18.あなたは自分の場の壁をすべて墓地に置く
空がどんよりとした雲に覆われたことで、それまで駅前ロータリーの日陰で歩道ブロックをつついていた鳩たちが、ぽっぽっぽとアスファルトに向かって歩いていった。
祝日だからか、人の往来も喧騒も、いつもより少なく感じる。
その分、背後の駅舎から聞こえる列車の『シャキン、シャキン』と響くブレーキ音が、いつもより大きく耳に届いた。
ロータリーの真ん中に立つメタリックなシンボル時計は、皆が集まるよりもずっと早い時間を指している。
懇親会はそのさらに向こう、ロータリーを挟んだ先に並び立つテナントビルのうち、一番端っこのビルに入っているチェーンの焼肉屋で行われるらしい。
ビル四階のファサードには、ひときわ目立つ看板がでかでかと掲げられている。
海風は今ごろ、隣県の会場に着いている頃だろうか。
いや、もう何かしらの競技は始まっているだろうか。
スマホの新着通知は何もない。
メッセージ画面を開こうとパスコードを打つが、指がおぼつかずに2回も失敗してしまった。
ため息が、自然と漏れた。
◆
『――それは懇親会に行くべきだよっ』
あの時、屋上出口の前で話したこと。
海風の返事はごくごく、あっさりしたものだった。
『ほ、本当に大丈夫? その、必要なら応援にでも行こうかと思ったんだけど……』
『いやいや、それはどう考えてもキミのバイト優先だよ。だってみんな、室井くんと仲良くなりたがってるんでしょ?』
……拍子抜けだった。
なんかこう、『ふぅん……』とか『そっかぁ、そっち行っちゃうんだぁ』とか、てっきりそんな第一声が返ってくるものだと思ってたから。
『わ、分かった。じゃあ調整さんにはそう返しておく』
『うんうん。キミは面白いから、参加したらみんな喜ぶと思うよ』
『その面白いっていうの……他意がありそうで、なんか引っ掛かるんだけど』
『そ、ソンナコトナイヨー?』
『む……まぁいっか。とにかく無理だけはしないでね、海風』
『……ありがとう。私はいつも通りに頑張るからさ、キミも遠慮なく楽しんできて』
そう言って、海風は昼の光で透き通った茶色い髪を揺らしながら、俺に向かってニッとはにかんでみせた。
◆
ロータリーの時計から流れる、10:00を知らせる間延びしたメロディと、歩道信号機から流れるメロディが、ちょっとした不協和音になっている。
『かーながメッセージの送信を取り消しました』
『おはよう!隣県で神魔戦争がんばってきます笑 5:34』
スマホに表示された、海風からの今日付のメッセージはこれだけだ。
そして、ちょうどいま通知に飛び込んできたのは、店長からのグループメッセージだった。
『本日はお忙しい中、全員が参加に◯をしてくださり、ありがとうございます。また懇親会の間、シフト入って下さっている人たちも、本当にありがとうございます。この会を通じて、皆さんの結束をより強め、チーム一丸となって頑張っていきたいと思います。今日はぜひ楽しんでいってください』
店長が書いていることはお堅いながらも、正しいことだと思う。
何を考えているのか、どんな人なのかも知らないメンバーの寄せ集めのまま、チームでいい仕事をすることはきっと難しい。
海風の所属する水泳部の事情を見ていると、とにかくそう思う。
この手の会を『プライベートの侵害』と嫌がる人の気持ちも理解できる。
でも、お互いを理解し合いたい、または自分の居場所を作りたい人にとって、交流の場をわざわざ用意してもらえることが――いったい、どれだけ幸せなことか。
だから、俺は海風の言った通りにすればいい。
そう思いメッセージアプリを閉じた矢先、スマホがブルッ、ブルッと断続的に震えて、画面上の新着通知に次々とメッセージが表示されていく。
『おはようございます、よろしくおねがい……』
『よろしくお願いします。今日は子供を預……』
『シフト上がってから向かうので、少し遅……』
『あはは、中々うまくいかないね。室井く……』
『今日はよろしくお願いします。今から家……』
『息子が熱を出してます。旦那に引き継い……』
濁流のように流れるメッセージを、ただぼーっと見つめていた。
しかし、一瞬だけ表示されたあるメッセージが、俺はどうしても気になった。
もしかしてと思い、バイト先のグループメッセージではなく、“かーな”のメッセージを慌てて開く。
新たに増えていたのは、機械的な一文だけだった。
『かーながメッセージの送信を取り消しました』
それを目にした途端、足下の感覚が一気になくなる錯覚に陥った。
足から腕にかけて一斉に立ち上がった鳥肌、そして息苦しさ。
実感を伴った焦燥を前に、視界が揺れた。
焼肉屋の看板とビルがぼやぼやとし始めて、波打つように歪んだ町並みを、慌てて見回した。
やがて、駅の入り口が辛うじて見えた。
足が一瞬もつれそうになって、立ち直り、そして身体がそっちに向かって、自然と運ばれていく。
切符を買うのは久しぶりだった。
青い“大人一人”のボタンを、押さなくてもいいのに、押してしまった。
改札を抜け、ホームに上がる。
電光掲示板を見ると、快速はこの時間に走っていないことが分かった。
やがて、古い鈍行車両が大きなブレーキ音を立てながら、ホームに滑りこんでくる。
ドアがガコンと開いてから、空調のよく効いた車内に立ち入って、ぽっかり空いたロングシートを目指した。
それまで糸で操られたように動いていた自分の身体が――ロングシートに深く沈みこんだ。
同時にポケットのスマホに触れるが、どうにも力が入らない。
一度だけ、大きく息を吸って吐く。
そして、さっきの海風からのメッセージ通知を思い出す。
意を決してバイト先のグループメッセージ画面を開くと同時に、車両のドアはメロディとともに閉じられた。




