ジェームズの屋敷
「次から次へと、だな」
例によって甚六さんが酒壷から酒をがぶりと飲みながら言った。私とにゃんぱちは、今、川下屋で飲んでいる。いつもの甚六さんのボックス席で、である。他にいるのは、卓造さん、ゴードン氏だ。
「ま、別に新しく起こった問題でもないんだけどさ。同時進行的っていうか」
「しかし、殺し屋を雇おうとしたなんて話まで聞くと恐ろしいですな」
ゴードン氏が言った。
「まったくね。もしたまたま殺し屋に恩を撃ってなかったら、今頃」
「バッキューンだったにゃ」
にゃんぱちが銃を撃つジェスチャーをした。まったく冗談ではなく、本当に撃ち殺されていた可能性が結構ある。
「吸血鬼さんというのはプライドが高いんですねえ」
卓造さんが言った。するとゴードン氏が答える。
「全員が全員じゃありません。私なんかはしがない夜間警備員ですから」
「でもジェームズって奴は違うみたいね」
「ええ。今でも運用資産だけで食べていけてるような連中は、特権意識もプライドも高いようですね」
ゴードン氏はそう言い、手元のコーラをすすった。彼は娘のさつきちゃんから、彼女の監視下以外での飲酒を禁止されているのである。以前、酔いつぶれてあちこちの酒場で管を巻いて歩いた件が未だに家庭内に効いているようだった。
「ジェームズはその典型ってわけ」
「ですね」
「ってことは、もしかして京ちゃんの理想の相手?」
にゃんぱちが言った。言われて、私は指折り考えてみる。
顔はアゴが出過ぎな以外はハンサムで不労所得つきの金持ち。たしかに良い条件だ。
が、
「性格が論外」
私は切って捨てた。
「だろうにゃ」
「しかし、どうするんだい。三角帽子の時とは違って京子ちゃんにピンポイントに問題になる話だが、しかしまあ、放っちゃおけねえだろ」
「甚六さん、話つけてくんない?」
「俺が?」
「だって年食ってる方じゃない。この辺りの妖怪じゃ顔でしょ」
「そりゃ千年以上生きてるし、顔はそれなりに利くがなあ。ノーブル・クラブのヴァンピール相手となると話が通るか怪しいぜ」
そう言って、甚六さんはゴードン氏の方を見た。ゴードン氏は恐る恐ると言った感じで、
「そうですね、いや、そのなんといいますか……」
「はっきり言っちまいなよ、ゴードンの旦那」
甚六さんはせかした。
「無理でしょう。それこそ神のような格の相手やバックベアードでもない限り、彼らはヴァンピール以外の土着妖怪は同格とみなしませんよ。土地の顔役であってもね」
「だとさ、京子ちゃんよ」
甚六さんは言い、酒壺に頭を戻す。
「じゃ、死神ってことで卓造さん」
私は卓造さんに話を振った。卓造さんは大慌てで、
「無理、無理、無理ですよ。言葉には神ってついてますけどただのあの世の公僕です。それに、下界の事件に首を突っ込んだなんてことがバレたら大目玉です。普通の妖怪さんよりもよっぽどダメですよ、私は」
「でしょうね」
私はため息をついた。彼が悲しき公僕に過ぎないことは、私もこれまでのつきあいでよーく知っていた。
「となると、頼れるのは一人しかいないか」
私は隣のゴードン氏の肩を叩いた。
「私ですかあ?」
「だって、こうなったら、同じクラブメンバーのゴードンさんにとりなしてもらうしかないじゃない」
「それもそうだにゃ」
にゃんぱちも同意してくる。
「しかしですねえ、私はあのジェームズくんが苦手で……」
「じゃあ私が殺されちゃてもいいっていうの?」
「ぼくらが警備員のお化け事件やさつきちゃん誘拐事件の恩を忘れたにゃー?」
私とにゃんぱちは詰め寄った。こうなると弱気なゴードン氏としては断りようもないようで、
「分かりましたよ、トホホ……」
と肩を落とした。ちょっとかわいそうだが、私も頼れるのは彼だけである。少しは強引に頼み込まなきゃ、という気持ちはあった。
とにかく、ゴードン氏の「説得」に成功したので、私とにゃんぱち、そしてゴードン氏は席を立った。善は急げ、出来るだけ早くに問題を解決するにこしたことはない。
