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婚約破棄された夜、冷徹公爵の「眠るだけの契約妻」になりました 〜触れない約束なのに、毎晩同じベッドで溺愛されています〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第26話 「嬉しすぎて何をしていいか分からなくなる」なんて、忘れられるわけがありません

 忘れられるわけがない。


 そんなもの。


 無理に決まっている。


『もし一年後、私がここにいたいと言ったら、困りますか』


『困る』


『どうして』


『嬉しすぎて、何をしていいか分からなくなる』


「……」


 私は。


 目を閉じていた。


 正確には。


 寝たふりをしていた。


 なぜなら。


 目を開けると。


 隣にアレクシス公爵がいるから。


 どんな顔をして。


 おはようございますと言えばいいのか。


 分からない。


 昨日までは。


 普通に言えた。


 いや。


 普通ではなかった気もする。


『ああ』


『おはようございます、は?』


『おはよう』


 いつも。


 そんな感じ。


 でも今日は。


 無理。


 絶対に。


 顔を見た瞬間。


 思い出す。


 嬉しすぎて。


 何をしていいか分からなくなる。


 ……何なの。


 あれ。


 どういう意味なの。


 いや。


 意味は分かる。


 分かるから困っている。


「リリアーヌ」


「寝ています」


「起きている」


「寝ています」


「返事をした」


「夢です」


「何度目だ」


「知りません」


「俺は知っている」


「数えてるんですか!?」


 思わず。


 目を開けた。


 しまった。


 アレクシス公爵と。


 目が合った。


「……」


「……」


 すぐ。


 逸らした。


「なぜ逸らす」


「別に」


「嘘だな」


「ああ」


 言ってから。


 止まった。


 アレクシス公爵も。


 少しだけ目を細める。


「今」


「何ですか」


「俺の真似をしたな」


「してません」


「嘘だ」


「ああ」


「またした」


「うるさいです!」


 布団を引き上げる。


 顔を隠す。


「朝から何なんですか!」


「それは俺が聞きたい」


「何がです?」


「なぜ俺を見ない」


「知りません!」


「またそれか」


「あなたのせいでしょう!」


 言ってしまった。


 静かになる。


「俺の?」


「そうです!」


「何をした」


「昨日」


 止まる。


 言えない。


 口に出す?


 無理。


「昨日?」


「……忘れてください」


「嫌だ」


「どうして!」


「お前が言ったからだ」


「私じゃなくて、あなたが言ったんです!」


「何を」


「それは!」


 この人。


 本当に。


 分かってない?


