第三部第十六話:終焉の共謀、神殺しの道化
第三部第十六話:終焉の共謀、神殺しの道化
テルセイ魔導帝国の荒野は、ひび割れた赤黒い大地が果てしなく広がる死の世界であった。その荒野を、凄まじい風を巻き起こしながら駆ける六騎の軍馬。
大地王レイスを筆頭とする一行は、行く手を阻むように次々と襲い来る魔王族の伏兵どもを容赦なく蹴散らし、遥か地平にそびえ立つ、魔王ネヴェルの居城「漆黒の塔」を目指して驀進していた。
並の魔王族であれば、ミュロンの肉体に深く潜む魔王母メルフェレーンの底知れぬ邪気を感じ取り、本能的な恐怖に震えて蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
しかし、凶暴さゆえに感覚の鈍った一部の魔獣や下位の魔王族どもは、その圧倒的な格の違いに気づかぬまま、飢えた獣のように一行へと躍りかかった。
「そこを退けいッ!」
レイスの漆黒の剣が閃き、ブルドの錫杖が唸りをあげる。
バルトの斧が魔獣の骨を砕き、ゴビンゴの巨大な戦斧が群がるコボルトの肉を両断する。
彼らの圧倒的な武力の前には、いかなる伏兵も一溜まりもなく打ち取られていった。
だが、漆黒の塔がその禍々しい全貌を現したその時、突如として天を揺るがすような異変が世界を襲った。
ズウゥゥゥン……!
大気が凍りつくような感覚。
レイスたちは、イスキス地方から世界を支えていた聖なる「天王力」の気配が、完全に消失したことを肌で感じ取った。
――刹那、世界を覆い尽くすほどの、爆発的に増大した魔王力の波動が世界を支配した。
それは巨大な闇の津波となってレイスたちを飲み込み、その精神の奥底へとドス黒い呪詛を流し込んできた。
「う、ぐあぁぁッ……! 頭が、頭が割れるッ!」
「おうッ……! 身体の、芯が……熱い……ッ!」
凄まじい魔王力の濁流に直撃され、ゴビンゴとバルトが同時に絶叫をあげた。
二人の肌がバラバラとひび割れ、そこから赤黒い魔紋が浮かび上がる。
理性を失い、凶悪な「魔王族」へと強制的に変貌させられようとする変異の苦しみ。二人の眼球が血の色に染まり、理性の灯が消えかけたその瞬間――。
「正気に戻れ、二人ともッ!」
レイスが懐から「地王玉」を高く掲げた。黄金の地王力が眩い障壁となって二人を包み込み、濁った魔王の呪いを一瞬で霧散させる。
ハッと我に返り、激しく息を吐くゴビンゴとバルト。
「ふぅ、危ないところだったぜ、大将! あいつの呪いはちっとばかり強烈すぎる!」
「――ッ!? お前、今、喋ったのか……!?」
レイスは、自らが手綱を握る漆黒の愛馬「アクセル」を見下ろし、驚愕に目を見開いた。
「おお、大将! 俺の言葉が解るのかい? いやぁ、驚いたな!」
アクセルは、あまりにも濃厚な魔王力の影響を受け、肉体が魔王族化してしまっていたのだ。その蹄からは青白い炎が立ち昇り、瞳には知性の光が宿っている。しかし、レイスが放ち続ける地王力の加護のおかげで、主への絶対的な忠誠心と理性は寸分も狂っていなかった。
「ふっ、頼もしい相棒だ。さあ、先へ急ごう! このままネヴェルを止めなければ、世界中の人間が魔王族化しちまい兼ねねえ!」
レイスが手綱を強く握り直すと、アクセルは不敵に嘶いた。
「おうよ! 今の俺なら、地を駆けるだけじゃねえ、空だって飛んでやらぁ!」
極限まで加速したアクセルを先頭に、一行は漆黒の塔の城門へと肉薄した。
押し寄せる数千の衛兵たちに対し、レイスの地王力、ミュロン(メルフェレーン)の魔王力、ブルドの冥王力、あるいはリーヴィスの天王力の輝きが炸裂する。
