夜を過ごす
夜ではなく闇
鷲の国の帝都オリョール。すっかり夕日が落ち、静寂な夜の帳が下りてもなお帝国の再建作業は休むことなく続けられている。
君塚悠里は部屋の手配をした担当者を後で必ず叱責してやろうと心に誓いながら、胃に穴が空きそうなプレッシャーに苛まれていた。
あてがわれた寝所はヤドヴィガと透の同室であり、備え付けられているベッドはやけに大きく三人が寝てもまだ余裕があるほどの特大サイズだった。調度品も多人数での居住を前提としているかのような数が揃えられており、質の高さもさることながらこれだけの品を惜しげもなく置ける元の持ち主の財力には少しだけ羨ましさを覚える。
扉でさえもよく見れば装飾が凝った重厚で大きな作りになっており、館の主はきっとここで夜な夜な遊興に浸っていたに違いない。なるほど、革命の餌食にはもってこいの存在だったのだろう。
「これは…どうしてこうなる? はぁ…」
そっと目を閉じ、深い溜め息を吐く。
君塚はこれから過ごす夜について頭を抱えなくてはならないし、風呂も一箇所だけしか使えないと報告を受けている。
一体、新倉と愉快な仲間たちはこのオリョールで何をしでかし、どれほどの惨劇を引き起こしたのだろうか? 清掃すら間に合わないほどの虐殺劇を、どれだけ繰り広げたというのか。
本国に帰り次第、罪状の詳細な調査をせねばならないと思いながら、現実逃避するように思考を巡らせる。
「でも兄さん、こんなにフカフカで綺麗なベッド、多分そうそうないよ!」
「君塚様! 見てください、こんなランプは我が王国ではまるで見たことがありませんし、お部屋もとても広いですわ…!」
「我が国にも一応この程度の邸宅や寝室はありますが、確かにこの規模のものは中々に厳しいかと」
外部の発電機から引かれた電力のおかげでシャンデリアが部屋の隅々まで煌々と照らし出している。ソファーに用いられている革も最高品質であろう滑らかな触感だ。
ハンガーラックに掛けられたバスローブも極上のシルク製であり、これらも邸宅に備わっていたものを再利用しているに過ぎない。机や椅子などの家具も、目を見張るような高級品ばかりだ。
「タンスにも大量にお洋服が…あら? あれは何でしょう」
「ん? 何だ、あのタンスの裏の隙間は…。殿下、お気を付けて。私の後ろに下がってください」
ヤドヴィガがタンスの裏に謎の空間があるのを発見した瞬間、君塚は即座に二人を遠ざけ無線機で警備兵を呼び出した。
人が最低でも一人は隠れられるスペース。奥行きがあることから、もしかしたら隠し通路に繋がっているのかもしれない。
「すまない、誰か来てくれ。裏に誰か潜んでいるかもしれない」
無線での要請からしばらくして、廊下から慌ただしい足音と共に武装した国内軍の兵士たちが駆け込んできた。
「少しそこのタンスの裏側に怪しいスペースがある。誰も出てきてはいないが、念のため確認してくれ。でないと安心してこの部屋で寝ることもできない」
「了解しました、同志閣下」
兵士たちはPP-2000サブマシンガンを携え、タンスの周囲を慎重にクリアリングしていく。そして内部の安全を確認すると中から一人の男性の遺体を収容してきた。
「ご安心ください閣下。あそこには一人の遺体しかありませんでした」
「そうか、なら良かった。だとしたらこの屋敷の元関係者だったに違いないが…新倉の引き起こした悲劇の被害者だろう。丁重に『無名犠牲者の墓』へ埋葬するように」
「了解しました、同志閣下」
「全く…どの邸宅も掃除が済んでないのは例のバカタレのせいだぞ、クソっ」
速やかに遺体袋が運び出されトラックが発進していく。今もなお各地の建物からは遺体の搬送が相次いで行われており、帝国全土の革命による犠牲者たちは無名犠牲者の墓へと埋葬され続けていた。
「では殿下、透。そろそろ夕食が運ばれて参りますので、食事にしましょうか」
「はい! すっかり長旅で空腹になりましたから、楽しみにしてたんです!」
「うん。兄さんと一緒なら何でも美味しく食べられそうだよ」
ルームサービスにより運ばれてきた食事はロシア風のコース料理だった。
肉と魚をピクルスなどで煮込んだ酸味のあるスープ、トマトで煮込んだロールキャベツ、そしてビーフストロガノフ。それらに舌鼓を打ちながら三人は言葉を交わす。
