家族について
夜に語らう
自室に戻った三人は取り敢えず湯船で一日の汚れと疲労を落とす事にした。まずは透が先に風呂に入り、ヤドヴィガと君塚は彼女が出てくるまで外で待つことになった。
「…私も流石に、今更ながら胃の奥から込み上げてくるものが有ります、殿下」
「本当ですね。実は私もです。あんな悍ましき下衆な魔法も存在するのですね、君塚様…思い出すだけで寒気がするのを抑えられません」
「もう終わった話ですし今は寝るだけですからこれ以上考えるのは止めましょう。厳しいかもしれませんが、時には『考えるのをやめる』のも身を守る手です。あれは悪夢と悪意に満ちた世界のほんの断片でしかありませんから」
パンドラの箱の中には最後に希望だけが残されて封がされてしまったという。ならばその最後に残された希望として君塚は存在しているのだろうか。誰もが予期せぬ光が、彼自身なのだとヤドヴィガは密かに思っていた。
「この世には最後まで諦めなかった者や信じた者が報われる話も多く有ります。例えそれが悪だろうと善だろうと、信じ抜けばきっと…」
「きっと福音がもたらされる、と仰りたいのでしょう?」
「流石は殿下、鋭い視野をお持ちで」
「君塚様、私もある程度は成長しましたのよ。もう明日には13歳…もう少ししたら、君塚様と出会い、この国をお救いくださってから10年に成るでしょう」
「ええ。殿下と出会って10年。…時は残酷で、時に苦痛を与えるものですね」
「ですが私にとってはもうすぐ訪れる未来と希望の足音のように思えますよ?」
ヤドヴィガはそっと君塚の肩に寄り添い、若い苗木の様な細い腕で優しく抱き着いてくる。そして、ぽつり、ぽつりと静かに語り始めた。
「…私には夢が有ります。とても大きく、そして愛のための計画が」
「叶うと良いですね、殿下」
「私は最後の福音を掴み取るためなら、全ての試練に耐えきって見せます。そして私の夢はこの玉座さえも代価として天秤に乗せられる、そんな夢なのです」
「…気軽に王位を賭け金にしないでくださいませ。私を泣かせたいのですか? 王の玉座は重いに越したことはないのですから」
あまりにも軽率な発言に少し冷や汗をかいた君塚だが、ヤドヴィガは真剣だった。彼女にとって玉座さえも投げ打てるほどの夢が確かにあるのだ。
「私にとって君塚様だけが私の真の家族です。君塚様が望まれるなら、私は玉座でも、私自身でさえも捧げられる覚悟はございます。ですから君塚様、どうか私が成人した暁には…必ず隣にずっと立っていてくださいまし。私は『聖女』故に老いることはなく、華やかな姿のまま永い時を過ごさなくてはならないのです」
「…然し殿下、貴女は――」
「だからこそ…! 私は今世では、いえ!君塚様と共にありたいのです!! だから…どうか…ずっと側に居てください、私の為に…どうか!!」
――どうか朽ちぬ花を、ずっと眺めてくださいませ、君塚様。
「…かしこまりました、殿下。然し、私も私なりに殿下の幸せを最優先に考えさせてもらいます。私も殿下を愛しておりますから」
「私は『貴方』を愛しておりますのよ、君塚様? 例え他国から縁談や婚姻を持ち込まれても全てお断りしますから。自らが仕え支えて操る王にここまで言わせるなんて中々に不敬な御方だこと」
ふふっ、とヤドヴィガが背伸びした笑みを浮かべた時バスルームの扉が開いた。
「兄さーん、お風呂上がったから早く入りなよー」
「それよりも殿下が先だぞ透! 今回はお前が吐いて汚れたから、先に慈悲深く殿下が譲ってくださり一番風呂に預かれたんだから…全く」
「では、君塚様。お先にお風呂に入ってきますね」
「どうぞごゆっくりと、殿下」
ヤドヴィガが優雅に浴室へ向かった後、シャワーを浴びて出てきた透は一枚のバスローブ姿に着替えていた。彼女の自慢のスタイルが布越しにさらに強調され少し距離があるはずなのに、すぐ隣に座っている時と同じくらい彼女の優しく甘い石鹸の香りが漂って来た。
「で、兄さん。ヤドヴィガ殿下と二人きりで何の話をしてたの?」
「少しだけ、他愛のない話さ」
「ふーん…まあ正教会も最近忙しくて大変なんだよね~。あちこちの貴族様と会食だったり、各地の大聖堂の運営費の捻出とか管理とかさ〜。後聖女達の保護活動の件で隣国まで飛んでいって、馬鹿な領主をしばき倒したり」
最近構ってもらえなかったからか、透は君塚の太腿に身体を預けるようにコロンと寝転がり膝枕を要求して甘え始めた。
「いきなり膝枕を要求するのは相手に驚かれても仕方ないと思うんだが。どうだろうか透?」
「でも私達家族じゃん。兄さんは、このパーフェクトプリティー美少女な透ちゃんが嫌い?」
「美貌について自分で言うかお前。俺は家族としてなら、お前は…まぁ、嫌いだが好き、かもな」