ゴードン氏の案内で、町外れの森の中にある洋館まで歩いた。ジェームズの家である。
着いてみると、洋館はゴードン氏の邸宅よりも更に大きい立派な代物で、しかもキレイだ。氏と違って没落していないから、手入れが行き届いていると見えた。
私たちはインターフォンの前に立った。そして、ゴードン氏に
「頼むわよ」
と促す。ゴードン氏は弱々しくうなずき、震える手でインターフォンのボタンを押す。
チャイム音がし、しばらく後に声がした。
「どなたかな」
ジェームズの声だ。
「じ、ジェームズくん。ゴードンですよ」
「これはこれは。なにかご用ですか?」
少し鼻で笑ったような声色だった。ゴードン氏のノーブル・クラブ内での地位は、正直なところ高くはないのだろう。まあ気弱な没落貴族となれば、それは仕方がない。仕方がないが、今回の場合はクリティカルに私に関わってくる問題なので、正直不安にはなった。
「あのですね、ジェームズくん。千本橋京子さんの件で、ちょっとお話があるんです」
「……あの女がなにか」
今度は冷たい刺すような声音だった。
「いや、その、お話をつけたいということで、今、私と一緒に来てるんですよ」
「……お待ちなさい」
インターフォンが切れた。
やがて、ぎいと扉が開いた。身長二メートルばかりの燕飛服の男が、私たちを出迎える。顔に切り傷、頭にボルトが刺さっていた。
「フランケンシュタインにゃ?」
にゃんぱちが言った。私はこのバカとおもったが、執事は、
「左様。ジェームズ様には長く仕えております」
と、抑揚のない声で答えるばかりだった。
「こちらへ」
執事に案内されて、私たちは長い長い廊下を渡り、奥の部屋へと通された。廊下の行き止まりにある部屋だった。
部屋の扉が開く。種々の豪奢な調度品に彩られたまばゆいばかりの部屋である。そんな部屋で、ジェームズは三人ばかりの男たちとビリヤードをやっていた。男たちは全員西洋系である。
「全員吸血鬼なのかにゃ?」
にゃんぱちが言うと、ゴードン氏がささやいた。
「ええ、彼らはノーブル・クラブの一員です。……ジェームズくんとは仲良しですよ」
ジェームズの仲良し。この一言で、男たちの性質は理解できた。もっとも、それがなくても理解できたかもしれない。心底から侮蔑しきった表情と笑いを、部屋に入った私とにゃんぱちに送り続けていたからだ。
「さて、どういう御用ですか、ゴードン・トレットメント」
「えっと……その……京子さんはぁ、私の恩人でえ……」
ゴードン氏はガチガチになって言葉を絞り出す。
「ですからあ……そのお……迷惑をかけるのはあ……」
じれったい。私はゴードン氏を遮って言った。
「私にボコられて悔しいのは分かるけどさ、殺し屋まで差し向けるのやめてくんない?」
「殺し屋?」
「舘武本人に聞いたのよ。私を捕まえろって依頼があんたからあったって」
ここまで言って、あのグラサンの殺し屋に悪いことをしたかな、と思った。彼が守秘義務を破ったことをばらしたようなものだからだ。
もっとも、ジェームズはそれは大して気にしないようだった。
「君とあの殺し屋が友人だったとは知らなかったな」
「ちょっとご縁があったのよ」
「なるほどね。クズはクズ同士群れるか」
ジェームズは私の方は見ずに、ビリヤードのキューを磨いた。
「そ、そういうわけで、そうしたことはやめていただきたいんですよ、ジェームズくん」
ゴードン氏が言った。
「先ほど申しあげたように、京子さんは私の恩人ですし、それに、殺し屋を差し向けるなんてことは犯罪ですぞ」
「その女はぼくの顔に傷をつけたのですよ。人間の分際で」
「殺しの理由ににゃってねー」
にゃんぱちが呆れ顔で言った。
「なるさ。ぼくの顔とその女の命では釣り合わないぐらいだ。女の命が軽すぎてね」
「と、とにかく、こんなことはやめなさい。ノーブル・クラブの年長メンバーも、君たちの最近の言動の過激さは問題視してますぞ。人間や他の妖怪さんをクズ扱いして渡っていけるような時代は、もうとっくに過ぎたのです」
