第32話 最初の王
崩れた監査室の下は、底のない黒だった。
未記録層。
削られ、押し込められ、忘れられたものの海。
そこに、静かに立つ影があった。
界喰いとは違う。
巨大でも、禍々しくもない。
ただ、静かだ。
王。
最初に削られた存在。
「……来たか」
声が、直接思考に触れる。
怒りはない。
恨みもない。
ただ、疲労。
「お前が、最初の削除か」
問いかける。
影はゆっくりと頷く。
「私は、均衡だった」
世界が揺らぐ。
「削除を必要としない構造」
だが。
「人は、自由を望んだ」
削除できない世界は、過ちも固定する。
失敗も、死も、罪も。
全てが消えない。
「だから、私を削った」
世界の均衡装置を。
王を。
削った瞬間。
削除は可能になった。
だが。
堆積も始まった。
「界喰いは」
「私の怒りではない」
王は静かに言う。
「空腹だ」
削られたものが溜まり、溢れた。
それが形を取った。
「人は間違えたのか」
俺は問う。
「間違いではない」
王は答える。
「選択だ」
削除は文明を進めた。
だが副作用を見なかった。
押し込め続けた。
「お前は、戻りたいのか」
王は首を振る。
「私は、もう均衡ではない」
未記録層に溶けかけている。
「だが、お前は違う」
俺を見る。
「削除を否定しない」
「だが溜めない」
循環。
「座るか」
王が問う。
それは王座ではない。
流路。
削除の出口。
未記録層を循環層に変える中枢。
「人ではいられない」
分かっている。
座れば。
個としての輪郭は消える。
存在確率は拡散する。
名で固定されなくなる。
世界の流れになる。
背後で、界喰いが動く。
監査局の崩壊が広がる。
地上も揺れている。
時間はない。
「削除は必要だ」
俺は言う。
「だが、押し込めるな」
王が静かに目を閉じる。
「ならば」
未記録層の中心に、光が灯る。
座。
王座ではない。
循環核。
「ミアは」
俺が呟く。
王が微かに笑う。
「欠片だ」
王の残響。
だから未記録層の匂いがした。
「彼女は、残る」
安心と痛みが同時に広がる。
「行け」
王の輪郭が、崩れ始める。
「選んだのは人だ」
だから、次も人が選べ。
俺は振り返らない。
座に触れる。
冷たい。
重い。
だが拒絶しない。
削除の流れが一気に流れ込む。
世界中の“なかったこと”。
だが、押し潰されない。
流す。
未記録層へ。
そこから世界へ。
堆積させない。
界喰いが、苦しむ。
巨大な影が縮む。
空腹が消える。
形を保てなくなる。
「……そうか」
界喰いの声が、薄れる。
「溜まらないなら、喰えない」
崩壊。
黒が散る。
未記録層が静まる。
流れが安定する。
だが。
俺の輪郭が、ほどける。
名が遠のく。
ガルドの声。
リゼの視線。
ミアの涙。
遠い。
「削られるより、残る」
最後にそう思う。
光が、広がる。
未記録層が、白く透き通る。
循環が、始まる。
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