幕間─担当官達は憂鬱になる
裏方の憂鬱
消毒液の臭いがツンと鼻を突く医務室。
ベッドに横たわり何本もの点滴の管に繋がれた重傷の女性を高級スーツを着こなす男性が南極の大地の如く冷たい目で見下ろしていた。
ニケの脱走により運営側は彼女の消息と担当転生者への影響を事細かに把握する必要に迫られていた。その上あろうことか『特上スポンサー』であるはずの神々が勝手に特例で担当官として参加し、あまつさえ箱庭へ直接物理的に降臨するなど完全に運営の想定を逸脱する事態が立て続けに起きていたのだ。
運営課長は胃袋がキリキリと痛むのを堪えながら、深刻な脳挫傷からようやく意識を取り戻した部下─―エリスを見下ろしていた。
頭部に巻かれた分厚い包帯は痛々しく、自慢だった美しい金髪も開頭手術のために全て剃り落とされかつての傲岸不遜な美貌は見る影もない。ベロボーグとチェルノボーグの暴挙によりタブレットを強奪された際食堂のカートの角に頭から突っ込んだ結果、彼女は生死の境を彷徨った。幽鬼のように生気を喪失した土気色の肌。深刻な脳へのダメージからか視覚や聴覚にも障害が残り、記憶の混濁も激しい。
だが意識が戻った以上、彼女の悪辣な頭脳なら何か起死回生の策があるに違いないと課長は期待していた。「女性支配」や「胎蔵電池」といった観客を喜ばせる露悪的なギフトの数々を考案したのは、他ならぬ彼女だったからだ。
「……どうしたものかね? あんな暴挙が許されるなら、我々大会運営局はこれ以上あの君塚悠里を放置しておけない。『大会の敵』として排除する必要に駆られているのだが……はぁぁ、どうしたらいいか何か案はないか?」
課長は深いため息をついた。だがベッド上のエリスは焦点の合わない目で怯えるように俯き、ただひたすらに赦しを請い始めた。
「も、申し訳ございませんでした、課長……。この様な……まさか、タブレットを強奪されてしまうなど……。そ、それに、君塚悠里も新倉菜月も討てず、大会の、人気候補が……またもや、討ち取られかけたなど……申し開きも……」
「謝罪などどうでも良いんだよエリス君。それよりも案を出してくれ。君は転生者担当官たちのトップ、監督官だろう?」
「ほ、本当に、申し訳……ございません……」
「脳にダメージを負った程度でそんなナヨナヨしおって。以前の君の方が輝いていたぞ? 傲岸不遜に担当転生者を裏切り、破滅させる残酷さこそが観客を喜ばせていた。あの君塚透を女体化させてギフトに堕とした件も大好評だったじゃないか。アバターを人間に模させすぎたのが災いしたか……?」
あまりにも腑抜けて幼児退行してしまった部下に課長は苛立ちを隠せない。彼は今回の君塚悠里と双子神のイレギュラーで大激怒している特上スポンサーからのクレーム対応でストレスがピークに達していた。だが、いざ自分自身で盤面をひっくり返す対応策を練ろうにも全く名案が浮かばないのだ。
「ご、ごめんなさい、わ、私!私…」
「謝罪ではなく案を出せと言っている! スポンサーへの土下座は私の方でとっくの昔に済ませた後だ! 君がこれからのゲーム進行と企画を担当するのに、君塚悠里を始末する予定なのにそれでは大会運営局が困る!」
「は、はい……申し訳……最悪、私を……」
「駄目だ! ネメシスもお前より役立たずだし何より気性が荒すぎる。貴様が受け持っていた一番人気の神堂は退場させられ、その上あの天道でさえ君塚に軽く捻られた! さて、どうしようか? 私はそこら辺の前向きかつ建設的で重要な話がしたいのに何故貴様はそうも怖気づく!? 何故憎たらしい筈のあの男を粉砕しようとしない!? 何故だ、問おう! 私は奴の首に、他の転生者どもが食い付くような特大の『懸賞金』をかけた! だとしたら監督官である貴様も何らかのアクションを起こすべきだろうが!」
激しい檄を飛ばし、かつての最も優秀な部下からもっと露悪的で理不尽な展開を引き出そうとするがエリスには覇気の欠片もなくただガタガタと怯えるばかりだった。
苛立った課長は医療用ベッドの手すりを乱暴に掴み、これでもかと怒鳴りつける。
「あの馬鹿どもに持ち去られた端末の事がそんなに気になって怯えているのか!? 気にするな、既に新しいものはもう用意している! あんな物いくらでも代わりを用意してやるし、中のデータも全て移行済みだ! 手続きも設定も完了してもうそろそろ君に支給される! どうだ! これで気分は良くなったか!? そろそろ何か、君塚を殺す素晴らしい考えは浮かんだかね!?」
凄まじい剣幕で迫る課長の憤怒は脳の損傷で幼児退行してしまったエリスにとっては、まるで親が理不尽に怒鳴りつけてくるような絶対的な恐怖の圧力でしかなかった。彼女の壊れた脳内はパニックを起こしただ謝ることしかできなくなっていた。それが今の幼い心しか残っていない彼女の悲しき生存本能なのだ。
