第三部第十七話:血塗られた純白、狂気の覚醒
第三部第十七話:血塗られた純白、狂気の覚醒
「――私を出来損ないの半魔王族と呼び、散々蔑んできた傲慢な魔王族どもを、一匹残らず効率よく滅ぼす。その一点のために、随分と長い時間をかけたものさ」
極光に包まれる漆黒の塔の最上階。
ネヴェルは蝙蝠の翼を静かに羽ばたかせながら、陶酔したような笑みを浮かべていた。
その切れ長の瞳には、自らの同胞を罠に嵌め、一瞬で消し去ったことへの罪悪感など微塵もなく、ただ冷酷な復讐の充足感だけが満ちていた。
空中へ映し出されたスクリーンの向こう、純白の翼を広げた聖女リディアもまた、冷徹極まる美貌に微かな微笑を湛えていた。
「魔王族の絶滅、そして天王界への回帰。我らの利害が完全に一致した以上、手を組んだまでです。……これですべての障害は消え去りましたわ」
二人の不敵な共謀が完成した、まさにその刹那――。
イスキスの塔に立つリディアの背後の空間が、ガラスが割れるような凄まじい音を立てて引き裂かれた。
そこから溢れ出したのは、これまでの天王力を遥かに凌駕する、暴力的なまでの神聖なる光。
光の裂け目から現れたのは、純白の翼を背に宿し、燃えるような双眸を持つ超越者――天王界の絶対者、大天使セレシオンであった。
その威圧感は圧倒的であり、彼がそこに存在するだけで大気が軋み、空間が歪む。
『――天王玉を我が手に。よくぞここまで大役を果たした、我が忠実なる地上の僕よ』
セレシオンは、地上の生命を路傍の石ころほどにも思っていない、さも当たり前のような傲慢さで、リディアに向けてその大いなる手を差し出した。
「偉大なるセレシオン様……。どうか、私めを天王族の末席にお加えください……」
リディアは恍惚とした表情でその場に深く跪き、自らの命そのものであった天王玉を、両手で恭しく差し出した。
神の使徒の手に至宝が渡る。
セレシオンは手に入れた天王玉の重みを確かめるように見つめると――次の瞬間、感情の失せた酷薄な瞳で、跪くリディアを冷酷に見下ろした。
黄金の閃光が走る。
セレシオンの手から放たれた無慈悲な光の刃が、リディアの華奢な肉体を、その純白の翼ごと一瞬で無残に引き裂いた。
「が、はっ……あ、セレ……さま……?」
信じられないというように血の涙を流し、崩れ落ちていくリディア。
セレシオンは、指先に付いた血を忌々しそうに振り払いながら、氷のように冷たい視線を、スクリーンの向こうで硬直しているネヴェルへと向けた。
『汚れた下界の虫ケラが……神聖なる天王族の血に連なろうなどと、図々しいにも程があるわ』
「おおおっ……! リディアーーーーッ!!」
漆黒の塔の最上階に、裂帛の、そして魂を掻きむしるような悲鳴が響き渡った。
ネヴェルの美しい顔が、これまでにないほど激しい絶望と怒りによって凄惨に歪んでいく。
彼は単に利害でリディアと組んでいたのではない。
夜ごとの夢の対話の中で、彼は確かに、天上の気高き光であるリディアを、狂おしいほどに「真に愛して」いたのだ。
自らの半身を、その未来を無惨に殺された若き魔王の胸中で、何かが完全に弾け飛んだ。
「貴様ァッ! 許さん、絶対に許さんぞ……! 神の眷属ごと、その傲慢な世界を根こそぎ消し去ってやるッ!」
ネヴェルは怒号とともに、先ほど封印したばかりの「魔王玉」を再び自身の肉体へと無理やり引き込んだ。
ドクン、と不気味な脈動が塔全体を震わせる。リディアを失った底知れぬ憎悪と殺意に呼応し、魔王玉はかつてないほどの赤黒い狂気の魔王力を噴出させ始めた。
その波動はドス黒い嵐となって最上階に吹き荒れ、壁を砕き、天を割る。
「よせ、ネヴェル! それ以上魔王力を暴走させるな! 世界中の全人類が狂って魔王族化しちまうぞッ!」
レイスは叫び、すかさず前に飛び出したが、もはや理性を失い狂獣と化したネヴェルの耳には、いかなる制止の言葉も届いていなかった。
ネヴェルの双眸は完全に血の赤に染まり、全身から吹き出す闇の触手が、世界そのものを侵食せんと広がり始めている。
「――リーヴィス、ブルド、俺を支えろッ!」
レイスは奥歯を噛み締め、懐から「地王玉」を掲げた。深緑の大地の力がレイスを中心に展開され、ドス黒い魔王力の嵐を中和せんと真っ向から激突する。
ドゴォォォォォンッ!!
深緑の光と赤黒い闇がぶつかり合い、漆黒の塔の最上階が激しく爆散していく。
レイスの背後で、リーヴィスが聖なる地王力を、ブルドが冥王力の障壁を張り、ネヴェルの圧倒的な破壊の波形を必死に押し留めていた。二つの王玉の力が拮抗し、空間に凄まじい衝撃波の歪みが生じる。
ネヴェルとレイス、二人の王が放つ絶大なエネルギーが正面から衝突し、閃光と爆風が周囲の視界を白く染め上げる。
その一瞬の隙――神々の領域の戦いに生じた、ほんのわずかな死角を、地を這う一人の「戦士」が見逃すはずはなかった。
「ウオォォォォォッ!! その首、もらったぁぁぁっ魔王のガキがぁッ!!」
爆煙を切り裂き、背面から躍り出たのは、狂暴な褐色の肌を血に染めたゴブリンの将、ゴビンゴであった。
彼はネヴェルが放つ凄まじい威圧感に肉体を焼き切られそうになりながらも、その圧倒的な跳躍力で空中へと舞い上がり、愛用の巨大な戦斧を渾身の力で振り下ろした。
ガキィィィィィンッ!!
肉が裂け、骨が砕ける悍ましい音が響く。
無防備だったネヴェルの背中、あの巨大な蝙蝠の翼の付け根から斜めにかけて、ゴビンゴの無慈悲な一撃が深く、激しく引き裂いた。どす黒い魔王の血が激しく飛散し、ネヴェルの凄まじい魔王力の制御が、一瞬にして大きく乱れる。
「――ぐ、あぁぁッ! 虫ケラが……ッ!」
背後からの手痛い一撃にネヴェルが仰け反る。
天王玉を手にした大天使セレシオンその光景に一縷の興味もなく天王界に去っていった。




