赤い海軍は暇を持て余す
海の上の紅
クズネツォフ提督は平原の国・国内軍第1艦隊旗艦であるアドミラル・クズネツォフの私室で浅い仮眠を取っていた。
(……本国や敵国では今まさに大変なことが起きているようだが沖合に展開している私の今の任務には直接関係ない。と言うか、海軍として今の段階で出来ることなんてもう無いか。特に同志摂政閣下の救出に関しては陸空軍の管轄であり、我ら海軍の出る幕は本格的な開戦後の話であるしな)
今や提督麾下の空母機動艦隊は練度も極めて高く、装備こそソ連時代の旧式が目立つものの非常に精強であった。この神々が用意したファンタジー世界では彼らにかなう海軍戦力は存在せず「無敵艦隊」の名前を恣にしていた。
原子力潜水艦部隊も各地の深海に展開してソビエト海軍の動向を取り囲むように配置されている。艦載機であるMiG-29KやSu-33等の艦載機部隊は空母上での発着艦の訓練を盛んに行い不測の事態に備えた空戦の演習も欠かさず実施している。
ソブレメンヌイ級駆逐艦やウダロイ級駆逐艦、アドミラル・ゴルシコフ級フリゲートやアドミラル・グリゴロヴィチ級フリゲートが日常的に対地攻撃や対艦攻撃の訓練に勤しんでいる。敵である新倉のソビエト海軍にはカシン級駆逐艦やウダロイ級駆逐艦、更には強大なキーロフ級ミサイル巡洋艦やスラヴァ級ミサイル巡洋艦が控えているがそれらの高脅威目標を瞬時かつ効果的に無力化・沈黙させるための極超音速対艦ミサイル『3M22 ツィルコン』がこちらの艦上にこれでもかとしっかり配備されている。
いつでも新倉の率いるソビエト海軍主力艦隊が血迷って打って出て来てもツィルコンの飽和攻撃で直ぐに撃沈できる。そして世界の終わりをもたらす『全ての核弾頭を搭載した敵潜水艦部隊』の撃沈もRBU-6000対潜ロケットや対潜ミサイルが担い、素早く敵艦隊を鎮圧せしめる能力を有している。
最低でも向こうがヤケクソで攻撃に出てきてしまった場合や玉砕前提で差し違えてきても全て敵の軍艦が海の藻屑のスクラップにされる程度には対艦ミサイルも魚雷も、そして巡航ミサイルも弾道ミサイルも国内軍のシステムによって潤沢に存在しておりクラスノグラードの総司令部ごと敵の軍港を更地に消し飛ばせる圧倒的な火力を有している。
一方、沖合に出ているこの君塚の第1艦隊が「仮想敵」として相手にしている脅威――新倉のソビエト海軍――は今彼らの与り知らぬ所で突然現れた『未知の敵勢力』によって完膚なきまでに撃退され、艦を港湾内に立て籠もらせて日々防空戦闘を主に行わせているという絶望的な状況にあった。
まさかこの様な事態になるとは全く考えていなかったソビエト社会主義共和国指導層は絶対的な決済者たる書記長『新倉結菜』が不在のまま延々と何かが決まるわけでもなく突然湧いて出たアメリカ軍装備の強大な武装勢力の対応に苦慮していた。
新倉が「君塚誘拐作戦」に発ってから暫くしてその謎の部隊が大陸の各所に同時多発的に現れた。各地から赤軍の防衛部隊が派遣され、そして龍の国方面の戦線から急遽兵力を引き抜き崩壊しかけた兵站線をウスチノフ元帥は再び強引に引き直させられた。
陸軍のトップである国防相ドミトリー・ヤゾフ元帥はアフロメーエフ元帥に『アメリカ軍部隊撃退用の機甲師団』の編成を命じ、T-80を中心とした重装甲部隊で攻勢をかけた。だがこれを文字通り「意図も容易く」撃破され、むしろ『制空権』を完全に喪失し一方的にF-15EXやF-16V、そして「戦車キラー」であるA-10Cから徹底的な精密空爆を受けて陸軍の装甲戦力を大幅に喪いこの軍閥への反撃を極めて厳しいものにされてしまった。
更にソ連赤軍への悪い知らせは続いている。