胸ぐらを掴まれ揺さぶられるのにただ泣き喚くしか許されていなかったエリスを見て、課長はギリギリのところで手を止めた。殴って解決するならとっくに殴っているが脳挫傷の重病人をここで殴り殺しても事態はさらに悪化するだけだからだ。
役立たずのタンパク質に価値はない。
「ひぅっ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい! ごめん、なさいっ! もう、もうしませんから! わ、わたし、も、もう何も出来ませんからっ……! 許して、許し、て、くだ、さいぃっ……!」
錯乱して泣き叫ぶエリスを見て課長はチッと舌打ちをして、そして大きく聞こえるように溜息をついてから手を離した。
「……しまったな。焦り過ぎたか。だが貴様が悪いんだぞ? こんな大事な所で倒れるような軟弱者だったとはな! 失望したぞ、この無能の恥さらしめ!」
課長は忌々しげに吐き捨てて病室を退室した。
残されたエリスは一人頭まで布団を被り、ガタガタと震えながら泣きじゃくるしかなかった。
確かに以前の彼女は悪辣さの権化であった。過去の大会で優勝した君塚透を欺き、その魂を聖剣へと押し込め、身体を女性に作り変えた。その上で今大会のチートギフトとして配置し透の尊厳を徹底的に嘲笑いながら、神堂の慰み者になっている様をVIPに生配信し続けた。
「女性支配」などの非道なギフトによって上位転生者たちが戦わずして強者の女性たちを隷属させ昼も夜も奴隷のように扱い、物として酷使して死なせる様は、観客たちを大いに熱狂させ、残酷な投げ銭を大量に稼ぎ出していた。
誇り高き屈強な存在が無惨に尊厳を砕かれて散りゆく様はいつだって誰だって興奮し賛美するものなのだ。たとえ人であろうと神であろうと同じことだ。剣と剣を交わらせるのではなく、他者に洗脳された哀れな弱者に泥を啜らせる――それがエリスの得意とする「極上のエンターテインメント」だった。
だが、それを根本から打ち壊すイレギュラーが現れた。君塚悠里である。
君塚は「軍隊創造」と「官僚創造」という地味なギフトであっさりと一国を乗っ取った。そのまま次々と平原の国の問題を解決し、神堂の野心や欲望を幾度も挫き、低地の国の防衛、透の解放、龍の国の解放、そして最終的には一番人気だった神堂の処刑まで成し遂げてしまったのだ。
それ以来エリスは天道輝という手駒を使い、彼を徹底的に成長させて君塚に対抗できる「最強の怪物」へと育て上げた。ついこの間までそれは完璧に上手くいっていた。何なら、君塚に不正なバックアップをしていた憎きニケの追放さえ達成し自らは「監督官」に任命される栄誉までいただいたのだ。
『……えーい!!』
『ぐかっ!』
『端末を拾うのよベロボーグ!急いで!!』
『わかってますよチェルノボーグ、急かさないでください!!』
だがあの双子神の乱入によって全てが崩れ去った。食堂へと向かう途中、背後からいきなり硬いもので頭部を殴打された。その弾みで正面にあった配膳カートの鋭い金属の角に脳天から思い切り突っ込んでしまったのだ。頭蓋骨は大きく陥没し、裂けた傷口からおびただしい量の血が噴き出した。
運営のアバターは元となった神格のデータをベースとしているため身体自体は非常に頑健だった。それ故に皮肉にも致命傷であっても治療が間に合ってしまったのだ。剃髪と大手術の末、彼女はどうにか一命を取り留めた。
しかし、彼女が昏睡している間に天道はエリスの「待機しろ」という言いつけを無視して君塚と交戦し、そのまま歴史的な大敗北を喫した。新倉も敗れ君塚は世界を揺るがすほどの強大な存在へと成り上がってしまった。さらに君塚の庇護下にある透やつむぎ、美羽といった転生者たちも、彼の存在の陰で恐るべき強化を遂げているという絶望的な報告だけが次々と届いていた。
目の前が以前よりも薄暗く、ぼやけて見える。脳の損傷により視覚に重大な異常をきたしたのだ。耳もひどく遠くなり、キーンと高く鳴る耳鳴りが止まらない。実は先ほどの課長の怒号も半分ほどしか正確には聞き取れていなかった。
「あ、あぁ……あ、うぅ……っ、やだ……うぅっ、ぐぅぅ……」
とめどなく涙が溢れてくる。全てを失いこれまで築き上げた権力も何もかもが手から滑り落ちた。今彼女に残されているのは、ただの「無能な担当官」という肩書きだけだ。
だがそれは自分が双子神に背後を取られるという隙を見せたからだ。自分が物理的な暴力の前ではひどく脆く弱い存在だったからだ。
全部、私のせいじゃないか。
