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婚約破棄された夜、冷徹公爵の「眠るだけの契約妻」になりました 〜触れない約束なのに、毎晩同じベッドで溺愛されています〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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32/59

第31話 泣いたことは秘密にする約束でしたが、翌朝の公爵様は明らかに目が赤いです

 朝。


 私は目を覚ました。


 最初に思ったのは。


 近い。


 だった。


 次に。


 重い。


 だった。


「……」


 目の前。


 黒い髪。


 私の胸元に。


 アレクシスの頭がある。


 腕。


 私の腰に回っている。


 そして。


 私の腕も。


 しっかり。


 彼の背中に回っている。


「……」


 昨日。


 何があった?


 思い出す。


 悪夢。


 十年前。


 死んだ仲間。


『生きろと言っただろう、馬鹿』


 それから。


 私が。


 彼を抱いた。


 肩に。


 温かいものが落ちた。


『見るな』


『誰にも言うな』


『ハロルドにも』


 そして。


 私が言った。


『呪いがなくても、あなたが生きていてくれて、よかったです』


「……」


 思い出した。


 全部。


 朝から。


 胸が苦しい。


 でも。


 嫌な苦しさではない。


「アレクシス」


「起きている」


 早い。


「では離れてください」


「嫌だ」


「……はい?」


「まだ早い」


「朝です」


「知っている」


「なら」


「あと五分」


 私は固まった。


「今」


「ああ」


「何て言いました?」


「あと五分」


「あなたが?」


「ああ」


「熱があります?」


「ない」


「呪い?」


「違う」


「では誰ですか?」


「俺だ」


「嘘!」


 思わず。


 少し大きな声が出た。


 アレクシスが。


 私の胸元で。


 ほんの少し顔をしかめる。


「うるさい」


「だって!」


「あと五分」


「子供ですか!」


「ああ」


「また認める!」


 でも。


 離れない。


 私も。


 離していない。


 それに気づいて。


 少しだけ。


 気まずくなる。


「……アレクシス」


「ああ」


「そろそろ本当に」


「ああ」


「朝食があります」


「ああ」


「離れてください」


「本当に?」


 聞かれた。


「……」


 ずるい。


 本当に。


「はい」


 答えた。


 少しだけ。


 遅れて。


 アレクシスの腕が緩む。


 私も。


 ゆっくり離す。


 そして。


 顔を見た。


「……」


「何だ」


「いえ」


「言え」


「何でも」


「嘘だ」


「ああ」


「また真似をしたな」


「今はそこではなくて」


 見てしまう。


 目。


 明らかに。


 赤い。


 少し腫れている。


「アレクシス」


「なんだ」


「目」


「ああ」


「赤いですね」


「寝不足だ」


 早い。


「嘘」


「ああ」


「認めるんですか!」


「面倒だからな」


「では泣いたから?」


「泣いていない」


「昨日、自分で誰にも言うなって」


「言っていない」


「言いました!」


「証拠は?」


「私です!」


「証拠にならない」


「またそれ!」


 朝から。


 本当に。


 この人は。


「分かりました」


 私は言った。


「泣いていません」


「ああ」


「目が赤いだけです」


「ああ」


「肩に落ちたのは雨です」


「部屋の中だ」


「結露」


「季節が違う」


「では汗」


「泣いたほうがましだ」


「認めましたね!」


「認めていない」


 私は。


 笑った。


 アレクシスは。


 少し。


 嫌そうな顔をした。


 でも。


 昨日までより。


 少しだけ。


 軽く見えた。


     ◇


 問題は。


 朝食だった。


「閣下」


「何だ」


 ガルドさん。


 真正面から。


 アレクシスの顔を見る。


 そして。


「目ぇ赤くないですか?」


 終わった。


 私は。


 思わず。


 紅茶のカップで口元を隠した。


 アレクシスが。


 私を見る。


「言ってません」


「まだ何も言っていない」


「でも疑いましたよね!」


「ああ」


「ひどい!」


 ガルドさんが。


 私。


 アレクシス。


 交互に見る。


「何です?」


「いえ」


「絶対何かあります」


「閣下」


 ガルドさんが。