「透、本国はどんな感じだった? 一応殿下からの伝言は聞いていたがあれ以外の情報も欲しかったんだが」
透は下唇に指を当てて、思い出すような素振りを見せた。
「んー、そうだな〜…例えば兄さんの所のメイド達だけど」
「ああ。彼女達はどうしてる?」
「兄さんが行方不明になってからしばらく皆塞ぎ込んでお通夜状態だったよ。特につむぎちゃんと美羽ちゃんは見てられない程で、ゾフィアちゃんが必死に庭木の手入れとかして気を紛らわせてたね。でも、兄さんの生存報告が来たら大急ぎで活気付いて、屋敷もピカピカの元通りになってるよ」
「そう、か…もっと早くに連絡するか、一度顔を見せれば良かったな。つむぎや美羽、ゾフィーには帰ったら特別休暇を与えなくてはな」
「それと、綾錦さんは兄さんの生存をずっと信じてたみたいで兄さんがボロボロの衣服しか無かった時のために沢山の新品の衣服を作ってたね。全部追跡機能付きでいつでも邸宅に逃げられる『瞬間移動』のオプションが付いてる特注品だって」
「…そうなんだな。そりゃまた凄いモノを作ってるな。一度は袖を通さないと怒られそうだ。ははは…」
苦笑いする君塚に、透はさらに続ける。
「それと低地の国のもね殿下だけど、兄さんが攫われたって聞いて絵で描いた兵士達を大挙してソビエト国境を越境させようとしてウィレム陛下に止められてたよ。あれは『烈火のごとく』ってやつかな?」
「笑えない国際問題が起きかけていたのだな…。ありがとう透、大体の状況は把握できた。もね殿下は今回は来てるか?」
「いらっしゃってるよ。きっと明日のパーティー会場で血眼になって兄さんを探すんじゃないかな?」
だが、和やかな食事だけで今日という一日が終わるわけではない。
君塚には、二人へ『捕虜』を見せるという重要な任務があった。そして、ナディア達とも合流しなくてはならない。
「では殿下。お支度が出来ましたらお声掛けください。地下の捕虜をお見せしますので」
「わかりました、君塚様」
しばらくして透とヤドヴィガの二人は動きやすい服に着替え、君塚が用意したリフィーネの待つ地下室へと向かった。
入り口にはJTFから派遣された兵士たちが立哨しており、彼らが見張る以上リフィーネの脱走やバトルメイド隊の侵入は絶対に許さないだろう。
(風呂より先に済ませた方が良い案件だしな…。二人には、もし我々が敗北した際の末路を直接見せた方が早いだろう)
二人と共に君塚は隔離部屋の前まで辿り着いた。その扉の両脇には警備兵の代わりにナディアとレーナがパイプ椅子に座っていたが、特に変わった様子はない。
「ご苦労さん、二人とも。異常を見たり聞いたりしなかったか?」
「特にはございません、閣下。殿下と聖下もご機嫌麗しゅう」
「同志閣下、異常なしで有ります。私も同志ナディアと同様、何も聞いたり見たりはしておりません」
二人の報告に異常がないことを確認すると、君塚は重厚な鉄の扉に手をかけた。
「では、よろしいですか殿下。それと透。今からお見せするのは『女性支配』と『胎蔵電池』の毒牙にかかった者の惨たらしい結末でございます」
「はい。ある程度は報告書で伺っておりますので、覚悟は出来ていますわ」
「…大丈夫だよ、兄さん。私も、少しはあんなクソ能力の被害者を哀れむ事は出来るから」
「すまないな、透。お前には辛い思いをさせるだろうが、これが『俺が奴に負けるリスク』でありこの世界の起こり得る最悪な末路だと思ってくれ」
重い音を立てて封印されていた鉄の扉を開ける。
部屋の中には非常に不機嫌そうなリフィーネの姿があった。
彼女は乳房や臀部をこれ見よがしに露出させていた『痴女専用』から、肌を一通り覆うベージュ色の拘束着に着替えさせられていた。だが腹部が異様に膨らんでいるため人道的観点から厳しい緊縛ができず、やむなく室内限定で手足にある程度の自由が許されている状態だった。
自由に動けるとはいえ、流石に彼女が君塚へと飛びかかるような真似はしなかった。
「…この方が、ですか。何と…酷い。その方のギフトとはこんなにも…」
「何というか…悪趣味な事は神堂以上だよ、これ…うっぷ」
二人はそれぞれ息を呑み、報告書に添付されていた画像などを思い返しながらそのギフトの悪辣さと悍ましさに鳥肌を立てた。
「…っ! ご主人様と私の子どもを愚弄するのですか!!」
