04 魔導書をハナコで埋め、聖騎士にパンの罪をなすりつけました
――翌日。
本日のターゲットは、天才美少年魔導士のノアだ。過去のループの夜会にて、禁忌魔法が炸裂した際、彼の張った結界の範囲からド地味に漏れて爆死したことは記憶に新しい。
ならば、その結界から私が漏れないように仕様を変更すれば良い。
(確かゲームの設定では、ノア様は魔導書なしでも魔法を使える。ただ、繊細な術式や広範囲の魔法を使う時は、魔導書を補助具にしていたはず)
私は廊下を歩くノアのすらりとした後ろ姿を堪能しながら、彼が魔導書を手放すタイミングを見計らっていた。
(あの魔導書をチョチョイと書き換えて、結界の範囲をすこーし広げればいいだけなんだけど……)
今日は肌身離さず魔導書を小脇に抱えている。
(うーむ。無理に魔導書を奪うわけにもいかないし……)
物陰で頭を抱えていると、不意にノアが足を止めた。その視線の先には、フランチェスカがいた。
彼女は取り巻きの令嬢たちと共に廊下の窓辺に立ち、中庭でレオンハルト王子とヒロインのアネット嬢が楽しそうに談笑しているのを眺めている。
「またアネット嬢ですわ。相変わらず殿下に馴れ馴れしいわね」
「本当、成金の男爵令嬢だからマナーも知らないのかしら」
口々に取り巻きの令嬢がアネット嬢を非難する。ゲームのシナリオ通りの定番セリフだ。
けれど、その光景を見つめるフランチェスカの横顔は、いつもの高飛車な悪役令嬢のそれではなかった。
ほんの少しだけ寂しそうで、なぜか胸がキュッとざわついた。元社畜、こういう報われない中間管理職みたいな切ない顔にめちゃくちゃ弱いのだ。
絶対に爆死ルートから救ってやるからね、お嬢様……!
「あら、ノアじゃない。何か用かしら?」
ノアに気づいたフランチェスカが、燃えるような赤い髪をかきあげて、いつもの傲慢な笑みを浮かべた。4K画質が眩しい。
「……また何かよからぬことを考えているのですか?」
ノアはその柳眉を寄せて、冷たくフランチェスカを見つめた。
「おほほ。何のことかしら? さあ皆様、授業に遅れますわ。教室へ行きましょう」
フランチェスカは優雅にスカートを翻し、ノアの横を取り巻きと共に通り過ぎていった。
ノアは重いため息をつくと、そのまま次の授業へ向けて廊下を進んでいく。私は気配を消してその後を追った。
(ん? 次の授業は実技……? ってことは……)
ノアがやって来たのは、男子更衣室だった。この貴族学校では魔導士志望であっても、武術や剣術の授業が必須なのだ。
(えっ、えっ、えっ!! まさかのお着替えイベント!? ノア様の美麗な肢体を合法的に眺め放題!? いやいや、そんな精神的余裕は今の私にはない……っ、くっ!)
私は煩悩で破裂しそうな脳を必死に抑え、閉まる直前の更衣室のドアをすり抜けた。NPCステルス万歳。
ノアは中に入ると、邪魔な魔導書を荷物置き場代わりのサイドテーブルにポンと置いた。
そのまま侍女たちに付き添われながら上着を脱ぎ出す。
(やばやばやばやばっ! チラ見えする鎖骨のラインが美しすぎて鼻血出そう……! いや、だからそれどころじゃないんだってば私!!)
私は血を吐くような想いでご尊顔から視線を逸らし、ターゲットである魔導書へと飛びついた。
ページを素早くめくり、防御結界の項目を探し出す。
(……って、高度すぎて全然わからん! とりあえず、書いてある数字のケタを大きく書き換えておけばいいか!)