洋上に展開したヴァレリー・サブリン率いるソビエト海軍艦隊がJTF隷下のアメリカ海軍の艦隊に海戦を何度か仕掛けたものの次々と一方的に敗走し、貴重なクズネツォフの艦載機をF-35BとSM-6ミサイルによって全てロストしてしまったのだ。
それだけでなく海軍の誇りであり重要な資産のキーロフ級も一隻がズムウォルト級の長射程砲撃と対艦ミサイルを受けて母港到着後すぐ大破着底し、スラヴァ級も修復の為ドックに籠りきりになって駆逐艦やフリゲート、しまいにはコルベットにも損害多数。ソビエト海軍は今水上艦部隊においてマトモに米国式部隊のイージスシステムに対応出来る艦艇が稼働状態に全くない。
強いて言うなら海軍は辛うじて潜水艦部隊が深海で健在だと報告がされている為、もし「死の手」による核報復を行うのであれば水上艦部隊ではなく潜水艦部隊が主たる戦略戦力となるとされていた。
最もそれは、潜水艦部隊がP-8Aポセイドン対潜哨戒機や、MQ-4Cトライトン無人機、そしてイージス艦のソナー網に捕捉されなければの話だが……。
トーポリMなどの陸上配備の弾道ミサイル部隊は共和国各地の森林の奥深くに隠してはいるがそう容易く動かせない。もし下手に稼働させて熱源を出せば敵のISR勢力に即座に把握されHIMARSや巡航ミサイルの反撃を受けて壊滅するのは自明の理である。
そして航空優勢は完全に敵軍に渡り第一梯団を送り込んでも側面攻撃により常に反撃を撃退されるので陸軍の進撃も全く出来ない。だが一定のラインから出ず首都へは侵入して来ない彼らの「気味の悪い包囲網」にソビエト指導部は激しく困惑もしていた。
ソビエト空軍は常に昼夜を問わず空襲を受けており強化バンカー内に籠もらせた軍用機以外は全てF-15EXやF-35Aによって度重なる奇襲襲撃が発生。飛び立つ前に滑走路ごと消し飛ばされたSu-25やSu-27、MiG-29A、MiG-25PD、MiG-21bis等が哀れな鉄屑の骸を晒し空軍基地の管制塔も使用不能に成るまで精密爆撃で叩かれて、施設は倒壊している事が殆どである。
対空ミサイル部隊も米国式部隊のEA-18Gグラウラーによる苛烈な電子戦によりレーダーシステムが盲目にされた上にAGM-88 HARM対レーダーミサイルの激しい攻撃を受け折角の防空コンプレックスシステムも役に立たず。その後のDEAD作戦でミサイル発射装置も物理的に破壊されS-300Pや9K33オーサも黒焦げの煙の中に動かない残骸が放置され、その兵器たちの運用スタッフも跡形も無く消されて今やソビエトの空は謎のアメリカ軍に既に完全制圧されている。
まだ両国は正式に開戦した訳では無いのにこの惨憺たる有様である。
クラスノグラードの司令部の会議室は肺に直接深海の氷水を流し込まれたように真っ暗で冷たく、それでいて全ての方向から物理的に押し潰して広げようとするような、息もできないような重苦しい空気に覆われていた。
「さて、同志諸君……我らソビエト社会主義共和国の明日の為の防衛会議を開こう……」
「同志ヤゾフ……ハッキリと言ってくれ。これではもうダメだと」
「同志ヴァレンニコフよ、気をしっかりもて。まだ我が方の海軍が壊滅し、陸軍が一方的に戦線を後退させられただけで……」
「それを『敗戦』と呼ぶのだ……同志ヤゾフ……。見ろ、同志サブリンのあの無惨な有様を。アレはもう屍が縛られて座らされているような物だぞ」
サブリンは会議室の隅で俯いていて最早生気を全く感じさせない屍のように沈黙している。海軍の司令官として核報復の責任者の一人でありながら彼は半ば投げやりな状態で現状を受け止めるしかなかった。ソビエト海軍は実際壊滅していて沖合に逃がした潜水艦部隊もいつアメリカ軍装備の部隊が敷いた対潜網に狩られて殲滅されるか不明なのだ。
「同志オガルコフ、君からも何か報告は?」
「有ればしてるさ同志ヤゾフ……。良い報告と言う意味なら全く無い。悪い方の報告なら腐るほど有るがね」
