夢が終わった後
西方世界が誇る平和なる街
高地の国、その威風堂々たる首都ゲルマニアは東方で繰り広げられている大規模な総力戦の喧騒をよそに信じられないほどの平穏と無関心に包まれていた。
「お~い、止まってくれ〜」
「お客さんどちらまで乗られますか?」
「すまないが、とりあえずこのメモに書いてるビルに行ってくれないか? なるべく急ぎで頼む」
「は、はい。分かりました」
「はい運転手さん止まって〜。ここ時速50km制限なんだけど、今ちょっと制限速度超えたよ」
「そ、そんなぁお巡りさん、メーターはまだ49だったんじゃ」
「ダメダメ、こっちのレーダーで超えてたのバッチリわかってんだから。ほら切符、早く警察署で罰金払えよ」
「へ、へい…」
近代的な市街地ではイエローキャブのようなタクシーが慌てているビジネスマンを乗せて高層ビルからビルへ走り回り、交通警官がスピード違反を厳しく取り締まっている。そんな『退屈で平和な日常』が惰性に満ちて継続されていた。
地方から新鮮な農作物を運ぶ大型トラックが食品工場や小売店に商品を運び入れ、トラクターの運転手は荷物を降ろすと速やかに次の配送先へと発進していく。その姿はこの国が持つ圧倒的な経済力と銃後の安寧を何よりも雄弁に示していた。
それはダヌビウス合衆国がヒムラー率いるブルグント軍に侵攻された少し後の日の事である。
帝国議会では同盟国であるダヌビウスへのブルグント侵攻の報を受け緊急で『国家人民軍(NVA)』の動員の可否について議会が招集されていた。
議員達はぞろぞろと高級な革靴の音を鳴らし壮麗な帝国議会の議場に入場している。中には企業役員との接待ゴルフや国立オペラ座でのコンサートの最中に呼び出されてしまったため、あからさまに不機嫌そうな顔つきの議員も多数見受けられた。
そして、議員達の腹の中ではその件について既に明確な『答え』が出ていた。
「これより採決を取る。……結果、帝国議会はダヌビウス合衆国への国家人民軍の派兵を否決するものとする」
議長は、冷徹に、そして何処か安堵したような声で議会で決定された事項を読み上げる。
帝国議会は与野党の党派を超えた圧倒的多数の賛成により、同盟国・ダヌビウス合衆国への軍事救援を拒否したのである。
「馬鹿なことを言わないで!? あそこは正式な同盟国なのよ! 同盟国に対して独立を守る為の派兵を拒否するって……それは実質的に彼らを見殺しにするのと同じじゃないの!! なら、私の直属である『国防軍』が救援を行うわ!!! それと、現地の駐屯部隊にも即座に交戦を許可する!! 私がこの場にて最高司令官として宣言したわ!!!」
「どうぞご勝手に、女帝陛下。ですが我が国の議会と全政党は国民の血税で維持されている『国家人民軍』を泥沼の山岳戦のために一人たりとも動かしませんので。そこの所、憲法並びに帝国法に則り深くご理解くださいませ」
「……この平和ボケした議会は、いつか、いいえ近い内に大いなる代償を支払う事になるでしょうね」
このように首都ゲルマニアの国民が平和な時代を謳歌しているのは帝国の議会での『不干渉決議』が最大の原因である。
現地人で構成されている国家人民軍は出動が議会で否決された為、国民は「山の向こうの野蛮な戦争」などそっちのけで日常に戻ってしまったのだ……。
もっとも、ダヌビウス合衆国政府は高地の国と同盟国であり、条約上の防衛義務があるにも関わらずなのだが。
今回見捨てる決断を現内閣は議会の顔色を窺って実行してしまったのだ。
流石のエリカも顔を青ざめさせ議会の近視眼的な利己主義を激しく非難し、自身の私兵とも言える『国防軍』の介入継続をその場で強権的に宣言しなくてはならなかった。
程良く平和主義と資本主義に染まりきっている議会はとにかく自国に降りかかる火の粉を避け、有権者の支持を失う国家人民軍の戦死者を出したくなかったのだ。
この冷酷な裏切りの一件でダヌビウス合衆国政府は高地の国政府(議会)とは深く距離を置き、後に女帝エリカを直接の盟主とする高地の国と対等かつ緩やかな『連邦制』での自立の方向へと歩まされる事になるのだがそれはまた別の話である。
そんな平和ボケしたゲルマニアの中にあって、国防軍の『防空システム司令部』だけは、今日も例外的にピリピリと肌を刺激するような張り詰めた空気が流れていた。
「どうだ? レーダーに何か反応は有ったか?」
「何も。見えるのは渡り鳥と民間旅客機と、空域の端で呑気に演習してる国家人民軍の機影だけで、他は何も映りません」
