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レゾリューション  作者: まさしぃ


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5/10

レゾリューション ——第 5 部——

 深い眠りの底で、俺は懐かしい夢を見ていた。それは、あの忌まわしい4月4日が訪れる前の、眩しいほどに輝いていた「元の世界線」の記憶。高校に入学したばかりの、あの青い春の日のことだ。


 中学までの退屈な日々を終え、高校生になった俺は、部活なんかに入るつもりはサラサラなかった。バイトをして、適当に遊び、要領よく高校生活を謳歌してやろう。そう高を括っていた──彼女に出会うまでは。


 入学式の日、同じクラスの座席に座っていた彼女をひと目見た瞬間、俺の計画は文字通り粉々に打ち砕かれた。


 星野翠。


 光を宿してきらめくサラサラの長い髪、吸い込まれそうな瞳。胸がドクンと跳ね上がるような、完全な一目惚れだった。しかし、彼女はめったに笑顔を見せず、周囲と馴れ合うこともしない。話しかけるきっかけすら掴めないまま、彼女が「演劇部」に入部したという噂を耳にした。


 演劇部での彼女の噂は、すぐにクラスにも流れてきた。


『氷の美少女』


 先輩だろうが同期だろうが、演技に一切の妥協を見せない。そのストイックすぎる姿勢と、寄せ付けない美貌から、いつしかそう呼ばれているらしい。


 ニコニコと愛想の良い女の子だって、もちろん魅力的だ。だけど俺は昔から、どういうわけか「滅多に笑わない、ミステリアスな雰囲気の女の子」に強く引き込まれてしまう傾向があった。


 誰も寄せ付けないような顔をしている彼女が、もし笑ったら、一体どんな顔をするんだろう。どんな風に笑うのか気になって仕方がなくて、気づけば目で追うのを止められなくなっていた。


 動機は、今思えば純粋すぎるほどの好奇心だった。ただ彼女に近づきたい、彼女のことがもっと知りたい。それだけの理由で、俺は自分の立てていた「バイトと遊びの高校生活」をあっさりと捨て、演劇部の部室のドアを叩いた。


 入部してまもなく、新入生公演の開催が決まった。ヒロイン役は、圧倒的な実力で当然のように翠に決まった。しかし、そこで大きな問題が発生する。


 相手役(男主役)が決まらないのだ。演技に対して一切の妥協を許さない『氷の美少女』の相手役を務めるなど、未経験の男子部員はもちろん、先輩たちでさえ尻込みして誰も立候補しようとしなかった。


「もう、こうなったらクジで決めよう!」


 部長のヤケクソ気味な提案で、即席のくじ引きが行われた。そして、神様の悪戯か、はたまた運命の導きか。当たりクジを引いたのは、他でもない俺だった。


「……はぁ」


 その瞬間、翠は隠そうともせずに、深いため息を吐いて不満を露わにした。そりゃそうだ。ただでさえ演技に命をかけている彼女だ。よりによって、未経験のド素人が、立候補ならまだしも「くじ引き」という偶然で自分の相手役に決まったのだ。期待しろという方が無理だった。


 そうして始まった、地獄の稽古。案の定、俺には演技経験など皆無で、最初は台詞を棒読みすることしかできなかった。翠の鋭い視線が突き刺さるたびに、胃がキリキリと痛んだ。


 だが、俺には1つだけ、誰にも負けない武器があった。昔から、アニメを浴びるようにたくさん見てきたのだ。擦り切れるほど見たあの名作たちの、キャラクターたちの立ち居振る舞い、感情が乗った独特の台詞回し、間の取り方。


(……使える。あれを、俺の演技に応用するんだ)


 窮地に立たされた俺は、頭の中のアニメの記憶を必死に手繰り寄せた。劇中の主人公ならどう動くか、どう声を張るか。未経験だからこそ、恥を捨てて名作のキャラクターになりきることに没頭した。


 すると、あんなに噛み合わなかった俺の芝居が、少しずつ、どうにか翠の圧倒的な演技の熱量に合わせられるようになっていった。


「秋元くん、今のシーンだけど……」


 驚いたことに、翠のほうから話しかけてくるようになった。最初は演技のダメ出しだった。しかし、俺が必死に食らいつき、アニメから着想を得た独特の表現を返していくうちに、それはいつしか、部活の時間以外でも熱っぽく演技に対する意見交換を交わすような、特別な関係へと変わっていった。