「やれやれ、参ったな」
ジェームズはキューを置いた。
「トレットメント氏のたっての願いだ。そういうことなら、今日で終わりにしましょうか」
「仲直りしようってこと?」
「そんなバカな。ただ、手打ちにしてやろうってことさ」
「手打ち?」
「人間の女。君、はいつくばってボクの靴の裏を舐めろよ」
「なっ……」
あまりにも屈辱的な提案に、私は絶句した。
「それを二時間も続ければ、許してやってもいい」
「…………」
私は怒りに震え、無言でジェームズをにらんだ。無論、例の魔眼のことがあるから、直接目をあわせてやるわけにはいかないけど。
「嫌なら、別にいい。もっとぼくの予定通りにするだけだからね」
「キョーちゃん、やばいぜ、正直」
にゃんぱちが言った。言われて、部屋を見回してみる。
ジェームズ本人の他に、吸血鬼が三人。巨体のフランケンシュタインが一人。
はっきり言って、勝ち目がある状況じゃない。断ったらここで殺されるだけかもしれない。
ゴードン氏も思ったほど役に立たなかった以上、虎子のいない虎穴に自ら飛び込んでしまったようなものだったのだ。
「どうするんだい?」
「……分かったわよ」
私は怒りにふらつきながらも、ジェームズの方に歩いた。何度も爆発しそうになったが、それを抑えて、なんとかジェームズの目の前にたどり着く。そして、はいつくばった。
「始めろよ、メスザル」
ジェームズはそう言って、私の目の前に靴をかざした。……いや、そんな表現じゃ大嘘になる。私の顔面を蹴った。
私は爆発した。
ジェームズの足をつかみ、思い切り引いた。
怪力の吸血鬼とはいえ、とっさのことに反応できなかったようで、そのままどんと倒れる。
私は立ち上がりながら棍をポケットから取り出し、伸ばし、振り上げるとジェームズの顔を打った。
「ぐえっ」
ジェームズがひきがえるのような声を出す。
「野郎!」
残り三人の吸血鬼と一人のフランケンシュタインが、私に向かって突進してくる。
「キョーちゃん、なにやってるにゃー!」
にゃんぱちが叫び、私のそばに駆けてきた。
ゴードンさんは腰を抜かして呆気にとられている。まあ、この人はそういう人だ。乱闘に巻き込まれて後に面倒になるよりは、そうなっていた方が本人の後のためにもいい。
「見て分かんない? 我慢できなくなったの」
「だろうけどさ、もう終わりだじぇ、これ」
「だったら「明日に向かって撃て!」で行くだけよ」
「ぼくまで死ねってわけにゃ?」
「家族でしょ」
「やれやれにゃ」
私とにゃんぱちは、棍を爪をそれぞれに振り回した。近づいてくる吸血鬼を打ち、フランケンシュタインをひっかく。
が、相手は高級妖怪に映画でも有名なタフガイだ。人間と猫又の私たちとの四対二では、そうそう致命傷なんて与えられるもんじゃない。
更には、立ち上がったジェームズまでが参戦し、私たちに突進してくる。
「むぎゃあ」
乱戦の中、にゃんぱちが、フランケンシュタインに取り押さえられた。
「にゃんぱち!」
私がにゃんぱちに気を取られた一瞬。
ジェームズの拳が、私のみぞおちに炸裂していた。
「あ……」
私は倒れ伏す。吸血鬼の怪力でのパンチを喰らって立ち上がれるほどは、タフな体はしていない。
「取り押さえろ」
ジェームズが言い、残り三人が私の体を押さえつけた。
「勝負あったな」
ジェームズが言った。
「靴を舐めればよかったのにな」
ジェームズはそう言いながらしゃがみこみ、私の前でにやにやと笑った。
私は唾をその顔面にはいた。
見事に命中し、ジェームズの顔面に液体が垂れる。
「……そんなに楽に死ぬのは嫌か?」
ジェームズはこの上なく冷たい声で言う。
「あんたにペコペコするぐらいならね」
と、私は返してやった。
「なら、じっくりと始末してや――」
その時、銃声が鳴った。
部屋にいた誰もが、ドアの方を一斉に見る。
そこにいたのは、例のグラサンの殺し屋舘武と、うわばみの甚六さんだった。
「死にたくない奴、手を上げろ」
舘が言った。
「バカにしてるのか? 銃弾ごときで我々は」
