そして、きっと<最終話>
左肩に焼け付くような激痛が走った。
それを無視して、相手に突っ込む。
美しい女の形をした魔物の喉を切り裂いた。
女の目が見開かれ、信じられないものを見るような視線で、己を切り裂いた騎士に手を伸ばす。
だが、その手は空を切り、落ちた首に引きずられるように倒れ伏した。
「リベアさまッ!」
走り寄ってくる逞しい腕に支えられて、リベアは辛うじて立っていた。
腕は肩から引き千切られ、ぼたぼたと流れ落ちる血が、足元にどす黒い血だまりを作っていく。
「マーロウ。疲れた。休ませろ」
リベアはその場にどっかりと座り込む。
「ヤコニール、リベアさまを」
慌てて駆け寄ってきた数名の中には、顔見知りの守護魔術師もいる。その蒼白になった少女めいた顔に手を振った。
「いらん。もう血は止まる」
言葉の通り、リベアに施された結界は、その傷を癒しつつある。だが、白髪の交った短い髪が濡れる程の汗が額から滴り落ち、その痛みが並々ならぬものであることを示していた。
「それに、」
「リベア」
痛み止めだけでもと、懐を探っていたマーロウの後ろから、落ち着いた声が掛かる。
長身の優美な魔術師は、その細さには似合わぬ力でリベアを抱え上げた。
「すまん」
常ならば、意識のある状態でさせるような行為ではないが、身体はもう一歩も歩けないことは明らかだ。
「先に引き上げるぞ。会いたければ魔術師の宮へ来い」
「え?」
マーロウが、魔術師の言葉に顔を上げると、リベアを抱きかかえた魔術師の姿はその場から消え失せていた。
「リベアさま……」
後に残されたマーロウは、爪が食い込むほど、強く拳を握り締める。濃い血の匂いの立ち込める中、一陣の風が残党を狩るだけになった戦場を吹き抜けていった。
蒼のソルフェースは、ゆっくりと自室のベッドにリベアを横たえた。
血の抜けた身体は重く、息が荒い。
まだ、完全に止まりきってはいない鮮血が、洗いざらしのシーツを染めた。
「ソル」
表情の無い魔術師の頬に、リベアは触れる。
解っていた。これが己の死に様だと。
一度祭り上げられた英雄の座は、降りることは許されない。だが、確実に身体は老いていくのだ。戦いの中で、反応の鈍った肉体は、いつかその最中で死を迎えるだろうと。
魔術の護りは、魔的なものを退けるだけで、直接的な攻撃を防ぐものではないのだ。
「そんな顔はするな。王を、騎士団を恨むな」
ソルフェースは、幾度もリベアに騎士団を退くことを願った。だが、その願いは受け入れられることは無かった。
『焔の剣の騎士』―――魔封じの剣を持つ、皇女を救った英雄を自ら手放すものなどいない。国として、手放すことは出来ないのだ。
「結構、面白い人生だった」
心から、そう思う。ソルフェースと云う男と出会い、共に過ごした。リベアはそのことを誇りに思う。己の剣を捧げたことも後悔していない。
多くの友と共に戦い、志を受け継ぐ後継もいる。息子は生涯を掛ける対を見つけ、既に一人前だ。
悔いを残すとすれば、只一つだけ。目の前の男を残していくこと。
「俺はただの人として死んでいく」
魔物である男と共に行くことは無い。
それまで表情の無かった、ソルフェースの顔が歪んだ。
「次は、英雄と魔術師としてではなく、生きていこう」
魔術師とその契約者としてではなく、騎士とその剣を捧げる相手としてでもない。
ただの人として出会い、そして愛し合おう。
「だから、きっと見つけてくれ」
何時に無く、リベアは饒舌だった。口を閉じたら最後、眠りに引き込まれてしまうだろう。それはきっと、二度と目覚めない眠りだ。
「レイとマーロウにも伝えて欲しい」
「会いたければ、連れてくるぞ」
レイは、西の宮の中にいるだろうし、マーロウはリベアの隊を纏め上げ、今頃王都へ向けて馬を飛ばしているだろう。
ソルフェースが飛ぶのにさほど難しい距離でもない。
「いや、お前だけでいい」
リベアは真っ直ぐにソルフェースを見た。最後に傍にあるのは、ソルフェースだけでいい。
「そうか」
「間違えるな、と。そう伝えて欲しい」
己の生き様を間違えるな。己の誓いを違えるな。
「リベアは厳しいな」
「お前には辛い役割を振ってしまうな」
「俺は慣れてるさ。ゾルレイ王が俺を連れてきた時から、俺は異端だった」
魔物がその魔力の半分を置いてきたところで、所詮は人にはなれない。人のフリをして、異端者を排除しようとする人の心さえ楽しんでいた。だが、ソルフェースは出逢ってしまったのだ。唯一の相手に。
この時ほど、己が人でないことを恨んだ事は無い。
「そう悪いもんでも無いだろう? だからこそ、また会える」
人では無い、長い時間を生きるからこそ、次もある。薄く笑ったリベアが瞳を閉じた。
「疲れたな。ちょっと眠る」
「ああ」
二度と目覚めない眠りだろうと、ソルフェースもリベアも知っている。
「ソル、抱きしめていてくれ」
呟くような言葉と共に伸ばされる片腕を、ソルフェースはしっかりと掴んで、その身体を抱きとめた。
「おやすみ」
耳元でソルフェースが囁いたのをリベアは聞き逃さなかった。
「いつか、きっと」
リベアの呟きは言葉にならない。血の流れすぎた身体は、引き込まれるように眠りについた。
「リベアさまッ、」
息せき切って飛び込んできたマーロウが目にしたのは、リベアの身体を抱きとめたまま、月を見ているソルフェースだった。
腕に抱かれたリベアの血の気のない顔を見るまでも無く、リベアがこと切れたことを知る。
何時だっただろうか。とソルフェースは思いを馳せていた。
掛けられた魔術に気付くことも無く、ふらりと月の照らす中庭へと迷い込んできた男。
「すまん。月の美しさに誘われて迷い込んでしまった」
閉鎖的な西の宮へ迷い込むことなどある訳もないのに。
出逢った頃を思い起こし、クスリとソルフェースは笑う。
抱きとめる冷たくなる身体は、確かにリベアが生きていた証。
「お前は次も俺と共にいてくれると云うんだな」
人の短い時間は、魔物である蒼流にとって、ひと時でしかない。だが、その間の永遠を誓うのは悪くない。
「幾度でも誓おう。何度でも共にあろう」
騎士としてではなく、魔術師としてでもない。ただ、人として。
めぐるときを過ごそう。
<おわり>
これで水の魔方陣・焔の剣はラストです。
長い間、お付き合いありがとうございました!
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