 いや。


 分かっている。


 絶対。


 分かっていて聞いている。


「意地悪ですね」


「そうか?」


「そうです」


「自覚はない」


「あるでしょう!」


「何の話だ」


「昨日!」


「昨日の何だ」


「嬉しすぎて!」


 言った。


 途中まで。


 でも。


 もう遅い。


 アレクシス公爵が。


 黙った。


 私も。


 黙る。


「……」


「……」


「もう嫌」


 布団を。


 頭まで被った。


「消えたい」


「駄目だ」


「即答しないでください!」


「なぜ」


「余計に恥ずかしいからです!」


「そうか」


「公爵様は恥ずかしくないんですか?」


 聞いた。


 布団の中から。


 長い。


 沈黙。


「……恥ずかしい」


 私は。


 ゆっくり。


 布団から顔を出した。


「え?」


「だから昨夜、忘れろと言った」


「ああ」


「お前が嫌だと言った」


「……はい」


「なら仕方ない」


 アレクシス公爵は。


 いつもの無表情。


 でも。


 よく見ると。


 少しだけ。


 耳が赤い。


「公爵様」


「なんだ」


「今」


「何だ」


「耳」


「言うな」


「赤いですね」


「言うなと言った」


「珍しい」


「リリアーヌ」


「はい」


「寝室から出すぞ」


「妻を?」


「ああ」


「横暴!」


 でも。


 笑った。


 彼も。


 少しだけ。


 顔を逸らした。


 たぶん。


 笑っている。


「公爵様」


「なんだ」


「昨日のこと」


「ああ」


「本当に、忘れませんからね」


 アレクシス公爵が。


 私を見る。


「そうか」


「はい」


「なら」


 一度。


 言葉を止める。


「俺も忘れない」


「何を?」


「お前が」


 嫌な予感。


「一年後もここにいたいと言ったら、と聞いたことを」


「忘れてください!」


「嫌だ」


「どうして!」


「お前の真似だ」


「もう!」


 本当に。


 この人は。


 ずるい。


     ◇


 朝食。


 私は。


 パンを食べていた。


 アレクシス公爵は。


 向かいで。


 なぜかこちらを見る。


「何ですか」


「別に」


「見ています」


「ああ」


「どうして?」


「昨日より食べている」


「……」


 そういうところ。


 本当に。


 ずるい。


「もう元気です」


「ああ」


「書庫も行けます」


「二時間まで」


「覚えてるんですね」


「ああ」


「庭は?」


「四十五分」


「一時間では?」


「交渉は終わった」


「細かい!」


 ハロルドが。


 静かに紅茶を置く。


「旦那様」


「何だ」


「本日のリリアーヌ様の予定表を確認されるのは、これで三度目でございます」


「……」


 私は。


 アレクシス公爵を見る。


「三回?」


「ハロルド」


「はい」


「余計なことを言うな」


「事実でございます」


「公爵様」


「なんだ」


「過保護を減らす約束は?」


「減らした」


「どこが!」


「以前なら書庫は一時間だった」


「三時間から二時間に削られてます!」


「譲歩した」


「私が!」


「俺もだ」


「どこを!」


 ハロルドが。


 少し笑った。


「何です?」


「いいえ」


「絶対何か思ってますね」


「お二人とも、よく似てこられたと」


「似てません!」


「似ていない」


 同時。


「……」


「……」


 ハロルド。


 今度は。


 完全に笑った。


「笑いましたね!」


「失礼いたしました」


「全然反省してない!」


 そのとき。


 廊下から。


 足音。


 使用人が入ってくる。


「旦那様」


「何だ」


「北方神殿から、至急の書状が」


 空気が。


 変わった。


 私は。


 無意識に。


 背筋を伸ばした。


 アレクシス公爵が。


 封を切る。


 読む。


「……」


 顔が。


 固くなる。


「何が書いてあります?」


「後で話す」


「今、話してください」


「リリアーヌ」


「私にも関係があります」


「……」


「忘れました?」


『お前にも関係がある』


 前に。


 彼自身が言った。


「覚えている」


「なら」


 アレクシス公爵が。


 手紙を私へ渡した。


 読む。


『解呪の最終条件に関する記述の解読を終えた』


 胸が。


 ざわつく。


『相手を守るため、自らを差し出す覚悟』


 以前。


 老神官が言っていたこと。


 その続き。


『ただし、これは死を求める儀式ではない』


 少し。


 息を吐く。


 よかった。


 でも。


 続き。


『呪いの起点となった場所へ戻り、呪われし者と対なる者が共に、過去の選択と向き合わねばならない』


 私は。


 顔を上げた。


「起点」


「ああ」


「十年前の神殿?」


「ああ」


 夢で見た。


 暗い。


 冷たい石壁。


 血。


 死んだ人たち。


 十九歳のアレクシス公爵。


『俺のせいだ』


「そこへ」


 私は。


 手紙を見る。


「戻る必要がある?」


「ああ」


「二人で?」


「そう書いてある」


 次を読む。


『神殿最奥の黒碑の前にて、呪われし者は再び選択を迫られる』


『過去を選ぶか』


『対なる者を選ぶか』


 意味が。


 分からない。


「過去を選ぶ?」


「ああ」


「どういう意味でしょう」


「分からん」


「また?」


「ああ」


「最近、本当に分からないことばかりですね」


「呪いだからな」


「便利な言葉」


「ああ」


 でも。


 その顔。


 いつもと違う。


「公爵様」


「なんだ」


「行くのが怖い?」


 彼の目が。


 一瞬。


 止まった。


「……ああ」


 認めた。


 私は。


 少し驚いた。


「怖いんですね」


「ああ」


「十年前の場所だから」


「ああ」


「死んだ人たちを思い出すから」


「……ああ」


 声。


 少し。


 低い。


「なら」


 私は言った。


「一緒に行きます」


「駄目だ」


 早い。


「どうして!」


「危険だ」


「でも手紙には二人でと」


「別の方法を探す」


「公爵様」


「何だ」


「逃げるんですか」


 言った。


 少し。


 酷いと思った。


 でも。


 必要だった。


 アレクシス公爵が。


 私を見る。


「……ああ」


 予想外。


「え?」


「逃げたい」


 静かな声。


「お前を連れて行くくらいなら」


「……」


「十年前」


 彼の手が。


 少し。


 強く握られる。


「俺は十九だった」


「ああ」


「自分なら何でもできると思っていた」


「……」


「部下を連れて」


「……」


「神殿へ入り」


 声が。


 掠れる。


「帰れなかった者がいる」


 私は。


 黙って聞いた。


「だから」


 彼が言う。


「もう二度と」


 私を見る。


「大事な者を、あそこへ連れて行きたくない」


 胸が。


 大きく鳴った。


 大事な者。


 それ。


 私?


