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# 021. ガロの要求

手形の朝から、二日が過ぎた。


二日とも、夜の足音はなかった。空き瓶も鳴らなかった。静かすぎる、と、カイは帳面に書いた。棚卸しの終わった帳簿は、あとは締めるだけだ。向こうの帳簿は、もう締まっているのかもしれなかった。


三日目の昼下がり、ガロは来た。


今度は、一人ではなかった。


灰灯街道の西から、五人。真ん中に、あの継ぎ接ぎの外套。左右に、毛皮の肩当てをつけた男たち。あの斥候の若者の顔もあった。若者は、カイと目を合わせなかった。


カイは、戸口の前に出た。


背中で、扉が細く開いている音がした。リアだ。中にいろと言ってあったのに。だが振り返って言い合う暇はなかった。せめて、扉から離れるな、とだけ念じた。


ガロは、前と同じ、灯りの届く縁で足を止めた。昼だから、火は入っていない。それでも男は、その線を正確に踏んで立った。


「よう、宿の旦那。……考えといてくれたか」


「何をだ。忠告なら、断ったはずだが」


「あれは忠告。今日のは、商談だ」


ガロは、指を二本、立てた。


「うちも、いつまでも夜歩きが好きなわけじゃねえ。手間は省きてえ。だから、二つで手を打ってやる。……一つ。蓄えを出せ。食い物と、油と、薪だ。全部とは言わねえ。八割でいい。あんたら二人が、冬まで死なねえ分は残してやる」


「気前がいいな」


「だろ? で、二つ目だ」


ガロの目が、カイの背後――細く開いた扉へ、動いた。


「その女を、渡せ」


背中で、小さく息を呑む音がした。


「峠でうちの仕事場を覗いた女だ。生かして放したのは、うちの若いのの不始末でな。見られたもんは、回収しなきゃならねえ。決まりなんだよ、そういう」


「回収して、どうする」


「さあて。口の堅さを確かめて、堅けりゃ、まあ、働き口の世話でもしてやるさ。うちは慢性の人手不足だ」


ガロの周りで、男たちの誰かが、喉で笑った。その笑い方だけで、働き口という言葉の中身は知れた。


「二つ呑めば、見逃してやる。この宿は今後、うちの縄張りの休み場ってことにして、手は出さねえ。……悪くねえ話だろ? あんたは宿を守れる。宿ってのは、建物のことだろ?」


カイは、すぐには答えなかった。


答えを迷ったからではない。答えは、ガロが二本目の指を立てた瞬間に決まっていた。迷ったのは、言い方だった。この男は、こちらの言葉尻から本気の量を測りに来ている。怒鳴れば、怯えの裏返しと読まれる。


だから、カイは、帳簿の声で言った。


「まず、一つ目。蓄えの八割を出したら、うちは冬を越せない。お前の見積もりは甘い。うちの帳簿は俺が毎晩つけてる。二人で越冬するのに、あの蓄えで余りは出ない。……つまり一つ目は、商談の皮をかぶった嬲り殺しだ。断る」


ガロの眉が、ぴくりと動いた。


「二つ目」


カイは、一拍、置いた。


「あれは、うちの客だ。客は品物じゃない。だから、値段がつかない。値段のつかないものは、商談に載らない。……断る、ですらない。最初から、その話は存在しない」


沈黙が、街道に落ちた。


ガロの周りの男たちが、じり、と足の位置を変えた。ロープを肩にかけた男の手が、結び目に触れる。カイの背筋を、冷たいものが伝った。五対一。得物もない。ここで連中がその気になれば、商談も何もなかった。


だが、ガロは手を上げて、男たちを制した。


「……あんたさあ」


男は、髭の奥で、ゆっくりと笑った。目は、笑っていなかった。


「王都の役人か何かだったんだろ、その物言い。数字で断りゃ角が立たねえって寸法だ。けどな、旦那。ここは王都じゃねえ。断り方に、上手いも下手もねえんだよ。あるのは、断ったか、断らなかったか。それだけだ」


「なら、はっきり言い直す」


カイは、言った。


「渡さない」


ガロは、しばらくカイを見ていた。


値踏みの目だった。だがその奥に、前に一度だけ見えた、あの読めない色が、また一瞬よぎった。呆れとも、苛立ちとも、そして――ごく薄い、羨望とも、つかない色だった。


「……そうかい」


ガロは、背を向けた。


男たちが、それに続く。五人分の足音が、砂利を鳴らして西へ向かう。


そして、ガロは、振り向かずに言った。


「今夜だ」


足音が、止まった。


「今夜、行く。……ああ、それとな、旦那。慈悲ってもんを教えといてやる。灯りを消して待ってろ。灯りが消えてりゃ、宿が降りたってことだと思って、蓄えだけ頂いて、命までは取らねえ。灯りがついてりゃ――」


ガロは、そこで初めて、肩越しに振り返った。


「覚悟の返事だと、受け取る」


継ぎ接ぎの外套が、西の街道に遠ざかっていった。


カイは、五人の姿が道の曲がりに消えるまで、戸口の前から動かなかった。動けなかった、のほうが近い。膝の裏が、まだ強張っていた。


「……カイさん」


背後で、扉が開いた。リアが、真っ白な顔で立っていた。


「聞いてたな」


「……はい」


「なら、話が早い」


カイは、空を見た。日は、まだ高い。日暮れまで、五刻はある。


「リア。飯の支度は、少し早めに頼む。今夜は、長くなる」


リアは、一度だけ強く目をつぶり、それから頷いた。


「……温かいの、作ります。うんと」


カイは、消えたままの外灯を見上げた。


今夜、この火が、返事になる。


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