「あんな常軌を逸した狂ってる奴らのことだから、追い詰められたら何か正気を失った行動をしてくるかと思ったが……ここまで何事も無いと逆に不安に成って、仮眠時間も寝れんよ」
「仮眠くらい寝てください。もし司令官が見逃して全く反応出来ず、寝ぼけ眼で間違えて民間機や国家人民軍の機体を撃ち落としたら……もう、その後の査問会議なんて考えたくも無い」
高地の国の諜報網は、ブルグント軍にはOTR-23『オカ』などの短距離弾道ミサイル部隊が存在している事は既に察知していた。
だが、何処の深い森にどれだけの数が隠されているかは具体的には把握しきれていなかった。
ゲルマニア領空防衛の要であるPAC-3部隊の要員たちは敵弾道ミサイルへの迎撃任務の為、高地の国の国家人民軍や警官、そして一般官僚達の他愛ない日常が続く中で片時もレーダーから目を離さず敵軍の軍事的行動に目を光らせている。
そして、その張り詰めた警戒は決して無駄ではなかった事を彼らは身を以て知ることになる。
帝都のネオンすら眠る深夜1時。
突如司令部内に甲高いアラートが鳴り響き、巨大な防空レーダーのスクリーンに複数の不吉な光点が灯った。
その進路と高度、そして放物線を描く軌道は現在登録されているどの航空機にも無い反応であり、司令部では激しくアラームが鳴り響き高速で大気圏を割って接近して来る『それ』の脅威度がデータリンクで各防空陣地へと伝えられる。
「! レーダーに反応有り! 放物線軌道、恐らく弾道ミサイルです!!」
「やっぱりブルグント軍め、最後の悪あがきに撃ちやがったか! 何処に向かっている!!」
「……ここです! 予測着弾地点、帝都ゲルマニアの市街地に向かっています!! 弾数、複数!」
「到着時刻は!?」
「現在計算中!!」
帝都ゲルマニアに向けて飛来して来る敵弾道ミサイルがレーダーに映っていると言うことは迎撃までのタイムリミットは数分から十数分程度しかないという、極めて切羽詰まった状態である。
「出ました! 大気圏再突入を確認、弾着まで残り10分!!」
「わかった! 俺は今から上に報告するからあれを何としても撃ち落とせ!! 迎撃網を抜けて弾頭が破片であろうと一発でも市街地に届いたら俺達は全員不名誉除隊ものと覚悟しろ!!!」
「了解!!!」
「はぁ、全く……何なのよ今度は……空襲アラーム? 空軍の連中は何処で何してるのよ……」
「陛下、緊急事態です! 帝都ゲルマニアに敵弾道ミサイル攻撃であります!! どうか直ちに地下防空壕へお逃げを!!!」
「ほう、ヒムラーの奴、やっぱり仕掛けてきたわね。弾道ミサイル攻撃は想定の中には有ったけどまさかこのタイミングで撃つとは……そこは流石に想定外だったわ」
帝都の夜の静寂を引き裂くように耳障りな空襲警報のサイレンが鳴り響き、目を擦りながら寝起きの女帝エリカは着飾る暇もなくパジャマ姿のままベッドから飛び起きていた。
ローベルト・フォン・グライム元帥がこの非常事態における空軍の最高実務要員として自ら女帝を迎えに来ている。
彼は己の忠誠心が試されるこの最大の危機において宮殿内でエリカを守る護衛の近衛兵達さえも押しのけて馳せ参じていた。
「嫌よ。私は地下壕には逃げないわ。こんな夜中にネズミみたいに逃げ隠れしたら明日臣民にどうやって威厳ある示しをつけるのよ、グライム」
「し、しかし陛下! 敵のミサイルはもう間もなく上空に到達します! 万が一、防空網を抜けて宮殿に着弾するようなことが有れば……」
「万が一のことでしょ? それに、私が逃げたら議会の腰抜け議員達は『女帝は己の命惜しさに臣民を見捨てた』とそれを好機とばかりに責め立てるでしょうね」
「そうなるかもしれませんが、陛下の御命には代えられません!」
「なら、私は奴らにそんな下らない政争の隙を見せないようにしないとね」
帝国議会の議員達は常に女帝エリカの政治的失脚を望んでいるが、それくらい彼女にはお見通しである。
それ故に、臆病風に吹かれて地下壕へと逃げ去る情けない女帝の姿を見て、議会の議員達がエリカを厳しく糾弾してくるのが目に見えるように想像がついた。だからこそ、彼女は危険を承知で宮殿の執務室から立ち去らず、堂々とした為政者の姿を見せつける事にしたのだ。
(……ピンクのフリフリフリルが付いた、威厳の欠片もないパジャマ姿のままであるが)
「で、もうミサイル迎撃は開始されているのかしら? このサイレンのタイミングならミサイルはもう上空だと思うのだけど」
「はい陛下、既に防空司令部指揮の下PAC-3による迎撃は開始されております。そして、ミサイルを発射したブルグントの移動式発射車両も上空で待機していた空軍部隊が即座に空爆を行い、全て沈黙させたとの報告がたった今ルーデル大佐から参りました」