「異性としては?」
「異性としては論外だ。そもそもお前と俺はあくまでも家族だし、そうでなくても世俗の権力者と宗教の権威がくっつくのは、政教分離的にどうなんだよ」
「うーん、別に良いんじゃない? そこら辺も多分、私と兄さんならどうにか出来ちゃうでしょ」
膝枕をしている君塚の視界には必然的に透のたわわに実る胸部が入り込んでくる。彼女が身動きする度に柔らかく弾むそれには中身が『兄への愛』だけで構成されていると君塚だけが知っている。だからこそ君塚はあくまで「兄として」彼女の行く末を真剣に案じていた。もしろくでもない男が彼女に求婚したら、その時は真剣に全力で殺しに行くつもりだった。
「んふふっ、兄さん見過ぎだよ〜? 気持ちはわかるけどさぁ…もう少し頑張って視線そらすとかしなよ。さっきの『論外〜』とか『世俗〜』とかいう堅苦しい言い訳、全然説得力ないよ?」
「…こんなに美人なら嫁の貰い手とか、権力者の縁戚に成れるならとそういう目で見てくれる奴が居そうなのにと思っただけだ。俺はいつでもお前の幸せだけを考えているんだよ、透」
「…私は兄さん以外に嫁ぐ予定は無いよ。私は兄さん、貴方だけを愛しているし、例え神様とか色んな人やシステムが駄目だって言っても、必ず兄さんの隣に戻って結ばれるようにしちゃうから。だから兄さん? 私達はずっと離れないし家族のままだよ…それが、それだけが私の大切な幸せなんだから」
スッ…と透の瞳から光が消え去り、無表情のまま冷たく底冷えするような声に変わる。彼女にとっての歪で純粋な『愛』が重く真正面からぶつけられた瞬間だった。
だがその後透はすぐに甘えるような猫撫で声に戻り、表情も柔らかく蕩けきったものに変わってすっかりリラックスした様子を見せる。
「でも〜兄さん? 私を早くもらってくれないと、ずっと独身のまま最低1世紀位は生活させられて狂っちゃうかもね」
「そりゃ困ったな。透が……俺と結婚か。困るな、本来ならお前の以前の姿を思い出してしまうのに、最近はこの可愛らしい少女のお前しか思い出せないのは……俺の負けなのだろうか」
「うん。それは完全に兄さんの負け〜。ふふ、いつも兄さんは禁欲的過ぎるんだよ。もう少し自分の欲望に素直になれば楽なのにさ」
「駄目だ、今は権力者なんだから。そんな事をしたら醜聞に成るしそれに」
「それに〜?」
甘えきっている透を突き放すつもりで君塚は言い放つ。だが、透はその言葉に喜ぶだろうとわかっていた。
「お前へと責任を取るのに俺はまだ足りない存在だ。可愛くて危なっかしいし、何時ぞやの憎たらしさがどこかへ消え去ったただの女の子のお前を守りきれる存在に俺はなりたい」
「……へぇ、守りたいのか。この私を、か……」
兄の挑戦的な発言を強者である透は聞き逃さなかった。聖剣を携えた彼女は例え兄が総軍を率いて攻めてきても全員屠殺できるとまではいかないが、兄を暗殺して軍を大混乱に陥れる事くらい造作もないと考えている。
「俺はお前の兄で元々長男だ。そして今、色んな事情を抱えた女の子を養い守っていく立場なんだからもっと強くならないといけないし、戦う存在として力を誇示しないといけない。無論、透。お前も俺が必ず守る」
「兄さんよりも私の方が強いのに? 私、そこまで侮られるなんて心外だなぁ……何か足りなかった事は有ったかい?」
「それでもだ。お前は俺の大切な弟で妹で、この世にたった一人の真の家族なんだから。お兄ちゃんはいつも下の家族を守るのが責務なんだよ。だから透、頼むから俺の側から二度と離れず、側に居ろ。俺から離れる理由を作らないでくれ、透」
精一杯『君塚悠里』として、透に嘆願する兄として、そして彼自身の唯一の弱みとして、透へ祈るように願った。
「……お兄ちゃんとしての要素をそこで使うかぁ、兄さん」
「ああ。お前を救う為なら世界でも地獄でも天国でも、地の果てだろうとスラム街だろうと、部下と共に殴り込んでやる。部下が居ないなら俺が一人でも突っ込んでやる。か弱いお前の兄としての義務を果たす」
真剣な面持ちの君塚を見て、暫く沈黙したあとぷっ、と吹き出して透は少し笑ってしまった。
「あはは、兄さん、私よりも弱者なのに! 私よりも魔法も使えないのに!! 私を救う? 守る!? あははは、はぁ……流石は兄さんだ。自分が絶対上じゃないと気に入らない、そこも直した方が良いよ兄さん」
でも、と彼女は付け足す。
「私を守りたいって気持ちはよく分かったよ、兄さん。いつもそんなに悩んでくれてるのも知ってるし、いつも私を忘れず思ってくれてるのも知ってる」
「なら、総主教として残業も控えてくれ。兄として、お前より先に退勤なんて出来ないだろう」