「それを赤ん坊と呼ぶなら私は…いや、やめておくよ」
「このお二方はお前よりも身分が遥かに格上の方々だ。取り敢えず最低限の敬意は払え。でないとリフィーネ、貴様の飯のグレードを下げるぞ」
「君塚様、流石にそこまでは…。ですが私も少し、気分を悪くするというか…」
君塚はリフィーネを脅し自らの推戴する王への挑発的行動を抑え込んだ。だが、すかさず懐から一枚の写真を突き付け、冷徹に話を始める。
「見させてもらったよ。ニケが与えてくれた情報にデマが無いか念のため私の方でもチェックした。そしたら…これは何だ?」
「ふん! 貴方達には分からないでしょうね!! それがどれだけ尊くて、愛に満ち祝福された存在か…!!!」
「これを『愛』、か…。すまないがもう一度言ってくれるか? これの一体何が愛に満ちた祝福されるべきものだと?」
「このお腹の中の赤ちゃんがそうよ! 分からないの!? ほら、今もお腹を蹴ってる!!」
「…そうか。俺もその赤子の魂があるか、部下達と賭けができそうで困っているよ」
写真にはエコーによって撮影された子宮内部が映されていた。
そこには羊水の中にプカプカと浮かんでいる不気味な『胎児』が存在していた。
「こんな肉の塊を赤子と呼ぶなら、お前の顔面を一度だけ殴りたくなるが…こちらは堪えている。そしてこちらのお二方へお前の身に何が起きているのかを教えるために一度撮影した映像もご覧いただく。ナディア、レーナ」
「はい、閣下」
「準備は完了しております」
部屋の電源が落とされ、暗闇の中にプロジェクターの光が投射される。
リフィーネは背後に立つナディアによって喉元に鋭利な短剣を突き付けられ、身動きを封じられた。
「最初はエコーの映像だ。先ほどの写真でお分かりの通り、この浮かんで泳いでいる丸い肉塊が『電池』だ。……あまり良い物ではないが、どういう理屈だか知らないが泳いでいるし、母親への能力強化も行なっている」
「当たり前です! ご主人様との間の大事な赤ちゃんなんですから、生きているのに動くのは普通でしょう!!」
「…なんか…こんなモニョモニョしたのが動くのを見るだけで、ちょっと無理…うっ」
「聖下、エチケット袋はこちらです」
「ありがとう、ナディアちゃん…」
「どういう神経をしていれば、こんなグロテスクなものが…」
悍ましさに耐えられず、夕食の一部を戻してしまった透だがそれでも目を逸らさず直視している。
「で、大きさは大体平均的な胎児と同じ50cmで…重さも約3kg。人間のそれと同程度だ」
「…兄さん? 重さってどうやって量ったの?? まさか腹を掻っ捌いたとかじゃ…」
「遺憾の意を表するぞ、愚弟。流石に俺もそこまで外道を究めている訳ではない。電池と言ったが、何故電池と呼ばれるか…その理由がはっきりとわかる動画を流す」
「…ま、まさか」
次の動画に切り替わるとそこにはベッドの上で点滴を繋がれ、苦しそうに蹲るリフィーネの姿が映し出された。
『はあ、はあ、うっ、ああっ! ぐっ! 出て、く、る!! んあああああっ!!!!』
凄まじい絶叫と共に、肉塊がスカートの中から這い出てくる。透とヤドヴィガは顔を青褪めさせ、椅子から飛び退きかけたが録画は無情にも続く。
ぴちゃり、ぴちゃりと粘液の音を立て、時にはおぞましい触手を出して『母親』を探そうと蠢く肉塊。リフィーネはそのモンスターをまるで我が子のように抱き上げ、愛おしげにあやそうとする。
人間のものとは思えない耳を腐らせるような甲高い泣き声をあげる化け物に君塚も改めて眉間にシワを寄せた。
『■■■■■ー!!』
『はあ、はあ、あは、わ、たし、の赤ちゃん。はあ、はあ…大丈夫よ、お母さんは――』
そこへ防護服を着たスペツナズの屈強な兵士が歩み寄り、リフィーネの腕から無理矢理その肉塊を乱暴に取り上げた。
『それでは早速電池の計測を開始する。さっさとそのミートボールを取り上げろ』
『ああ、やめ、て、私の、はぁ…はぁ…赤ちゃんなのっ!』
『■■■■■■ー!!!』
『さて、取り敢えず先ずは体重と体調の測定だ。次に解剖を行う。閣下の情報が正しければこいつはそれでも死なんよ』
『や、やめて…やめてぇぇぇ!!』
医官が肉塊を受け取り体重計に乗せメジャーで測定した後、メスで体内を切開する。
