05 予備の予備の予備と除草業者(暗殺者)のダージリン
朝の清々しい白い光が瞼をなでる。小鳥たちの囀りが、平和な朝を彩っていた。
――運命の夜会当日(ループ三日目)。
爽やかな朝とは真反対に、目の下に巨大な隈を作った私は、王族専用寮の前に立っていた。
ブラック企業の元社畜にとって徹夜など日常茶飯事。だが、今はゆっくりコーヒーを飲んでいる暇などない。
追い詰められた私は夜通し悶々と作戦を考え、そしてついに閃いたのだ。
あれ? レオンハルト様が夜会に出なければいいんじゃない?と。
ちなみに閃いたのはついさっきだが。
だからこそ、今日は何が何でも王子、レオンハルトを夜会に行かせない、もしくは、夜会に入るのを大幅に遅刻させる作戦を成功させなくてはならないのだ!
私は気配を消し、足早に門番の横を通り過ぎてレオンハルトの部屋へ向かう。
前世のオタク知識で、彼の部屋の場所は完全に把握していた。
正面玄関から入り、二階の一番日当たりの良い部屋だ。
(おじゃまします……)
屋敷の中で一番豪華な装飾の施された扉を、音を立てないようにそっと開ける。
足音を殺して中に忍び込むと、天蓋付きの大きな寝台に、太陽神……じゃなくて、レオンハルトが眠っていた。本日も眩しすぎる超高画質4Kである。
(深い金色の髪が朝日より眩しい……まつ毛の先までロイヤル……ありがたや……)
私は寝台に向かって深々と両手を合わせると、間近で寝顔を拝み倒したい気持ちを必死に抑えて、衣装部屋へと向かった。
(あった! 夜会で彼が着ていた本番用の正装! これを隠せば夜会に出られないはず……!)
白い豪華な正装をクローゼットの奥の箱に隠した瞬間、部屋の扉をノックする音が響いた。
「殿下、ご起床の時間でございます」
私は素早く衣装部屋から出て、調度品と壁の隙間へと滑り込んだ。
寝台の上で、レオンハルトがゆっくりと体を起こす。
寝起きの真紅の瞳は、普段の鋭さはなく、気だるげで妙に色っぽい。私は物陰から再び両手を合わせ、美の化身を網膜に焼き付けた。
そうこうしている間に、入ってきた侍女たちが朝の支度をテキパキとこなし始める。
「あら……? 夜会用の正装がありませんわ」
侍女の困惑した声に、私は物陰でふっと不敵な笑みを浮かべた。勝った。
「大丈夫よ。予備の正装があるはずだから」
(えっ!? 予備あんの!?)
想定外のシステム仕様に、私はステルス全開の猛ダッシュで侍女を追い越し、衣装部屋の服を高速でガサ入れした。
確かに、もう一着同じものがある! 手早くその予備の正装も別の場所に隠す。
「おかしいわね……予備の正装も見当たりませんわ」
もう一人の侍女も困惑し始めたその時、レオンハルトが衣装部屋にやって来た。
「予備の予備が、隣の部屋のクローゼットにあるはずだ。……はぁ、急げ。もう十分遅刻だ」
(予備の予備ぃぃいいい!? リカバリ体制万全かよ王室!!)
私は再び隣の部屋へ猛ダッシュし、ゼェゼェと肩で息をつきながら、予備の予備の正装をベッドの下へと滑り込ませた。
侍女たちが三度困惑の声を上げた、まさにその時――。
――ドガァァァァァンッ!!!!!
屋敷の外から、鼓膜を震わせる凄まじい爆発音が響いた。
慌てて窓の外を見ると、レオンハルトが普段使っている最高級の馬車が、木っ端微塵に破壊されているのが見えた。いつもの暗殺イベント(別ルート)だ。
レオンハルトが冷徹な瞳でその炎上する馬車を見据え、低く呟く。
「……俺がいつもの時間に出ていたら、確実に巻き込まれていたな」
普段なら有り得ない、三連続の衣装紛失。そして、直後に起きた暗殺未遂。
奇妙すぎる一致に、レオンハルトは怪訝な顔をしながら、じっと部屋の中を見回した。
「……この前と同じ……?」
「何がです、殿下?」
侍女が首を傾げる。
「いや、なんでもない」
レオンハルトが思案に耽る横で、私は壁に張り付いたまま、生きた心地のしない安堵の息をついていた。
(ひえぇ……危なかった。でも怪我人が出なくて良かったわ。これで夜会の衣装はすべて隠し尽くしたし、さすがの王子もこれで夜会欠席確定――)
勝った。
ついに勝った。
社畜の執念が王室を上回ったのだ。
「殿下! 王室専属の特急仕立て師たちがすでに控えております! 採寸から三十パーツの縫製まで、三十分でまったく同じ正装をご用意出来ます!」
(工場かよ!!!!)
「失礼します、殿下! 第二馬車のご用意が完了いたしました! 護衛の再編も問題ありません、予定通りの時刻で夜会への参加が可能です!」
続いて飛び込んできた騎士の頼もしすぎるセリフに、私はその場にガクッと崩れ落ちた。
徹夜で考えた作戦は、あえなく王宮の危機管理能力の前に敗北した。
いや、王室の危機管理能力、高すぎない……!?
