第10話 異空間の純喫茶にて。ヒゲを生やしたバリトンボイスのハトピー
駅前広場から乗り込んだ巡回バスは、緑色の座席シートに降車ボタンが備え付けられた、現代日本でよく見るごくごく一般的な『市バス』だった。
違うところがあるとすれば、運転席に座っているのが制帽を被ったハトピーであることと、乗客が僕たちしかいないことくらいか。
5分ほどバスに揺られ、住宅街の停留所で降車ボタンを押す。「次、止まります」という気の抜けたアナウンスと共にバスが停まった。そこから歩くこと数分。
「ここっぽいね」
「不動産屋で見た写真とおんなじだし」
閑静な住宅街の一角。お洒落なタイル貼りの高めの塀に、温かみのあるオレンジを基調にした外壁。間違いなく、先ほど僕たちが100Vというジュース感覚の破格の値段で買った『マイホーム』だった。
道路に面した手前側が庭になっており、右側に門と白いセメントの駐車スペース(車は無いけど)が、左側に青々とした芝生の庭が広がっている。
「じゃあ、入るよ」
もらった鍵を回して玄関の扉を開ける。新築特有の、ほんの少し接着剤と木の香りが混ざったような匂いがした。 靴を脱いで上がると、一階には広々としたLDK、和室、洗面所、そして浴室が。二階には洋室が三部屋ある。トイレは一階と二階の両方に配置されていた。異世界の謎空間に作られたとは思えないほど、完璧に計算された現代建築だ。
「すごい、家具付きじゃん!」
「うん。これならすぐに生活を始められそうだね」
キッチンにはピカピカの大型冷蔵庫や電子レンジ、炊飯器などが完備。二階の洋室のうち二部屋には、それぞれベッドとタンスなんかが置かれていた。リビングにはダイニングテーブルやソファ、そして壁掛けの大型テレビまである。試しにリモコンの電源を入れてみたが、さすがに地上波の番組は放送されていなかった。代わりに、動画配信サービスのサブスク画面のようなものが表示され、見たい映画や動画を自由に選べるシステムになっていた。地球で大ヒットしたアニメや、懐かしの学園ドラマのタイトルがそのまま並んでいたし、おそらくオリジナルらしい見慣れない動画もある。これもスキル空間の仕様らしい。至れり尽くせりだ。
ただ、二階の余っている洋室一部屋と、一階の和室には何も置かれていなかった。ある程度、住人が自分の趣味や用途に合わせて自由に使える余白を残してくれているのだろう。
洗面所や浴室には、洗剤、シャンプー、ボディソープなどの消耗品が一通り揃っていたが、冷蔵庫の中身は空っぽで食料品は無かった。まぁ、そこまで自動で補充されるわけではないらしい。明日にでもアリフレモールへ買い出しに行く必要がありそうだ。
「……気づけばもう夕方か。冷蔵庫に何もないし、確かこの近くに喫茶店があったよね? そこで晩ご飯にしない?」 「そうだね~。今日は森で死にかけたり家買ったり、色々あってめっちゃ疲れたし。晩ご飯食べたらコンビニでちょっと買い物して、本格的な買い出しは明日モールに行こ」
ということで、少し休憩した僕たちは夕食をとるために喫茶店へと向かった。
住宅街の中はどこに行くにも歩いて5分以内にはたどり着けるよう設計されているため、家から喫茶店まで歩くのも全く苦ではない。
目的の喫茶店は、大通り沿いにひっそりと佇む、非常にシックで落ち着いたレンガ調の建物だった。木製の看板にはコーヒーカップのロゴが描かれており、整然とした住宅街の中では結構特徴的で目立つ。
カランカラン、とドアベルを鳴らして中へ入る。
「いらっしゃいッポ」
「「…………」」
店内は建物の外見と同じく、アンティークな壁紙と重厚な木製家具で統一され、照明もオレンジ色の薄暗いトーンに抑えられている。クラシック音楽が静かに流れる、非常に大人な純喫茶の空間だ。
