堅牢なる国境
そびえる山脈
ソビエト社会主義共和国・低地の国方面戦線。
平原の国から戻ってきた月白もねの『空間絵画』のギフトによって造設された、一夜城でありながらも鉄壁にして一切の隙さえ無い要塞線を見て赤軍の将兵達は力なく肩を落とし、完全にウンザリしていた。
最低でもT-90Mやレオパルト2といった主力戦車が200両は埋まっていそうな国境の巨大な要塞線は見るだけで赤軍兵士達の士気を根こそぎ削ぎ落とし、闘志を失せさせるにはこれ以上の絶望的な光景はなかった。
塹壕内に据え付けられた重機関銃や対戦車ミサイルもディテールは細部に渡って極めて緻密であり、恐らく射程に入って撃たれれば本物と全く同程度の致死的な被害を受けるだろう。
ソビエト共和国軍は開戦と同時に低地の国を打通して平原の国に突入し、側背面への戦略的奇襲(右フック)を行い、平原の国国内軍の分断撃破並びに首都ズラトポルの早期攻略という極めて重要な任を与えられていた。
だが、君塚より与えられた完璧な設計資料を元に作成されたもねのギフト『空間絵画』が生み出す兵士達や兵器達は本物の精強な国内軍と見分けのつかない性能・練度を持ち、その戦闘能力も確約されている。
事前準備という「兵站と政治」を重視する手の早い君塚の動きに赤軍は完全に後手に回されてしまった。軍の戦争準備は整っているのに、物理的な侵攻が極めて困難に成っていると同時にファンタジーのチート(空間絵画)により、近代の物量が戦わずして打ち負かされているという神々好みの皮肉な展開が起きていた。
そして、先行して国境線を越えていた赤軍のスペツナズ部隊もこの様な平原の国の迅速すぎる対応により行動が完全に制限され、身動きが取れない間に低地の国の官憲や正規軍によって次々と制圧されジリ貧であった。
そして彼らが拘束されてもソビエト指導部は『我が国には無関係のならず者である』としらばっくれて外交的に時間を稼いでいる。低地の国の軍が完全動員されて正面からぶつかれば物量で勝てる算段は有る。が、恐らくこの作戦の肝である『電撃戦(奇襲による早期決着)』は絶対に成功しないだろうと、現場の大半の兵士が冷酷に認識している。
そもそも、史実のドイツ国防軍のアルデンヌの森突破のように奇襲効果を持ちながら一気に突進出来るかどうかと言われると、低地の国の広さは少なくともベネルクス三国よりは大きく戦線の縦深も深い為、完全な制圧にはそれなりに膨大な時間がかかり後背地を安全な状態にするまでに無用な資源の浪費と出血を強いられる。
結論として現在のソビエト軍には『不可能な作戦』が立案・強要されている現状である。
将軍達はこの絶望的な情報を最初は何とか握り潰して消そうとしたが、それでも前線からの報告は悪化するばかりであった。平原の国の側背を突くどころか、寧ろこちらの作戦意図を完全に見透かされ、自分達の側背を晒して無防備な方向から、低地の国を経由した『偽の国内軍(もねの絵画軍団)』に逆侵入を許しかねない、という悲痛な報告書が、連日クラスノグラードの中央へと送られていた。
そして、この山のような報告がもう無視出来なくなったソビエト指導層は新倉以外の全員が激しい頭痛と胃痛を堪えながら、クラスノグラードのクレムリンでこれと言った有効打が分からないまま踊り続ける、泥沼の軍事会議を開いていた。
「同志ニーナ。正直に申し上げます。これは我が国の軍がどれだけ精強であろうと、このままの作戦を修正せず実施した場合は我が赤軍は戦力を集中出来ず各個撃破され、その上で物資も欠乏し、破壊された戦車と死体が山積みになるでしょう」
国防相であるドミトリー・ヤゾフ元帥は、率直かつ、多数の報告書から共通して見られた絶望的な内容を、軍の総意として個人的に纏めて述べた。
「ふぅ……やはりか。同志ヤゾフ。どうしても、あの低地地帯を抜けての側面攻撃は不可能か」
「はい。向こうは既に完全な臨戦態勢であり、要塞化も完了しておりますから極めて厳しいかと。それに兵站面での致命的な不安要素も……同志ウスチノフ元帥」
ヤゾフは、兵站のトップであるドミトリー・ウスチノフへと話のバトンを渡し、マイクを譲って自分の死刑宣告のような報告の番を終わらせる。
「同志ヤゾフから変わりまして、私ウスチノフが同志書記長へとお伝えします。もし低地の国の方向から強引に攻め立てるなら、我が軍は途方もない距離の悪路を走らされ、ウラルトラックや戦車を運ぶ為のセミトレーラー、そしてMDK-3のような工兵車両、更には自走砲部隊の為の膨大な弾薬運搬車両も、主たる『龍の国方面戦線』から引き抜かねばならず、そちらの補給が不足してしまう可能性がございます。つまり……両戦線で同時に補給網が完全に崩壊してしまうので、作戦の抜本的な修正─一時的な撤退か防衛戦への移行を、私としては提案致します」
