いきつけの床屋
「髪が伸びてきたんじゃにゃいか?」
ある朝、自室の鏡の前でくせ毛を直しているとにゃんぱちにそう言われた。そう言われて、自分でも鏡を凝視してみると、確かに、いい加減、伸びてきたとは思う。夏場でもあることだし、いい加減、感覚としてもうっとうしくはある。
「床屋、行こうかな」
「いつもんとこ?」
「別に変える理由もないし」
一度決めたら行動は早い。特に用もないので、すぐに出かけることにした。にゃんぱちも一緒である。
かかりつけの床屋「はさみん」は、私の家から三十分ばかり歩いたところにある、商店街の外れにある小さな店である。店員が店長一人しかいないので、小さいのも当然だった。火曜日でも特別休日でもなく、開いていたのでドアを開いた。カラコロとドアにかけられた鈴が鳴る。
「あーら、いらっしゃい」
と、甲高い男の声がした。店長の声である。
声の主は、シャツを着た妖怪「かみきり」である。鳥みたいな顔をして、両手がハサミになった妖怪だ。
「そろそろ、切ろうかと思ってね」
「普段より早いんじゃないの、来るの」
かみきり店長はそう言いながらも、散髪用椅子の後ろに座って手招きする。私は招かれるままに、椅子に向かって歩き、座りながら、
「夏場だしさ。いつもより早めに来たの」
「なるほどねえ」
店主は、ハサミの両手を器用に使いながら、私の体に前かけ布をぶわあとかける。
「……で、どうするの?」
「このまま全体を短くする感じで」
「あら、やーだ」
店主は首を振った。
「そーいうのはおしゃれを気にしてない男の子がやるもんよ」
「そんにゃんだからいつまでも彼氏できにゃいんだよ」
と、こっちが反撃できないと思って、待合椅子で青年漫画雑誌を読んでいるにゃんぱちまでもが口を挟む。
「なんか挑戦してみない? アタシの芸術的インスピレーションに任せてみるとか」
「いや、結構」
「そーお?」
この床屋、生来のかみきりだけあってそっちの腕の方は確かだが、「芸術的インスピレーション」には問題がある。以前任せてアフロカットにされた時には、伸びるまでのあいだ、どれだけひと目を避けて暮らすかに苦労したものだ。
「私は今のロングヘアが気に入ってるの。下手に変えないで」
と、ちょっと強めに釘を刺してやった。
「はいはい。京子ちゃん、もっとおしゃれすればもてると思うんだけどなあ」
「お世辞はやめてよ」
「お世辞じゃないわよお」
そう言いながらも、かみきり店主は手早くその「手」そのものをぱちぱちと動かし、私の髪を切り整えていく。流石に手とハサミが直結していると動きのなめらかさが違う。最近の人気理容師がかみきりで占められているのも当然というものだ。テレビで紹介されるカリスマ美容師や理容師もかみきりばっかりだもんね。もっとも、そのせいで人間の理容師との軋轢があって、業界は今もめているという話もある。どこにもその手の問題はあるもんだ。
そんなことを考えながら、かみきり店主のぱちん、ぱちんというリズムのいい音を聞いているうちに、私は眠りに落ちていた――。
「終わったわよ」
店主の一声で、私はうたた寝から目を覚ました。鏡を見る。今までのイメージを損ねない範囲で、しっかりさっぱりと散髪されていた。文句のない仕事だ。
「五千円になりますう」
私は言われるままに財布から出し、払った。
「はい、どうも」
店主は五千円札を受け取ると、ハサミでレジスターを器用に操作し、会計をすませた。あの巨大なハサミでレジスターどころかパソコンのキーボードまで器用に打ち込むのだから、一体どうなっているのかと思う。まあ、生まれつきのハサミの手の持ち主なのだから、私たちが見た目から想像するのとは比較にならないほど器用に動くのだろう。
ともあれ、会計をすませてしまえば長居する理由もない。
「じゃ、またね」
とだけ言って、店を出た。いつのまにやら、すぐ後ろに三人ばかり客が貯まっていたので、あまり長居する気もしなかったのだ。
そういうわけで、床屋にかかってさっぱりした。私は女だが、あまり、美容室は使わない主義である。




