第16話 迫り来る死の蜘蛛の巣
銀色に光る極細の糸にがんじがらめにされ、高い木の枝から宙づりにされている弘前さん。なのに、獲物を捕らえたはずの『ラーニョ』の姿が周囲のどこにも見当たらない。一体どういうことだと、僕と日向が張り詰めた緊張感の中で困惑していた、その瞬間だった。
ピリリリリリリリリリリ!!!!!!
静まり返った不気味な森に、突然、けたたましいアラーム音が響き渡った。
音の発生源は、僕のズボンのポケットだ。
「警告音!?」
慌てて引っ張り出したのは、以前アリフレモールで新調したばかりの、赤をベースにデコられた僕のブレイキーカバー。日向の『デコレーション』スキルによって、持ち主に危険が迫った際、自動で警告アラームを鳴らすセーフティ機能が組み込まれていたのだ。大音量でケースそのものがスピーカーとなって叫び、警告の赤いラインストーンが狂ったように明滅する。
つまり――どこからか、ラーニョが僕達をロックオンしている!
「ゆーっち、危ないッ!」
日向が叫ぶと同時に、僕の背後――その頭上の梢に向かって、バッと鮮やかで派手な傘を開いた。直後、そこから巨大なロボットめいたクモ――ラーニョが音もなく飛びかかってきた! 日向のデコ傘の表面で、凄まじい金属衝突音が弾ける。
「ご、ごめん、日向…… 助かった!」 「お礼は後だし! それより、お返しをプレゼントだし!」
日向は傘を構えたまま、引き金を引くように水の魔力を一気に解放した。
傘にデコられたラインストーンから至近距離で放たれた水弾がラーニョを直撃し、強引にその巨体を引き剥がす。
その隙を逃さず、僕はバチバチと火花を散らす電気警棒を鋭く振り抜き、空中へ逃れたクモ型魔物へ向けて巨大な電撃波を叩き込んだ。――だが。
「……嘘だろ? 水に濡れているのに、電気が全く効いてない!?」
雷魔法がラーニョに通じないという情報はジェームズさんのメモで知っていた。けれど、日向の水魔法で全身を濡らした状態なら電気伝導率が上がって電撃が通るはず、という僕の淡い希望は見事に打ち砕かれた。
ラーニョは何事もなかったかのように着地し、カサカサと不気味に蠢いている。
その後も何度か警棒を振るって電撃を浴びせ、牽制の打ち合いを試みたが、こちらの電撃はことごとく無効化される。倒すための決定的な糸口が見つからないまま、時間は刻一刻と過ぎていった。
そして最悪なことに、僕達は致命的な罠に嵌められていた。
「……しまっ、いつの間にか糸に囲まれてる……!」 「うわっ、これ本当に迂闊に動けないやつじゃん」
いつの間に張られたのか、僕達の周囲には蜘蛛の巣のような幾重もの銀糸が張り巡らされていた。 ラーニョの糸は、それ自体が切断武器として機能するほどの超硬度と鋭さを持っている。変に避ければ、それだけでこちらの身体がバラバラになりかねない。 ラーニョは少し離れた木の枝からぶら下がり、尻から極太の糸を一本繋げている。
クモ特有の8つの眼が怪しく点滅した、と思ったその時。ラーニョの巨体が急激に『ストン』と垂直落下した。
「な、なにッ!?」
同時に、僕達を包囲していた銀の糸が一斉にカタカタと震え、四方八方から恐ろしい速度で締め上がってきた!
逃げ場はない。ラーニョはただ不規則に糸を張っていたわけじゃなかった。巨体を落下させて自重で糸を引っ張ることで、包囲網を強制的に縮小して敵を切り刻む――そういう最悪の物理ギミックを仕込んでいたのだ。
迫り来る死の格子。絶体絶命かと思った、その瞬間。
「ゆーっち、今すぐ頭下げて! てやーっ!」
日向がバッと傘を閉じ、両手で槍のように突き出した。
傘の先端から、極限まで圧縮されたレーザーのような超高圧水流が射出される。日向がその場で一回転すると、水流の刃が円を描くように周囲を薙ぎ払った。
ブチブチブチッ、という切断音が響き、迫り来ていた強靭な銀糸がことごとく両断される。
「ウォーターカッターだし! ぶっつけ本番だったけど、ちゃんと糸が切れて良かったー! ゆーっち、無事?」
「う、うん……おかげで首が繋がったよ。ありがとう」
「さて、ここから反撃といきたいところだけど……バグり電波用のアンテナは作ってないんだよねー」
日向が困ったように肩をすくめる。 以前、アントやモスカの大群をハッキングして無力化した『バグり電波』。あの時アンテナ代わりに使って地面に刺したデコ剣は、戦闘の直後に高負荷と高電圧で中から完全に黒焦げになり、再利用不可のゴミになってしまっていた。
その後は『デコ傘と電気警棒のコンボでいける』と踏んでいたため、代替アイテムは用意していない。日向のブレイキーケースも、現在は戦闘攪乱用の『閃光機能』にデコり直してしまっていた。
「ま、でもちょっと気になることがあるんだよね。……ちょっと実験してみるし。ゆーっち、ウチが合図したら、もう一回全力で電撃を放ってくんない?」
「う、うん、いいけど……今度は効くのか?」
「んじゃ、決まりね! そらっ、行ってこいだし!」
日向がひらりと手を振ると、なんと彼女の指先に施されていたデコネイル――幾重もの精密なパーツでカスタムされた付け爪が、意思を持ったビットのように空間を飛び回った。
飛び回るネイルデコは、空気を切り裂く音を散らしながらラーニョを巧みに攪乱。そして、鋭い刃となってラーニョの本体と木とを繋いでいた、尻からの糸を一瞬で切断した!