考えている暇などない。
ポケットからペンを取り出し、数式の中にある数字という数字を、思いついた適当な数字で上書きしていく。
(ああ、もう何も思いつかない! ハナコ……よし、875(ハナコ)でいいや! 875、875、875、875……ヨシ! 書き換え完了!)
迅速かつ丁寧に魔導書を閉じ、素早く顔を上げると――悲しいかな、すでにノアの着替えは完了していた。
(あああああああ〜!! 煩悩を捨てて仕事に生きた結果、お宝映像を何も見られなかったぁぁぁ!!)
絶望感と社畜の敗北感に打ちひしがれ、私はその場にガックリと膝をついた。
ノアは足元でモブが魂を抜かれていることなど気づくはずもなく、書き換えられた魔導書を手に取ると、そのまま涼しい顔で更衣室を出ていった。
◇◇◇
その後、午前中の授業を終え、やってきた待望の昼休み。
「……昨日は生きた心地がしなかったし、今日は推しの尊いお着替えを見逃す大失態をやらかした。でも、これでノア様の結界はハナコ仕様(範囲拡大)になったはず……!」
私は死闘の末に購買で勝ち取った大好物の『焼きそばパン』を両手に抱え、校舎裏の地味な階段下へと避難していた。
「激務の後の焼きそばパン、五臓六腑に染み渡るわぁ……!」
(これが終わったら定時退勤だ……)
がぶり、と大きく一口噛み締めた、まさにその瞬間だった。
――ドンッ!!!!
鼓膜を揺らす激しい衝撃音と共に、私のすぐ耳元の壁に、男の人のもの凄く美しくて長い腕が突き出された。
「見つけましたよ、過激な清掃員さん」
ふわり、と鼻先をくすぐったのは、あの場違いなほど爽やかな百合の香りだった。
「ふぁい……?」
焼きそばパンを咥えながら顔を上げる。
目の前にいたのは、声と体格は最高だけど、顔面が砂嵐で完全に『プライバシー保護された容疑者』状態の男。
「あの……すっごく声が良くてスタイル抜群の……えっと。どちら様でしたっけ……?」
モザイクの奥にあるはずの笑顔が音を立てて凍りついたのが空気で分かった。
「……君、昨日ローデンベルグ令嬢の部屋で何かをしていましたよね? 聖騎士の目は誤魔化せませんよ。――さあ、僕に何を企んでいるのか、たっぷりと 弁 明 してもらいましょうか」
(はて――聖騎士? ……って事はこの砂嵐、セドリック様!?)
さーっと血の気が引いていく音が聞こえるようだった。
……いや待て。あのセドリックだ。
爽やか聖騎士の皮を被った隠れヤンデレ。
しかも、この状況は伝説の壁ドン!
「……ご褒美か?」
ふと、私は視線を下に落とし――そこでハッと気づいた。
焼きそばパンを見る。
もう一度、見る。
――泥まみれだった。
「うっ、うっ……ぐすっ」
突然大粒の涙を流し始めた私に、セドリックがわずかに困惑して指先をぴくりと揺らした。
「弁明も何も……私、本当にお腹ぺこぺこだったんですよ……?」
「え?」
「激戦区の購買で、命懸けで勝ち取った最後の一個だったのに……! 聖騎士様がドンッてするから、私の焼きそばパンが殉職しましたぁぁ!! 業務上過失致死傷罪です(パンの)!!」
私は大号泣しながら、泥に塗れた焼きそばパンを拾い上げた。
「セドリック様のバカー! この神話級イケメン! うわぁぁん!」
ぽかぽかとセドリックの胸元を全力で叩いて突き飛ばすと、私は泣き叫びながら校舎の中へ猛ダッシュで逃げ出した。
「……………………え? 僕が悪いの?」
穏やかな風が吹き抜けた。
「……パン?」
残されたセドリックの呆然とした呟きは、昼休みの終わりを告げる、間の抜けた鐘の音にかき消えていった。
◇◇◇




