第三部第十話:王座の重圧、親子の背中
第三部第十話:王座の重圧、親子の背中
ミレトー王国の王宮、高大な天井を擁する玉座の間。
レイスは冷徹なまでの厳粛さをもって、覇王アレクサンダーの前に片膝を突き、深く頭を垂れていた。
南方の遠征を終え、魔王族の残党をあらかた排除したという報告が、粛々とレイスの口から紡がれる。
「――大義であった、レイス」
玉座に深く腰掛けたアレクサンダーは満足げに頷いたが、その彫りの深い、歴戦の傷跡が残る顔には、拭いきれぬ暗雲が影を落としていた。
南方の脅威が去ったのも束の間、ミレトーの東方では今、別界の超越者たちが不穏な動きを見せていたのだ。
天空を駆ける竜王族が猛威を振るい始め、さらには幽世の底から這い出た冥王族の悍ましき軍勢が、このミレトーを目指して進軍を開始したという凶報が届いたばかりであった。
「東方の冥王族の件であれば、ブルド卿にあたらせましょう。……彼の手にある『冥王玉』を、そろそろ手放すにいい頃合いだと思われます」
レイスの進言に、アレクサンダーは鋭い眼光を向ける。
「ブルド卿。その方はどう思う?異論はあろうか?」
「冥王族の正統なる血を引く我が父、シャルカナ王に冥王玉を献上いたしとうございます」
レイスの背後で、控えていたブルドが静かに一歩進み出て、老成した深い声で答えた。
「うむ。シャルカナ王は……冥王玉の果てなき死の力を託すに相応しい、器を持った人物であるか?」
「御意。冥王界の広大なる闇において、他にあれを御し得るものはおりますまい」
ブルドの濁りのない、すべてを見通すかのような瞳を見据え、アレクサンダーは短く息を吐いた。
「では、ブルド卿。その仕分け、お主に任せるとしよう」
謁見は終始、一糸乱れぬ緊張感の中で進行し、やがて他の重臣たちと共に、二人は謁見の間を後にした。
その後、レイスは王宮の奥深くにある別室へと呼び出されていた。
重い鉄の扉が閉ざされ、部屋にはアレクサンダーとレイス、親子二人だけの空間が広がる。
しかし、久方ぶりの再会であるにもかかわらず、二人の間に流れる会話は、戦況の分析や政治的駆引きといった乾いたものばかりであった。
生来の不器用さと、互いが背負う「王」としての重圧が、血の通った親子らしい言葉を遮っているのだ。
「レイス。お前の持つその『地王玉』で……あのテルセイの魔王族どもを完全に滅ぼすことはできるのか?」
アレクサンダーが窓外の景色を見つめたまま、低く、押し殺したような声で訊ねた。大国ミレトーは「中立」を宣言しているが、かつて最愛の肉親を奪われたアレクサンダーの胸中には、魔王族に対する消し去れぬ激しい憎悪の炎が燻り続けていた。
「正直なところ、難しいだろうな。やっとのことで対等に渡り合える……今の地王力を以てして、それが限界だ」
レイスは無造作に肩をすくめてみせた。
「フン……。テルセイ魔導帝国には、続々と各地から強力な魔王や魔獣が集結していると聞く。一瞬の油断も許されん状況だな」
「ああ。ネヴェルの魔王玉を奪い取り、リディアの天王玉の光で根こそぎ滅ぼす。本来なら、それしかねえ」
アレクサンダーは机の上の地図へ視線を落とした。
「うむ。しかし、今は天王界と魔王界の力が拮抗しているように見えても、いつそのバランスが崩れるとも限らん」
「だからこそ、今のうちに他の王玉……海王玉や冥王玉を、相応しい正統の王族に手放してしまわなければならねえのさ。いつ誰が、ネヴェルの圧倒的な力に恐れをなしてあいつ側に付くか分からねえからな。」
「ふっ……。ならば、この地王玉が俺たちの手元にある分だけ、我らが有利というわけか」
「……だと、いいんだがな……」
レイスの表情は晴れなかった。
ネヴェラードが遺した本来の道筋は、魔王族に魔王玉を引き渡し、地王界から大人しく退去していただくこと。
しかし今、この世界に侵入してきている魔王族は、ことごとくネヴェルの絶大な魔王力と狡猾な手腕によって支配下に置かれ、一つの軍勢と化していた。
魔王族の数が増大すれば、その信仰と呪詛により、魔王玉の出力もまた爆発的に増大する。
それゆえに、イスキス地方を守護するリディアの天王玉は、じわじわと圧され気味になりつつあった。
実のところ、「拮抗している」というのはレイスたちの希望的観測に過ぎない。ネヴェルは未だその力を完全に解放せず、面白がるように調整しているのだ。
余力を残したネヴェルと、全力で天王玉を操り、疲弊していくリディア。
その天上の光が尽き果てた時、凶悪な魔王族の軍勢は津波となってイスキス地方へ、そしてこのミレトーへ雪崩れを打って押し寄せるだろう。
その暗い未来の明暗を分けるのは、地王族の命運を握る「地王玉」の存在をおいて他にない。
「――親父殿。お前さんは、これが欲しくないのか?」
唐突に、レイスは懐から黄金の輝きを放つ地王玉を取り出し、アレクサンダーの目の前に差し出した。
「欲しいともさ。喉から手が出るほどにな」
アレクサンダーは自嘲気味に笑い、息子の手の中にある至宝を愛おしそうに見つめた。
「だが、俺は欲に弱い男だ。こんな絶対の力が手に入れば、地王界の全土を力で武力掌握しなければ気が済まなくなるだろう。お前のように、人間も亜人も関係なく『ひとつの民族』として独立させ、共存させようなどという大それた思想は持てんさ。レイス……お前こそが、この大地の王、『地王』を名乗るのに最も相応しい」
数年前、初めてこの地王玉を目にした時、アレクサンダーは老いと絶望から一時的にその覇気を失っていた。
その時は地王玉をその手にしようとは微塵にも思わなかった。
だが、目の前にいる今の親父は違った。
息子が背負う覚悟に触発されたのか、かつて大陸全土を震え上がらせた覇王の覇気と凄まじい力が、その肉体からみなぎり溢れんばかりに復活していた。
「そうかな。案外、親父殿の言う通り、力でへし折って従わせる方が正解やも知れないぜ」
レイスは微笑んだ。
異なる種族の根深い確執が、簡単に相容れないものであることは、これまでの旅で嫌というほど知っている。
だからこそ、自分がその痛みを引き受ける「調停者」にならなければならないことも。
だが、その前に、まずは地王界の平穏を脅かす他王族を完全に排除することに身を粉にしなければならない。
レイスは、目の前の大きな、少しだけ小さくなった親父の背中を見つめた。
過酷な運命の中で、自分を息子として、戦士として認めてくれたこの男に、どうしても伝えておきたい言葉があった。
「親父殿……」
「むう? なんだ、レイス」
アレクサンダーが怪訝そうに振り返る。
「……いや。何でもねえよ」
レイスはふっと視線を外すと、口にしかけた言葉を、わざと忘却の彼方へと追いやった。
今さら口にするには、あまりに照れ臭い、一人の息子としての感謝の言葉であったろうと思う。
そんな息子の心中を察したのか、アレクサンダーは「ハハハ!」と豪快に、ニカッと白い歯を見せて笑った。
そして、大きな腕でレイスの逞しい肩をがっしりと抱き寄せると、これからの果て無き戦路へ向けて、親子で力強く決意を新たにするのであった。
地王暦六年のことである。




