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鎖鞭の男

 この前、川下屋のパーティーでボブに「気をつけろ」と言われたからでもないが、人通りの少ない場所を通るのは極力避けている。もちろん、ひとけのない場所に出ると、三角帽子の連中――自称では、「霊長の会」というらしいけど――の襲撃を受ける可能性があるからだ。

 だから最近、趣味だった散歩も控えがちだし、家にもまっすぐ帰っている。面白くないが、だからといって、あいつらの襲撃を受けるのはもっと面白くないから仕方がない。警察が頑張って事態が落ち着くまでの辛抱だ。

 この日も私は、ボブとの清掃バイトをすませた帰り道、にゃんぱちと一緒にまっすぐに自宅へと向かっていた。私にしては実に安全を気にした行動だといえる。

 とはいえ、完璧を期すなんてことはもちろん無理である。

 私たちは、仕事をしたビル街を出て、自宅のある方面へと歩いた。だが、その途中、どうしても人通りのない細路地を通らなければならない。どうしても、とまで言うと本当は語弊がある。実際にはものすごい遠回りをすれば、そこを通らずに家に帰ることは可能なのだ。

 しかしながら。私は、「そこまでする」ほどに用心深かったわけではなかった。ごく自然に細路地のルートを取り、家に向かう。

 そして、細路地に入った直後。

 背後から殺気を感じた。隣を歩いていたにゃんぱちを持ち上げ、瞬時に飛び上がる。

 ――案の定。私が直前までいた瞬間を、先端に分銅のついた鎖鞭が殴っていた。言い換えれば、私を狙った鎖鞭を、間一髪のところでかわした、ということである。

「やるじゃねえか」

 鎖鞭の主が、そう言いながらその姿を現した。イギリスのパンクロッカーみたいな格好をした、巨漢で髭面の外人である。

「あんた、霊長の会の手先?」

 私は言わずもがななことを聞いた。パンクロッカーは答える。

「手先というか、一員だな、俺ぁ」

 パンクロッカーはそう言うと、腕に記された刺青を見せる。そこには、三角に十字の入った印が刻印されていた。

「他の連中みたいに顔は隠さないの?」

「俺はどのみち、国際手配中なんでね。表向きの顔が犯罪者じゃない連中と違って、顔を隠すこともねえ。知ってるか? サイモン・ベルマッド」

 パンクロッカー――サイモン・ベルマッドはそう言うと、葉巻を取り出し、火をつけた。そして、すうと葉巻をすいこんだ後、煙をぷっと吹き出す。

「聞いたことあるぞ、サイモン・ベルマッド。凶悪なテロリストとして有名な奴だにゃ」

 にゃんぱちが言った。それを聞き、サイモンは瞳を輝かす。

「知っていてくれて嬉しいね。んで、知ってるのはどの事件だ? 無抵抗の豆腐小僧を殺った事件か? 吸血鬼の一家を皆殺しにした事件か?」

 どうやらこの男、自身の凶行を人に知られているのがよっぽど嬉しいらしい。さすがのにゃんぱちもドン引き状態で、

「い、一家の方にゃ、赤子まで皆殺しにしたってテレビで……」

「へっへへへ」

 サイモンは笑った。私はその間に、ポケットから棍を取り出して伸ばし、臨戦態勢を整える。サイモンは、それに気づきつつも、にやにやしたまま話を続けた。

「俺の家系は先祖代々のモンスターハンターでな、昔から化け物退治が生業さ。俺もご多分に漏れず、それが生きがいでね。ただ、昔みたいに合法だった頃にはよかったんだが……」

「今の世の中じゃ単なるサイコキラーよ」

 現代は知的な妖怪には人権がある。それを殺して歩くなら殺人となにも変わらない。

「その通り。だから、霊長の会なんて組織に属してでもいねえと、なかなか世の中渡りづらい。人間こそが神に選ばれた霊長だなんて理屈なんぞは興味もねえが、妖怪どもをぶっ殺して喜ばれるなら、俺にとっちゃそれ以外はどうでもいい」

「……で、そのガイキチさんが私になんの用なの?」

 言いながら、私は棍を構え直した。サイモンはにたにたと笑いながら、

「分かってんだろ? お前さんは人間らしいが、会の連中の邪魔を何度もしてくれたからな。人間の恥さらしだからとりあえず始末しろって、ここの支部長から俺への依頼があってね」

