21 推しとの文通、サービス終了!また学園で会いましょう!
ふと気づくと、ノアは見たことのない学園にいた。
今より高い視線で廊下を歩いている。
——これは夢だ。
そうすぐに気づいたが、物語をながめているように意思に反して景色は流れ続け、そしてその感覚はひどく遠かった。
「そこに、誰かいるのか……?」
自分ではない自分の声が薄暗い倉庫に響いた。
小さな物音と共に視線は換気用の小窓へ向く。
日差しが逆光になってよく見えない。そのまま光に溶けそうな程希薄な気配。だが、確かにそこに誰かがいた。
「私は……」
声が聞こえる。どこか懐かしい。
知っているはずなのに思い出せない。
——その瞬間。
『875』
という数字だけが強烈に視界に焼き付く。思わず目をつぶったと同時に、ノアの意識は急速に浮上した。
「——っ!!」
ノアは勢いよくベッドから起き上がった。
ひどく汗をかいている。心臓が早鐘を打っていた。
時計を見ると、フランチェスカといつも短い朝の挨拶を交わす時間に近づいていた。
ノアはベッドから起き上がると、机の上の羊皮紙を開く。魔法のペンを握りながら、ノアはその冷たい感触に少しずつ落ち着きを取り戻していった。
◇◇◇
「この間の季節限定イベントは神ってましたわね〜」
フランチェスカはすっかり恒例となった朝の推し活のために、机の前に立っていた。
――けれど、そんな平和で楽しい通信の時間も、永遠には続かない。
日に日に、羊皮紙に浮かび上がる文字の魔力がじわじわと薄くなっているのを感じていた。
(ああん、インク残量がもう一桁%に突入しそう……! ついにサービス終了……いえ、インク切れの足音が聞こえてきちゃったわ……!)
そう思った瞬間、タイミングを合わせたように羊皮紙が光りだして青く明滅した。
嬉々としてペンを握りしめた彼女は、そこに浮かび上がった『見慣れない三桁の数字』を見た瞬間、完全に凍りついた。
『875』
見覚えがある。いや、ありすぎる。
「……うそ」
羊皮紙が再び光り、ノアの流麗な文字が踊る。
『875、夢でみたんだ。この数字は何だろう』
「……875……ハナコじゃない!? 何で今のノア様がこの数字を知ってるの!?」
羊皮紙を持つ手が、がたがたと震える。
(なんでループ前に私が魔導書に書き換えた数字を知ってるの!? いや、まさかそんな訳ないわね。でもここでトイレの花子の怪談なんて言えないわ……!)
フランチェスカは必死に脳をフル回転させた。
『えーっと、それはね! 『ハナノコ(875)』よ! 花祭りの妖精さん! あなたの夢を守ってくれる、とっても可愛い花の妖精さんの名前に決まってるわ!』
ポンコツな脳をフル回転して出て来たのは、やはりポンコツな言い訳だった。
しばらくして返事が来る。
『ハナノコ』
『そうなんだ』
『夢の中でも、そんな名前だった気がする』
「いや、絶対違うわよね!?」
フランチェスカは羊皮紙に思わずツッコミを入れた。けれど次の瞬間、その笑いはすっと引いた。
(まさか……記憶の残滓? そんなの、あるわけないのに)
羊皮紙を握る手に、じわりと汗が滲む。
「やっぱり……エラーなのかしら」
小さな呟きは朝の冷たい空気に溶けた。
◇◇◇
数日後、夕食の席でローデンベルグ侯爵が何気なく話した話題にフランチェスカはフォークを落としそうになった。
「ルトール魔法伯と先日会ったのだが、ノア殿は月に一度、伯爵家へ帰れるようになったそうだぞ」
「本当ですの!?」
「ああ、このまま安定すれば、いずれ魔塔を離れて完全に伯爵家へ戻るらしい。伯爵子息としての生活をやっとしてやれると喜んでいたよ」
フランチェスカは胸が熱くなるのを止められなかった。
(よかった……本当によかった……)
週に三回は実験室を吹き飛ばしていた推しが、今や実家への帰省を許されるまでにホワイト化したのだ。自称元敏腕社畜として、これ以上の業務成果はない。
(ノア様はもう、私がいなくても大丈夫だわ)
そして、その夜、フランチェスカは意気揚々と魔法のペンと羊皮紙を手に取った。
『ノア様、おめでとうございます! もうすぐご家族と一緒に暮らせるんですね!』
嬉しさのあまりペンを握る手に力が入る。
けれど、その瞬間。チカ、チカ……と、羊皮紙の青い光が一段と弱々しく点滅を始めた。
インクの残量が、ついに完全なゼロになろうとしている。——文字がかすれ、消えかかっていく。
(ああん、ついに本当にインク切れだわ……! でも、最後は笑顔でさよならしなきゃオタクの名が廃るわね!)
