06 王子にタックルしたら影の聖女(ただのワックスの香り)にされました
お昼のノアの「首コテン(尊さの極み)」で限界オタクとしてのMPを完全回復した私は、夕方、工具箱から拝借したスパナをスカートのポケットに隠し持ち、夜会会場のホールへと向かっていた。
定時退勤(生存)ミッション、最後の残業。――シャンデリアのネジの緩みチェックだ。
本来のゲームなら、ここでヒロインがレオンハルトを助ける。
そしてその活躍が、フランチェスカの立場をさらに悪くしてしまうのだ。
(――だから、そのイベントごと潰す!)
足を早めながら、ホールの手前の廊下に差し掛かった瞬間、不意に私の視界の端がバリバリと激しく乱れ始めた。
(うわっ、画面の乱れ(砂嵐)が過去最高にヤバい! 電波障害!?……いや、この圧倒的な漆黒のオーラは――!)
私は反射的に近くの彫刻の影へと身を隠した。
直後、カツ、カツ、と冷徹な足音を響かせて現れたのは、五つ星イケメン副生徒会長兼・聖騎士のセドリックだった。
今日もきっちり4K高画質だが、その背後に渦巻くヤンデレ暗黒オーラが強すぎて、付き従う騎士たちが生まれたての子鹿のように震えている。
「ホールの天井裏から床下まで、一切の不審物を許しません。テロリストのボス……見つけ次第、僕が直接『お話』を伺います」
(ヒエッ……! 手にスパナ持ってる私が今見つかったら即、国家反逆罪で一発アウトのやつじゃん! しかもテロリストって何!? このままじゃ天井裏に行けない……)
セドリック率いるガチの警戒網のせいで、事前にネジを締める平和的解決ルートは秒で封鎖された。
こうなっては仕方ない。レオンハルトがここを通る時間を物理的に遅らせるプランBに変更だ。いや、Cだったかも。
(ふっ……社畜は手札をいくつも用意するもの……)
私はセドリックたちが去ったのを見計らい、すっくと立ち上がる。
そして、隠し持っていた清掃用の最高級仕上げワックス(フローラルの香り)を取り出し――思い切り床にぶちまけた。
私はNPC清掃員の動きを完コピし、超高速技術で廊下の一角を「摩擦係数ゼロの超絶つるつるデス・ロード」へと変貌させた。
「ぜぇ……はぁ……よし、これで王子が足を滑らせてコントみたいに転べば、5分はタイムロスが稼げるはず!」
肩で息をしながらツヤツヤの廊下を見ていると、私の涙ぐましい努力の特設ステージへ、ついにレオンハルトが騎士たちを引き連れて歩いてきた。
私はサッとNPC清掃員モードに入り、彫刻を磨きながら様子を見る。
(来た来た来たっ!)
カツ、カツ、と王子がトラップへと近づく。
あと3歩、あと2歩――。
「――殿下、止まってください」
突如、鋭い声で王子を制したのは、先ほど巡回を終えたはずのセドリックだった。
彼は私が命を削って磨いたつるつるエリアをじっと睨みつけている。
「……この妙に甘い香り……ワックスか? 不自然に滑る。――チッ、やはりあのテロリストのボス、このルートに卑劣な罠を仕掛けて僕たちを足止めする気です」
(いやただのワックス掛けだよ! あと今、チッって言ったな聖職者!!)
「殿下。ここは安全に見える罠です。最短ルートを使いましょう」
「最短?」
「はい。敵が最も警戒しない直進経路です。私が先導致します」
(それホールのど真ん中なんだけどーー!!)
「ふっ……先導など必要ない」
レオンハルトは獰猛な笑みを浮かべると、私の渾身のつるつる床を超人的な体幹と獣じみたバランス感覚で、危なげなく堂々と進んでいく。
「流石、殿下です」
セドリックはレオンハルトの不敵な笑みに主君としても幼馴染としても信頼し合っている顔で、笑みを浮かべた。
(信頼するズッ友……尊い……じゃない!! このままじゃレオ様脳天カチ割りルートだよ!!)
