そして時は過ぎ去り
このまま過ごせたら良いのに
鷲の国の帝都オリョールに朝が訪れた。
窓外の小鳥の囀りの代わりにベッドサイドの目覚まし時計が甲高い電子音を鳴り響かせ、川の字になって眠る三人を強引に現実へと引き戻そうと奮闘していた。
薄手のパジャマに着替えているヤドヴィガと透は中央で眠る君塚の身体に左右からタコのように強く抱きついている。左腕には透の豊満な山脈が、右腕にはヤドヴィガの健やかに成長中の丘が密着しており、身動きをする度に際どい谷間がチラチラと視界の端を掠める。
柔らかい朝日がカーテンの隙間から静かに差し込み部屋の中に二人以外の温もりを与えようとする。それは君塚を完全に目覚めさせるのには十分すぎる刺激だった。
だが両腕の二人はこの至福の時間を噛み締め、決して逃がさないとばかりにさらに強く絡みついてくる。
「ん…朝か。色んな意味で、割と夜が長かったような気がする…」
「んへへ、兄さん…んふー、もう離さないよ〜」
「君塚様…誰にも、渡しませんから…貴方だけは、絶対…っ!!」
「…大事に守り抜かないといけない眠り姫コンビは、どうやらまだ起きたくないようだ。はぁ…全く泣けてきた」
何とかいつも通り関節を外し、拘束から抜け出そうと試みる君塚だったが逃げようとする腕を二人は決して離すまいと指を蛇のように絡め、万力のような力で握りしめている。
「…おはようございます、殿下。それと透」
「んぅ、まだ朝は早いよ兄さん。もうちょっとだけベッドで一緒にいよ?」
「そうですよ君塚様。今日の予定まではまだたっぷりと時間はございますから、もう少し『家族』として共に語り合うのも乙なものかと思いますが?」
昨晩、二人はシグルーン女王から持ち込まれた『輿入れ』の話について君塚を激しく問い詰めていた。君塚は「その件については戴冠式の場で直接問いただす」と明言し、何とか就寝の許可を勝ち取ったのだ。
だが彼女たちはその件を決して曖昧に終わらせるつもりはなかった。あのような破廉恥な外交姿勢を容認すれば、君塚の権威と平原の国のパワーバランスが揺らぎ、世界情勢が一変するからだ。
(今の自分たちが摂政の寝台を不法占拠している『破廉恥な行為』は完全に棚に上げているらしいが)
「いや、でも戴冠式の支度は早めにしないと…」
「これは貴方の『王』としての命令でも下します。私と暫く共に居てください。折角こうして久し振りに同じ朝を迎えられたのですから、少しは私を見てくださいませ」
ヤドヴィガの顔はまたもや不機嫌そうに膨れていた。
無事に生きていると報告が来たと思えば、しばらく自分たちをすっぽかして他国の内戦へ干渉しそのまま鷲の国の再建まで勝手に担うという暴挙を成し遂げたのだ。この男は自分が平原の国の摂政であることを忘れてしまったのだろうか、とヤドヴィガは幾度も疑ってしまった。
「殿下…かしこまりました。であれば、臣下としてお言葉に従いましょう。だが透、お前はそろそろ―」
「出ないけど?」
「だよな。はぁ…」
朗らかな満面の笑みで即答する透。その清々しいほどの開き直りに流石の君塚も沈黙し、深い溜め息を吐いた。
「だって兄さんと漸く一緒に寝られたんだよ? それに私と寝れたなんて、兄さんも嬉しくないの? まさか、前世からずっとホモだったとか!?」
「…その件はお前には言われたくないぞ、愚弟。それは、まぁ…殿下やお前が迷惑じゃなければ嬉しいのは本当だ。あるべき日常が戻ってきたから、安心しているに決まってる」
「でしたら、もう少し寝ましょう、君塚様。私も貴方様の温もりを誰よりも求めておりますし、玉座と同価値である貴方の温もりを知る事が何よりの喜びなのですから」
愛の重すぎる二人は掛け布団を首元まで掛け直し、再びゆっくりと君塚へと身体を寄せる。
「っ! 殿下、朝からお戯れはおよしください!!」
「ふふふ、私をこんなに放置した君塚様には、罰を与えねば成りませんから……んっ」
そして君塚のパジャマのボタンを器用に外し、胸板を露出させたヤドヴィガはそのまま顔を埋めて首筋へ口付けを開始した。まるで己の所有物に名前を刻み付ける様に微かな音を立てながら力を籠めて吸い付く。
