年寄りがなつかしむ話
涼しい夜は、にゃんぱちを連れて、散歩する癖がある。今日も、日が沈んでから、公園を歩いている。近所の公園――というほど近所でもない。少しばかり遠出してみたのである。見慣れぬ夜の公園は、静まり返っていた。灯りは街灯と自動販売機ぐらい。ひとけもない。せいぜい、ベンチに一人の老人が座っているだけだ。
私は、なんとはなしにベンチの老人に近づいてみた。そして、その顔を見るなり、
「あら、こんばんは」
と声をかけてしまった。見覚えのある顔だったからだ。オリバーさんの握手会の時の行列で出くわした、和竜のじいさんである。もちろん、今は相手は人間の姿を取っている。あちらも、私のことに気づいたようで、
「こんばんは」
と返してくる。
「わしが倒れた後、お前さんが病院までつきそってくれたことは看護婦さんに聞いとる」
「能動的に、じゃないわよ」
「それでも礼は言わねばならんだろう」
「かもね」
「それで、オリバーとの握手はできたのかね」
「……出来たわけないじゃない」
と、私はためいきをついた。
「そりゃ悪かったな」
「大体、じいさんが嫌いな奴の行列に並ぶのが悪い」
「正論だが、ああいう奴らがちやほやされるのに気がすまん」
「老害精神全開もいいとこね」
「その通り……」
そう言って、竜のじいさんは遠い目をした。
「なによ、たそがれちゃって」
「昔のことを思い出した」
「江戸幕府があったくらい昔?」
「それも含まれる。要は――」
「要は?」
「わしが神様だった昔のことだ」
「え? 元は別の世界にいたの?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味よ」
「分かんにゃいかにゃあ、あんた」
と、口を挟んできたのはにゃんぱちだ。こいつは妖怪だけあって、私よりはこの手の話に詳しいのである。
「要は、地域の八百万の神として崇められてた時代のことを言ってるにゃ」
「ああ、なるほど」
そう言われれば、私にも分かる。要は日本各地で竜神信仰がマジに信じられていた頃、このじいさんも奉じられる「神様」の一人だったということなんだろう。
「そういうの相当いい気分でしょうね」
「もちろん」
「それが今じゃ、外国のドラゴンに嫉妬した挙句に私みたいな小娘とケンカして、病院送りのざまだもんね」
「あんた小娘じゃにゃいだろ……げふっ」
余計なことを言ったにゃんぱちに蹴りを入れてやった。
「ふふん」
じいさんは、立ち上がった。
「その通り。今のわしは単なる空飛ぶでかい希少種の生き物だ」
じいさんの体が光り、たちまちに、細長い、蛇のような竜の姿に変わる。
「なによ、変身なんかして」
「こ、この前の仕返しにゃらこっちのバカ女だけにしてくださいにゃ!」
相手が大きくなった途端に、にゃんぱちの態度がへいこらする。
「そういうわけじゃない」
そう言うと竜は、頭を差し出した。
「乗れ」
「あんたの頭に?」
「ああ」
私は言われるまま、竜の頭の上に乗った。ぶわあ、という音がした。竜はたちまちに上昇する。気づくと、能名市を遥か眼下に見下ろす上空に、私たちはいた。
「いい眺めだろう、女?」
「悪くないのは認めるわ」
実のところ、いい気分だ。
「昔はお前らには絶対に見られなかった景色だ。――今は違うがな」
そう言った竜の、声のトーンは低かった。
十分ばかり飛んで、公園に戻った。竜は、私たちを降ろすと、人間に戻る。
「ありがとう、気持よかったわ」
なんとなく、この程度のお礼は素直に言ってもいい気分になっていた。
「そりゃ結構」
と、竜はさびしげに言う。
「なんか不満なの?」
「不満はない。少なくともお前にはな。あるとすれば、時にさ」
「時?」
「時の流れにさ。お前が五百年前の人間なら、今の体験で感動の涙を流し、わしを崇め奉ったろうっていうことさ」
「……ああ。そういうこと」
「そういうことだ」
つまり、私がこのじいさんの空を飛ぶという行為に畏敬しないのが不満なのだ。しかし、それは私のせいじゃなくて、時代がそれを、人によって脅威ではなくしたせいだ。そのことをじいさん自身も分かってるから、不満があるのは私でなく、時なのだろう。
「じゃあな」
そう言って、竜のじいさんは立ち去ろうとした。
「ねえ、名前だけ教えてよ」
「タツ、だ。この辺の年寄り妖怪の間じゃそれで通る。……お前は?」
「千本橋京子よ」
「忘れなければ覚えとこう」
そう言って、じいさんは本当に立ち去った。
公園に残された私は、にゃんぱちに言った。
「時代の移り変わりって残酷よねえ」
「そうかもにゃー」
昔は神様、今はただの希少動物。それがどんな気分なのかはよく分からないが、少なくとも愉快でないことだけは想像がつく。
「ところで、あんたはどうなのよ。そういう昔はよかった的な感情ってある?」
「ぼくは妖怪としちゃ若い方だから別ににゃ」
「あっそ」
その後、公園をしばらく散歩して、帰った。