「殺人には抵抗はないのかにゃ」

「最初に殺るまでは抵抗があったが、今じゃ化物どもと変わらねえな」

 サイモンは葉巻をぺっと吐き捨てると、鎖鞭を振り上げた。次の瞬間、びゅん、と空を切りながら、分銅と鎖が私に向かって猛進してくる。

 私は、横に飛び退き、鎖鞭をかわす。そして、サイモンに向かって跳びながら棍を振りかぶり、一撃を加える。

 が、当たらない。サイモンは、鎖鞭を持っていない方の左手をかざし、私の棍をガードしたのだ。私の棍は、サイモンの人間ばなれした隆々とした筋肉によって阻まれ、その動きを停止した。必然、私自身の動作も停止した状態になる。そこを、サイモンの左足に蹴られた。

「あぐっ!」

 サイモンの蹴りが横腹に命中し、私は一メートルばかりふっとばされ、倒れた。幸いにして、棍を取り落とすことだけは避け、なんとか手元に握ったままでいられた。

 たかが蹴り一撃とはいえ、巨漢のそれをまともに喰ったのだから、ダメージは軽いもんじゃない。私は、なんとか意識と呼吸を整えながら、よろよろと立ち上がった。

「おいおい、話ほどでもねえな。まあ人間相手に手応えなんぞ大して求めやしねえから、かまやしねえが……」

 サイモンがそこまで言ったところで、裏に回っていたにゃんぱちが、彼の頭に飛びついた。そして、その顔をありったけにひっかく。

「うっせえぞ、糞猫!」

 サイモンはにゃんぱちをつかんで、放り投げた。偶然にも、それは私のいる方向であり、私の目の前に落下してきたので、受け取めて地面への衝突を防いでやった。

「どうするにゃ?」

 私の手の中で、にゃんぱちが聞いてきた。

「無理」

「無理て」

「倒せないわね、私とあんたじゃ」

 私もそれなりに場数を踏んできているが、何百人殺したか分からないような真性の殺人のプロ相手に勝てる気はしない。今までの攻防だけで考えても、大人と子供ほどの差がある。かといって、降参しても殺されるだけなのは明白だ。

 私にしては諦めのいいこんな思考に至れたのも、この前、ボブに酒屋でお灸を据えられたおかげかもしれないな、と、ふと思った。

 ともあれ、とにかくこの場を切り抜けねばならない。

「にゃんぱち」

「にゃ?」

「逃げるわよ」

 私はそう言うと、一目散に走りだした。自分の家の方ではなく、元来た道――町の中心部への道を。

「おいおい、マジかよ、ヘタレんな」

 サイモンはそう言いながら、私たちに向かって、ナイフや手斧を投げつけてきたが、幸いにして当たらない。とはいえ、手斧が頭上数センチを飛んでいった時には肝が冷えたけれど。


 しばらく走って、私たちは、繁華街に出た。人通りでごった返していて、いくらあのサイモンでも、この場所で襲おうという気にはならないだろう。

 私は安心し、ぺたりと座り込んだ。直前まで興奮とアドレナリンに抑えられていた、安堵と敗北感の入り混じった感情が心の底からどっと吹き出し、なんともいえない気分になった。

「おウチには帰れそうもないわね」

「確かににゃ」

 直接襲ってこないとはいえ、サイモンが尾行している可能性はいくらでもある。迂回して帰ったとしても、家を突き止められてしまう恐れは十分にあるのだ。

「どうしたよ、不景気なツラしてしゃがみこんで」

 私は顔を上げて、声の主を見た。そこにいたのは一匹の巨大な大蛇であるうわばみ――甚六さんである。

「どうもこうもないわよ」

 私は、これまでに起こったことをひと通り話した。

「なるほど、ボブの予言が当たったってわけだ。そりゃ大変なこったな」

「これからどうしようかと思ってるところよ」

「俺の家に来るか?」

「甚六さんの家に?」

 私は少し迷った。さつきちゃんや卓造さんや権助さんに比べると、私はこのうわばみの人とそこまで親しいわけではない。せいぜいが飲み仲間の域を出ないのだ。しかし、言うことを聞く以外の道を思いつかなかった。うわばみの戦闘力は妖怪の中でも極めて高いし、もし巻き添えでサイモンに襲われても、命の危険に晒してしまうということはないだろう。

「お願いするわ」

 私は言った。


 甚六さんに連れられてたどりついた先は、一つの大きな洞窟だった。

「俺はガタイがでかいからこういう家の方が収まりがよくてな」

 中に通された。だだっぴろい空間が広がっている。中には冷蔵庫と酒壷、それに大きなちゃぶ台にテレビがあるだけだった。冷蔵庫とテレビがあるということは、天然洞窟のように見えて電気は通っているのだろう。

「さ、その辺りに寝な」

 私とにゃんぱちはそう勧められて、地面の柔らかな辺りにごろりと横になった。

 疲労と安心感に体と精神を支配され、私はたちまちに眠った――。

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