エリス、お前が撒き散らした悪因悪果の末路だろう? 良かったな、ついに自分自身がお気に入りにしていた「無惨な弱者」の立場に辿り着けて。
「も、もう、いや…もう、やだぁ…。たすけて…助けて、よぉ…」
君塚悠里はこの件において運営に直接手を出したわけではない。彼女自身の詰めが甘かったのだ。そして双子の女神はあくまで不可侵の『観客』の地位を持っているため運営側から報復することすらできない。
ズズッ、と鼻水を啜る汚い音。
それが白い天井を焦点の合わない目で見つめるエリスが自発的に出せる唯一の音であり、唯一の存在主張であり、唯一の行動だった。
これでは芋虫と変わらない。
いや、何も生み出せない分それ以下だ。
「…悲惨だな。ああはなりたくはない」
「同感。私もエリスみたいにはならない自信はあるし大丈夫だろうけど……でも、あれは流石に酷いよねぇ? 課長、あんなド派手な八つ当たりで何がしたかったのかなぁ」
「役立たずは我らに不要。運営の鉄則だが、あれは死体蹴りが過ぎるだろ」
病室の小窓から内部の惨状を覗き見している二人組がいた。新倉の担当官だったネメシスと別の担当官ヘスティアである。
「で。エリスはあんなのだから完全に使い物にならない廃人だし、憎き君塚悠里は着々と勝ちに来てる。私達の担当転生者たちを向かわせていっそ君塚を暗殺させちゃう?」
「無茶言うな。私の所にある最新データから見ても、あの男の防諜網も戦力も最早一個人の枠を完全に超えている。もし突っ込ませるならお前の所の奴らだけにしてくれ」
「やだぁ、冷たいわねネメシス? でもぉ……一先ず、あのとってもかわいそうなエリスにさっさと見舞いの品を渡しに行きましょうかぁ」
「そうだな。課長から『役立たずに構うな』と大目玉を食らうのは覚悟の上だが、流石に昨日までの同僚を見捨てて笑うような薄情者で終わりたくはないからな」
ネメシスは軽くドアをノックしたが中からはエリスがさめざめと啜り泣く音しか聞こえない。返事もできない彼女のため二人は静かに医務室のドアを開けた。
「よう。死んでなかったみたいだな、エリス」
「貴女がくたばってなかったのは残念だわぁ? 亡くなってたら、今頃私が監督官だったのにぃ」
「ね、めしす……へ、すてぃ、あ……?」
涙で赤く腫れ上がった虚ろな目が悪友としてわざと軽口を叩く二人の方向を向いた。しかし焦点は定まりきっておらず、ただ音のする方向を必死に探しているように見えた。
ネメシスは相変わらずダボダボのだらしないスーツ姿、ヘスティアはラフなオフィスカジュアル姿である。
「おいおい、私はこっちだぜエリス。……まぁ、無理すんなや。見舞いのリンゴ持ってきたから後で皮むいてやるよ。食べよう、な?」
「あの時、随分と馬鹿みたいなコケ方したと思って見に来たら……あんの駄女神ども、本当に許せないわねぇ。おかげで私達まで面倒な事になりそうだし……はぁ。まぁ、今の貴女にそんな嫌味を言うよりも欲しい情報があるから話してちょうだい?」
「うぅ……ねめしす、へすてぃあ……ごめっ、ごめん……。わたし、わたしぃ……」
「気持ち悪いからやめろエリス。私達はアレだ、お前のマヌケ面をからかいに来ただけなのに本気で謝られても困るんだって」
「えぇ。私達は出世を争う敵同士なのに慰め合って馴れ合うのはおかしいでしょう? 大体、課長は課長、私は私、そしてそこの馬鹿は馬鹿なんだから」
「おい、誰が馬鹿だって? 聞き捨てならねぇな」
二人がわざとらしく他愛ないことで口喧嘩をして笑い合う声を聞き、エリスの顔から少しだけ恐怖が抜けほんの僅かながら心の余裕を取り戻したようだった。
だが一方で運営管理室に戻った課長は、メインモニターに映る君塚悠里をひどく不愉快そうに睨みつけていた。
「貴様のせいで此方のシナリオは全部台無しだ、君塚悠里。貴様が空気も読まず大番狂わせをしたせいでこちらがスポンサーにこの様な醜態を晒させられる羽目になったのだ……!」
拳を握りしめ、掌から血が滲むほどの力を込めていたが、やがてフッと肩を落とし溜め込んだ重い息を吐き出した。
「エリスは廃人の無能になり、生意気なニケも消えた。残されたのは無能な他の手駒と……私の手元にまだたっぷり残された『奥の手』たちだ」
課長は自らのARグラスを操作し、ついに運営責任者としての『直接介入』に踏み切ることを決断した。
「では君塚悠里、私と少しだけお付き合いいただこうじゃないか。神々の望む『ファンタジー』は、近代兵器ごときに踏みにじられたままでは、まだ終われないんだよ」
─さぁ、私と踊ってごらん?たりららら、トゥリララと
動く者、去る者
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