36 悪役令嬢の贈り物。推しの胃袋へ、美しき地獄の花束を。
「おや、フランチェスカ様? 今日はどうなさいましたか?」
厨房へ飛び込むと、料理長は手を止めて振り返った。
フランチェスカはもじもじとしながら、料理長に微笑んだ。
「その……セドリック様にクッキーを作りたいの。手伝ってくださらない?」
その様子を見た料理長は、これまで何度も同じような顔で厨房へ来た女子生徒たちを思い出した。
(……ふっ、青春ですね)
優秀な料理長は盛大な勘違いをしていた。
「お任せください。フランチェスカ様。最高級の材料で最高級のクッキーを作りましょう」
「まぁ! 頼もしいですわ! 生地の形を作るところは私に任せてくださる?」
「はい、もちろんです。早速、始めましょう」
料理長が気合いを入れて準備をしていく後ろで、フランチェスカは不敵な笑みを深めていた。
しばらくして、基本生地が出来上がると、料理長が顔をあげた。
「さあ、どうぞこちらでお好きな形に生地を成形なさってください」
「うふふ。ありがとう」
「どんな形を考えてらっしゃるのですか?」
焼き加減を考えながら、料理長が問いかける。
「我が家の庭にはたくさんの薔薇があるの。その中でも象徴的な特別品種……チェスカローズの形にするわ」
(悪役令嬢として、推しの胃袋に地獄の花束を贈るのよ)
フランチェスカは唇を弧の形に歪ませて、取り出した赤い粉を生地にドバッとかけた。
「ひ、ひぃっ! 成形はお見事ですが、お嬢様、その赤い粉末は……ハバネロ!? 」
「チェスカローズですもの。赤くないと薔薇じゃないわ」
「し、しかし激辛スパイスをそんなにかけたら、き、生地の水分バランスが崩れてボソボソの消し炭になります!」
料理長が味と、贈る相手の権力に怯えてガタガタ震え出した。
「そこをなんとかするのがプロでしょ? 安全で美しい地獄を作って頂戴!」
無理難題を突きつけられた料理長は、真っ白になりながら本能で悟った。
(ここで止めないと学園が……いえ、国家が崩壊する……!)
こうして、職人魂に火がついた料理長が、最高級の焦がしバターにスパイスを巧みに馴染ませ、絶妙な温度管理で焼き上げることに成功。
『見た目は最高のサクサク薔薇クッキー、中身は安全基準ギリギリのデスソース』という完璧なバグ兵器が完成したのだった。
料理長は完成したクッキーを見て震えた。
「……見た目だけなら、私の最高傑作です」
「ありがとう」
「味だけは保証できません」
「そこが重要なの」
フランチェスカは満足気に微笑んだ。
◇◇◇
翌日のお昼休み。
チェスカは中庭の物陰で、ど派手なリボンで悪役令嬢仕様に包装された箱を抱えていた。
(あれ? ヒロインちゃんはまだかしら?)
辺りを見回してもハーブティーを抱えるアネットの姿はまだない。
(ちょっと早かったかな? ……はっ!!)
非常事態が発生。
「待って、ちょっとタイム。セドリック様の定時退勤のスケジュールが数分前倒しになってるわ!」
ヒロインのアネットが中庭へ来る時間を見計らっていたはずが、予定より早く、ターゲットが渡り廊下に現れてしまったではないか。
(くっ……! このままではヒロインちゃんが来る前にクッキーの押し付けが終わってしまう! 仕方ない、時間稼ぎよ!)
フランチェスカは深呼吸をすると、「ビジネス悪役令嬢モード」のスイッチを入れた。
勇み足で茂みから飛び出すと、セドリックの前に立ち塞がる。
「おーっほっほっほっ! 奇遇ですわね、セドリック様!」
高笑いと共に現れたフランチェスカに、セドリックは聖人バフでキラキラしながら笑みを浮かべた。
「ふふ、今日も楽しそうですね。フランチェスカ様、今回は何の遊びですか?」
「お遊びじゃなくてよ! セドリック様! 今日は生徒会業務でお疲れの貴方に、私が直々にクッキーを焼いて差し上げましたわ! 残さず食べなさい!」
これぞ悪役の鑑。不敬かつ傲慢な態度で、ど派手な箱を突きつけた。
「……僕のために、ですか?」
セドリックは一瞬、灰銀色の瞳を見開いたが、次の瞬間にはいつもの神聖な聖人スマイルを浮かべた。
「嬉しいです。早速開けても?」
「ええ! さ、早く召し上がって」
セドリックは躊躇なく箱を開けると、美しく成形された薔薇のクッキーを手に取り、じっと見つめた。
「……これは、もしかしてチェスカローズですか?」
「え!? 知っているの? 我が家にしかない品種なのに!」
「もちろんです。観賞用の花から毒草まで、様々な草花の名を覚えるのは神殿の神子の基本ですから。ふふ、貴女の名を冠する薔薇を食べられるなんて……光栄です」
どこか仄暗い光を瞳に宿らせながら、セドリックはパクリとクッキーを口に放り込んだ。
直後、彼の動きがピタリと止まった。
「これ……は……」
その灰銀色の瞳が潤み、神々しい光を湛えた涙がじんわりと目の端に溢れ出してくる。
それを見たフランチェスカは、内心で激しいガッツポーズをキメた。
(計画通り! さあ、このタイミングよアネットちゃん!激辛でのたうち回る推しに、浄化のハーブティーを渡しに早く来なさい!)
——だが、フランチェスカは決定的なことを見落としていた。
神殿で毒にも拷問にも耐える訓練を受けてきた聖騎士にとって、この程度の刺激は苦痛ですらないことを——
セドリックは赤いクッキーを咀嚼しながら、6年前より少しだけ大人っぽくなったフランチェスカを見つめた。
(……熱い。あの日の温もりと同じだ。幼い彼女がかけてくれた毛布と、差し出してくれた甘い菓子。あの時と同じ温もりが、今も自分を満たしていく)
「……素晴らしい。僕のために、これほどの、熱い情熱を注いでくださるなんて……」
セドリックは目を潤ませ、恍惚とした表情で激辛クッキーを次々と完食していく。
同時に、彼の持つ「聖人バフ」が暴走を始めた。
「まぁ……神子様が泣いてらっしゃるわ……」
「美しい涙……令嬢の手作りって素敵……」
中庭は勝手に感動イベントへ書き換えられ、謎のキラキラしたオーラに包まれていく。
フランチェスカは周囲の眩しさに目をしばしばさせながら、毒々しく真っ赤なクッキーを見つめた。
「おかしいわね……? 舌、あるわよね? 味覚、退職してるの?」
フランチェスカは冷や汗を流しながら、その超高画質な狂気を見つめることしかできなかった。
なぜ、この男は泣きながら普通に、いや嬉しそうに地獄を貪り食っているのか。
「……これで、終わりですか? もっといただけますよね?」
潤んだ瞳で一歩迫るヤンデレ聖騎士を前に、フランチェスカの作戦は完全に崩壊を始めていた。
「次は、いつ焼いてくださいますか?」
(ひーっ!! 笑顔が怖いぃぃ!)
システム画面の悪逆値は「0%」から微動だにしない。これは完全にバグっている。フランチェスカの背筋に、かつてないブラックな戦慄が走り抜けた。