「よろしい。流石は私の空軍ね。全弾の迎撃が確認出来るか、あるいは何処かに運悪く着弾して後続のミサイルが無くなるまで空襲警報は解くな、良いわね?」
「は! 陛下のご意思のままに!!」
帝国領内へのミサイル攻撃についてエリカは自身の立場から出来る範囲内で冷静に指示を出したが一つだけ、ひどく苛立つ、気になる点が有った。
「ねぇグライム。一つ確認したいのだけど」
「はい、何でしょうか陛下」
「空軍総監は何処に行ったのよ? どうして副官である貴方が迎えに来て最高責任者であるあれが来てないのよ」
「……どうやら……その……私も総監の行方を方々手を尽くし探してはみましたが……恐らく、空襲警報が鳴った瞬間に自邸の地下にあるワインセラーも兼ねた特注の防空壕に真っ先に逃げ込んだものかと……」
「……わかったわ。ありがとう元帥、あなた達は悪くないわ。それにしてもあのクソデブ……こんな国家の危機に、どうして……!!!」
ギリッと歯を食いしばり深い苛立ちを抑え込む高地の国の偉大なる女帝陛下は部下のどうしようもない醜態に頭を悩ませつつ、「今度こそあのデブから全ての役職をひっぺがし、最前線の塹壕に突き飛ばして、代わりに伍長を空軍総監に据えようか」と本気で悩んでいた。
あのチョビ髭の伍長なら知識不足であり実務については不安が残り彼自身もその大任に文句は言うだろうが与えた命はキッチリこなさせる事は可能だ。
一方、ゲルマニアの夜空では多数の弾頭が高地の国首都に向けて飛来し大気圏から降下軌道に入り、はるか上空からロドモやオストパリの仇を討たんと恐るべき速度で落下していた。
「間に合え! 撃ち落とせクソったれ!!」
「迎撃ミサイルは既に配備された全てのアクティブなPAC-3ランチャーから発射されています! 後は神とレーダーの精度、そして奴らの杜撰さに祈るのみです!!」
地上から多数のPAC-3迎撃ミサイルが落下しつつある敵弾頭へ向けて白煙を引きながら飛んでいき、上空には流星群の如きミサイルの軌跡に合わせて多数の光が花火のように輝いている。
だが不運にも迎撃網をすり抜ける事に成功したミサイルの一部が凄まじい轟音と共に地上へと弾着した。
「クソっ! なんてことだ、抜かれた!!」
「何処に弾着したか直ちに確認しろ!! 被害状況を報告せよ!!」
司令部がパニックに陥りかける中報告がもたらされた。
幸いな事に弾着した数発のミサイルはその旧式の誘導精度の低さもあって、全て市街地から遠く離れた農村部や無人の荒野に落ちており高地の国の経済の中枢、そして政治の心臓部は完全に守られた。
後日では有るが今回の空襲で被害を受けた農民達にはエリカの個人的資産から補償を受け取って国民へのアピールも忘れなかったそうだ。
ヒムラーが妄執と共に叫んでいたロドモやオストパリの仇討ちは達成されず、彼の指す『偽りの帝国』へ致命的な痛打は最後まで与えられなかったのである。
この卑劣な首都への弾道ミサイル攻撃を受け、激怒したエリカの命によりオストパリへの最終侵攻計画が予定より前倒しされた。
先陣を切る最新鋭のプーマ歩兵戦闘車の車内にフェーゲラインと共に伍長は押し込められ激しい揺れに耐えていた。
「いよいよだなフェーゲライン二等兵。我々はこれより奴らの首都であるオストパリへと侵攻するのだ。……銃の整備はしたか?」
これから最後の仕上げとなる市街戦の為にフェーゲラインの装備について伍長は念のため尋ねていた。
「勿論です伍長。既に銃も念入りにクリーニングを終わらせ何時でも撃てるようにしています」
彼の持つKar98k小銃はきちんと弾倉に4発、そして薬室に1発装填されており確実な死を敵に届ける準備が整っている。
ブルグント軍兵は大半が戦意を喪失して投降し彼らを後方の収容所へと護送するための車両が大量に割かれたため前線に送るトラックが足りず、一部の国防軍兵士達はプーマやレオパルトの装甲の上に跨るタンクデサントを強いられている。
しかし、兵士たちの士気は復讐心に燃えて極めて旺盛であり弾薬も装備も万全に整った状態である。
「奴の宮殿の玉座に我々が一番槍として最初に必ず乗り込むぞ! あの馬鹿者の顔を一度キッチリ拝み倒して、陛下の御前に罪人として引き立ててやる!!」
「承知しました!」
後方では血の気の多いディートリヒ上級大将が無線で何やら熱く叫んでいたが二人はそれを気にせず前方を見据えた。
重低音を響かせてプーマ歩兵戦闘車が発進し燃え盛るオストパリの終焉が今まさに始まろうとしている。
東方世界の終焉の始まり




