第31話 削除執行
白い部屋には、影がない。
壁も床も天井も、ただの白。
だがその白は、何かを覆い隠している色だ。
「監査を開始する」
セレムの声が、反響もなく響く。
俺は中央の椅子に座らされていた。
拘束具はない。
逃げ場もない。
「境界干渉者アルド・レヴァイン」
灰色の文字列が空間に展開する。
俺の削除履歴。
未記録層接続回数。
界喰い干渉値。
全てが数値化されている。
「削除因子、過剰」
セレムが告げる。
「世界構造への影響、臨界値超過」
「それで?」
「暫定観測を終了し、削除に移行する」
淡々と。
感情の欠片もない。
灰色の陣が、足元に広がる。
これは“削除陣”。
対象の存在確率をゼロに落とす術式。
専門家だ。
界喰いより正確に消せる。
「抵抗は無意味だ」
「だろうな」
俺は目を閉じる。
胸の奥の冷たい余白が、静かに広がる。
削られる。
それは何度も経験した感覚だ。
輪郭が薄くなる。
世界の縁から滑り落ちる。
陣が発光する。
「削除、執行」
圧力。
存在確率が急落する。
視界が白に溶ける。
――だが。
落ちない。
未記録層に引き込まれない。
消えない。
白い部屋が、微かに軋む。
「……異常」
セレムの声が初めて揺れる。
削除陣が再展開される。
今度は強制干渉。
世界から“なかったこと”にする。
記録を巻き戻す。
だが。
俺の中で、何かが流れている。
冷たい余白は、もはや空洞ではない。
流路だ。
削除の圧力が、通り抜ける。
未記録層へ。
堆積せず。
流れる。
循環。
セレムが一歩下がる。
「削除不能……?」
「違う」
俺は目を開ける。
「削除はされてる」
事実だ。
存在確率は落ちている。
だが。
ゼロにならない。
「溜まらないだけだ」
セレムの背後で、監査官たちがざわめく。
「未記録層への直結……」
「構造変質……」
部屋の壁が、ひび割れる。
白い塗装の下から、黒い粒子が滲む。
未記録層が、この部屋の奥にある。
監査室は、削除の中心。
削ったものを押し込む場所。
だから界喰いが近い。
「お前たちは」
俺は立ち上がる。
「削ってきた」
戦争。
失敗。
人。
王。
全部。
「秩序のためだ」
セレムが言い返す。
「削らなければ世界は混沌に沈む」
「削っても沈んでる」
界喰いが証明している。
削れば堆積する。
溜まる。
いつか溢れる。
「ならどうする」
セレムの目が、鋭くなる。
「削除をやめれば文明は維持できない」
正しい。
削除は必要だ。
否定はしない。
「やめない」
俺は言う。
「流す」
監査室の床が崩れる。
白の下から、黒い層が露出する。
未記録層。
堆積の海。
界喰いの匂いが強くなる。
「止めろ!」
監査官が叫ぶ。
だが遅い。
未記録層が、監査室に流れ込む。
黒い粒子が渦巻く。
セレムの陣が揺らぐ。
「これは……」
「お前たちの押し込んだ場所だ」
王の気配が、奥から滲む。
遠い記憶。
最初の削除。
均衡装置。
人類が自由を得るために、削った王。
その残響。
「……王」
セレムが初めて、その名を呟く。
禁忌だ。
監査局は知っている。
だが口にしない。
「削除は必要だ」
俺は言う。
「だが、溜めるな」
黒い粒子が、俺に流れ込む。
重い。
だが押し潰されない。
通り抜ける。
循環する。
部屋のひびが広がる。
監査官の一人が膝をつく。
「堆積が……減っている」
未記録層の圧力が下がる。
界喰いの気配が遠のく。
セレムが俺を見る。
恐れではない。
理解だ。
「……あなたは」
「削除の否定ではない」
否定ではない。
「更新だ」
白い部屋が崩壊する。
未記録層が露出する。
その奥に、巨大な影。
界喰いが、動く。
最終段階。
削除の中心が揺らいだ。
世界が、次の選択を迫られている。
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