17.相手は自身の手札とマナゾーンからカードを1枚ずつ選び、捨てる
あぁ、妙に汗がとまらないな……。
閉鎖された屋上出口の扉の前はうだるような熱気の吹き溜まりになっているうえ、今は昼休みだから屋上コンクリートの照り付けもピークに近い。
それも当然と言えば当然だ。
でも、原因がそれだけでないことは――もう既にはっきりしている。
「“精霊龍プラチナ・ユニバース・ドラゴン”の効果で“黒服の男”を2枚と“精霊龍”を手札に戻して、“精霊龍”以外をもう一回出します。はい、マナ2枚捨てて」
「は、はい……」
隅に寄せられた綿埃に囲まれて、床に並べたカードと数枚のぷっくりシールを挟み、俺たちは向かい合うようにして座り込んでいた。
そして、眼前でぺたん座りをしている海風は明らかにつっけんどんで、ぶー垂れた様子を隠そうともしなかった。
「つぎ、室井君の番だよ」
「はい……ドローします。マナに“強力な盾”を置きます。ターンエンドです……」
「はい。じゃあ“精霊龍プラチナ・ユニバース・ドラゴン”の効果で“黒服の男”と“創世の悪魔”と“精霊龍”を手札に戻して、“精霊龍”以外をもう一回出します。マナ1枚と手札1枚を選んで捨てます」
前回のようなハピネスに満たされた表情なんてものは、一切窺えない。
彼女はそれぞれ1枚しか残されていなかった俺の手札とマナを淡々と毟り取りながら、ひたすらにじっとりとした目をこちらにむけている。
「あの……海風さん。な、何に怒ってるんでしょうか……?」
「……オコッテマセンヨ」
彼女は抑揚のない声を発し、俺がマナゾーンにカードを置く様子をジト目のまま眺めている。
マナがないから、なにもできない。
「……だ、ダメージカウンター作り忘れちゃったからカナー? ははは……」
「……」
“精霊龍”、そして“黒服の男”がまたプレイされたかと思えば、彼女はいよいよ指だけでマナゾーンのカードを指定してきた。
『効果を使うカード名を指名しないと、ルール違反だよ』なんてことは言えなかった。
“創世の悪魔”が俺の壁を攻撃する。
赤黒く仰々しいドラゴンのスリーブの上に、うさぎさんのぷっくりシールをひとつ乗せる。
どうやら、ダメージカウンターの件で怒っているのではないらしい。
「……タ、タオルの件だよな。あれは、その」
「……む」
うっ、反応があった。
あのとき、理由はどうあれ海風の持ってる新幹線タオルを話のダシにしてしまったことは、正直申し訳ないと思っていた。
物に対する思い入れの度合いというのは、他人の尺度では本当に推し量れないものだってことを、あのときは失念してしまっていたんだ。
「……ご、ごめん」
「あれは……いいよ。結果的にだけど、なぜか古瀬ちゃ……さんと、ちょっとだけ距離が縮められた気がしたし」
あれ、意外と怒っていなかった。
というか……やっぱり海風も、古瀬との壁は何かしら感じていたんだな。
「えっと、だったら……何に怒ってるの?」
「……分かった、じゃあ言うね」
その瞬間、海風はじっとりと細めていた目をぱちりと開き、大きく息を吸った。
籠っていた空気の流れが変わり、壁際の綿埃がわずかに動いた。
「なんか第3弾のネーミングさぁ、すごく逃げに走ってない!?」
「え、そっち!?」
「“そっち”じゃないよ、死活問題だよ! この“黒服の男”とか“強力な盾”とか、すっごく“普通”って感じなんですけど!」
「うっ……」
くそっ、やはり違和感は拭えなかったか。
彼女の言う通り、俺はたしかに逃げのネーミングへと舵を切った。
だって、あのカード名を一回一回読み上げるのが――恥ずかしかったから。
「どうしちゃったの室井君、何か悩みとかあるなら相談してよ!」
「ち、ちがう! こ、これには背景ストーリーが関わってて、“神魔戦争”で世界が一度滅んだから文明の体系が変わって、その……そうなって!」