 少しだけ。


 口元を上げる。


「泣きました?」


「殺すぞ」


 低い声。


 ガルドさん。


 大笑い。


「その反応は当たりでしょう!」


「黙れ」


「十年ぶりに会った昔の部下を殺します?」


「ああ」


「奥様!」


「私は何も知りません!」


「早い!」


「本当に!」


「ではなぜ顔を逸らすんです?」


「紅茶が熱いからです!」


「まだ飲んでませんよ」


「ガルドさん!」


 完全に。


 遊ばれている。


 アレクシスは。


 本気で。


 不機嫌そう。


 でも。


 私は分かる。


 怒っているというより。


 恥ずかしい。


 たぶん。


「閣下」


 ガルドさんが。


 少しだけ。


 真面目な声になる。


「泣いたっていいでしょう」


「泣いていない」


「はいはい」


「その返事をやめろ」


「じゃあ」


 ガルドさんが。


 パンをちぎる。


「昨日はよく眠れましたか」


 アレクシスが。


 黙る。


「悪夢は?」


 私は。


 彼を見る。


 アレクシスは。


 しばらく。


 答えなかった。


「見た」


 静かな声。


「そうですか」


「ああ」


「いつもの?」


「違った」


 ガルドさんの手が。


 止まる。


「どう」


 少し。


 声が掠れる。


「違ったんです」


「お前たちが」


 アレクシスが言った。


「俺を責めなかった」


 ガルドさんが。


 何も言わない。


「副隊長も」


「ああ」


「生きろと」


 長い。


 沈黙。


 ガルドさんが。


 笑った。


 でも。


 目が。


 少し濡れている。


「やっとですか」


「何が」


「あいつら」


 ガルドさんが。


 パンを握ったまま。


 顔を伏せる。


「十年もかけて、やっと閣下の夢に本当のことを言いに来たんですな」


「……」


「遅い連中だ」


 笑う。


 声。


 震えている。


 アレクシスが。


 何も言わない。


 私は。


 その二人を見ながら。


 思った。


 昨日。


 彼が泣いたことは。


 言わない。


 約束だから。


 でも。


 たぶん。


 ガルドさんは。


 もう分かっている。


 それでも。


 聞かない。


 そこが。


 少しだけ。


 優しかった。


     ◇


 旅の四日目。


 雪が。


 増えた。


 窓の外。


 白。


 山。


 森。


 道の両側。


 雪。


 馬車の車輪が。


 時々。


 深く沈む。


「寒いです」


「毛布」


「もう二枚かけています」


「三枚目」


「持ってきたんですか?」


「ああ」


「……あの荷物、役に立ちましたね」


「ああ」


「嬉しそう」


「ああ」


「そこは否定してください!」


 三枚目の毛布。


 膝。


 ほとんど埋まる。


「重いです」


「我慢しろ」


「横暴」


「ああ」


 でも。


 暖かい。


「アレクシス」


「ああ」


「神殿まで」


 少し。


 迷う。


「あと三日?」


「ああ」


「近くなりましたね」


「ああ」


 彼の顔が。


 少しだけ。


 固くなる。


「怖い?」


 聞いた。


 以前なら。


 答えなかったかもしれない。


 でも。


「怖い」


 今は。


 言った。


「私も」


「ああ」


「でも」


 私は。


 毛布の下。


 少し。


 手を動かす。


 彼の手。


 近い。


 触れる。


 アレクシスが。


 こちらを見る。


「手」


「呪いは出ていない」


「知っています」


「雷もない」


「はい」


「悪夢も」


「今は起きています」


「ああ」


「だから」


 指を絡めた。


「握りたいだけです」


 彼の手に。


 少し力が入る。


「そうか」


「はい」


「なら」


 もう少し。


 強く。


 握られる。


「このままで」


「はい」


 外は。


 白い。


 冷たい。


 でも。


 馬車の中。


 手だけは。


 暖かかった。


     ◇


 その日の午後。


 アレクシスの様子が。


 少し変わった。


「アレクシス」


「なんだ」


「顔色が」


「問題ない」


「禁止」


「……」


「痛いです?」


「少し」


「少し?」


「ああ」


「本当に?」


「ああ」


「嘘?」


「……」


「今、黙りましたね」


 私は。


 馬車を止めさせようとした。


「いい」


「よくありません」


「進め」


「駄目です」


「リリアーヌ」


「アレクシス」


 呼ぶ。


 彼が。


 少しだけ。


 黙る。


 名前。