四つの異なる王の力が合わさり、前方を阻む衛兵の群れを文字通り紙切れのように吹き飛ばした。
「ここは俺が食い止める! お前たちは先へ行けぃッ!」
塔の入り口に到達した瞬間、戦士バルトが愛斧を構え、その頑丈な肉体で狭い大扉の通路を完全に塞いだ。
「バルト!」
「お頭! 俺はこれでも、荒野の鉄壁と呼ばれた男だぜ。この生臭いコボルトどもを一歩も中へは通さんぜ!」
バルトの決死の覚悟を背に受け、レイス、リーヴィス、ブルド、ゴビンゴそして不気味な笑みを浮かべるミュロンの五人は、塔の螺旋階段を猛然と駆け上っていった。
最上階の重厚な扉を蹴破ったレイスたちの目に飛び込んできたのは、異形の大魔王へと変貌を遂げたネヴェルの姿であった。
その背中からは、夜の闇を切り裂くような巨大な蝙蝠の翼が生え、手元には禍々しく黒光りする「魔王玉」が鎮座している。
その容姿は美しくも悍ましく、絶対的な支配者の風格を湛えていた。
「もうよせ、ネヴェル!」
レイスが漆黒の剣を突きつける。
「――ククク、ははは! 良いところに来たね、大地王レイス。今まさに、この世界で最も最高で、最も残酷な『ショウ』をお見せしようと思っていたところさ!」
ネヴェルが両手を優雅に広げると、空間の魔力が歪み、イスキス地方とテルセイの境界線のリアルタイムの映像が空中へ映し出された。
そこには、天王力が消え去ったイスキスの街へと、飢えた魔王族の軍勢が津波のように雪崩れ込み、人間を蹂躙していく絶望の光景が広がっていた。
ネヴェルは狂気の哄笑をあげ、勝利を叫んだ。――だが、その直後だった。
ネヴェルの口元が、歪な「演技」を終えた役者のように、冷酷な歓喜の笑みへと変わった。
――フッ、と魔王玉からすべての魔王力が完全に消失した。
「な……に……っ!?」
レイスが驚愕の声をもらす。
ネヴェルが狂わせたはずの、蹂躙されていたはずのイスキスの映像――その中心に立つ天王母リディアの瞳には、絶望など微塵も浮かんでいなかった。
あるのは、すべてを織り込み済みであったかのような、冷徹なまでの「神聖なる意志」である。
五年に及ぶ淫らな夢の結末。
それはリディアを屈服させるものではなく、二人が密かに「魔王族という種族そのものをこの世から根絶やしにする」ために結託し、綿密に仕組んだ、世界を欺く壮大な芝居だったのだ。
ネヴェルは最初から、自らの種族である魔王族を生かす気など毛頭なかった。
彼らはあまりに強大で、傲慢で、放置すれば世界を食い尽くす害悪。
だからこそ、敢えて「天王力が消え、勝機が訪れた」と魔王族どもに錯覚させ、国内外の隠密に至るまで、その全勢力をイスキスの地へと一堂に誘い出させたのである。
「――大義であった、我が愛しき魔王よ」
空中へ映し出された映像の向こう。リディアの背中から、目も眩むほどに美しい「純白の翼」が大きく、力強く広がった。それは、ネヴェルという最高の理解者(共犯者)を得て、欺瞞の闇を破り、真の神聖へと完全覚醒した究極の姿。
リディアは自身の命そのもの、全身全霊の天王力を天王玉へと一気に注ぎ込んだ。
ドゴォォォォォンッ!!
魔王玉の力が底を突いた瞬間、イスキスの聖なる塔から放たれた天上の極光は、罠にかかったとも知らずに密集していた魔王族の軍勢を一瞬にして跡形もなく蒸発させた。
光はそのままの勢いでテルセイ全土の暗雲を消し飛ばし、この漆黒の塔の最上階までも真っ直ぐに突き抜けていく。
「これですべての害悪は消え去る……。さあ、始めましょう、ネヴェル」
光の渦の向こうで、純白の翼を羽ばたかせるリディアと、蝙蝠の翼を広げて不敵に笑うネヴェル。天と魔の二大巨頭による、世界の再構築が終結の時を迎えた。