だが、カウンターの奥でグラスを拭いていたのは、やはりあの巨大なゆるキャラハトだった。しかもこのハトピー、不動産屋や銀行にいた個体と少しビジュアルが違う。純喫茶のマスターっぽく、パリッとした白のワイシャツに黒のベスト、蝶ネクタイを着こなし、くちばしの上にダンディな口ひげまで生やしているのだ。
声も、他のハトピーより二回りほど低く渋いバリトンボイスになっている。シュールすぎる。
僕と松島さんは無言のままツッコミを飲み込み、カウンター席に隣り合って座ってメニューを開いた。
「やっぱり、初めて入る喫茶店はブレンドを頼むべきだよね。マスター、ブレンドコーヒーとナポリタンで」
「じゃあウチは、ハーブティーとオムライスね」
「かしこまりましたッポ。少々お待ちいただくッポ」
ヒゲのハトピーが渋い手つきでコーヒー豆を挽き始めるのを眺めながら、待つことしばし。
食欲をそそるケチャップの香りと共に、注文したメニューが届いた。
「お待たせ致しました。こちらブレンドコーヒーとナポリタン、ハーブティーとオムライスでございますッポ」
「ありがとう。じゃあ、いただきます」
まずはコーヒーを一口飲む。そして、アツアツのナポリタンを口に運んだ。
「うん、美味しい。苦みとコクを重視した深煎りのブレンドか、すごく僕好みだね。この少し甘めのナポリタンとも相性が抜群だ。多分他のフードメニューやデザートにも合うように計算されてるんじゃないかな。それに、サイフォンで淹れているのも僕的には高評価だね。家だと器具がかさばるし手入れも大変だからなかなか持てないし、今時サイフォンで淹れてくれるってだけで、喫茶最大のセールスポイントになるよ」
僕が一人で勝手に食レポのように熱く語っていると、オムライスを頬張っていた松島さんが、目を丸くしてこちらを見ていた。
「すごいし、那須野。なんか急に早口になったけど、コーヒー好きなん?」
「え? あ、うん。まぁね。父さんがコーヒー好きで、よくこだわりの豆を買ってきたり喫茶店に連れて行かれたりしたから、その影響かな」
両親が生きていた頃は、休日によく家族で自家焙煎の喫茶店巡りをしていた。その影響で、僕も十歳の頃にはブラックのストレートコーヒーを美味しく飲めるようになっていたのだ。
「へぇ、家族で喫茶店巡りかー。なんか、ドラマみたいな仲良し家族じゃん」
「うん。まぁ、もう二人とも死んじゃったけどね」
「……え?」
松島さんの手がピタリと止まった。
しまった。少し空気が重くなってしまったか。僕は努めて明るい声で、手短に事情を説明した。
両親が投資家で、そこそこの資産を持っていたこと。
数年前、講演先に向かう途中で交通事故に遭い、二人同時に亡くなってしまったこと。
そして、残された僕の親権と多額の遺産を狙う親戚たちのドロドロの争いに巻き込まれ、最終的に厄介払いのような形で、あのブラック極まりない『昴田学園』へ強制的に入学させられたこと。
「……その、ごめんね、那須野。ウチ、何気なく聞いちゃったけど、すんごい辛いこと聞いちゃって……」
「いいよ、別に気にしないで。元々は僕が勝手に話し始めたことだし。誰にも話してなかったけど――なんというか、松島さんになら、話してもいいかなって気がしたんだ」
「そっか……ウチだけ、か……」
松島さんは、スプーンを持ったままほんのりと顔を赤らめ、少しだけうつむいた。
純喫茶の薄暗い照明のおかげで誤魔化せているが、僕もなんだか少し照れくさくなってしまい、慌てて話題を変える。
「と、ところで、松島さんの家族は? なんであんな学園に?」
「ウチの家族か……。うーん、ま、那須野の話を聞いといて、ウチのこと話さないのもフェアじゃないしね。……那須野はさ、『松島家』って知ってる? 経済ニュースとかでたまに名前が出るんだけど」
松島家。もちろん知っている。
日本有数の歴史ある巨大実業家一族で、その一挙手一投足が日本経済に多大な影響を及ぼすため、経済ニュースの常連だ。投資家だった両親も、経済関係の話題でよくその名を口にしていた。
……まさか!?