「君のカードの世界いつも滅んでるんだから、その言い訳は通用しないでしょ!」
「ぱ……っ」
何か言わなきゃと思ったのに、言葉が出ないからただ口をパクパクさせただけになってしまった。
「うわぁ~ん! 私、いつものあの“おにい感”溢れるテイストを楽しみにしてたのに、ひどいよぉ!」
「な、泣くほどなのかよ! あと“おにい感”って何さ!」
海風はそんな泣き真似をわざとらしく見せつけた後、ふたたびジト目に切り替えてこちらをじっと見つめてきた。
というか、都度引き合いに出されるお兄さんもかわいそうすぎるだろ。
本人の預かり知らないところで、本人が知らない奴に黒歴史を晒されてるってことじゃん。
「……わ、分かった、白状するよ。ごめん、正直……なんだか制作スランプから抜け出せなくてさ」
「え、室井君もスランプなの?」
「そうなんだよ……うん? 海風、“も”って?」
「……あ、いや、ナンデモナイヨ」
海風は咄嗟に否定して、張り付いた笑顔を取り繕い始めた。
おととい、海風が穂高先輩に言われていたスランプって……もしかしてまだ解決できていないのか?
「わ、私のことはいいから……キミのスランプについて、もっと詳しく聞かせてよ」
「う、うん。なんというかその……どうやったら海風に喜んでもらえるのかって、考えれば考えるほど、何も思いつかないドツボに嵌っていってしまって……その」
理由がこぼれていくたび、申し訳なさと情けなさで、顔が自然と俯いていく。
海風があんなに水泳で必死になってるのに、カード制作なんかでスランプだのとたまっている自分が、ほんとにダサく感じる。
「……」
返事が返ってこないから、気になって少しだけ海風の方を見やった。
彼女は真剣な表情で、同じように俯いている。
「……室井君、そんなに肩肘張らなくていいよ」
「で、でも」
「私のためなんかじゃなくて、キミがノリノリで作ったカードを見せてよ。時間かかっても、ちゃんと待つからさ」
予想に反し、海風の声はとても落ち着いていて――どこか、自分にも言い聞かせているようにも思えた。
でも、なんだかすっと心に沁みた。
こう言ってもらえるんだったら……初めから打ち明ければよかったな。
「分かった、俺……次は小学生になる」
「……ブッ、何その聞いたことない決意表明っ」
さっきまでの仏頂面はどこへやら。
海風はとうとう吹き出してから、大きく口を開けて笑い始めた。
「くっくっ……あははっ!」
「な、なにもそこまで笑わなくても……ってやべ、もうこんな時間だ!」
「あちゃー。ごめん、私のプレイングで時間がかかっちゃったね」
「ほんとだよ、たまには分かりやすいビートダウンで……って、うわっ!」
「え、なに?」
海風がいきなり膝を立て、地面に落ちていた彼女のプリーツスカートの裾がずいっと持ち上がったことで、小麦色の内ももが一瞬ちらりと見えてしまった。
すぐに目を逸らしたからいいものの、これじゃ……。
「た、立つときは声かけてくれると助かる……その、見えるから……」
「え? ……あぁ、下は水着だから別にいいのに」
海風は恥ずかしがる様子もなく、「あつー」と独り言ちながら落ち着き払った様子でカードを拾い集めている。
『いや、ダメだよ』とすら言い出せず、暴れまわる心音をどうすることもできず、俺はただ無言になるほかなかった。
「着替えてる時間もったいないからさ。大会近いから、授業終わったらぱっと動けるようにしとかないとね」
「大会……」
大会……夏季総体……来週の祝日……。
……あっ、そういえば懇親会と同じ日だったじゃん、あれ。
「……海風、そういえばなんだけど」
「ん、どうしたの?」
「来週の祝日の事なんだけどさ、俺――」