「あら、兄さん。私がいつも夜遅くまで残業してるの知ってたんだ〜。へー、なら今度から兄さん、私の事結構気にかけてるってことで良い?」
「当然だ。兄であり、ヤドヴィガ殿下の政権の為だ。ひいては全て俺自身の為に成る事柄故に、気には掛けるさ」
「ふーん…でもさ、兄さんは私を『個人的にも利益の為にも』気にかけてるくれてるんでしょ? ならさ…」
透はゆっくりと起き上がると君塚の顔をグイッと引き寄せて、無理矢理口付けを交わした。君塚との間に特別な時間が流れ始める。離れたと思えば再び口付けを透が行い、柔らかい肉感のある透の唇と君塚の口から僅かな魔力の光を増幅させ、キラキラと輝く架け橋がかかった。
「んっ、ぷはっ…んっ、どう? 兄さん。私はずっと変わらない貴方がずっと好きだし、それにさ」
「何だ?」
「私は、あのヤドヴィガちゃんの事を必死に守ろうとする兄さんも好き。だって兄さん、あの子のことを思ったら必死なんだもん。なら私も兄さんの為にも頑張るよ! だって兄さんの目的と利益の為、なんだよね?」
天真爛漫な笑みを浮かべた透は、妖しくも情熱が秘められ愛に生きる女の顔に変わっていた。
「……透」
「兄さん、兄さんの気持ちは嬉しいよ。でも私はとっくの昔に『守られるだけの女の子』じゃないし、これからは私が兄さんを守りたいんだよ? ……私にはまだ男性らしさが少しは残っていたみたいだし、『好きな子を守るのがカッコいい』って思う自分も居るんだから」
君塚の身体へしなだれかかる透は甘い香りを強烈に放ち、可能な限り彼女の匂いを愛する男へと擦り付け、誰の所有物なのかを示す様に首筋に頭部を強くあてる。
「……まぁ、流石に兄さんの為だから今日はこの程度で抑えておくよ。そろそろヤドヴィガ殿下も出てきちゃうし、それに……」
「……それに?」
「遠足は家に帰るまでが遠足だからさ。後、スイーツは最後に取っておいて食べるものだし? ふふふ」
ガチャリと扉が開く音がした。
「君塚様、終わりましたわ。後、聖下とは大変楽しそうでしたわね」
「殿下、もう上がられましたか」
「ええ、それはもう……」
風呂から上がったヤドヴィガは透と君塚の話をキッチリ聞いていたようで、あからさまに不機嫌そうであった。
「私、最近非常に耳が良くなりまして。王宮内の誰が、どの方へ向けて陰口を仰っているのか良く聞こえるのですよ」
「それはそれは、殿下もお聡く成りまして。兄と共にこの事は喜び、大変嬉しゅうございますわ」
「殿下の成長、臣下として嬉しゅうございます」
透は少しだけ皮肉を込め、悠里は愛すべき幼き王への敬意で成長を喜んだがヤドヴィガは不満そうな顔のままだ。
「君塚様。私としては流石に女を侍らせて、しかも見た目が美しい方ばかりですので、私は『この様な事』を失敗したのだと最近思うのですよ」
「ですが殿下、私は兄が美女を揃えて侍らすことに抵抗はございません。むしろもっと侍らせて服のように着飾らせるべきかと」
「……それは、ハーレムを作って容認するべきだと? しかもそれを国内外に積極的に喧伝して権威として見せつけると……」
「ええ。原始的で野蛮に見えるかもしれませんが、兄の周りの女性達も早々身を引くような方ではないのはご存知でしょう? ……兄とあまり縁のないシグルーン様もどうやら輿入れさせようとしていると聞きましたし」
「……はい? 自国の女王を売り飛ばしたいのですか、龍の国は??」
とんでもない友邦の暴挙にヤドヴィガは目が点になり、開いた口が塞がらなかった。借金のカタに自国の女王を売り飛ばす国が一体何処の歴史に今まで有っただろうか?
「龍の国の負債は当面返しきれないので債務不履行だけは避けたいから女王を兄と結婚させて、さらなる金銭的支援を欲しているようです。まぁあんな惨状から立ち直るにしてはあまりにも早く有償支援の返済が開始されるので、一回目の利子支払い分だけでも何とか相殺したいとグスタフ宰相は企んでいるようですよ?」
「えぇ……それはそれで、これはこれのような……」
龍の国の財務が非常に厳しいと聞いて不安になり、自らの信頼し愛する摂政にこれからの事を尋ねようとした。そんな馬鹿みたいな縁談とか龍の国の経済とか、これからの外交姿勢とかについて直ちに協議しなくてはならないからだ。
「君塚様、今回の縁談、貴方はご存知で――」
「兄なら先程入浴の為に席を外しておりますが?」
ヤドヴィガの可憐な顔の筋肉がピクッと引き攣る。
ふざけるな、今お前の話をしてるのに何でこのタイミングで席を外すんだ、と。
「いつも……いつもこうです。もう慣れましたが、戻り次第みっちりお話する必要がありますわね!!」
風呂から出たら地獄だ
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