 聞きたい。


 でも。


 今は。


 そこじゃない。


「公爵様」


「なんだ」


「あなたに責任がなかったとは言いません」


 彼の目が。


 少し細くなる。


「十九歳でも」


「ああ」


「指揮官だったなら」


「ああ」


「命令したなら」


「ああ」


「責任はあると思います」


「ああ」


 否定しない。


「でも」


 私は続ける。


「だから全部あなたが殺した、も違います」


 彼が。


 黙る。


「私」


 一度。


 息を吸う。


「都合のいい慰めは嫌いです」


「ああ」


「あなたもでしょう?」


「ああ」


「だから、責任がないとは言いません」


「……」


「でも、一人で全部背負うのも違う」


 アレクシス公爵の目が。


 少し。


 揺れた。


「昨日」


 私は言った。


「私たち、似ているって言われましたよね」


「ハロルドに?」


「はい」


「あれは違う」


「私もそう思いました」


「なら」


「でも」


 私は。


 少し笑った。


「たぶん、少し似ています」


「……」


「自分が我慢すればいいと思うところ」


「ああ」


「自分だけが痛ければいいと思うところ」


「ああ」


「人には頼れと言うのに、自分は頼らないところ」


「……」


「ほら」


「何がだ」


「否定できない」


「お前もな」


「知っています」


 それから。


 私は。


 まっすぐ彼を見る。


「だから」


「ああ」


「連れていってください」


「駄目だ」


「即答しない!」


「嫌だ」


「私は行きます!」


「駄目だ」


「契約にもあります!」


「何が」


「呪いに必要な協力をすること!」


「あれは」


「あなたが書いた契約ですよ!」


「こんなことまで想定していない」


「契約って、そういうものです!」


「都合よく使うな!」


「あなたに言われたくありません!」


 ハロルドが。


 静かに紅茶を飲んだ。


「ハロルドさん」


「はい」


「今、見物してます?」


「まさか」


「絶対してます!」


「ですが」


 ハロルドが。


 アレクシス公爵を見る。


「旦那様」


「何だ」


「私は、リリアーヌ様を止めることは不可能かと」


「なぜ」


「旦那様に似ておられますので」


「似ていない!」


「似てません!」


 また。


 同時。


 ハロルドが。


 目を閉じた。


「……何ですか」


「いいえ」


「絶対笑ってます!」


     ◇


 午後。


 結局。


 話し合いは続いた。


 一時間。


 二時間。


 アレクシス公爵は。


 駄目。


 危険。


 連れて行かない。


 それしか言わない。


 私も。


 行く。


 必要。


 一人にしない。


 それしか言わない。


 本当に。


 似ている。


 腹が立つほど。


「公爵様」


「なんだ」


「もし」


 私は。


 少しだけ。


 言葉を変えた。


「私が一人で危険な場所へ行こうとしたら」


「止める」


「でしょうね」


「ああ」


「でも」


「ああ」


「どうして止めるんです?」


「危険だからだ」


「それだけ?」


「……」


「私は」


 彼を見る。


「あなたが危険だから止めたいんです」


「リリアーヌ」


「でも止めても、行くでしょう?」


「ああ」


「だから一緒に行きます」


「理屈になっていない」


「なっています」


「なっていない」


「なっています!」


「子供か」


「あなたが言わないでください!」


 また。


 沈黙。


「公爵様」


「なんだ」


「私は」


 少し。


 声を落とす。


「あなたがあの神殿へ一人で行くほうが怖いです」


 彼が。


 私を見る。


「もし」


 喉が。


 少し苦しい。


「帰ってこなかったら」


「……」


「嫌です」


 言えた。


「本当に」


 もう一度。


「嫌です」


 アレクシス公爵が。


 何も言わない。


「それでも」


 聞く。


「一人で行きますか」


 長い。


 沈黙。


「……卑怯だ」


 低い声。


「あなたに言われたくありません」


「そうか」


「はい」


 彼は。


 深く。


 息を吐いた。


「三つ条件がある」


 私は。


 少し笑った。


「五つまで聞きます」


「増やすな」


「はい」


「俺から離れない」


「はい」


「勝手な行動をしない」


