表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された夜、冷徹公爵の「眠るだけの契約妻」になりました 〜触れない約束なのに、毎晩同じベッドで溺愛されています〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/59

第34話 最も隠したい願いを言わなければ、彼の心臓が砕けるそうです

『偽りを述べれば、呪われし者の心臓は砕ける』


「……そういう大事なことは、先に説明してください!」


 私の声が、神殿の広間いっぱいに響いた。


 黒碑は返事をしない。つい先ほどまでは偉そうに『選べ』『証明せよ』と命じていたくせに、こちらが抗議すると沈黙する。本当に腹が立つ。


「聞いているんですか!」


『聞いている』


「なら答えてください!」


『何を』


「順番がおかしいでしょう。まず試練の内容を説明して、それから失敗した場合の危険を――」


「リリアーヌ」


 隣から、低い声が飛んできた。


「何ですか」


「黒碑と喧嘩をするな」


「喧嘩ではありません。正当な抗議です」


「相手は古代の呪物だぞ」


「古くても説明不足は説明不足です」


「そうか」


「止めないんですか?」


「止めても聞かないだろう」


「よく分かっていますね」


「ああ」


 アレクシスが、ほんの少しだけ笑った。


 こんな場所なのに。


 今から、彼の心臓が砕けるかもしれない試練が始まるのに。


 それでも彼の笑った顔を見たら、胸の奥に固まっていた恐怖が、少しだけ緩んだ。


『最も隠したい願いを述べよ』


 黒碑が再び告げた。


『偽り、誤魔化し、沈黙は許されぬ』


「沈黙も駄目なんですか?」


『駄目だ』


「考える時間は?」


『ある』


「どれくらい?」


『呪われし者の心臓が耐えるまで』


「時間を答えてください!」


「リリアーヌ」


「だって曖昧すぎます!」


「もういい」


「よくありません!」


「胸が痛い」


 ぴたりと。


 私は黙った。


「……もう?」


「ああ」


 アレクシスが、左胸を押さえている。


 その指の隙間から、赤い光が漏れ始めていた。先ほどまで弱まっていた呪印が、また脈打っている。鼓動と同じ速さで、赤い筋が明滅していた。


「どうして早く言わないんです!」


「お前が黒碑と喧嘩をしていた」


「私のせいにしないでください!」


「半分ずつだ」


 その言葉を聞いた瞬間、泣きそうになった。


 前に教えてもらった。


 何でも一人で背負わなくていい。


 失敗も。


 責任も。


 怖さも。


 半分ずつでいい。


「……分かりました」


 私は、彼の手を取った。


「半分ずつです」


「ああ」


「でも、心臓は半分にできませんからね」


「できたら困る」


「そういう話ではありません」


 指を絡める。アレクシスの手は冷たかった。痛みに耐えているのだろう。それでも彼は、私の手を強く握り返した。


『願いを述べよ』


「どちらからですか」


『どちらでもよい』


「では、アレクシスから」


「なぜ俺だ」


「夫でしょう?」


「そういうときだけ夫扱いするな」


「いつも夫として扱っています」


「契約上の、とつける」


 痛いところを突かれた。


「最近は、あまり言っていません」


「思ってはいるのか」


「それは……」


『偽りは許されぬ』


「まだ答えていません!」


 黒碑にまで急かされた。


 私はアレクシスを見る。彼も私を見ている。互いに相手から先に言わせようとしているのが、よく分かった。


「公爵様」


「アレクシスだ」


「今、その話をします?」


「二人のときは名前で呼ぶ約束だ」


「約束まではしていません」


「呼ぶと言った」


「今日一回だけと」


「もう日付が変わっている」


「細かい!」


 アレクシスの口元が動いた。笑った。


 けれど次の瞬間、彼の身体が大きく揺れた。


「アレクシス!」


「問題ない」


「禁止した言葉!」


「なら、かなり痛い」


「正直すぎます!」


 私は彼の腕を支えた。黒碑の赤い光が強くなる。床を走る古代文字まで、血管のように明滅し始めた。


 もう、逃げている場合ではない。


「私から言います」


「リリアーヌ」


「黙って聞いてください」


「だが」


「途中で口を挟んだら怒ります」


「もう怒っているだろう」


「もっと怒ります」


「それは困る」


「なら黙ってください」


 息を吸った。


 何を言えばいいかは、分かっている。


 分かっているから怖かった。


「私の願いは……」


 声が震えた。


 これを言えば、もう契約だからとは言えない。


 呪いを抑えるためだったとも、仕方なくとも言えない。


「一年後も」


 アレクシスの指が、私の手の中で動いた。


「契約が終わったあとも、あなたの妻でいたいです」


 言った。


 ついに。


 言ってしまった。


 神殿が静まり返った。


 黒碑も、アレクシスも、何も言わない。


 恥ずかしさに耐えられなくなり、私は早口で続けた。


「ただし、これは今すぐ契約を書き換えろという意味ではありません。あなたには考える時間が必要でしょうし、私にも本当にそれでいいのか確認する時間が必要で、そもそも神殿の中で決めるようなことでは――」


