ノーブル・クラブ
結局のところ、ブラウニーのボブのところの清掃バイトは続けている。
今もそうだ。あるホテルの最上階にあるパーティー・ホールを掃除している。掃除のすぐ後に常連客のパーティーがあるから丹念にやってくれ、とは依頼人の言葉だった。ただ、ボブはそれには同意しつつ、仕事始めに私には、
「丁寧に素早くやれや」
と言った。
「無理言わないでよ」
丁寧と素早くなんて、完全に両立するようなもんじゃない。
「なら素早さ優先だ。客が来るまでいない方がいい」
「なんで?」
「お前のためだ。さっさと始めろ」
そう言うとボブは、無言でほうきを投げ渡した。だから私は、ボブに言われた通りに素早く掃除を行った。しかし、それほど広くもないとはいえ、パーティーホールの掃除である。大体を終わらすのに、三時間ばかりはかかった。
仕事が終わり、ホールの様子をひと通り点検してから、ボブは言った。
「もう終わりでええだろう。パーティーの奴らと顔をあわせない方がいい」
「なんなのよ、そのパーティーの奴らって。よっぽど会わない方がいい連中みたいだけど」
「……入り口の「ノーブル・クラブ様」って看板を見なかったのか?」
「見たけど、それがなに?」
「ああ、人間のお前は知らんのか、ノーブル・クラブってのは……」
ボブはそこまでしか言葉を言えなかった。ホールの入り口から聞こえてきた大きな声が、彼の言葉をさえぎったからだ。
「おやおや! まだ掃除をすませてないのかね、ノロマな掃除子鬼に毛なしザルくん!」
声の方を見ると、タキシードを着た一人の青年が立っていた。西洋人である。肩幅は広く、有り体に言うとマッチョだ。鼻筋も通っていて、アゴが出過ぎている以外は美形と言えた。が、どことなく高慢な雰囲気を漂わせている。
青年は、ずかずかとホールに入り込んできた。
「今帰るところですだ、旦那」
と、ボブは言った。わざとらしいぐらいに卑屈な物言いだった。
「なら、さっさとしてくれたまえ。せっかくの素晴らしい夜会の前に、君たちのような連中を視界に入れておくのは我慢がならないのだから」
「へえ」
ボブはぺこりと頭を下げる。
「ちょっと、そういう言い方はないでしょうが」
あまり腹が立ったので、私は言ったが、青年はこちらを向かずに、
「なにか不服かね、掃除婦くん」
あくまでもこちらに対等な態度を取るつもりはないらしい。
「パーティーの集合開始は午後六時半、今はまだ六時。本当なら掃除の時間はまだ終わっちゃいないのよ。そっちが勝手に早く来すぎてるだけじゃない。こっちが気を使って帰ろうってのに、そんな態度取られる筋合いはないわよ」
「ふーむ」
青年はつきだしたアゴをさする。
「君の物言いは杓子定規すぎる。私に対して君たちがそれぐらいの気遣いを持つのは当たり前のことなのだよ」
「なんでよ?」
「第一に私はこのホテルの客だ。君たちはそのホテルに雇われた掃除人だ。まずここに差がある。そして、もっと大事なことがある。生まれつきの高貴さだ」
「生まれつきの高貴さ?」
「私はヴァンピールでね」
と、青年は胸を張るように言った。
「ばんぴいる?」
「吸血鬼の貴種だ。この地球でもっとも誉れ高くもっとも優秀な生物さ。君たちのような下賎の子鬼や人間風情とは生き物としての格が違う」
「なーにが優秀な生き物よ」
この後に、「日光に当たれば死んじゃうような弱点だらけのオマヌケ生物のくせに」と続けようと思ったが、続かなかった。さつきちゃんやゴードンさんのことが頭をちらりとめぐったのだ。この場にいないとはいえ、知り合いのことを悪く言うようなことはちょっと気が引けた。が、もちろんそんなのは、相手の青年にとっては知ったこともない話だ。
「……試してみるかね?」
ヴァンピールの青年は、怒りのまなざしで私を見た。そして、続ける。
「下賎の民が貴族に逆らった時には、鞭打つことも必要だ」
そう言うと、ヴァンピールの青年は一瞬に大こうもりに姿を変え、私に向かって来襲した。もちろん、おとなしく噛まれるつもりはない。私はちょうど手元にあったほうきを盾代わりにし、その牙が私の身に刺さるのを直前に防いだ。
