殺し屋様ご来店
「そういうわけで、困ったことになったのよ」
私は隣の席に座ったブラウニーのボブに向かって言った。私たちがいるのは、いつもの居酒屋、川下屋の一角である。困ったことになったと言うのは、昨夜三角帽子のテロリスト連中をぶっつぶした時に、殺し屋が一人逃げた件だ。私の殺しを依頼されているグラサンの殺し屋だけが護送中に脱走した件が、今朝の朝刊に載っていたのだ。
「そりゃあ、確かにな」
ボブは言いながら手元の枝豆を食べた。
「もうちょっと真剣に聞いてよ。下働きが死んだら困るって、この前サイモンに襲われた時には言ってくれたじゃない」
「言ったがな、鉛玉までどうにかできるもんじゃねえからな」
「もう」
私はぷいとボブから視線をそらし、店内を見回した。他の誰かにグチを聞いてもらおうと思った。
ふと、死神の卓造さんが目に留まる。友達のうわばみ、甚六さんとトランプで遊んでいるところだった。私は声をかける。
「ねえ、卓造さん」
「なんです、京子さん」
卓造さんはカードを繰る手を止めて、私の方を見てくれた。
「私、死ぬのかな」
「そりゃあ、いつかは死にますよ」
「そうじゃなくて、近いうちに凶弾に倒れるかどうかって話」
「えーと、それは……」
卓造さんは答えに窮して目をそらす。
「ね、死神さんなら分かるでしょ」
「別に私は予言者じゃありませんよ。この辺りで近々出る死者の情報を上からもらってるだけで」
「じゃあその「近々」の中に私が入ってるかどうか、分かるじゃん」
「う……」
卓造さんは困ったような顔をする。それに手を差し伸べるように、甚六さんが言った。
「京子ちゃん、卓造先生だって答えられることと答えられねえことがあらあ、分かってやんなよ」
「かもしんないけどさ」
「大体、これまでに襲われた時には度胸がよかったのに、今回はずいぶんと弱気じゃねえか?」
「だって銃弾よ。後ろからぱーんってやられたら終わりじゃない」
「狂信徒や妖怪より銃弾が怖いか」
甚六さんが笑う。
「知らないものの方が怖い」
そうなのだ。三角帽子や妖怪は、妖怪が当たり前にいる私にとってそこまで極端に未知な要素でもないが、銃弾は日本に生きる私にとっては、なじみのない未知の凶器だ。甚六さんもそれには納得したのか、
「なるほど、かもな」
「そうよ、甚六さんみたいに防弾製の体じゃないんだから」
「俺だって銃が当たればちっとはいてえぞ」
「ちょっとでしょ。私は下手すりゃ一発で死ぬんだから」
今日の私はどうにも、普段に比べてもグチっぽくて弱気になっているようだった。酒が回っているのと、一段落ついたはずの事件が私にとってだけ実は終わっていなかったせいかもしれない。
と、そこで、ガラリと、川下屋の戸が開いた。私は戸の方を見る。すると、そこには一人の人間の男がいた。サングラスをつけて、コートを羽織っている。――例の殺し屋だった。
私はもちろん、それ以外の客からも好奇の目が集まった。この店に私以外の人間の客が来るのは珍しいからだ。殺し屋は、そんな視線を気にしてか、
「珍客のようだな、俺は」
と、店内を見回した。そして、私の顔を見つける。
「いた、いた」
つかつかと歩いてきて、すぐ私の横に座った。
「見事に脱走したみたいね、新聞に載ってたわ」
努めて平静を装って私は言った。銃弾は怖いが、この状況で弱気を見せるのは癪である。自分の庭に相手が乗り込んできたのにびくびくするほどチキンじゃない。少なくともそう思われたくはない。
「ああ、上手くやれたぜ。隙をついてパトカーから飛び降りてやった」