「今だし、ゆーっち!」
「おりゃあああッ!!」
日向の切断に合わせ、僕は電気警棒をラーニョに向けて振り下ろした。 放たれた巨大な電撃波が、地面に落ちたクモ型魔物の全身を激しく直撃する。
次の瞬間、ラーニョの駆動部からバチバチと凄まじい黒煙が噴き上がり、その巨体が激しく痙攣した。
「――っ! 今度は、ちゃんと効いた!」
「やっぱり! ウチ、戦いながら一瞬だけ見たんだよね。ゆーっちが放った電気が、あいつのお尻から伸びる糸を伝って、木の幹に逃げていくのをさ」
「なるほど……。じゃあ、ラーニョに電気が効かなかったのは、あの極太の糸がアースになって、電力を全て外部に受け流していたからなんだ!」
「多分、そういうカラクリ! ……それとゆーっち、このデコ傘貸すから、ちょっとだけ時間稼いでくんない?」
日向からピンク色の傘を押し付けられたのとほぼ同時に、ドサッという重い音が森に響いた。
後ろを振り返ると、高い木から吊るされていた弘前さんが、日向のネイルビットによって糸を切り刻まれ、無事に地面へと救出されていた。
「なるっち、大丈夫!?」
「ひな、ちゃん……?」
弘前さんは体を縛っていた糸の残骸を振り払い、ゆっくりと立ち上がった。
「助けて早々で超申し訳ないんだけど、ちょっとアイツと戦ってくんない? 準備があるから少し時間かかるけど。それまで、ゆーっちが傘で時間を稼ぐし!」
「ゆーっち……? 那須野、か……」
弘前さんは状況を察したのか、静かに頷くと、まだ少し痺れる手足を確かめるように拳を握った。
「……大丈夫。あの学校のしごきに比べれば、この程度どうってことない。宙づりで十分休ませてもらったし、これくらいのハンデ、イージーモード」
弘前さんは捕まっていたとは思えないほど、その目は不敵な闘志に満ちていた。 僕は日向から渡されたデコ傘を盾として構え、アースを切られて焦りを見せるラーニョの突撃をいなし、前線を維持する。日向達のところへ近づけさせないよう、必死に時間稼ぎを遂行した。
その間、日向は弘前さんから受け取った二本の短剣――彼女のハクスラ武器である双剣に、ものすごい手つきでラインストーンを貼り付けてデコっていた。
「――出来たし! なるっち、これでアイツをぶった斬れるはずだし!」
「……ありがとう。なにこれ、切れ味が異常に鋭くなってる……? それに、刀身が激しく振動してるみたい」
「高周波ブレード、だっけ? なるっちが昔、ゲームでよく出てくるって言ってた、激しい振動で摩擦をゼロにして切れ味を爆上げする剣。それをデコで再現してみたし! 突貫作業でちょっと雑なデコりになっちゃったけど、ゴメンね!」
「……ううん、十分すぎる。……行くよ!」
弘前さんは双剣を構えた瞬間、地面を爆発させるような踏み込みを見せた。
さっきまで捕まっていたとは思えない圧倒的なスピードで、一直線にラーニョへと走り出す。
「那須野、踏み台になって!」
「踏み台って……おわっ!?」
ラーニョの目の前で、弘前さんは僕の肩へと飛び乗り、それをバネにするようにして遥か高くへと跳躍した。
空中。超高速で微振動する双剣を両手に携え、弘前さんはコマのように横回転を始める。超振動の刃が美しい銀の円舞を描き、真上からラーニョの脳天へと突き刺さるように振り下ろされた。
スパン、と信じられないほど軽い音が響いた。
まるで熱したナイフで冷たいバターを切り裂いたかのように、ラーニョの頑強な金属装甲は一切の抵抗を見せることなく、美しい切り口で綺麗に真っ二つに分割された。
やがて、駆動音を完全に喪失したラーニョは、その場に崩れ落ち、静かに機能を停止したのだった。