「殺せるさ。バチカンから取り寄せた対吸血鬼用特注品だぜ」
嘘じゃないことが、声の響きで分かった。おちゃらけてはいるが、その裏に凄みがある。
吸血鬼たちとフランケンシュタインは、全員がゆっくりと手を上げた。必然、私とにゃんぱちの体は解放される。
が、にゃんぱちはともかく、私には立ち上がれるほどの元気は残ってない。
「手間がかかるにゃあ」
にゃんぱちはそう言いながら、その二股の尾で私の体をつかみ、引きずった。こいつの尻尾にはその程度の力はあるのだ。
「……生きて帰れたらサバ缶あげるわ」
「そりゃ素敵にゃ」
にゃんぱちに引きづられた私は、ドアのそばにいる甚六さんと舘のすぐ近くまでたどり着いた。
「痛い目にあわせちまったみてえだな」
甚六さんが申し訳なさそうに言った。
「ちょっと計算が外れちゃったわね。ゴードンさんには無理なことやらせようとしちゃったわ」
ゴードンさんはますます状況が理解できないようで、部屋の片隅に座り込み、ドアと吸血鬼たちを交互に見ているのみである。
「あの旦那は人がよすぎて度胸がなさすぎるからな」
「でも、なんで来たのよ。あんたじゃ無駄だって言ってたじゃない」
「いや、その……あの連中を黙らせられそうな心当たりを思い出したんでな、イチかバチか当たってみた」
「それって殺し屋さん?」
私がそう言うと、
「俺はおまけさ、他にいる」
舘が言った。銃はまだ構えたままだ。
「他って誰よ」
「わしじゃ」
そんな声と共に、廊下の奥から一人の老人が現れた。
タツじいさんだった。
「タツの大じじ様は滅多なことじゃこの手の騒動には顔を出さねえんだがな」
甚六さんはそこで言葉を切り、にやりと笑う。
「あんたのことじゃ別だとさ」
そんな甚六さんの言葉を他所に、タツじいさんはコツコツとジェームズたちの方に歩いていく。
「吸血鬼ども。これ以上あの女に手を出すのはよしてもらおうか」
「ふん。なんだっていうんだ、あんた」
タツじいさんは答える代わりに、姿を変えた。
部屋の中心に雷鳴の閃光が現れ、その直後には竜が――一匹の巨大な和竜がその巨体を現していた。もちろん、部屋に収まるような大きさじゃない。竜は天井をミシミシと割り、屋敷を吹き抜けにしてその姿をたたずませている。
「……竜か」
ジェームズがつぶやいた。
「左様。かつてこの地の神だったものよ」
タツじいさんの話しぶりに、普段にはないような威厳があった。オリバーさんの行列で初めて会った時とは別人みたいだ。
「哀れな夜の貴族たちよ。汝らは時の流れを知らぬ。汝らは世のことわりを知らぬ。人の子も貴様らも、また我も、所詮は世間の中で動く一個の命に過ぎぬのだ。それに上下をつけようなどといううぬぼれは、世の理に反するもっとも愚劣な考と知れ。一介の命としての身をわきまえ、世俗にまみれて他と共に生きよ」
タツじいさんはそう言うと、ジェームズたちに向かってカッと吠えた。
直接吠えられてない私たちまでもが肝を冷やすような大声で――その声を直接浴びたジェームズたちは、瞬く間にパタリと倒れた。
気絶したジェームズたちを置いて、私たちは屋敷を去った。
私はもう歩けないから、うわばみの甚六さんに背負われた。家に送ってくれると言う。
家に送ってもらう帰り道、私は隣を歩くタツじいさんに聞いた。
「なんで助けてくれたのよ? 私、じいさんにそこまでのことしたっけ?」
「病院の礼、オリバーの握手会の侘び」
「そんだけ?」
「そういうことにしておけ」
と、タツじいさんは言って、黙った。
甚六さんが、背中に負った私にだけ聞こえるようにささやいた。
「大じいさまはな、あんたみたいなのに会えて、嬉しくてたまらんのさ」
「そうなの?」
「つまり、なんだ――ただのじいさんとして扱ってくれる親しい相手がいねえのさ。神じゃなくなっても、元は神だ。妖怪はどいつもこいつもどっかで敬しちまう。人間どもとはご縁がない。あんたは孫みてえなもんさ」
「ふうん」
月が出ていた。
夜にしては、空は明るい。




