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第16話 森の清算

 東の森の浅い階層。宗一が薬草摘みに向かってから数分後。剥ぎ取り作業をしていたニーナの足元が、ズシン、と揺れた。 鳥の声が消え、ざわざわと木々の葉が不気味に揺れ始める。


「……っ!? 嘘、なにこれ! 反応が多すぎる……!」


 木々をなぎ倒し、土煙を上げて姿を現したのは、十頭を超える『フォレストウルフ』の群れ。さらにその奥からは、本来この浅い階層には絶対にいないはずのCランク魔獣『オーガ』までもが、目を血走らせてこちらへ向かってきていた。

 その先頭を、ゼクスが全力で走って逃げてくるのが見えた。


「ゼクス!? なんであんたが……!」


「あーっ! 助けてくれニーナ! 魔獣の群れに襲われたんだ!」

 ゼクスはわざとらしく叫びながらニーナの横を通り過ぎると、すれ違いざまにヘイトを集めるスキルを解除した。同時に、後方に潜んでいたルルが、ニーナの退路を塞ぐように目眩ましの火球を放つ。


 行き場を失った大量の魔獣たちの殺意が、一斉に、目の前にいるただ一人の少女へと向けられた。


(逃げられない……宗さんを呼んでる暇もない!)


 ニーナは左手の算盤を強く握りしめた。これだけの質量と数を同時に気流で圧殺することは不可能だ。魔力が一瞬で枯渇する。ならば、耐えるしかない。


「対象前方の空間、気体密度を極大に固定! 地面の摩擦係数を無限大に!」

 パチパチパチパチパチッ! ニーナの指先が、出血しそうな速度で算盤の玉を弾く。


 直後、飛びかかってきた狼たちが、まるで透明なコンクリートの壁に激突したように次々と弾き飛ばされた。

 ドスン、ドスンと重い音が響く。だが、オーガがその巨腕を振り下ろすたびに、ニーナの作り出した『空気の壁』が軋みを上げ、彼女の体力と魔力をゴリゴリと削っていく。

「くっ……ああっ……!」


 額から滝のような汗が流れ、鼻血がツーッと一筋垂れた。算盤を弾く指先は痙攣し、魔力はすでに限界を迎えつつある。数の暴力の前に、抑え込むだけで精一杯だった。


「……なんで、死なねえんだよ」


 その時、背後から唸るような低い声が聞こえた。振り返る余裕すらないニーナの背後に、いつの間にかゼクスが立っていた。その顔は、屈辱と嫉妬で醜く歪んでいる。


「お前は、俺たちが捨てたゴミだ。足手まといの無能だ! なんで俺たちより上のランクの魔獣を抑え込んでんだよ! ふざけるな!!」

 ゼクスが剣を高く振り上げた。前方の壁の維持に全神経を集中させているニーナは、無防備な背中を晒している。避けることも、防御に数値を振り分けることもできない。


(殺される――!)


 ニーナが絶望に目を閉じた、その瞬間。


「おーい、ちょっと待ってー」


 気の抜けた、間延びした声が森に響いた。声の出所は、ゼクスの背後――いや、群がっている魔獣たちのさらに後ろからだった。


「え?」


 ゼクスは振り下ろそうとした剣をピタリと止め、間抜けな声を漏らして固まった。ニーナも恐る恐る目を開ける。


 魔獣の群れの後方から、浅葱色の羽織を着た男が、ルミナ草の束を片手にプラプラと歩いてくる。宗一だった。


「なっ、なんだお前、いつの間に……! それにその数の魔獣をどうやって抜けて……」


 ゼクスが混乱に目を見開く中、異常な光景が広がった。


 宗一が歩を進める。ただ、雪駄を鳴らしてゆっくりと歩いているだけだ。だが、彼が通り過ぎた傍から、Dランクのフォレストウルフたちが、そしてCランクのオーガまでもが、音もなくバタバタと地に倒れ伏していく。


 首が落ち、胴が両断されている。しかし、宗一の右手は刀の柄にすら触れていないように見える。剣閃もなければ、風切り音もない。ただ『彼が通った』という事実の後から、『魔獣が死ぬ』という結果だけが世界に書き込まれていく。

 数十頭いた魔獣が、宗一がニーナの元へ辿り着く頃には、一匹残らず物言わぬ肉塊へと変わっていた。


 前方からの圧倒的な圧力が消滅したことで、限界を迎えていたニーナの膝から力が抜け、そのまま地面に倒れ込んだ。


「宗、さん……」

「よく一人で持ちこたえた。さすがDランク冒険者だ」

 宗一は倒れ込んだニーナを一瞥し、それから、剣を構えたまま震えているゼクスへと冷たい視線を向けた。その目は、路傍の石ころを見るように虚無だった。


「ギルドでちょっかいをかけてくるぐらいはいい。小物同士の小競り合いと笑って見過ごせる。だが、これはダメだ。しかも魔獣に襲わせ、その隙を狙うとは」


「うるせええええっ!!」


 ゼクスは絶叫と共に、大剣を振り被って宗一へと斬りかかった。力任せの、殺意だけがこもった一撃。

 だが――宗一は動かなかった。瞬きすらしていなかったように見えた。

 ゴッ! という鈍い音が響いた。


「あ……?」

 ゼクスの大剣は宗一に届くことなく、彼自身が突如として白目を剥き、崩れ落ちるように地面に倒れ伏した。


「ゼ、ゼクスゥゥッ!?」

 少し離れた場所で見ていたルルが、腰を抜かして悲鳴を上げる。


 宗一は倒れたゼクスを見下ろし、それから腰の刀を親指でカチンと押し戻した。抜いたことすら認識できない、異常な速さの居合。


「安心しろ、峰打ちだ。とっとと連れて帰れ」


 宗一がルルに向かってそう告げると、ルルは半狂乱で何度も頷き、気絶したゼクスの襟首を掴んで、這うようにして森の出口へと逃げ去っていった。


 ゼクスたちが消え、静まり返った森の中で、宗一は小さくあくびをした。

「よし。ルミナ草も摘み終わったし、帰って飯にするか」

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