 やっぱり。


 効く。


 少し。


 ずるいと思う。


 でも使う。


「胸を見せてください」


「ここで?」


「呪印です!」


「ああ」


「何だと思ったんです!」


「知らん」


「もう!」


 護衛に休憩を命じる。


 馬車。


 止まる。


 アレクシスが。


 外套の前を少し開く。


 襟元。


 黒い呪印。


「……」


 以前より。


 赤い。


 黒。


 その中に。


 細い赤。


 脈打つように。


「これ」


「ああ」


「昨日より?」


「ああ」


「痛いんですね」


「少し」


「嘘」


「ああ」


「認めるんですか」


「面倒だからな」


 私は。


 怒る。


 でも。


 怖い。


「神殿に近づいているから?」


「たぶん」


「戻りますか」


「嫌だ」


 即答。


「怖いんでしょう?」


「ああ」


「それでも?」


「ああ」


「どうして」


 アレクシスが。


 私を見る。


「お前と」


 一度。


 言葉が止まる。


「帰るためだ」


 胸が。


 鳴った。


「……そういうの」


「何だ」


「突然言わないでください」


「なぜ」


「困るからです」


「そうか」


「はい」


「なら」


「ああ」


「覚えていろ」


「どうして!」


「言ったからだ」


 本当に。


 ずるい。


     ◇


 その夜。


 宿。


 小さい。


 山の中。


 外は。


 吹雪。


 窓が。


 時々。


 鳴る。


 ベッド。


 一つ。


 もう。


 何も言わない。


 当然のように。


 二人で入る。


「アレクシス」


「ああ」


「痛みは?」


「今はない」


「本当に?」


「ああ」


「嘘?」


「ない」


「ならいいです」


 私は。


 少し。


 近づいた。


「近い」


「嫌です?」


「嫌ではない」


「なら」


「そのままでいい」


「はい」


 暗い。


 風の音。


 目を閉じる。


 でも。


 眠れない。


「アレクシス」


「なんだ」


「起きてます?」


「ああ」


「何を考えています?」


「知らん」


「嘘」


「ああ」


「最近、本当にすぐ認めますね」


「面倒だからな」


「私が?」


「ああ」


「ひどい」


「お前も俺を面倒と言う」


「本当ですから」


「ああ」


「認めるんですか」


「ああ」


 少し笑う。


 それから。


 静かになる。


「……神殿のことですか」


「ああ」


「十年前?」


「ああ」


「昨日の夢?」


「ああ」


 全部。


 ああ。


 でも。


 その一言一言。


 今は。


 少し分かる。


「怖かったですね」


 言った。


「十九歳で」


「ああ」


「皆を連れて」


「ああ」


「自分だけ生きて」


「ああ」


「十年間」


「ああ」


「ずっと」


 返事が。


 止まる。


「アレクシス?」


「寝ろ」


 逃げた。


 でも。


 追わない。


「はい」


 私は。


 彼の手を握った。


 目を閉じた。


 そして。


 夢を見た。


     ◇


 暗い。


 また。


 神殿。


 でも。


 昨日と違う。


 静か。


 人がいない。


 血もない。


 ただ。


 長い廊下。


 遠く。


 誰かがいる。


「アレクシス?」


 十九歳。


 若い。


 血だらけ。


 背中。


 こちらを向いている。


「アレクシス」


 呼ぶ。


 振り返らない。


 近づく。


 一歩。


 二歩。


「来るな」


 声。


「え?」


「ここから先へ来るな」


 彼が。


 振り返る。


 十九歳の顔。


 でも。


 目は。


 今のアレクシス。


「どうして」


「お前まで失いたくない」


 胸が。


 痛む。


「私は」


「戻れ」


「嫌です」


「リリアーヌ」


「嫌です」


「来るな!」


 怒鳴られる。


 でも。


 止まらない。


「あなた」


 私は言う。


「十年前も」


 一歩。


「そうやって」


 一歩。


「一人で残ろうとしたんでしょう」


「違う」


「同じです」


「違う!」


「何が!」


 夢の中なのに。


 喧嘩。


 本当に。


 私たちらしい。


「私を守るため?」


「ああ」


「だから置いていく?」


「ああ」


「それ」


 私は。


 怒った。


「守ってません!」


 アレクシスが。


 黙る。


「残されるほうは?」


「……」


「待つほうは?」


「……」


「帰ってこなかったら?」


「リリアーヌ」