その時。ホールの天井から、ギギギ……と不穏な金属の摩擦音が響いた。シャンデリアのネジが、限界を迎えたのだ。見上げる王子の真上に、巨大な光の凶器が揺れる。
(ああもうクソ喰らえ! 有給も定時退勤も全部まとめて持ってけドロボーーー!!)
私は持っていた掃除用具を放り出すと、やけくそになりながら床を蹴った。目指すは、合理的に死に急ぐ超高画質4K王子の背中。
「うわっ……床すべっ……止まらな……っっ!」
――ガガァンッ!!!
天井の固定具が完全に弾け飛び、数トンのガラスの塊が自由落下を始めた。
「殿下――っ!?」
セドリックが上空の異変に気づき、剣を抜こうとした。だが、それでは絶対に間に合わない。
その刹那、滑る床で重力加速度のついた私は、レオンハルトの腰に、ラグビーのプロ顔負けの全力スライディングタックルをぶちかました。
「うおっ!?」
重力に従って床に転がる王子。私も勢い余って、そのまま王子の体を押し倒すような形で床をゴロゴロと転がった。
――直後
ズガァァァァァンッ!!!!!
鼓膜を破壊せんばかりの轟音と共に、シャンデリアが床に激突し、無数のガラス破片が四方に炸裂した。
あとコンマ1秒遅れていたら、王子は確実にミンチになっていた。
シン、と静まり返るホール。
衝撃でチカチカする視界を、私は頭を振って必死に動かした。床に押し倒されたレオンハルトは、なぜか微動だにせず、虚空を見つめている。
その真紅の瞳は、これまでにないほど激しく潤い、トランス状態のようにうっとりとしていた。
(まずい、どっか頭打ったとかじゃないよね?)
「……目には見えない。だが、俺の危機に必ず現れ、身を挺して抱きすくめてくれる(※ただのタックル)。……そして、この鼻腔をくすぐる、可憐で甘い花の香り……」
(それさっきのワックスの残り香ぁぁああ!!!)
「確信した。姿を隠し、身を挺して俺の命を護る我が国の『影の聖女』。……君の深い愛、確かに受け取った」
(レオ様が頭打ってバグった!!?? あと早く退かないと私の姿が映るーー!!)
私はパニックになりながら、床を這いつくばって猛スピードで柱の陰へと脱出した。
「殿下! ご無事ですか!?」
そこへ、ホールの扉を激しく蹴破って、息を切らせたアネットが駆け込んできた。
表向きは「守られるべき儚いヒロイン」の顔をしている。
――だが、大破したシャンデリアと、誰もいない空間を愛おしそうに見つめるレオンハルトを見た瞬間、彼女の顔から完全に「お色気ヒロイン」のメッキが剥がれ落ちた。
ガタッ。
アネットは、令嬢らしからぬ完璧なステップで周囲の死角を瞬時にキャッチすると、その桃色の瞳をナイフのように鋭く細めた。
「……また、遅れをとった」
一方、セドリックもシャンデリアの残骸を見つめながら、暗黒笑顔を通り越して、顔半分にドス黒い影を落としていた。
「……面白いですね」
セドリックは微笑んだ。
「何度も殿下の命を救う存在など、放置できません。必ず見つけます……必ず、ね」
美しい笑みのまま、その薄氷のような瞳に歪んだ光が滲む。
(聖騎士のヤンデレフラグまで強制起動しちゃったじゃん!!)
私は落としたスパナをこっそり回収すると、忍足で後ろに下がる。
「殿下、今日の夜会の中止を学園長にお伝えして来ます。まずは医務室へ……」
セドリックが起き上がったレオンハルトに耳打ちする。
(……だよね。これだけの騒ぎだもん。夜会は中止だよね。ローストビーフは諦めるしかないか……定時退社できるなら仕方ない)
「いや、問題ない。予定通り開催する」
(はいぃぃぃ!?)
「俺を救ってくれた聖女が、今日の夜会に現れるかもしれない。絶対に、夜会を開催する」
(何でよ!!)
「むしろ予定より盛大にな」
(悪化したァァァァ!!)
レオンハルトの4K高画質カリスマスマイルの輝きの前に、私は崩れ落ちた。
今日の残業時間は、まだ終わらないらしい。
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