銀杏坊主ふたたび
にゃんぱちと商店街を歩いていると、向こうから嬉しそうに歩いてくる人影があった。死神の卓造さんである。なにやらウキウキとしていて、その手には本を一冊抱えていた。
「卓造さん、なにそれ?」
「あ、京子さん。これは非常に素晴らしい本なんですよ。銀杏和尚のすばらしい教えが書かれていまして、私もこれを読んで迷いを解こうと……」
「どこで手に入れたにゃ?」
「このちょっと先で路上説法と本の販売をされてましたよ。」
と卓造さんは今来た方向を指す。
「そこにあんにゃろめがいるってわけね」
私はすぐさま駆け出した。この前、五百円をネコババされた恨みがある。なんとしても返してもらわなければ。
少し駆けて行くと、卓造さんの言った通り、あの顔デカで黄色い肌の銀杏和尚が本を並べて座り込み、道行く人に説法をしている。
「悩むのは先ばかり見るからじゃ。幻影の己とのずれが己らを苦しめるのじゃ。目の前の己を生きることに「夢中」になることこそが生きることの要じゃわい」
と、この前に聞いたのと似たようなことを言っていて、通行人の中の人のよさそうな何人かが、和尚の言うことに耳を傾けていた。
ま、それはどうでもいい。私は、和尚の言葉をさえぎって言った。
「ご高説のところ悪いんだけどさ」
「おや、お主はこの前の」
「あんたに五百円盗まれた女の子よ。五百円返して!」
「……それで、あのあと悩みは解けたのかえ?」
と、私の勢いを削ぐように、和尚は問いをかけてきた。
「……なんでそんなこと聞くのよ」
「前に比べてマシな顔をしておる。多少は悟りに近づいたかと思うてな」
「あん時の問題については「あんた以外のおかげで」少しはマシな気分になったわ」
「なるほど、そう、意地を張るか。しかし女よ、よしんば、わし以外に聞いたおかげだとしても、きっかけがわしならば回り回ればわしのおかげと言えんかな」
「屁理屈はいいわよ。とにかく、あん時の五百円返して」
「かっかっか」
と、和尚は笑う。
「結構結構。しかしな、女」
「なに」
「悩むなぞという余計なことを覚えた生き物というのは、一度その癖がつくと、その癖から抜け出せぬものよ。一度やめたと思うてもな。たとえば、ほれ、あの死神じゃ」
「卓造さんのこと?」
「そう、この前にお主と一緒じゃった奴よ。あの死神、わしの説法を聞いて、わしの本を買い、わしの本を読み、それで悩みを脱したとひとときは思うじゃろう。しかしそれも数日のことよ。また数日で己の境遇に悩みだす。それが悲しきアホの定めよ」
「だからなんなのよ」
「それを忘れるには、どうすればいいかの?」
「あんたの理論だと、なんか目先に夢中になることを持てばいいんじゃにゃいかにゃ?」
と、いつのまにか追いついて来ていたにゃんぱちが言った。
「左様、左様。目先の「生きる」に懸命であれば、悩む暇が少しは減る。それが愚かなお主らの、少しは楽に生きるコツぞ。……と、いうわけであの五百円は預かっておく」
「なんでよ!」
「つまりお主はわしに会うたびに、あの五百円を気にかけるじゃろう。それがつまりは生きるということじゃ。めでたい、めでたい」
そう言って銀杏坊主は持っていた鐘をならした。たちまちに、その体も、並べていた本も消え失せる。通行人たちから驚きのどよめきがあがった
「……また煙にまかれたわ」
私がつぶやくと、
「本当にそうかにゃ?」
と、にゃんぱちが返す。
「あんたまであのインチキ坊主の肩を持つってわけ?」
「別にそういうわけでもないけどにゃー」
と、にゃんぱちは尻尾を振り振り歩き出した。
ったく。あのクソ坊主め、次に会った時は見てなさいよ、と思いながら、私も、歩を踏み出した。