大こうもりの牙が私ではなく、ほうきに刺さる。ほうきを持った私と、大こうもりが組み合った格好になった。
無論、そのまま力比べをしては分が悪い。私は、大こうもりの局部を思い切り蹴った。
「うおっ!」
大こうもりは一瞬退き、また、青年に姿を変えた。
「人間にしてはやるじゃないか。しかし――」
そう言うと、ヴァンピールの青年は目を赤く光らせる。赤い視線が私と合った。私は慌てて視線をそらそうとするが、もう間に合わない。
「あ……」
ころん、とほうきを手から落とした。体中の力が抜けていく。
「さて。どう思い知らせてやるか」
もはや私の体は青年の掌中である。なにをされても抗うことは出来ない。
が、その時、一つの大声がホールをつんざいた。
「ジェームズくん! なにをやっとるのかね!」
聞き慣れた声だった。ジェームズは声の方を見、私から視線をそらす。同時に、私の体は自由を取り戻した。私もまた、声の方を見た。
声の主は、聞いた時に思った通り、ゴードン氏だった。ゴードン・トレットメント。例の夜間警備員を生業とする吸血鬼である。そのすぐ横に、娘であるさつきちゃんもいる。
「これはゴードンさん。なに、掃除人連中があまりに無礼ですのでね、少しばかり折檻を加えてやろうかと」
「魔眼を使ってなすがままにしようだなんて、ただの犯罪です」
こう言ったのは、さつきちゃんである。ゴードンさんが、私に近づいてきて言った。
「大変申し訳ない」
「はい……」
私は頭を抑えながら答えた。まだ吸血鬼の魔眼の影響が残っているようで、頭がズキズキする。
私は、ゴードンさんとさつきちゃん、それにボブに付き添われて、ホールを後にした。私たちのホールからの去り際、ジェームズが、
「これにこりて少しは身の程をわきまえたまえ」
と、大声で私に言った。
さつきちゃんたちに介添えをされた私は、ホテルのエレベーターを降りて、一階へ降りた。そして、一階ロビーにあるソファに座らされる。座らされるなり、ボブが、
「だから言わんこっちゃねえ!」
と、私を叱った。
「……悪かったわよ」
少なくともボブに対しては謝るしかない。私がこらえきれなかったことで、場合によってはボブも巻き込まれるところだったし、今回の騒動でホテルからも大目玉――下手をすれば契約打ち切りも免れないんだから。
「まあ、痛い目みて少しはこりたろ。気をつけろ」
「しかし一体、なにがあったんです?」
とゴードン氏が聞いた。ボブが大体を説明する。
「だからああいう人、大嫌いなんです」
とさつきちゃんがむくれる。ゴードン氏の方はえらく恐縮した感じで、私とボブに謝るばかりである。
「……別にゴードンさんが悪いわけじゃないからいいです。……でも、ノーブル・クラブってなんなの?」
「この近辺地方の吸血鬼が集まっての夜会ですよ。数ヶ月に一度行っているんです」
「ああいうのばっかなわけ?」
「全部が全部じゃありませんが……まあそれなりにはいます」
と、ゴードン氏がまた恐縮する。
「恐縮しなくていいですってば。でも、ゴードンさんやさつきちゃんって、ああいう連中とつきあうイメージなかったけどな」
「どうしてもその、古い縁みたいなものを切ると後が面倒でして……」
「……あなたたちも大変ね」
私は心中を察し、ため息をついた。そして、立ち上がる。
「もう大丈夫なんですか?」
と、さつきちゃんが言った。
「歩くくらいなら問題ないわ。それに、あんま長居したくもないし」
私は、掃除用具を持って歩き出す。そして、去り際にさつきちゃんに言った。
「この前さつきちゃんが言ってたこと、分かった気がするわ」
「……はい」
この前。三太が三角帽子の福音主義者に襲われた時に、さつきちゃんが言った台詞である。
「別に京子さんが謝ることじゃないです。ああいうのは人間に限らず――」
ともあれ、私のろくでもない日はこうして終わった。




