏休みといえばこういう光景』っていう価値観がすり込まれているんだよ」
「……おそらく、かつて一世を風靡した、往年の名作夏休み体験シミュレーションゲームの影響。日本人のDNAに刻まれた、郷愁シミュレーター」
成美がぼそりと、ゲーマーならではの私見を口にする。確かにあの作品が提示した『田舎の夏休み』のビジュアルは、僕たち現代っ子にとっての『実在しない、けれど完璧な故郷』として脳内にアーカイブされている。
ま、僕達がゲームで遊ぶ頃にはそのゲームシリーズは終わってたんだけどね。
「おっしゃ、それじゃあ一旦解散して、各自自分の家を確認してこ! 夕方になったら、またバス停に集合ってことで!」
日向が明るく声をかけ、僕たちはそれぞれの割り当てられた敷地へと向かった。
僕たちの家は、住宅街の少し奥まった角地にあった。ブロック塀に囲まれた、いかにも『昭和の頑丈な平屋』といった佇まいだ。
玄関の引き戸の前に立ち、タヌぽんから受け取った真鍮の鍵を差し込もうとした日向が、ふと手を止めて首を傾げた。
「……あれ? ゆーっち、この鍵、どうやって開けるわけ? 鍵穴があるのはわかるんだけど、回しても鍵が開いた音が鳴らないっていうか……?」
「え、音がしない? どれどれ……」
確かに、いくら回しても鍵が開く音も手応えも無い。
「貸して」
戸惑う僕たちの横から、成美がすっと手を伸ばした。
「これ、仕組みとしてはネジと同じ。くるくる回してネジを緩める。ゲームで知った」
「な、なるほど……。助かった」
成美の鮮やかな手つきで、ガラスの引き戸が『ガラガラガラ……』と、心地よくも年季の入った軽い音を立てて開いた。
玄関に入ると、ツンと鼻を突く畳とイグサの香りが僕たちを迎えてくれた。 靴を脱いで上がると、そこには完璧な純和風の空間が広がっていた。 畳が敷き詰められた部屋が全部で五部屋。それらの和室は、ふすまや障子だけで仕切られており、すべてを取り払えば、親戚一同が何十人も集まれるような巨大な大広間へと早変わりする間取りだ。
廊下はピカピカに磨き上げられた板張りで、歩くたびに『ミシッ、ミシッ』と、これまた風情のある音が響く。廊下の先には、日の光が優しく差し込む、長い板張りの縁側が設置されていた。
「これ、マジで感動だし……! 和室だらけで超落ち着く! ……あ、でも水回りだけは最新式だね。そこは超ありがたいかも!」
日向が真っ先にチェックしたキッチン、トイレ、お風呂といった水回りだけは、有降町の家と同様に最新のシステムが導入されていた。
温水洗浄機能付きの洋式トイレ、自動でお湯が沸く大容量のシステムバス、そしてピカピカのキッチン。田舎の情緒と情緒的な不便さを演出しつつも、生活する上でのストレスを完全にフリーにしてくれている。本当に至れり尽くせりだ。
「日向、居間の方に面白そうなものがあるよ」
僕が隣の部屋から声をかけると、日向と成美がタタタと畳を叩いて走ってきた。居間として設定されている部屋には、部屋の中央にどっしりとした木製の『ちゃぶ台』が置かれていた。
その隅には、ダイヤル式のレトロなテレビ(ただし液晶モニター仕様)と、最新のノートパソコン、そして昭和を感じさせるずんぐりとしたデザインの電気ポットが、絶妙なミスマッチ感を醸し出しながら並んでいる。
「押し入れを開けたら、ふかふかの綿布団が一式入ってたし。お部屋はいっぱいあるけど、ウチらやっぱり、いつものお部屋に布団を並べて寝るよね?」
「……うん。ボクも、同じ部屋で雑魚寝する」
「ま、いっつも同じ部屋で寝てるからなぁ」
一通り部屋を確認した後、僕たちは縁側のガラスの引き戸を開けて、裏庭に出てみた。 そこには、砂利が敷かれた素朴な庭と、洗濯物を干すための物干し竿、そしてよく見るグレーの物置がポツンと佇んでいた。軒先には小ぶりな風鈴が吊るされており、風が吹くたびにチリン、と涼しげな音色を響かせている。
「庭、結構いじりがいがありそうだね。プランターを並べて、ちょっとした家庭菜園とか始めてみても面白いかも」
「いいねー! あ、でもあたしは、庭でBBQしたり、線香花火したりする方がやりたいかも!」
「……ボク、縁側に座って冷たい麦茶を飲みながら、ひたすらぼーっと庭を眺める。究極の省エネプラン」
成美らしいなと笑いながら、僕たちは居間のちゃぶ台に戻り、電気ポットで沸かしたお湯で温かい日本茶を淹れた。
湯呑みから立ち上るお茶の香りを吸い込みながら、ちゃぶ台を囲む。
「とまぁ、一通り家を見て回ったわけだけど……二人とも、やっぱり思うことは同じだよね?」
「うん。この畳の匂いとか、どこか湿気を含んだ木造の匂いがさ、完璧に『おばあちゃん家』なんだよねー」
「同感。五感のすべてを使って、田舎のおばあちゃん家感を出している」
二人の言葉に、僕も深くうなずいた。
ゲームやテレビで見たイメージ、それと幼い頃の記憶が、この空間で見事に調和している。
「ところでさ、二人の実際のおばあちゃん家って、どんな感じだったの? 僕のところは、同じ県内に住んでいて、ごく普通の近代的なマンション暮らしだったからさ。こういう古民家的な『田舎のおばあちゃん家』って、実体験としては無いんだよね」
僕がそう問いかけると、日向が湯呑みを両手で持ちながら、苦笑いを浮かべた。
「ウチなんて、おばあちゃん家っていうか……実家の松島家系列の元締めだからさ。じいちゃん家は同じ市内の超一等地にある、なんか城みたいなデカい豪邸だったし。しかもバリバリ洋風で、玄関にはお手伝いさんが立ってるしで……。遊びに行くっていうより、政治的な挨拶に行かされてる感じで、緊張して全然休まらなかったんだよねー」
「それは『おばあちゃん家』っていうより、完全にラスボスの館だな……」
想像するだけで肩が凝りそうな祖父母の家だ。日向がこの能孫村の古民家をこれほど気に入るのも、納得のいく理由である。
「成美のところは?」
「……ボクのところは、時代がかった家ではあった。けど、周りは日本有数の工業地帯。おばあちゃん家は昭和の平屋ではあったけど、街は工業地帯の恩恵で普通に発展してたから、田舎感は全然無かった」
「なるほど。成美の所も都会だったのか」
工業地帯のコンビナートに佇む古民家。それはそれで、オタク的にはめちゃくちゃそそられるロケーションではあるが、まぁ田舎では無いよな。
「なるほどな。みんな、実際のおばあちゃん家は全然田舎じゃなかったのに、なんでこの能孫村をこんなに懐かしいって感じるんだろうね」
「あはは、ほんとだねー! 遺伝子レベルで『実家のような安心感』が刷り込まれてるのかな?」
「やっぱりゲームとかの影響」
「やっぱりそう思うよな」と相槌を入れながら、僕たちは湯呑みを重ねて、カランと小さな音を立てた。異世界の過酷な戦いや、クラスメイトたちのピリピリとした人間関係。その全てを、この畳の温もりと静寂が、優しく包み込んで溶かしていく。
集合時間まであと少し。僕たちは、まるでもう何年もここに住んでいるかのような居心地の良さを感じながら、ちゃぶ台を囲んでいつまでも笑い合っていた。