「リリアーヌ」


「途中で口を挟まないでと言いました!」


「もう終わっただろう」


「終わっていません。まだ説明が」


「説明するな」


「どうして」


「俺が困る」


「またですか?」


「ああ」


 彼の目が、苦しそうに細められた。


 呪いの痛みではない。


 たぶん。


 いや、そう思いたい。


「お前は」


 アレクシスが、ゆっくりと言った。


「呪いが解けても、俺の隣にいたいのか」


「……はい」


「俺が夜に苦しまなくなっても」


「はい」


「同じベッドで眠る必要がなくなっても」


「それは……」


 少し迷った。


『偽りは許されぬ』


「黒碑は黙っていてください!」


「答えろ」


 アレクシスまで言う。


「二人とも嫌いです」


「それは嘘だな」


「どうして分かるんですか」


「さっき愛していると言った」


「それを今言わないでください!」


 顔が熱い。


 でも、もう逃げられない。


「同じベッドで眠る必要がなくなっても」


 私は、言葉を選んだ。


「できれば……同じ部屋がいいです」


「部屋だけ?」


「欲張らないでください!」


「願いを言う試練だ」


「急に協力的にならないで!」


「本当は?」


 ずるい。


 ものすごくずるい。


 私は目を逸らした。


「……同じベッドがいいです」


 アレクシスが黙った。


「ただし!」


 私は慌てて続ける。


「毎日ではなくてもいいですし、眠れない日だけでも、怖い夢を見た日だけでも、寒い日だけでも――」


「一年の大半になるな」


「北方は寒いですから!」


「ああ」


「何です、その顔は」


「嬉しい」


 あまりにも素直に言われて、何も返せなくなった。


 黒碑の光が、わずかに白く変わった。


『真実と認める』


「……本当に判定されるんですね」


『試練だからな』


「少しは遠慮してください」


『次は、呪われし者』


 アレクシスの表情が固まった。


 私は、彼の手を握り直す。


「アレクシス」


「ああ」


「言ってください」


「……」


「私だけ言わせて逃げるつもりですか」


「違う」


「では」


「言い方を考えている」


「長い言葉ですか?」


「いや」


「なら言えるでしょう」


「言いたくない」


 初めて。


 彼が、子供のように言った。


「なぜです?」


「醜い願いだからだ」


「私の願いも、十分に自分勝手です」


「違う」


「同じです」


「違う」


「では聞いてから決めます」


 アレクシスは黙ったまま、私の顔を見た。


 怖がっている。


 神殿よりも。


 呪いよりも。


 自分の願いを口にして、私に嫌われることを。


「大丈夫です」


「その言葉は禁止だ」


「今日は許してください」


「嫌だ」


「では、嫌だったらちゃんと嫌だと言います」


「……」


「困ったら困ったと言います」


「ああ」


「怒ったら怒ります」


「それは知っている」


「だから、勝手に私の答えを決めないでください」


 彼が、目を閉じた。


 胸元の赤い光が、また強くなる。痛みが増したのか、彼の呼吸が乱れた。


「アレクシス」


「分かっている」


「早く」


「急かすな」


「心臓が砕けるんですよ!」


「言えば、お前に嫌われるかもしれない」


「砕けるよりいいでしょう!」


「俺には同じくらい困る」


「そんなことを言っている場合ですか!」


 本当に。


 この人は。


 死ぬかもしれないときまで面倒だ。


「……俺の願いは」


 ようやく、彼が口を開いた。


「呪いが解けたあとも、お前を自由にしたくない」


 心臓が鳴った。


「一年後に契約が終わっても」


 アレクシスの声は、低く、少し掠れていた。


「好きな場所へ行けなどと言いたくない。北方にいろとも、王都へ行くなとも言いたい。他の男と踊るな。手を取らせるな。笑いかけるなとは……そこまでは言わないが」


