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第三部第九話:聖なる抱擁、硝煙の果ての安息

第三部第九話:聖なる抱擁、硝煙の果ての安息


大教会の礼拝堂には、ステンドグラスから差し込む柔らかな光が満ちていた。

その中央、白銀の法衣を美しく揺らしながら、地王母リーヴィスが信者たちへと穏やかに語りかけていた。

彼女の前に集ったのは、かつて争い傷つき合った人間や亜人、混血の者たち――いまや地王教の敬虔な信徒となった人々である。

「皆さん、大地から湧き上がる私たちの『地王力』は、神から与えられた罰でも、魔王から授かった呪いでもありません。

それは、私たちの内にある『無限の愛』、そして『無償の愛』から紡ぎ出される光なのです」

リーヴィスの鈴を転がすような、しかし凛とした声が天井の高いドームに反響する。そのエメラルドグリーンの瞳には、一切の偏見も澱みもない、ただただ民を慈しむ絶対的な光が宿っていた。

「聖なる天上の者も、不浄な闇の者も、本来は等しく愛し合うことができるはずです。いや、愛し合わねばなりません。かつての過ちを過ちとして切り捨てるのではなく、罪を赦し、迷える者を正しい愛へと導くこと。それこそが、私たちが歩むべき『地王界』の真の道なのです。……どうか憎しみを忘れ、誰かを愛することを学んでください。大地がすべての死を受け入れ、新たな命を育むように」

説法が終わり、感極まった信者たちが一斉に床に平伏する。

礼拝堂を包むのは、静かな嗚咽と感動の吐息だった。

リーヴィスは聖者の座からゆっくりと降りると、泥に汚れた亜人の手も、震える人間の老人の手も、自らの白い手で優しく包み込み、一人一人を丁寧に立たせていった。彼女の手が触れるたび、信者たちの顔には救いを得た感動の涙が浮かび、まるで本物の女神を仰ぎ見るかのような純粋な信仰の眼差しを向けていた。

その光景を、礼拝堂の暗い最後尾の柱の影から、一人の男がじっと見つめていた。

漆黒の外套に身を包み、腰に凶禍の剣を帯びた大地王レイス。

血生臭い戦場を支配してきた彼は、民から「グランバード(大地王)」と畏怖を込めて呼ばれている。

だが、人々の魂を救い、この混沌とした世界に真の秩序をもたらしているリーヴィスの姿を見て、レイスは胸の奥で静かに思っていた。

(……本当に『グランバード』と呼ばれるに相応しいのは、俺なんかじゃなく、あいつの方だな...)


儀式を終えたリーヴィスが控えの間の扉を開けた瞬間、そこに佇む夫の姿を見て、彼女の聖者としての仮面は一瞬で崩れ去った。

「――レイス……っ!」

駆け寄ったリーヴィスは、レイスの逞しい胸へと激しく飛び込んだ。

戦場で凝り固まった彼の漆黒の外套を、細い両腕で壊れそうなほど強く抱きしめる。その姿は、民を導く地王母などではなく、ただ愛する男の帰りを待ちわびていた「一人の少女」そのものであった。

「久しぶりだな、リーヴィス。無茶はしてねえだろうな」

「お帰りなさいませ、あなた……。私は、私はずっとあなたを信じて、お待ちしておりました」

レイスの胸に顔を埋め、安堵の涙を滲ませるリーヴィス。

その白銀の法衣の裾を、小さな、しかし力強い手がぎゅっと握りしめていた。

レイスが視線を落とすと、そこにはレイスの面影を色濃く残した、深緑の瞳の幼子――彼の実の息子であるアレスが、緊張した面持ちで立っていた。

「父上……お帰りなさい、ませ……」

小さな身体を強張らせ、憧れと少しの怯えが混ざった瞳で自分を見上げてくる我が子。

レイスは一瞬、戸惑うように視線を泳がせた。

戦場での敵の殺気なら一瞬で読める男が、どうしていいか分からず、武骨な大きな手をアレスの頭へと乗せ、ゴシゴシと乱暴に、しかし不器用な優しさを込めて撫で回した。

「おう……。留守の間に、随分と大きくなったな、アレス」

「う、うん……!」

頭を撫でられ、嬉しそうに小さな顔を綻ばせるアレス。

その二人の不器用なやり取りを、リーヴィスは涙の浮かんだ瞳のまま、世界で最も愛しいものを見るかのように優しく見守っていた。


その夜、大教会の奥にあるプライベートな寝室で、二人はようやく訪れた「憩いの時間」に身を浸していた。

南部の遠征が始まってからの、実に四年の歳月。

思い返せばレイスのこれまでの人生において、本当の意味で心が休まる時間など、ただの一度でもあっただろうか。

幼い頃から泥に塗れて戦乱の荒野を駆け巡り、人間を家畜としか思わない魔王族に従い、常に死と隣り合わせの地獄を生きてきた。

そんな泥沼の絶望から、自分の魂を引き上げ、男としての、そして人としての生を与えてくれたのが、このリーヴィスという存在だった。

レイスは彼女を、文字通り心から、魂の底から愛していた。

ベッドの傍ら、部屋を満たすランプの仄かな灯りの中で、リーヴィスはレイスの腕に抱かれながら、アレスがこの数年でどんな言葉を覚え、どれほど活発に成長したかを、楽しそうに、語って聞かせていた。

「俺の旅路の方は、どれも血生臭い話ばかりだからな。お前さんやアレスに、喜んで聞かせるような綺麗な話が一つもないのが、つくづく情けないぜ」

レイスは自嘲気味に笑い、リーヴィスの柔らかな金髪を大きな指先で愛おしそうに梳いた。

「そんなこと、おっしゃらないでください……。何でも構いませんわ。血生臭いお話でも、過酷な旅のお話でも……それがあなたの歩んできた軌跡なら、私は何でも、すべてを知りたいのです」

リーヴィスはレイスの武骨で傷だらけの掌を、自らの両手でそっと包み込み、自らの頬へと押し当てた。

その温もりに、レイスの硬かった表情が、柔らかく融けていく。

二人の間には、いつの間にか話し疲れて眠ってしまったアレスが、すやすやと小さな、しかし確かな寝息を立てて横たわっていた。

窓の外には、地王界の穏やかな星空が広がっている。

外の世界には未だ数多くの火種が燻っているかもしれない。

それでも今、この瞬間だけは、戦鬼グランバード・レイスにとって、生涯で最も優しく、最も美しい、かけがえのない安息の夜であった。

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