◇◇◇
私は魂の抜けた顔でお昼休みの中庭へやって来ていた。
朝の作戦は失敗したが、昼はこの失態を挽回しなくてはならない。
とはいえ、作戦などもはやない。出た所勝負だ。
目の前には美しい庭園。その中央には太陽神・レオンハルト王子と、成金男爵令嬢のヒロイン・アネット嬢が向かい合ってお茶をしていた。
今日も今日とて、周囲の空間だけ4K超高画質である。
(うわぁ〜! ゲームの神スチルが目の前に……! 王子とアネットちゃんの美男美女図鑑、尊すぎて目が潰れる! お前らの結婚スチル、はよ寄こせ!!)
私は低画質モードの生垣の物陰から、両手を合わせ、温かく2人を拝んでいた。
微笑み合う2人は実に初々しく、身分差の恋に悩む純愛そのものに見える。
――だが、その平和な空間に、一人の給仕が近づいていくのが見えた。
だが、給仕の顔は砂嵐でガサガサに濁っている。メインキャラではない。だが、ただのモブでもない。
(暗殺者――イベントキャラだ!)
「殿下、アネット様、ダージリンでございます」
給仕が恭しく琥珀色の紅茶をカップに注ぎ、レオンハルトは何気なくそのカップに手を伸ばす。
(飲むな王子ーー!! お前がここで倒れたら、バッドエンドになって私のこれまでの残業(フラグ折り)が全部水の泡になるでしょうがぁぁああ!!)
気づいた時には前傾姿勢で社畜猛ダッシュしていた。
(通勤ラッシュをなめるなァァ!)
生垣を飛び越え、レオンハルトの指先が、カップを持ち上げようとした、まさにその瞬間。
(ふおぉーーあちゃーーっ!!)
私の心の中の武闘家が叫ぶ。
テーブルクロスを思いっきり引っ張り、そのまま勢いのままカップは石畳の床へと叩きつけられた。
パリンッッ!!!!
静かな中庭に、派手な破砕音が響き渡る。
「なっ……!? テーブルクロスが勝手に……!?」
レオンハルトが驚愕に目を見開き、アネットも「きゃっ!?」と小さく悲鳴を上げて飛び退いた。
周囲の護衛達が一斉に剣の柄に手をかける中、チリチリチリ……と、不気味な音が響いた。
石畳の隙間にこぼれた紅茶。それが触れた瞬間に、周囲に青々と茂っていた芝生が、一瞬だけ何かに押し返されるように揺れ、次の瞬間に黒く焼け落ちた。
「……っ!? 毒、か……!?」
レオンハルトの真紅の瞳が、一瞬で冷徹な鋭さを取り戻す。
その視線が、じりじりと後ろに下がっていく給仕の姿をした暗殺者へ突き刺さる。
「捕らえろ!」という王子の怒号と共に、騎士たちが暗殺者へ飛びかかっていった。
中庭の喧騒を聞きながら、私は割れたカップの破片をみながらひっそりと戦慄していた。
(し、芝生が消し炭に! 暗殺者じゃなくて除草業者へ転職する事をおすすめするわ!)
心臓が周りに聞こえそうな程ばくばく鼓動を鳴らす。私は目立たないようにすり足でその場を離れようとした。
だが、その背中に、レオンハルトの震える声が降ってくる。
「……間違いない。この前の毒矢。今朝の衣装。そして、この紅茶……」
レオンハルトは割れたカップをじっと、見つめていた。その真紅の瞳には先程の冷徹さはなく、どこか熱を帯びていた。
「……誰かが、俺を窮地から救ってくれている……なぜ、姿を見せずに俺を助ける?」
一瞬、真紅の視線が空白をなぞるように動いた。――その瞬間、私の視界に砂嵐が走る。
(うわっ!? ……野生の勘で居場所がバレる前に逃げよう!)
私は「これ以上関わったら有給が消える」と本能で察知し、ムーンウォークの速さでその場から静かにフェードアウトした。
◇◇◇
レオンハルトは割れたカップを見つめていた。
毒は間違いなく致死量だった。だが、それは何者かによって阻止された。
昨日の毒矢。今朝の正装騒動。そして今。
偶然ではない。助けられている。確実に。
「……姿を見せてくれ」
返事はない。
ただ風だけが庭を吹き抜ける。それでもレオンハルトは確信していた。
誰かがいる。自分を守ろうとしている誰かが。
◇◇◇
残業明けの社畜のようにふらふらと中庭から戻る途中、空き教室の窓から4K美少年の憂いを帯びた横顔が視界に入り、私はピタリと足を止めた。
(アンニュイモードの美少年ノア様、発見しましたァァーーッ!!!)
吸い寄せられるように校舎の壁へと背中をへばりつけ、窓の隙間からその有り難き御尊顔を拝見する。
相変わらずお肌の陶器感が素晴らしい。
(今日も推しはまつ毛の角度まで天才です……ありがとうございます……ん?)
ノアの藍色の視線は、手元の分厚い魔導書へと落とされていた。
「……何で、全ての魔法発動の計算式が、875倍になっているんだ……?」
形の良い唇から、極めて不穏な数字が小さくこぼれる。
ノアは、美しい無表情のまま、不思議そうにコテンと首を傾げた。
(首を傾げる角度まで天才美少年だ……! 尊い……ッ!! 875倍の結界魔法、楽しみにしてますね!!)
私は心の中で熱いスタンディングオベーションを送りながら両手を合わせて拝むと、天才の障害物察知センサーに引っかかる前に、そっとその場を去った。
◇◇◇