「怖いに決まってるでしょう!」


 声が。


 響く。


 石壁。


「一人で残らないでください」


 言った。


「今度は」


 手を伸ばす。


「一緒に」


 届かない。


 まだ。


 遠い。


「帰ってきてください」


 アレクシスの顔が。


 歪む。


「無理だ」


「どうして」


「俺は」


 十九歳。


 でも。


 声。


 今。


「ここから出られない」


 胸が。


 痛い。


「十年前から?」


「ああ」


「ずっと?」


「ああ」


「じゃあ」


 私は。


 もう一歩。


 前へ出る。


「迎えに来ました」


 アレクシスが。


 目を見開く。


「何を」


「あなたを」


 言った。


「十九歳のあなたも」


 一歩。


「今のあなたも」


 一歩。


「全部」


 手を伸ばす。


 あと少し。


「連れて帰ります」


「来るな」


「嫌です」


「リリアーヌ」


「嫌!」


 指先。


 あと少し。


 でも。


 床。


 割れる。


 黒い亀裂。


 広がる。


「リリアーヌ!」


 アレクシスが。


 初めて。


 こちらへ手を伸ばす。


 私も。


 伸ばす。


 届かない。


「アレクシス!」


 暗闇。


 落ちる。


     ◇


「――アレクシス!」


 目を覚ました。


 息。


 苦しい。


 手。


 強く。


 何かを握っている。


 見る。


 アレクシスの手。


 私は。


 両手で。


 ものすごく強く握っていた。


「リリアーヌ」


 彼も。


 起きている。


「夢」


「ああ」


「見ました?」


「ああ」


「同じ?」


 長い。


 沈黙。


「ああ」


 私は。


 彼の手を。


 離さない。


「あなた」


「ああ」


「夢の中で」


 喉が。


 震える。


「ここから先へ来るなって」


「ああ」


「お前まで失いたくないって」


「ああ」


「言いました」


「ああ」


「それで」


 アレクシスが。


 私を見る。


「お前は」


 声。


 少し。


 掠れている。


「一人で残るなと言った」


「はい」


「迎えに来たと」


「はい」


「俺を」


 彼の指。


 少し震える。


「連れて帰ると」


「言いました」


 私は。


 もう一度。


 握り直した。


「夢じゃなくても言います」


「リリアーヌ」


「一人で残らないでください」


「ああ」


「十九歳のあなたも」


「ああ」


「今のあなたも」


 胸が。


 苦しい。


「一緒に帰りましょう」


 長い。


 沈黙。


「……ああ」


 彼が。


 返事をした。


 でも。


 次の瞬間。


 胸元。


 赤い光。


「アレクシス?」


 呪印。


 光っている。


 今までより。


 強く。


「痛い?」


「ああ」


「どれくらい」


「……かなり」


「どうして!」


 彼の身体が。


 震える。


 息。


 乱れる。


 私は。


 すぐ近づく。


 手。


 握る。


 足りない。


 腕。


 抱く。


 それでも。


 赤い光。


 消えない。


「アレクシス!」


「離れろ」


「嫌です!」


「危険だ」


「だから何です!」


「リリアーヌ!」


「嫌!」


 私は。


 彼を。


 抱きしめた。


「離しません」


「……」


「夢の中で言ったでしょう!」


 声が。


 震える。


「一人で残らないでって!」


 アレクシスの腕が。


 ゆっくり。


 私の背中へ回る。


 強く。


 抱きしめる。


「リリアーヌ」


「はい」


「お前は」


「ああ」


「本当に」


「ああ」


「面倒だ」


 私は。


 泣きそうになりながら。


 笑った。


「知っています」


 赤い光。


 少しずつ。


 弱くなる。


 でも。


 完全には。


 消えない。


 そして。


 翌朝。


 北方神殿から届いた使者は。


 私たちに告げた。


「もう、時間がありません」


 老神官は。


 赤く変化した呪印を見て。


 顔を青くした。


「神殿に入れるのは」


 一度。


 息を飲む。


「明日の夜までです」


 私は。


 アレクシスを見る。


 彼も。


 私を見る。


 旅の予定は。


 あと三日。


 でも。


 呪いは。


 待ってくれない。


 私たちは。


 明日。


 十年前。


 すべてが始まった場所へ。


 入らなければならなくなった。


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