 彼女が時折見せる、噂通りの「氷」の隙間から覗く、演劇への純粋な情熱と、俺に向ける柔らかな眼差しに、俺の恋心は加速していくしかなかった。


 ある日の部活の帰り道。夕焼けがオレンジ色に通学路を染める中、俺は隣を歩く翠に、衝動を抑えきれずに想いを打ち明けた。


「……翠。俺、翠のことが好きだ」


 翠がハッと目を見開く。その表情が強張るのを見て、俺は慌てて言葉をまくしたてた。


「でも、返事は怖いからしないで! 明日からも普通に部活したいし、ただ俺の気持ちを伝えたかっただけだから。忘れてくれていいからさ!」


 なんとも一方的で、女々しくて、告白とすらも言えないような不器用な叫びだった。あまりの格好悪さに、俺は耳まで熱くなるのを感じて俯いた。


 そんな俺の様子を見て、翠は少し呆れたように息を吐いた。それから──俺の記憶にある中で、一番綺麗な、最高の笑顔を咲かせて言った。


「……なにそれ。そんなの、断れるわけないじゃない」


 夕日に照らされた彼女の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。こうして、俺たちの交際がスタートしたんだ。


 ◇


 星野翠と付き合ったことで、俺たちの関係は公私共に確固たるパートナーとなった。舞台の上ではお互いの感性をぶつけ合う最高の相棒であり、舞台を降りれば、手を繋いで歩く愛おしい恋人同士。


 翠は、基本的には騒がしい場所が好きじゃない。だから、高校生がよく行くようなカラオケや賑やかなアミューズメント施設でのデートは好まなかった。俺たちがよく行ったのは、薄暗い水槽の光が揺れる水族館や、ジャズが静かに流れる古びたカフェといった、落ち着ける静かな場所ばかりだった。


 そんな静寂を愛する彼女は、当然というか、騒がしく動き回る小さな子どももあまり得意ではなかった。対する俺は、下に兄弟がいる環境で育ったこともあって、小さな子どもの扱いにはそれなりに慣れていた。その対比も、俺たちの絶妙なバランスを保っている気がした。


 ある日の部活の帰り道、俺たちは夕暮れの公園に立ち寄った。まだ数人の子どもたちが遊んでいるその公園の片隅のベンチで、俺たちは並んで座り、台本の読み合わせや舞台の練習を始めた。


 真剣に台詞を交わす俺たちの姿が珍しかったのだろう。遊んでいた子どもたちが、1人、また1人と足を止め、俺たちの周りに集まってきた。


「わあ……お姫さまだ」


 1人の小さな男の子が、翠をじっと見つめながらぽつりと言った。光を宿したサラサラの長い髪に、凛とした佇まい。子どもたちの純粋な目には、翠が本当に絵本から飛び出してきたお姫さまのように見えたらしい。


「お姫さま!」「おねえちゃん、お姫さまなの?」と口々に言い始める子どもたちに対して、翠は完全に不慣れな様子で、少し困ったように眉を下げて俺に助けを求めてきた。


 そんな微笑ましい光景に身を置いていた時、俺はふと、少し離れたベンチの横で様子のおかしな女の子がいることに気づいた。寂しそうに、今にも泣き出しそうな顔でキョロキョロと辺りを見回している。


「どうしたの?」


 俺が歩み寄って声をかけると、その子は堪えきれなくなったようにポロポロと涙をこぼした。話を聞くと、どうやら母親とはぐれてしまった迷子だと判明した。


「大丈夫だよ、一緒にお母さんを探そう」


 俺は女の子を安心させるように優しく笑いかけ、翠を振り返った。翠は少し緊張した面持ちながらも、そっと女の子の反対側の手を握ってくれた。


 俺と翠、2人の間で小さな手を繋ぎながら、近くの交番へと歩き出す。


 お兄ちゃんとお姉ちゃんが味方になってくれたと安心したのか、女の子はすぐに泣き止んだ。それどころか、緊張が解けた途端に、子ども特有の純粋な質問攻めが始まった。


「ねえねえ、ふたりはけっこんしてるの?」

「いつからいっしょにいるの?」


 直球すぎる質問に、俺は思わず吹き出しそうになった。翠は一瞬だけ顔を赤く染め、どう答えたものかと戸惑っていたが、不慣れながらも一生懸命に言葉を選び、女の子の質問に1つずつ丁寧に答え続けた。その少しぎこちないけれど優しい声のトーンを、俺は隣で愛おしく聞き惚れていた。


 交番に到着すると、そこにはちょうど、娘がいなくなって青ざめた顔で警察官に訴えかけていた母親の姿があった。「お母さん!」と女の子が駆け寄り、母親は泣きながら我が子を抱きしめた。


「ありがとうございました、本当に、ありがとうございました……!」


 何度も頭を下げる母親と、笑顔で手を振る女の子に見送られながら、俺たちは交番を後にした。


 再び2人きりになった帰り道、夕焼けが俺たちの影を長く引き伸ばしていた。俺は少し照れくささを隠しながら、思ったままを翠に告げた。


「なんかさ……今日は3人で、家族みたいでちょっといいなって思った」


 すると、翠は少し歩調を緩め、隣で柔らかく微笑んだ。


「……そうね。今まで苦手だったけれど、子どもも、可愛いものね」


 あんなに子どもを遠巻きにしていた『氷の美少女』の口から出たその言葉に、胸の奥が温かいお湯で満たされていくような気がした。


 次の日からは、不思議なことが起きた。夕方にあの公園へ行くと、昨日助けた子や「お姫さま」と騒いでいた子どもたちが、最初から俺たちを待っているようになったのだ。俺たちが台本を広げると、みんな静かに集まってきて、2人の演技の練習をキラキラした目で見つめるようになる。