殺し屋はそう言って、両手を上げて見せた。まだ手錠がかかっている。逃げられはしたが、手錠を解くことまでは出来ていないというわけだった。
「で、ここにはなにしに来たの? 改めて私への殺人予告?」
「いや。敗北宣言だ」
「敗北宣言にゃ?」
にゃんぱちが頓狂な声を上げた。
「ああ。俺の負けだ。もうあんたは狙わない」
「でも、努力義務があるとかなんとか言ってたじゃない」
「あれはあの晩にベストを尽くすことで果たしたさ。そこのうわばみのおっさんのおかげで失敗したが」
殺し屋は甚六さんをあごでしゃくった。甚六さんは、横目でちらと殺し屋を見ながらも、ぐびぐびと逆壺の酒を飲んでいる。
「それにな、ぶっちゃけると――霊長の会の連中がもう全員捕まったから、そこまで無茶をする必要もなくなったんだ。あの晩の俺の状況じゃ、まだどう転ぶか分からなかったが、もう依頼者たちが二度と娑婆には出てこねえのが分かったからな」
「仕事を断念した悪評が広まることもにゃいってことかにゃ」
「その通りだキャット。報酬も結局はもらい損ねたし、俺があんたらを追うビジネスとしての理由が消失した」
「なんだかね。その理由ならあの晩に金を持ち逃げした方がよかったんじゃない?」
「そこまでやっちゃ信義に反する。それが俺の一線だ」
どうにも不可解だ。私がそんな顔をしていると、表情を見て取ったのだろう、無言だったボブが横からいった。
「どんなクズの世界でも、プロってのはそういうもんさ。人には分からねえポリシーを抱えてるもんだ。クズな仕事ほどそうかもしれん」
「分かってるね、あんた。それに他にも最大の理由がある。あんたへの恩さ」
「恩?」
「あの晩、その気になれば殺れたのに、俺を殺させなかったろ。そのお礼さ。「善良な一般市民」への敬意ってわけだ」
なるほど。得心した私をよそに、殺し屋は、
「ところで、誰かタバコ持ってない?」
首を振って周りを見回す。
「タバコはやめときにゃ、今度は本当にそこのうわばみのおじさんに殺されちゃうぞ」
「失礼、うわばみにゃタバコは厳禁だったな」
殺し屋はそう言って、今度は手錠を差し出した。
「じゃ、手錠切ってくれない?」
「……マスター、包丁ちょうだい」
私はかわうそのマスターに向かって言った。
ほどなく、マスターが切れ味のよさそうな出刃包丁を持ってやってきた。私は受け取り、かざす。
「これで手錠じゃなくてあんたの首を切っちゃった方が、私としては安心よね」
「その通りだな。好きにしなよ」
「オーケー」
私は包丁を振り下ろした。
すぱりと、手錠の鎖が切れた。
「サンキュー」
殺し屋は私に投げキッスをして立ち上がる。
「持ち合わせがありゃあ、一杯ひっかけていくんだがな。あいにくとそういうわけにも行かなくてね」
「これ、飲む?」
私はビールを差し出した。殺し屋はそれを手に取り、がぶがぶと飲む。
「ごちそうさん。じゃ、縁があえばまた会おう。俺の名は舘武」
殺し屋・舘武は、酒屋を去っていった。
「にゃんで見逃したにゃ? 殺さにゃいにしても警察に突き出してやりゃよかったのに」
「そうですよ。あんなに心配してた相手じゃないですか」
にゃんぱちと卓造さんが口々に言った。私も自分がしたことながら同感だった。同感なんだが、
「なんだか見逃してもいい気がしたのよね」
「そんなもんさ」
甚六さんが飲みながら言った。
そう。そんなもんだ。
人の心なんて理屈の利害関係よりも、もっと別のなにかで動くもんである。
あの殺し屋は悪党な上に私を殺しかけた奴だし、処分した方が私は確実に安全だった。でも、私はなんだかそうする気にならなかった。それだけである。