「……! 殿下、もうお戯れはおよしに……!!」
「んーもう、兄さん鼻の下伸ばしてるでしょ!? なら私はこっちもらうから!! んっ、はむ」
「と、おる……! うなじは、待て、それ、だけは、ぁ……っ!!」
君塚のうなじにヤドヴィガと張り合うようにキスをし始める透。
いよいよ貞操のピンチになりかけていたその時、救いの手が現れた。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
「閣下、お目覚めでしょうか? 朝食のお時間でございますがいかがされましたか? あと、殿下と聖下もそちらにいらっしゃるかと思われますがお三方は現在どのような状況でございますか?」
ナディアが朝食の用意ができたことを知らせに来たのだ。君塚は肉食獣から逃げ延びる草食動物のようにベッドから跳ね起き、声のした扉の方向へと駆け寄った。
ガチャリッ、と扉を開け冷静な秘書の姿を目に映す。
「ああ、おはようナディア。今日も一段と美しさが増しているよ」
「あら、おはようございます。閣下は私にそのような浮ついた言葉をおかけになられるほど追い詰められているご様子…少し、室内を確認してもよろしいでしょうか?」
君塚は焦りのあまりパジャマの胸元をはだけさせたまま出てきてしまっていた。だか、大体の事情を察しているナディアは特に何か彼を責め立てるようなことはしなかった。強いて言うなら、彼の胸板とうなじに生々しく付けられている真新しいキスマークをジッと見つめていたくらいだ。
室内のヤドヴィガと透は獲物を逃がして不機嫌そうな表情でナディアを睨んでいるが、ナディアは二人の事情を完全にスルーする事に決めていた。そもそも彼女には「君塚を朝食へと誘う」と言う大義名分がある。たとえ女王だろうが宗教指導者だろうが関係ない。彼女にとっての唯一の主は目の前で狼狽える君塚悠里だけなのだから。『主の主は、主にあらず』。それが彼女の忠節の考え方だ。
「では、閣下もお召し物を整えられた後にどうかダイニングへいらっしゃってくださいませ。皆さま既にお待ちになられておいでです」
「分かった。ナディアを含めて、皆を待たせてしまったようだな…すまない」
「いえ、お料理自体は完成しておりますが…ニケ様が空腹に耐えかねて、閣下を早くお呼びするようにとテーブルで騒いでおりまして。まだ予定までにはそれなりに時間が有りますのに…」
ニケは既に起きていて今はダイニングのホールで座って君塚の到着を待っているらしい。なら、恐らく護衛のレーナも呆れながら待っているに違いない。
「分かった。殿下と聖下をお連れして今すぐ向かうと全員に伝えてくれ。それとナディア」
「はい、何でしょうか」
「…助かった」
「それは結構でございますが、私だけ仲間外れというのも心外ですので…」
そういうとナディアは背伸びをして、君塚の首筋の空いたスペースにそっと自分の唇を押し当て新しいキスマークを刻み込んだ。
「これで、皆と仲良く過ごせますね、閣下」
「…これらを全て消すのは厳しいな。もし消したら中で睨んでいる二人が怒るだろうし、いただいた好意は消さずに保管しておきたいようになってしまったよ。ははは…俺も随分と好色に成ったな」
「これで好色に成っていると言うのなら、世の男達はどうすれば良いのですか。王たるもの、二桁の女性経験を持つ者も珍しくなく、私の故郷である戦狼の国なら、後宮の中に50人はお手付きの方がいらっしゃるのですよ?」
「俺はまだ王じゃないよ……」
この世界の男達はどうやら比較的好色な殿方が多いようである。何もかも人並み(か、それ以下)である君塚には権力者という座は向いていないのではないかと思えてきた。
「大丈夫です、閣下。別に子孫繁栄とか強大な血族を作るとか考えないのなら、女性を必要以上に抱え込む事は不必要かと」
「そうか、そうか…? いや、ナディア。俺は流石に妻帯したいとは思うが、この大会が最終的にどうなるか分からない以上、そっちも明確な約束ができないんだぞ。だから今は…」