 いつしかその公園は、俺たちの小さな劇場になった。新入生公演の本番が近づく頃には、俺と翠は、その公園に集まる子どもたちを最初の大切な「観客」にして、最初から最後まで通しの練習をするようになっていた。


 子どもたちの素直な拍手と歓声が、どれほど俺たちの支えになったか分からない。


 あの頃の俺たちは、間違いなく、世界で一番幸せな輝きの中にいたんだ。


 ◇


 情熱を注ぎ込んだその集大成として、俺と翠の名を学校の内外に完全に知らしめることになったのが、高校2年生の時に2人で台本の製作からポスターまで、そのすべてをゼロから担当した舞台


『火の国の約束』


 だった。


 あのポスターに使う写真を撮るため、俺たちは放課後、夕焼けに染まる誰もいない砂浜へと向かった。劇中の衣装に身を包んだ翠に、俺はレンズを向けながら、「復讐に燃える王女の、怒りと悲しみの表情」をリクエストした。


 ファインダーの向こうの彼女は、まさにその感情を表現してみせた。ただの演技じゃない。夕日に照らされた彼女の目から、大粒の涙がハラハラと零れ落ちた瞬間、シャッターを切りながら俺の全身に鳥肌が止まらなくなった。その気高くて、哀しいほどに美しい姿は、文字通り俺の心を完全に奪い去った。


挿絵(By みてみん)



 出来上がったポスターを校内に掲示すると、その翠の表情の凄まじさに学内は騒然となり、舞台は大盛況のうちに幕を閉じた。名実ともに、俺たちの最高の話題作だった。


 脳裏の奥で、翠との楽しかった思い出が、まるで走馬灯のように次から次へと押し寄せてくる。


 舞台を通じて、どんな時も常に俺のすぐ隣にいてくれた翠。夏にはお互いに浴衣を着て、賑やかなお祭りにも行った。屋台の明かりに照らされて、学校では決して見せないような、とびきり無邪気で優しい笑顔を見せてくれた翠。


 彼女と積み重ねてきた一瞬一瞬の記憶は、俺の人生にとって、何にも代えがたい唯一無二の宝物なのだ。翠のいない世界なんて、俺にとってはただの灰色の世界だ。そんな世界には、何の彩りもありはしない。


(翠に逢いたい……! 俺の知っている、俺の隣で笑ってくれる、星野翠に逢いたい……!!)


「翠……っ!!」


 自分の叫び声で、ハッと目が覚めた。視界に飛び込んできたのは、薄暗い病院の天井だった。頬を触ると、冷たい涙が幾筋も流れた跡がある。


 俺は祈るような気持ちで自分の右手を見つめた。……やはり、薬指にあの指輪はない。


 壁の時計に目をやると、針は深夜の午前3時を指していた。


 静まり返った病室の中、簡易ベッドでは、昼間あれだけ俺を心配して泣いてくれた母ちゃん(節子)が、すっかり深い眠りについている。穏やかな寝息だけが聞こえていた。


 胸の奥から、ちぎれそうなほどの激情がせり上がってくる。一度はあの階段の前で、母ちゃんを裏切れないと、この優しい並行世界に甘んじようとした。だけど、あの眩しすぎる夢を見た今、もう自分を偽ることはできなかった。俺の魂は、元の世界線の彼女を求めて叫んでいる。


 俺は、すぐ横で眠る母ちゃんの寝顔を見つめながら、溢れ出しそうな泣き声を必死に押し殺して、心の中で静かに呟いた。


「母ちゃん、ごめん……。冷たい息子で、本当にごめん。でも、俺……どうしても翠に逢いたいんだ」


 母ちゃんを起こさないよう、ベッドから音を立てずに抜け出す。全身の打撲の痛みなど、もう感覚としては残っていなかった。ただひたすらに前だけを見つめ、静まり返った夜の廊下を静かに進み、あの鉄製の重い扉を開けて、非常階段へと向かった。


 夜の闇が口を開けて待っている、非常階段の最上部。足元を見下ろすと、底知れない恐怖が首筋を走ってくる。


 だけど、今度の俺には迷いはなかった。もしこれで死んだって構わない。翠のいない世界で生きていくことの方が、俺にとっては死ぬことよりも何倍も恐ろしい。


 恐怖を力ずくで払拭するように、俺は胸の奥の底から、全力の声を絞り出した。


「うぉおぉ────っ!!」


 叫び声と同時に、俺の身体は夜の虚空へとダイブしていた。


 視界が激しく反転する。次の瞬間、目の前が真っ白な光で遮られ、俺の身体は再び、あの時と同じ眩い光の奔流に優しく包み込まれていった──。


(つづく)

作中の作品「火の国の約束」もよろしければご覧ください。

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