#28『未練を残す者』
〈黑云母、裏格闘場〉
格闘場に向かうと、広い石畳の上で、門下生や弟子達の建物が揺れんばかりの大きなかけ声が聞こえて来た。
オブシディアンは龍を横目に、その頭部の近くで門下生たちを眺める翠に近付く。
「铃兰よ、見えるか?」
铃兰は翠の呼びかけに微かに頭を動かし、門下生達を眺める。その中には、みすぼらしい服装の人達も混ざっていた。
『あのボロボロの服を着た人たちは、なんかしたのか?』
「いや、そういう訳ではない。不届き者が道場に忍び寄ったり、道場破りが来た時に、そいつらの意表を突く為の変装みたいなもんじゃ。言ってしまえば、むしろ逆に強者の証とも言えるな。安心せい。動きやすさとしては新品と大して差は無い。」
『......』
オブシディアンは龍の方を見る。
『前は、刺そうとして悪かったな。』
「そんな事してたのか?」
『まぁ、黑珍珠に止められたがな。結果今もこうして龍はここに居る。』
「そうじゃ、こやつの力じゃが、思い出したぞ。」
『どんな力なんだ?』
「「魂の器を作る」と言うものじゃ。」
『器?』
「この世界に生きる命は、生まれて来る為にその魂の器が必要となる。要は肉体じゃな。それを作れるのが、争い事の神子じゃ。」
『...そういえば、もう一人いると言っていたな。』
「竜胆の事じゃな?そっちは「心の形」じゃ。」
『心の形?』
「ワシらは皆、違う見た目に違う性格をしておるじゃろ?容姿が似てたり、中身がいくら似ていたとしても、全く同じものは存在しない。それは、魂が個々に存在するからで、皆違う形をしておる。」
『......神子が死んだら、どうなるんだ?』
「世代交代を行うんじゃが、神子自身が決めた人間に力を授けるという方法でな。それは出来なくなってしもうた。」
『......場所変えるか?』
龍は首を振る。その必要は無いらしい。
「铃兰よ、寂しいのは分かる。お主が竜胆を思う気持ちは尊い。じゃが、お主が逝ってしまった時、残される人の気持ちも、心の片隅に入れておくれ。お節介かもしれんが―――すまん、ワシも長年生きて来たが、人との別れには慣れておらん。こういうのを言葉にするのは苦手じゃ。」
『.....』
铃兰は翠をじっと見る。前よりも容体が悪化しており、意思疎通が難しくなっていた。
『そういえば、铃兰は世代交代しないのか?』
「神子が世代交代を行うと、世代交代をした人間は人間としての記憶を失い、神子としての記憶に書き換えられる。じゃから、铃兰も人間の頃の記憶は無い。記憶と言うものは、人間を形作るのに不可欠なもじゃ。その人が生きた証でもあり、何より今の自分を形作っておる。それは自分だけじゃなく、他人にも影響を及ぼすものじゃ。そんな残酷な事は、なるべくしとうないというのが铃兰の意見じゃ。」
『.....』
『俺は神子にはならんからな。』
「フッ、それでよい。铃兰よ、お主は今、誰を見ておるんじゃ?」
2人と1頭が格闘場の片隅で話している内に日が暮れて、その日は皆眠りについた。黑珍珠は夜通し厨房に籠り、なるべく音を立てぬよう調合を続けていた。
〈翌日......〉
オブシディアンと翠が龍の頭部で門下生の特訓を眺めていると、目の下に隈が出来た黑珍珠がお盆を持ってやって来た。
「おぉ、ついに出来たか。」
「まぁね......铃兰は?」
「後は、効くかどうかと...」
一同は铃兰を見る。铃兰は黑珍珠の持っているものを見ると、素直に口を開けた。
「あら意外。何があったの?」
「特に何もない。ただワシらはここで駄弁っておっただけじゃ。」
「じゃあ、本当に放り込むよ?いい?」
龍は大きな口を開けながら、頭を縦に振った。黑珍珠はお盆から出来立ての熱い大龍包の様なものを、龍の口に放り込んだ。
龍はそれが舌に触れると、口を閉じ、それを一飲みした。その瞬間、龍は急に首を起こし、身を翻し塀の奥にある林の中にするすると入って行った。
「効果あったみたいだね。」
「...いや、まだじゃ。」
龍の尾が林に隠れる頃、龍の頭部が少し離れた所から天に向かって昇って行くのが見えた。その姿はまさに、神獣としての龍を彷彿とさせるものだった。
铃兰は優雅に空を舞う。門下生達もいつの間にかその場に留まり、空に舞う龍に釘付けになっていた。
「...もしかして、成仏しようとしてる?」
「中治りとはこの事か...?ワシらは失敗したのか?」
『......いや、成功で間違いないようだぞ?』
龍は舞を舞った後、少し旋回してこちらを見る。さらに高度を上げると、格闘場の真上に来て―――
「もしや......お前達!!今すぐ石畳から降りろ!!!!」
翠が声を荒げると同時に、龍は石畳に向かい真っ逆様に突っ込んでくる。門下生達は石畳から急いで降りると、塀の端に避難した。最後の1人が降りると同時に、龍の頭部が石畳に到達し、辺りは砂埃と黒い霧で満たされた。
「ゲホッ、ゴホッ、徹夜で仕上げたのに、この仕打ちはないよ...ん?」
『......』
門下生達も目や鼻を腕で覆い、砂埃が収まるのを待つ。オブシディアンだけがただ1人、石畳の中心をじっと見つめる。そこには、微かに光りを放つ、人影が地に片手を突いていた。
黒い霧と砂埃が晴れると共に、半月の間この区画に満ちた霧も晴れて行く。その場にいる全員がひび割れた石畳の真ん中に目を向けると、そこには片目と胴体の各所が黒く染まった、神子の姿の铃兰の姿があった。
『......!』
「铃兰!!」
『俺はまだ――生きる道を選んだわけじゃない。』
「......」
「......え?」
翠と黑珍珠を横目に、オブシディアンは石畳の近くへ歩み寄る。
『へッ、分かってんじゃねぇか。』
『......俺とお前は、対立する意思を持っている。だったら、やる事は1つだ。』
『さっさと始めようぜ。』
オブシディアンは畳の上に立つ。铃兰とオブシディアンは互いに対となる位置に着き、構える。
『あの刃は、使わないんだな』
『...必要になったら使うさ。』
『あぁ、それでいい。そうでないと、病を背負っているとは言えこの姿の俺の相手は務まらないだろうからな』
『......』
『さぁ......始めようか!本当の殺し合いを!!』
人々は畳の上の2人を見つめる。そよ風の音が辺りに響く。
「......ねぇ、じいちゃん。铃兰は、どうして戦うの?」
「...己の未練に、決着を着けたいんじゃろう。」
静かな闘志は鼓動を高め、人々は息を吞む。2人は互いに身を沈めると、互いに向かって一瞬で距離を縮めた。これから始まるのは、己の身を亡ぼすものか、はたまた、死者を弔う儀式か。
To be continued.