「今、少し考えましたね?」


「ああ」


「言おうとしたんですね?」


「ああ」


「横暴です!」


「知っている」


 でも彼は、目を逸らさなかった。


「俺の隣にいてほしい」


 今まで聞いた、どの言葉よりも真っ直ぐだった。


「朝、お前が三分遅れたら迎えに行きたい。食事を残したら理由を聞きたい。書庫にこもれば時間を数えたい。夜は同じベッドで眠りたい」


「過保護は減らす約束でしょう」


「努力する」


「信用できません」


「ああ」


「認めないでください」


「それでも」


 彼が、私の手を引いた。


 距離が近づく。


「ずっと俺の妻でいてほしい」


 涙が出た。


 泣くつもりなんてなかった。


 もっと上手に笑って、冷静に答えるつもりだった。


 けれど七年間、誰かに選んでほしかった私がいる。


 役に立つからではなく。


 正しいからでも。


 王太子妃に向いているからでもなく。


 ただ、私だから。


「……それ」


 声が、情けなく震えた。


「最初から言ってください」


「言えるか」


「どうして」


「お前の自由を奪う」


「だから、私に選ばせてください!」


「断られたら」


「怖かった?」


「ああ」


「私もです!」


 泣きながら怒った。


「私だって、一年後も妻でいたいなんて言って、あなたに困った顔をされたらどうしようって、ずっと怖かったんです!」


「困っている」


「やっぱり!」


「嬉しすぎてだ」


「その言葉、二回目ですよ!」


「ああ」


「何度言われても困ります!」


「俺も困っている」


「知りません!」


 顔を逸らそうとした。


 けれどアレクシスの手が、私の手を離さない。


「リリアーヌ」


「何です」


「答えは」


「何の?」


「俺の願いを聞いて、嫌か」


「……」


 すぐに答えるのは悔しい。


 でも黒碑がある。


 嘘は許されない。


「嫌ではありません」


「それだけ?」


「欲張り!」


「最も隠したい願いを言う試練だ」


「本当に都合よく使いますね!」


「答えろ」


 私は、涙を手の甲で拭った。


「嬉しいです」


 言った。


「私も、あなたの妻でいたい。呪いが解けたあとも、一年後も、その先も」


「その先?」


「そこは今決めなくても――」


『偽りは許されぬ』


「黒碑!」


「答えろ」


「アレクシスまで!」


 二人とも、まったく逃がしてくれない。


「……ずっとです」


 消え入りそうな声で言った。


「できれば、ずっと」


 アレクシスの顔が、初めて見るほど柔らかくなった。


「そうか」


「それだけですか」


「では」


 彼が、ほんの少し笑う。


「嬉しすぎて、何をしていいか分からない」


「もう、その言葉は禁止です!」


『第二の証明を認める』


 黒碑から白い光が広がった。


 アレクシスの胸元に浮かんでいた赤い呪印が、少しずつ薄くなる。痛みが引いたのか、彼が長く息を吐いた。


「終わった?」


「たぶん」


「本当に?」


「分からない」


「またですか」


『まだ終わっていない』


「でしょうね!」


 もう驚かない。


 たぶん。


『第三の証明』


 黒碑の声が、今までより静かに響いた。


『触れよ』


「……触れる?」


 私は、アレクシスと繋いだ手を見る。


「もう触れていますけど」


『それは、恐れのため』


「恐れ?」


『離れれば失うと恐れ、握った手だ』


 黒碑の光が揺れた。


『呪いを鎮めるためでもなく』


『契約を果たすためでもなく』


『命を守るためでもなく』


 胸が、急にうるさくなった。


『己の願いだけで、相手に触れよ』


「……」


「……」


 アレクシスと目が合う。


 近い。


 さっき、彼に手を引かれたままだった。


「手では駄目なんですか」


『それを望むなら、構わぬ』


 私は少し安心した。