「はい」


「危険だと思ったら、俺の指示に従う」


 少し迷う。


「内容によります」


「リリアーヌ」


「分かりました!」


「本当に?」


「努力します」


「信用できない」


「失礼!」


「事実だ」


「あなたもでしょう!」


「ああ」


 認めた。


 本当に。


 最近。


 よく認める。


「では」


 私は言った。


「一緒に行けます?」


「ああ」


「本当に?」


「ああ」


「やっぱり駄目とか」


「言わない」


「途中で私だけ帰すとか」


「……」


「今、黙りましたね!」


「しない」


「本当に?」


「ああ」


「約束?」


 アレクシス公爵が。


 少し。


 私を見る。


「約束する」


 胸が。


 少し。


 温かくなる。


「では」


 私は。


 手を差し出した。


「何だ」


「握手です」


「なぜ」


「契約成立だからです」


「契約?」


「神殿まで一緒に行く契約」


「また増やすのか」


「はい」


「面倒だな」


「あなたもです」


 彼が。


 私の手を取る。


 握手。


 ただの。


 はずなのに。


 離れない。


「……公爵様」


「なんだ」


「もう握手は終わりました」


「ああ」


「手」


「ああ」


「離さないんですか」


 長い。


 沈黙。


「今は」


 その言葉。


 また。


「このままでいい」


 私は。


 少し笑った。


「はい」


 それだけ。


 答えた。


     ◇


 夜。


 ベッド。


 私たちは。


 いつもより。


 少し近い。


「公爵様」


「なんだ」


「北方神殿まで何日です?」


「馬車で七日ほど」


「長いですね」


「ああ」


「同じ馬車?」


「ああ」


「毎日?」


「ああ」


「……」


「何だ」


「別に」


「嘘だな」


「ああ」


「真似をするな」


「嫌です」


 少し笑う。


「怖いですか」


 聞いた。


 彼が。


 黙る。


「公爵様」


「ああ」


「怖い?」


「ああ」


 今度は。


 すぐ。


 認めた。


「私もです」


「ああ」


「でも」


 少し。


 彼のほうへ近づく。


「一人ではないです」


「……ああ」


「私も」


 言う。


「一人ではありません」


 その瞬間。


 アレクシス公爵の手が。


 布団の上。


 少しだけ。


 こちらへ動く。


 触れない。


 約束。


 まだ。


 ある。


 だから。


 私は。


 自分から。


 その手に触れた。


「リリアーヌ」


「何ですか」


「今日は呪いは出ていない」


「知っています」


「雷もない」


「はい」


「悪夢も」


「まだ見てません」


「なら」


「ただ」


 私は。


 指を絡めた。


「手を繋ぎたいだけです」


 言った。


 怖かった。


 でも。


 言えた。


 長い。


 沈黙。


「……そうか」


「嫌ですか」


「嫌ではない」


「よかった」


 目を閉じる。


 少しして。


「リリアーヌ」


「はい」


「神殿で」


「ああ」


「何があっても」


 声。


 低い。


「俺から離れるな」


「はい」


「絶対に」


「はい」


「約束しろ」


「約束します」


 私は。


 少し笑った。


「公爵様も」


「なんだ」


「私を置いていかないでください」


 手に。


 力が入る。


「……ああ」


「絶対?」


「ああ」


「一年後も?」


 言ってしまった。


 また。


 彼の指が。


 止まる。


「……」


「……」


「今のは」


「聞いた」


「忘れてください」


「嫌だ」


「もう!」


 でも。


 彼は。


 少し。


 笑っていた。


 私も。


 笑った。


 そして。


 その夜。


 手を繋いだまま。


 眠りに落ちる直前。


 私は思った。


 北方神殿へ行けば。


 呪いが解けるかもしれない。


 それは。


 喜ぶべきこと。


 ずっと。


 望んできたこと。


 なのに。


 呪いが解けたら。


 私は。


 この人にとって。


 もう必要ではなくなる。


 そんな考えが。


 胸の奥に。


 小さな棘みたいに。


 残っていた。


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