新倉はウスチノフ元帥の極めて合理的で現実的な報告と提案へ不愉快そうな顔をする。が、それでも何処かで口角の上がった薄ら笑いが消えず彼女の狂った感情がまだ全く動揺しきって居ないと分かる。
「おや、君もかい? 同志ウスチノフ。確かに、総合的な戦力を本来なら3:1に分けて、龍の国から平原の国へ前進しつつ敵の主力を引き付け、その間に低地の国の方向から突進し、敵主力の完全な包囲殲滅を図る。これが私の想定してた作戦内容だった筈だ。それを、臆病にも変更しろとは……」
「はい、同志。ですが、2つの戦線の片方を、迅速かつ確実に決着させてから1つに纏めて物資や人員を集中させる想定でなければ……この様な強固な要塞線を持ち、既に戦争準備が完全に整った強大な敵(君塚)に正面から二方面で挑むのは、国家の存亡に関わる脅威かと」
「ふぅむ……なるほどね」
新倉は、彼の反論が聞こえて憮然とした表情を浮かべながらもまだ何か『奥の手』となる策は有るようであり、ウスチノフの決死の諫言にもまるで余裕を崩さず笑みを浮かべている。
「まぁそうだね。あの大軍に正面切って対抗してもまず勝てないだろうよ。第一に、戦術核砲弾を大量に撃ち込み、巡航ミサイルも雨あられと降り注がせてもきっと敵の機械化部隊は無慈悲に命令通りに進撃を続けるだろう。このクラスノグラードを完全に落とすまで彼らの報復は止まないし、我々は地下シェルターに籠もって議事堂の美しい赤い旗が泥靴で踏み落とされるのをモニターで見るしか許されないだろうね。困ったことだ」
そして、自身から見た平原の国の強大さに対する見解を、まるで他人事のように平然と言い終わった後、やはり自身の秘策を明かすべきかと思い口を開いた。
「まぁ、そうだね、うん。本当は、私にも敵が手強いことぐらい分からないわけでなかったんだが。だが、有能な君たちにこうも言われたら流石にね。だから私は一つだけ『最高に効率的な案』がある。そしてその下ごしらえも既に済ませてあるんだ」
パチンと彼女が指を鳴らすと、会議室の照明が不意に消えた。一斉に将校たちは「ついに即決の銃殺刑か!」と身構えたが新倉はあくまで自身の案をスライドで紹介するだけなのに、粛清を恐れた歴戦の元帥たちのその過剰な怯え方を見てつい堪えられず噴き出した。
「ぶっ! くっ……くく、ははははは!! 同志諸君、君たちどうしたんだ!? まさか、こんな大事な局面で君たち有能な歯車を今ここで粛清するとでも? 成る程成る程、こりゃ一枚座布団用意しないといけないねぇ……はっはっは! さて、それよりもスライドにご注目いただこうか」
不安そうな元帥達をよそに彼女はずっと胸の内に抱えていた狂気の案を説明していた。
「まず、あの平原の国摂政・君塚悠里はご存知だろう。奴は反動的な行いをずっとしているが、奴は我々の最大の敵だ。現ソビエト社会主義共和国での、最も厄介な目下の悩みの種である」
「それについては我々もよく存じ上げております、同志書記長。ですので、我らはこうして日々胃を痛めて悩んでおります」
スライドを動かして広大な大陸の作戦地図に切り替えていく。
「当初の作戦では、核兵器を用い龍の国方面正面から一気に火力と機動で突破し、こちらを第一戦線として敵攻勢を受け止める。そして低地の国の方向から一気に打通し、戦略的奇襲を行って主力不在の平原の国首都・ズラトポルの攻略を目指し、敵主力部隊の混乱と後退に伴い、第一戦線を進撃させて龍の国を落とし、平原の国を崩す想定だった。それを2年程度で行うと」
「はい。同志ニーナ、正しくその通りの計画でした」
「だが、再度作戦内容を確認すると、不可能だった。そもそも敵軍が、核兵器や砲弾如きで足が止まる筈もない。数だけでも劣る我が軍は、更に性能面でも敗北していて、マトモな対抗が出来ないと、奴らは舐め腐っているからだ!!!」
ダンッ! と机を大きく叩き、手を大きく開いて全員の視線を集める。
「嘆かわしい! 確かに我が軍は平原の国国内軍に、なにもかも、なにもかも劣っていて、その上で侮られた!! そしてそれは、忌々しいことにほぼ事実であり、勝る点が核兵器と革命への情熱しかない我が軍は奴らと正面から対決すれば劣勢のまま押し切られるだろう!!! 冗談じゃない!!!!」
誰かが口を挟むよりも先に声を大きく荒げて更に身振り手振りを激しくする。
そして更にスライドを変えて今度は一般的な民間のトラックや乗用車を複数台出して、そこに何名かのバラクラバ(目出し帽)を被った恐らくスペツナズ部隊であろう隊員達が映されている物に切り替わっていた。