「同志ヤゾフ……よろしいでしょうか」
「その……何だね、同志ボリス・グロモフよ?」
「向こうからの使者とか、そういった降伏勧告の通信は来ましたかね? 我々は今絶対的指導者である同志ニーナも居ないし謎の近代敵に全土を襲われながら、平原の国と敵対し、そして国内のパルチザンとも激しい闘争を繰り広げている。そんな三正面作戦の絶望的な状況でこのまま無為に戦争を継続するのはお世辞にも厳しいものかと……」
「……」
眉間を揉んで瞼が痙攣するのを必死に堪えるヤゾフだが実際グロモフの言う通りだ。
四方八方の敵に対して全てを同時に攻撃・防衛せねばならず、そしてそれらは全て完全に失敗し逆に自分達は首都クラスノグラードの中に包囲され閉じ込められてしまった。
折角の有力な矛の一つであるアレクサンドル・レーベジ中将率いる空挺軍も、反乱軍の鎮圧やその米国式部隊の侵攻の火消しに回してしまい不完全燃焼を起こしたソビエト軍は完全に手詰まりで全ての敵に対する打開策は存在しない。
空挺軍は強行離陸させたIL-76輸送機がパトリオットやF-35に次々と撃ち落とされてしまい既に致命的な損害を受けている。これ以上彼らを空から降ろして使い倒すのは物理的に厳しいだろう。
反乱軍には「奴隷と化した国民の解放」や「旧皇族への恩赦と名誉回復」、そして「クラーグからの解放と人権の保障」等で妥協と講和を求めようにも、もし自分たちの独断で勝手にそれをすれば新倉が戻ってきた時に絶対に許さず全将校が『反逆者』として惨殺されるのは目に見えいている。
平原の国(君塚)に降伏などもってのほか、論外だ。
もし降伏などしたら自分達は間違いなく君塚の開く法廷で「不法な戦争犯罪者」として裁かれ仲良く絞首刑を確約されてしまうだろう。
軍が残っているうちに有利な条件で降伏するのが戦略の最善ではあるが、しかし結局のところこのまま降伏すると士官以上の者たちは何らかの犯罪に問われて兵器も武装蜂起防止のため廃棄、そしてアナスタシアによる「鷲の国帝政の復古」が叶い旧体制の復権が成立するのだ。
ソビエト指導層にとってそれは自分たちの革命理念の完全な否定であり、そしてソビエト指導層への追及の開始の合図の為何も嬉しくない最悪の結末である。
それら国家の命運も決められる筈のトップ、新倉第一書記長はスペツナズ部隊と共に行方不明。しかも一部の不確定情報では「君塚ではなく逆に彼女自身が誘拐・捕獲されてしまった」と言う恐るべき噂さえ流れている。
ヤゾフは国防相・元帥として代理で国軍を預かって居るだけであるとはいえこのままだと責任を負えず何も決められず、だが何も決めなくては国が必ず滅びると言う中々に胃の痛くなる厳しい状況で一人懸命に藻掻いている。
敗北主義が蔓延るこの暗い円卓にては、だが。
そこへアクセルを踏み込んだように悲報はさらに続く。
「……それと同志諸君。聞いたかもしれないがノブゴロドとヴォルゴグラードの重要都市がこの間謎の例の資本主義勢力と思しき部隊に一瞬で攻め落とされた件だが」
「分かっている。が、あれはどうしようもなかったぞ同志よ。あんなバカみたいに遠距離からHIMARSで精密に撃たれて一方的に討ち取られたやつだろう?ZSU-23シルカでも高所の伏兵から撃ち込まれるジャベリン対戦車兵器には手も足も出ない。しかも奴らの特殊部隊が先に都市内部に隠密に潜入して攻めていたのに外から我らが静かに完全包囲されていたのだから……はぁ……全く。何故我らの要塞都市が奴らに抵抗らしい抵抗もできず事実上無血開城していたのだ……」
「反乱軍の蜂起でも無く、そして我らの防衛の不手際でもないだろうな。それは奴らが軽装備の機動力の高い部隊で単純にこちらのレーダーの隙を突いてヘリで乗り込んでそれから火力支援を受けた制圧の後続部隊を空輸で送った……。我らの目指した『理想の縦深機動戦争』じゃないか」