 けれど。


 アレクシスが、何も言わない。


「アレクシス?」


「ああ」


「どうしました?」


「……」


「手を繋ぎ直せば」


「違う」


「何が」


「俺が触れたい場所は」


 彼が言葉を切った。


 灰銀色の目が、私の顔から逸れない。


「手ではない」


 喉が乾いた。


「では……どこですか」


 聞かなければよかった。


 でも、聞いてしまった。


 アレクシスの手が上がる。


 頬に触れる寸前で止まった。


 触れない約束。


 私が嫌がることはしない。


 どれだけ苦しくても、どれだけ近くても、彼はずっと守ってきた。


「リリアーヌ」


「はい」


「許可を」


 声が、少し震えていた。


「何のですか」


「お前に」


 彼の指が、私の頬のすぐそばで止まっている。


「口づけてもいいか」


 息が止まった。


 黒碑も。


 神殿も。


 呪いも。


 一瞬、全部遠くなった。


「……今」


 声が、うまく出ない。


「ここで?」


「ああ」


「黒碑の前で?」


「ああ」


「死んだ皆さんも、どこかで見ているかもしれませんよ?」


「九人には、もう告白を聞かれた」


「思い出させないでください!」


「なら問題ない」


「あります!」


 顔が熱い。


 逃げたい。


 でも。


 逃げたくない。


「アレクシス」


「ああ」


「これは」


 確認する。


「呪いを解くためですか」


「違う」


「試練だから?」


「違う」


「契約上の夫婦だから?」


「違う」


「では」


 彼が、私を見た。


「俺が、触れたい」


 もう。


 ずるい。


 本当に。


 ずるい人。


「リリアーヌ」


「……はい」


「嫌なら、断れ」


「断ったら?」


「触れない」


「呪いが解けなくても?」


「ああ」


「心臓が砕けても?」


「それは困るが」


 少しだけ、彼が笑った。


「お前が嫌なら、しない」


 それが。


 この人だった。


 だから私は、この人を好きになったのだと思う。


 私は、彼の胸元の服を掴んだ。


 酔っていない。


 熱もない。


 夢でもない。


 全部覚えていられる。


「……許します」


 アレクシスの目が、わずかに見開かれた。


「本当に?」


「何度も聞かないでください」


「だが」


「怖くなります」


「俺もだ」


「あなたも?」


「ああ」


「意外です」


「初めてだからな」


「……私もです」


 今度は彼が驚いた。


「アルベルトとは?」


「ありません」


「七年間?」


「ありません!」


「そうか」


「今、少し嬉しそうですね」


「ああ」


「こういうときだけ素直!」


 言い終わる前に。


 アレクシスの手が、ようやく私の頬へ触れた。


 優しく。


 壊れ物に触れるように。


 彼の顔が、ゆっくり近づく。


 私は目を閉じた。


 そして。


 あと少しで唇が触れる、その瞬間。


 神殿全体が大きく揺れた。


『急げ』


「今ですか!?」


 思わず目を開けた。


 アレクシスが、額を私の額へ押しつけたまま、低く呟く。


「本当に面倒な黒碑だ」


『面倒なのは、お前たちだ』


「黒碑に言われましたよ!」


「ああ」


「否定してください!」


「無理だ」


 崩れ始めた天井から、小さな石が落ちてくる。


 それでもアレクシスは、私の頬から手を離さなかった。


「リリアーヌ」


「はい」


「もう一度聞く」


「何です」


「口づけていいか」


 今度は。


 迷わなかった。


「はい」


 答えた。


「私も、あなたに触れたいです」


 そして。


 今度こそ。


 私たちの間にあった、最後のわずかな距離が。


 ゆっくりと。


 なくなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