30 【悲報】嫌がらせで業務改善したら、推し王子を定時退社させてしまいました
生徒会室の扉から漏れる光が、薄暗い廊下を頼りなく照らしていた。昼間の賑やかさが嘘のように静まり返った夜の校舎は、ひんやりとした冷気に満ちている。
(やっぱり残業してるわね……?)
足音を忍ばせて、扉の隙間から覗き込むと、レオンハルトが書類の束をパラパラとめくりながら、真剣な顔でペンを走らせている。
静寂の中に、カリカリとペン先が紙を削る音だけが寂しく響く。その顔には、長時間の仕事で蓄積した疲労の色が浮かんでいた。
その様子を見て、フランチェスカは顎に手を当てながら思案する。
(うーん、ここは悪役令嬢としての出番かしら? そうだ、レオンハルト様に嫌われながら、仕事の邪魔をするのよ……!)
フランチェスカはにやりと、不敵に笑いながら準備に取り掛かった。
◇◇◇
数分後、再び生徒会室の扉の前に立ったフランチェスカは、バンッと勢いよくその扉を開いた。
「フンっ! レオンハルト様! こんな時間まで仕事をして、堂々と労基法を違反なさるおつもりですの!!」
夜の静寂をぶち破る勢いでの怒号。突然現れて、突然怒鳴りつけるフランチェスカの姿を見て、レオンハルトは怒るどころか、満面の笑みを浮かべた。
(ま、眩しい……! 部屋のランプの明かり以上に、レオンハルト様のロイヤルスマイルの後光が眩しすぎて目が潰れるわ!)
「フランチェスカ。君から来てくれるなんて嬉しいよ。心配してくれたのか?」
レオンハルトは書類をさばく手を止めて、フランチェスカをじっと見つめた。その真紅の瞳が、嬉しそうに熱を帯びて潤んでいる。
(く……っ! 顔面偏差値が高すぎる! でもここで負けるわけにはいかない!)
「心配? まさか! この悪逆非道な私が苦すぎる健康茶を淹れて差し上げましてよ!! さぁ、覚悟なさい!」
そう宣言して、持って来た苦い健康茶をティーカップに注ぐ。トトト……と静かな室内に心地よい音が響き、毒々しい紫色の湯気がふわりと立ち上った。
レオンハルトはそんなフランチェスカの手元を見ながら、何故か嬉しそうに微笑んでいた。
「そんな顔をしているのも今のうちですわよ? さあ、飲んでくださいまし!」
毒々しい色をした健康茶を差し出すと、レオンハルトは迷わずカップを手に取った。
「……誰かが淹れてくれた温かいお茶を飲むのは、子供の頃、君に淹れてもらったお茶を飲んで以来だ。懐かしいな」
在りし日を懐かしむように目を伏せ、レオンハルトは苦すぎるはずの健康茶を味わうように口に含んだ。
(そうだった、この人常に毒見必須の人生だったわ……。運ばれてくる食事はいつも冷めきっていて、お茶の一杯すら怯えながら飲むような環境だったんだよね……)
フランチェスカが複雑な顔をしながら見守っていると、レオンハルトが悪戯っぽく笑った。
お茶の温もりが身体に染み渡ったのか、彼の冷え切っていた肌にじんわりと血色が戻っていく。
「今度は学園の政務で忙しい俺の胃腸を労って、わざわざ自らの手で淹れてくれたのか?」
「ち、違うわ。純粋な嫌がらせよ!?」
彼の真紅の瞳から逃れるようにぷいと横を向く。
「ん?」
不意に、机の上に広がる生徒会の予算審議書が目に入った。よく見たら物凄い量の書類の束だ。
(まさか、この書類の山のせいで徹夜してフラフラになって、暗殺者に遅れをとるんじゃないでしょうね……?)
ペラっと、書類を一枚何気なく手にしたフランチェスカは、その内容を目にしたその瞬間——前世の社畜脳が一気に起動した。
「な、何この非効率極まりない決裁ルートは……!? 稟議書一枚通すのにハンコとサインが5個!? 承認スタンプラリーじゃないのよ! しかもこれ、全部手書きで集計してるわ……!!」
突然、発作を起こしたように叫び始めたフランチェスカを、レオンハルトは興味深そうな目で見つめていた。
「予算編成の時期はいつもこうなんだ。集計は教師陣に任せているんだが、計算式の構築には時間がかかると言われてね」
「生徒会にはあの『世紀の天才』ノア様がいらっしゃるでしょう!? 表計算(自動集計)の魔導式くらい10秒で組めますわよ! 天才の無駄遣い? 知りませんわ! それが悪役令嬢としての命令です!!」
「……なるほど。ノアにやらせればいいのか」
(さあ今こそ、悪役令嬢として徹底的に仕事の邪魔をしてやる時ね! これは嫌がらせよ!)
「殿下、そこをお退きなさい! 私がこのゴミのような承認ルートを爆破して差し上げますわ!」
フランチェスカはフンッと鼻を鳴らし、自らペンを取って見本となる集計フォーマットを爆速で書き殴った。
「いいですか殿下、承認印は殿下の一印で十分! そして、明日ノア様を呼び出して、このフォーマット通りに魔導式を組み込ませるのですわ! 悔しいでしょう!!」
(ふふふ……! 天才魔導士にエクセル代わりの雑務を押し付ける! これぞ完璧な横暴、悪役令嬢の所業ですわ!)
完全に社畜ハイに入ったフランチェスカの書類を捌く指先は止まらない。
「フハハハ! 苦しみなさい! これで定時退社一直線ですわーーーっ!!」
◇◇◇
——数時間後。
「……君の働きで、ずいぶん楽になるな」
レオンハルトがいきいきとしながら書類をまとめている。フランチェスカの社畜の働きで、いつの間にか、あれほどあった書類の山が綺麗に片付いていた。
(……って、殿下、さっき私が淹れた劇薬レベルに苦い健康茶をいつの間にか完飲してるじゃない! しかも心なしか、顔色のドス黒さが消えてめちゃくちゃ肌ツヤが良くなってない!?)
社畜の本能に負けたフランチェスカは、天井を仰ぐ。
——だがその時。天井の隙間から覗く、銀色の冷たい光が視界の端に映った。