「終わった時の事は終わった時に考えましょう。今は、アナスタシア殿下の即位と、閣下の『婚約問題』についてです」
今、君塚の大まかな予定は確かにその二つだ。
何か話を逸らされたような気がしたが気にせず目の前に突き付けられた課題を考える。
アナスタシア殿下の戴冠式は恐らく恙無く執り行われ、無事に終えられるのは間違いない。不安要素は既に排除しており後は式が滞りなく終わる事が出来れば全ては大丈夫だろう。
だが、真の問題はそうでは無く別にある。今回の戴冠式の際に電撃発表される予定の『シグルーン女王の婚姻の動き』についてだ。具体的な内容についての情報がまるで無く、しかも彼女はそこまで君塚と親密であった訳ではない。
親密でない男女の政治的婚約は愛の無いただの政略結婚である。それを元を正せば庶民出身者の君塚に耐えられる自信はない。そして万が一、敵の『女性支配』の保持者にそこを付け入られれば国家を巻き込む不名誉な醜態を晒す可能性さえ有る。
「…取り敢えず、今日は一日かけて準備する。それからだ。シグルーン女王陛下についての対応が最優先に成るだろうな」
「はい。まずはそれを考える段階から始めるべきでしょうね」
「参ったな…もし愛人が女性支配の転生者でした、とかだったら、俺は安易に相手の事情も知らず結婚して奥さんを寝取られた間抜けに成るぞ。あまり素性の知れない相手と安易に結婚とかしたら、後々面倒くさいんだ」
「まぁ…そうですね。確かに面倒かもしれませんが…取り敢えず朝食へと向かいましょう、閣下。空腹では良い考えも浮かびにくいでしょうし」
やはりまずは腹を満たしてから全てを考えることにしよう。そう結論を出して、君塚はヤドヴィガ達を呼びに行こうと振り返る。
「あっ、兄さん。もう私達支度終えてるから先行っててよ。ちょっと髪の毛伸ばし過ぎちゃったから、セットに時間かかるかも」
「はい。聖下も私も、服は着替えておりましたのでどうぞお先に召し上がっててください」
既に二人は着替えており、これから髪の毛をセットしたり化粧をしたりするようである。
「だ、そうですが。いかがされますか閣下?」
「では、殿下。そして聖下。お言葉に甘えて先に失礼します。…行こうか、ナディア」
二人と別れ廊下ではナディアと共にダイニングへと歩みを進める。
ホールへとたどり着くと、そこには空腹に耐えかねて真っ白に燃え尽きているニケとその惨状に目を背けつつ軽蔑の視線を送っているレーナの姿が有った。
「遅れてすまないな、ニケ」
「ううん、別に良いけど悠里っち…お腹空いた…食べ物か飲み物頂戴…」
「空腹に成るなら、夜更けにあんなに騒がなければ良かったのですよ、同志ニケ…」
「でもでも〜! あのバカ双子はどっか行ってるし、悠里っちと一緒に寝れないし、アタシちょー退屈だったんだもん!!」
「あの女神達の事は良いとして同志閣下は多忙故、貴女と過ごす時間はそう簡単には設けられなかったと思いますが」
空腹だが元気溢れるニケとそれに対して冷静にツッコんでいるレーナ。そして何故か不在らしい双子神の件。
色々と考えなくてはならない事はあるが、一先ず君塚はテーブルへと着席した。
「おはようレーナ、ニケ。こうもドタバタしてたのに、二人とも元気そうで何よりだ」
「あっ! 悠里っちおはよー!!」
「同志閣下、それと同志ナディア。おはようございます。今日も賑やかな食卓になりそうですね」
少しして、完璧に身嗜みを整えたヤドヴィガと透が合流した。
「遅れまして申し訳ありません皆さま。少しおめかしに手間取りまして」
「いやー、兄さんの残り香を楽しみながら髪の毛整えてたら、ちょっとだけ遅れちゃったね……ゴメン」
そうして揃った全員に給仕達から出来たての温かい朝食が配膳される。
この後、平原の国と龍の国、そして鷲の国さえも揺るがす『特大の騒動』が待ち受けていることなど、まだ誰も詳細を知らないのだ。
幸せを噛み締めた
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