だが醜い塊が冒涜的な悲鳴を上げるだけで何も起きない。血の一滴すら流れないのだ。
『驚いた、こりゃ閣下の仰ってた通りじゃないか…これは…どういう理屈だ?』
『植物なのか…? 血が出ないなんて動物としてありえない…だが、こうやって血管のような脈動があるのに、一体…』
『■■■■!!』
『いや、いやよ、いやぁぁ…! 私の、家族にこれ以上、暴力を…振るわないで…!』
『抑えてろ、クソっ暴れんじゃねぇ!! 麻酔、麻酔持ってこい!!』
『持ってきたぞ! 暫くじっとしてろ!!』
『だめ! やめて、私、私のたった一人の家族が!! 離して!!! いやあ、返して!!!!』
『凄い…これを解明したら、俺たちはノーベル賞を受賞出来るかもな』
『未知の探求が出来るこの大会には感謝しきれないな。魔法使いと言い、こんな化け物の解剖と言い!!』
『フェンタニル持ってきたぞ!』
『よし、そのキャンディを舐めさせるんだ! この、やめろ、離せ馬鹿力女!!』
映像を途中で打ち切り、部屋の明かりをつける。
透はエチケット袋から顔を外せず、ヤドヴィガは理外の理を脳に直接叩きつけられたような表情で魂が抜けたように呆けていた。
「おえっ、げえっ、…げほっ…兄さん、あの後どうなったのさ、あのミートボール…あー、だめ、もう暫く肉だんご食べれない…おろろろろ」
「…あれは無事母体に帰還した。切っても切っても再生しやがる化け物だから殺し切れなかった。脱着可能で遠隔地に電池を保管できるのが強みであり、そしてその『電池』の破壊は並大抵な事ではないという事を説明したかったんだが…。俺も、アイツらがここまで非人道的な真似をしてるとは知らなかったんだ」
「私は一体何を見せられたのでしょうか…あれは、一体…そもそも、いえ…」
「殿下。激しくお気を害した事については深くお詫びいたします。ただ、アレを殿下に植え付け、平原の国を乗っ取るのが今の敵の目的だとお考えください」
「…あれを!? そ、そんな…」
「あれが我が国の敵です。そして、こちらの女の腹に宿されている赤子の正体です」
沈黙が降りる中、リフィーネが君塚を睨みつけてギリッと歯を鳴らした。
「悪し様に言うのはやめてくれる? 大体あの子に、あんな酷い目を遭わせておいてよくぬけぬけと…!」
「君への人権侵害については後できっちり謝罪し、賠償もしよう。部下の暴走は俺の責任だ。だが今回の件は我が国の上層部に共有されるべき極めて重大な脅威情報なのでね。プライバシー侵害だろうと断行させていただいた」
「人でなしのクズめ…!!」
「それ以上閣下を非難するなら、今すぐあの世の同胞に会わせてあげますけど?」
ナディアは鋭利な短剣を少しだけ首筋に食い込ませ、リフィーネの薄皮を切って一筋の血を滴らせた。
「取り敢えずナディア、そんな手荒な真似はせずすぐに離してやれ。それと殿下、あの捕虜は本国の私の邸宅へと連れて帰ります」
「どうぞお好きにされてください、君塚様。貴方がこれほどの無類のサディストとは思いもしませんでしたが…然し、あれはあまりにもやり過ぎでは?」
「ええ、やり過ぎだと感じました。担当職員には既に厳しい処分を下しております」
「二度とあの様な事はされないようにしてください。平原の国の品位に関わりますから」
ヤドヴィガは怒り心頭で君塚に接していた。まさかあんな残酷な暴挙に打って出ているとは想像していなかったし、自分への警告のためなのだろうがあまりにもショッキング過ぎる映像だったからだ。
「肝に銘じます、殿下」
「…では、私はひどく疲れましたので部屋に戻ります。聖下はどうされますか?」
「うう…殿下とお供いたします…後兄さん、あんなのもう二度と見たくないから…うえっ、わかってくれる?」
「すまなかった透。これが最初で最後さ。俺もあそこまでグロテスクな事になるとは思いもしなかったんだ」
『胎蔵電池』――。
それは母親という神聖な概念を底の底まで冒涜し、生命を自身の残機へと変換し、平気で己の経験値や能力共有の道具として使い潰す恐るべきギフトである。
悪魔が考えついた決して許されざる悍ましき赤子。
それが君塚悠里たちがこれから戦うべき「絶対的な敵」の正体であった。
悪意と搾取
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