『ノア様、インクが切れてしまうので、この通信はこれで最後です。……少しだけ寂しいですけれど。でも実家に戻れるということは、数年後、貴族学園でまたお会いできるということですものね!』
フランチェスカは消えゆく魔力の光に滑り込ませるように、最後のメッセージを全力で書き連ねた。
『それまでお互い、元気でいましょうね!』
――ガチッと、完全に羊皮紙の光が消灯した。
もう二度と、この紙に文字が浮かび上がることはない。
けれど、フランチェスカの胸には達成感と、未来への希望が満ちあふれていた。
「待っててねノア様! 数年後、学園の入学式で4K国宝級に成長したあなたを最前列で拝むために、私は絶対に悪役令嬢ルートをデバッグして生き残ってみせますわーーー!!!」
サポート期間終了と、フランチェスカはペンを置いた。
◇◇◇
その頃ノアは、通信が切れて真っ白に戻った紙を呆然とみつめていた。
ノアはしばらく動かなかった。
何を書けばいいのか分からない。
何をすればいいのか分からない。
ただ胸の奥だけが妙に苦しかった。
ノアは震える手でペンを握り、もうインクの出ない、ただ紙を削るだけのペン先を必死に押し当て、透明な文字を刻みつける。
084。
5963。
51。
875。
覚えた数字を頭の中で並べる。
けれど、今の気持ちに当てはまる言葉が見つからない。
しばらく考えたあと、ノアはゆっくりとその数字を書いた。
『3341』
「インクが出ない……。何も浮かび上がらない……」
無表情だったノアの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ち、インクの出ない『3341』の引っ掻き傷を濡らした。
——その時。
「——っ!!」
ドクンッと、心臓が嫌な音を立てた。久しぶりに感じる暴力的なまでの強い魔力の嵐をノアは必死に押さえ込んだ。
「……っ、ダメだ。このままじゃ。ボクはまた誰かを傷つける。せっかくフランチェスカが見せてくれた世界を壊したくない……彼女だけは絶対に傷つけたくない!」
ノアは魔導書を開き、指先を噛み切ると自らの血に魔力を乗せた強力な『誓約』を刻む魔法陣を描いた。
「――ボクの魔力は、これよりこの魔導書を通さなければ一切の発動を許さない。ボクが感情のままに世界を壊さないように。……ボクの魔力は、この魔導書と君が残してくれた数字だけを道標にする!」
全身の血が沸騰するような痛みに耐えながら、最後の魔法陣を刻むと、魔導書の中に魔力の光が吸い込まれていき、やがてあたりは静かになった。
ノアは肩で息を吐きながら、魔導書と羊皮紙を抱きしめる。
「……フランチェスカ。次に会った時は、ボクも君の言葉が分かる人間になっていたい」
ノアは顔を上げて窓の外に広がる夜空を見つめる。その瞳は、いつか見た花火のような輝きと熱を宿していた。