「私は屈しない! 反動的な分子などに屈するくらいなら、喜んで戦火のなかに消えてやる!! だからこそ――」
「私は、我が軍の精鋭スペツナズ部隊による『君塚悠里』誘拐作戦を発動する」
「!?」
「今何と!」
「気は確かですか書記長!?」
その場にいた者達は驚愕して立ち上がる者や正気を疑い卒倒しかけた者も居たが、新倉は起死回生の一手を発表して、満足そうな狂った顔をしている。
「簡単なことだった。私達は『転生者達によるデスゲーム』に参加してた訳だから。なら、そのゲームの勝利条件さえ満たしていれば良かったんだよ」
「……つまり、その敵の首領たる君塚を直接誘拐し、殺害してしまえば、ゲームオーバーになって奴らの強大な軍隊は消えるかもしれないと?」
ヴァレンニコフは新倉のあまりにも飛躍したギャンブルのような賭けの内容に対し、強い懸念を示したが彼女は笑みを崩さず答える。
「それもあるし、平和的に行ける場合もあるよね?」
「まさか、あの君塚が降伏してくれると本気でお思いで?」
「するさ、間違いなくね。君塚悠里へは彼が断れない『魅力的な提案(脅迫)』をして降せば良い」
「誘拐作戦は良いとして、それは成功出来るのですか? 失敗すれば、ともすれば我らの致命的な危機になりかねません」
「それも大丈夫だ。少しだけアレンジを加える。それがダメなら、次の手もあるさ」
「……そこまで同志が仰られているなら、仕方ありません。我らも同意いたします」
ヴァレンニコフもヤゾフもウスチノフも、皆一斉にその狂気の熱量に沈黙させられ、そしてソビエト社会主義共和国は、次に取るべき行動が確定した。
作戦は直ちに発動され、タイフーン級やデルタIV型といった巨大な原子力潜水艦が艦隊を組んで、本作戦に動員される特殊な人員を輸送していた。
そして、夜の海中から浮上した原子力潜水艦群から、スペツナズ部隊が黒いゴムボートに乗り込み、静かに、かつ手早く発進する。
水上から潜入した工作員が隠密に上陸後、平原の国首都ズラトポルまで侵入し、君塚悠里が厳重な国内軍総司令部に登庁した隙(移動中など)を狙って攻撃、しかる後に彼を攫って海路で脱出するという簡単かつ明瞭な任務である。
だが、彼等には早すぎる悲劇が待ち受けていた。
「動くな!! こちらは国内軍沿岸警備隊である!!! 大人しくエンジンを停止させ、速やかに投降せよ!!!!」
なんと、事前にこの工作員の不審な活動は君塚の懐刀であるパヴェル・スドプラトフ中将の恐るべき諜報網に完全にヒットしていた。派遣された何隻かのタランタル級コルベットがサーチライトで海面を照らし、ゴムボートに乗る特殊部隊の進路を遮るように割り込み、彼らの行動を物理的に阻止しつつある。
「クソっ、待ち伏せだ! 引き返すぞ!! 潜水艦はどうだ!?」
「ダメです! あいつら、俺たちを見捨てて急速潜航しやがりました! 通信で『同志諸君、革命のための奮戦を祈る』と一方的に切りやがりました!!」
「……ああっ、どうしてこうなった!? 白旗を準備しろ! こんな海の上で、犬死するつもりは無い!!」
ゴムボートのスペツナズ部隊は脱出する事もままならず、しかし小火器で抵抗したところでタランタル級の圧倒的な火力(機関砲)には勝てないのは明白であり、止むなくプライドを捨てて降伏した。
「同志ニーナ。予定通り、海からの陽動部隊は降伏し、コルベットにそれぞれ分乗させられ敵の捕虜収容所へ向かうとのことです」
「了解した。さて、諸君。奴らの度肝を抜いてやろうじゃないか! 白鯨狩りの時間だぞ、気張っていけ!! これから真の意味で世界革命が始まる! 第一歩はこれより始まるのだと理解し、そして革命の炎により、腐った世界を燃やし尽くすのだと!!」
だが、新倉は彼らの降伏報告を聞いても全く動じていなかった。なぜなら、別の本命の作戦に全力を注いでいたからだ。彼等は元から優秀なスペツナズ部隊ではあるが君塚の目を引くための『ただの使い捨ての陽動』であり、彼女は自ら率いた『真の精鋭部隊』を龍の国に極秘裏に作成した偽装航空基地より、Mi-8編隊でレーダー網を潜り抜ける超低高度から着々と侵入させていた。
機体の塗装は完全な『平原の国国内軍』の塗装であり、平原の国王国軍の監視施設や龍の国の現地武装勢力の目を容易く掻い潜り国境線を越えていた。その後、現地に別ルートから侵入していた「農業用トラクター(に偽装した軍用車両)」部隊と合流し、全く警戒されていない北方から首都ズラトポルへと確実に迫る。
「さて……お会いできる時が楽しみだよ、君塚悠里」
ならば迂回だ