「ウチの実家、その松島家なんだよねー」
「……マジで!?」
「マジマジ。大マジだし。松島家系列の会社を取りまとめて差配してるのがウチのじいさんで、その息子の一人がウチの父親。……まぁ、お金には困らなかったけど、息が詰まるくらい特殊な家だったわ」
松島さんがポツポツと語った話は、僕の想像を超えるお家騒動だった。
彼女の祖父にあたる松島家当主は、次期当主について『長男だから』という理由ではなく、完全な『実力主義』を標榜しているらしい。そのため、いくら松島さんの父親が当主の直系の息子と言っても、すんなり次期当主に収まれるわけではない。
その結果、松島さんの実家は、親戚同士で水面下の激しい権力争いと足の引っ張り合いを日常的に演じているのだという。
「権力争いが激しすぎてさ、次期当主候補の親だけじゃなくて、その子供であるウチらの態度や行動までいちいち注目されるんだよね。他の親戚が、父親を批判する口実を探すためにね。だから交友関係どころか、普段の服装、趣味、言葉遣いまで、何から何まで親の言いなり。ちょっとでもレールから外れると『松島家の恥だ』ってヒステリックに怒られて、マジでカゴの中の鳥状態だった」
そんな息苦しい環境に完全に嫌気が差していた中学生の頃、彼女はある『文化』を知った。
それが『ギャル』だった。
「他人の目なんか気にしない。自分の『好き』に全力で、ギャルの自分を貫くっていう姿勢に、心の底から憧れたんだよね。だから親に無断で、髪を染めてメイクして、ギャルを目指したの」
「なるほど、そういう経緯があったんだ。でも、そんなお堅い家庭環境なら……」
「そりゃもう、むっちゃくちゃ怒られたね! 父親から張り飛ばされたし」
松島さんは、ハーブティーのカップを見つめながら自嘲気味に笑った。
「でも、ウチも覚悟決めてギャルになったから、徹底的に抵抗したし。そこからは毎日親子喧嘩勃発でさー。『そんな貧相な身体でギャルなんて笑わせる』とか『誰にでも股を開くアバズレになるつもりか』とか酷いこと言われたから、ウチも『ギャルに体型は関係ない』とか『ギャルとビッチは違うし!!』って泣きながら言い返したりね」
しかし、中学生の反抗期など、財力と権力を持つ大人に勝てるはずもなかった。
度重なる反抗に業を煮やした父親は、「松島家の名に傷がつく前に性根を叩き直す」という名目で、あの絶対服従の監獄、昴田学園へと彼女を強制的に放り込んだのだ。
「まぁ、ウチを洗脳して、父親の言うことを聞く都合のいい『従順な人形』にするために入れたのは明白だよね~。でも、結局異世界に飛ばされちゃったけど!」
「……そうだったのか。でも、僕は松島さんのことを、すごくかっこいいと思うよ」
僕は、ナポリタンの最後の一口を飲み込んで、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「だって、あの昴田学園でも、君は自分の『ギャル』を崩そうとしなかったじゃないか」
髪を真っ黒に染め直され、化粧も落とされ、没個性な制服を着せられていたが、彼女の反骨精神に満ちた態度や、言葉の端々に見え隠れするギャルとしてのプライドは決して折れていなかった。遠巻きに見ていた僕でも、その芯の強さは十分に感じ取れていたのだ。
「かっこいい……か。へへっ、うれしいこと言ってくれるじゃん。そんな風に真正面から言ってくれるのは、二人目だし」
「二人目?」
「一人目は、なるっち――弘前成美だし。男の子だったら、那須野が一番かな」
なるっち。そういえば、いつも無表情で敵を粉砕する弘前成美のことを、松島さんはそう呼んでいた。彼女も、松島さんのこの過去を知っているのだろう。
「ウチの家のドロドロした事情を教えたのは、なるっちと那須野だけだからね。……これで、ウチらはお互いの秘密を共有する仲になったってわけだ」
松島さんは、少し照れ隠しをするように、いたずらっぽく片目をつむって笑った。
異空間の純喫茶で、コーヒーとハーブティーを飲みながら語り合った、お互いの過去。
見知らぬ異世界で、ただのクラスメイトから一歩踏み込んだ『秘密を共有する同居人』となった僕たちの、少しだけ距離が縮まった夜だった。