敵の手際を軍人として羨むグロモフを尻目にヤゾフはつい恐ろしい疑念を思った。
何故奴らはそんなに簡単に我軍の配置や陣形の様子を正確に確認した上で的確に弱点を突いて攻勢を仕掛けてきているのかを。
「そう言えば、何故我が軍を奴らはアッサリと蹴散らしているのだ? それに、自軍の位置と敵軍の位置をまるで神の視点のように正確に把握しているようだが……まさか」
「その『まさか』だよ同志ヤゾフ。撃墜した敵の無人機の残骸から連中が監視衛星とリンクしていることを確認した。それに暗号化された通信用の衛星が我が軍の情報部隊の電波観測で宇宙空間に確認された」
「いつの間に! 前はそんな天文学的な報告は無かったが……一体何処に、そんな大質量のロケット発射施設が?」
「私も分からないし誰もその件には最近まで気付かなかったのだ。とにかく奴らは軍事用の通信衛星と監視衛星を保有していて、我が軍の動きを24時間常に上空から監視しながら自分達は一方的に攻撃と撤退のタイミングを把握していると言う事だよ。奴らにボールは渡った後だったんだ」
深いため息がとうとう議場にペストか天然痘の様に等しく素早く蔓延し始めた。
海戦では次々と敵のイージス艦と長射程ミサイルに良いようにしてやられて航空機もステルス機であるF-35Bに全く手も足も出ないまま見えない距離から落とされイージスシステムとP-8Aに対潜ヘリと潜水艦を全て砕かれた海軍。
敵艦隊の行動を阻止する為に飛来したが逆にイージスシステムやF-35Bに追い払われ、地上でも制空戦闘にF-35AやF-15EX、F-16Vに散々に追い払われ基地も大規模な巡航ミサイルや空軍機による空襲に遭わされた結果事実上崩壊した空軍。
そして、そんな航空優勢の完全な喪失により敵のA-10CやAC-130Jの空からの猛攻とM109A7等の砲兵の精密射撃に自慢の戦車や歩兵戦闘車等を一方的に撃破され、怯えながら泥濘の塹壕内に籠るしか出来ない陸軍。
最後に輸送機もなくただの軽歩兵部隊として陸軍の代わりに全力で反乱軍や地上の敵特殊部隊の討伐に拘束させされた精鋭・空挺軍。
ソビエト指導層は完全に機能不全を起こした自軍の惨状に目を瞑りたかったが、それを冷酷な現実は許してくれない。
「……もう、軍事的にはお手上げか。取り敢えず同志新倉が向こうに捕まっているのなら、先ずは彼女の返還について、敵に要望を出しても良いだろう」
「取り敢えず白紙には出来るだろうな。彼女が戻ればペリメーターのロックも解除されて核も一応撃てるようになるかもしれん」
「だがあの君塚がただで素直に返してもらえる見込みなんて何処にもないがな……」
「死体にされて送り付けられるより遥かにマシだ」
もう一度、重いため息が議場の中を埋め尽くした。
恐らく無条件で返してはくれないし、仮に返してもらっても激怒した彼女がまた無茶な攻勢を指示してただでさえ少ない戦力は無駄に摩耗させられるに違いない。
だが核さえ撃てない今よりはマシだったし、こんな終わらない絶望的な防衛会議をさせられている自分達よりも彼女が居れば「もっと何か、最悪のケースであるが狂気的な主導権争いを起こせるチャンス」が作れるかもしれないならそれに賭けるべきだろう。
主導権さえ握れていないならそれが戦争において一番最悪なのだから。
「とにかく外交ルートなら何でもいい。君塚に連絡ルートを繋げ……その…全面的な無条件降伏以外の取引の席を設けろ、でないと我らは全員戦争犯罪者だ」
ヤゾフは疲れ切った声で最後の悪あがきの指示を出した。
とにかく、何かを
ただ進む時には逆らえない
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