第22話 酔った私が「本当に魅力がありませんか」と聞いたらしいです
朝。
目を覚ました瞬間。
頭が痛かった。
「……痛い」
ものすごく。
痛い。
頭の内側で。
小さな鍛冶屋が十人くらい。
一斉に鉄を叩いている。
「もう少し静かに……」
誰に言っているのか。
自分でも分からない。
目を閉じる。
そして。
昨夜のことを思い出そうとした。
お茶会へ行った。
果実酒を飲んだ。
一杯。
いや。
二杯?
公爵邸へ戻った。
アレクシス公爵がいた。
『お帰り』
そう言われて。
嬉しかった。
そこまでは覚えている。
その後。
「……」
私は目を開けた。
嫌な予感。
何か。
あった。
絶対に。
何か。
ものすごく恥ずかしい何かが。
「……公爵様」
隣を見る。
いない。
「え?」
ベッドの反対側。
空。
手を伸ばす。
冷たい。
ずいぶん前に起きたらしい。
「珍しい」
いつもなら。
私より遅くまで寝ていることはなくても。
少なくとも。
一緒に朝を迎える。
なのに。
今日は。
いない。
「……どうして?」
呟いた瞬間。
記憶が。
一つ。
戻った。
『私しか見ていないって、本当ですか?』
「……」
私は。
布団を頭まで被った。
「言った」
言った。
絶対に言った。
「私、言った……!」
待って。
それだけ?
もっと。
何か。
『公爵様は、必要だから私を大切にしているんですか。それとも……』
「いやあああああ!」
枕に顔を埋めた。
最悪。
最悪。
本当に最悪。
なぜ。
なぜ酒など飲んだの。
しかも。
たった二杯で。
「消えたい……」
そのとき。
こんこん。
扉が叩かれた。
「リリアーヌ様」
エマだった。
「起きてますか?」
「死んでいます」
「では失礼いたします」
「待って!」
扉が。
本当に開きかけた。
「今、死んでると言ったでしょう!」
「死人は返事をなさいませんので」
「この屋敷の人、最近みんな屁理屈ばかり!」
エマが。
笑いを堪えている。
「入っていいわ」
「はい」
扉が開く。
エマが入ってきた。
水差し。
濡らした布。
それから。
妙に優しい笑顔。
「……何?」
「何がでございましょう」
「その顔」
「いつもの顔でございます」
「嘘」
「まあ」
「絶対、何か知っているでしょう」
「何をでございましょう」
「昨夜の私」
エマが。
一瞬。
黙った。
やっぱり。
「何をしたの?」
「私は何も」
「私は何をしたの!」
「リリアーヌ様」
「はい」
「まずお水を」
「先に答えて!」
エマは。
困ったように笑った。
「私は途中までしか存じません」
「途中まで?」
「旦那様がリリアーヌ様をお迎えになり」
「はい」
「その後、お二人でしばらく玄関広間に」
「はい」
「そこまでは」
「その後は?」
「ハロルド様にお尋ねくださいませ」
嫌だ。
ものすごく。
嫌だ。
「……公爵様には?」
「もちろん、ご本人が一番お詳しいかと」
「それはもっと嫌」
「なぜでございます?」
「恥ずかしいから!」
エマが。
今度こそ。
笑った。
「笑わないで!」
「申し訳ございません」
「思ってないでしょう!」
「少しだけ」
「正直!」
この屋敷に来てから。
周りの人まで。
どんどん正直になっている気がする。
誰の影響?
たぶん。
あの人。
◇
朝食の席。
アレクシス公爵は。
いた。
当たり前だ。
でも。
いつもと違った。
「おはようございます」
「ああ」
「おはようございます、は?」
「おはよう」
「はい」
「……」
「……」
目を合わせない。
絶対。
合わせない。
私を見るのは。
紅茶を飲むとき。
パンを取るとき。
私が見ていないとき。
こちらが顔を上げると。
逸らす。
「公爵様」
「なんだ」
「何かありました?」
「別に」
「嘘ですね」
「ああ」
「認めるんですか!」
「ああ」
「では何です?」
「言わない」
「また?」
「ああ」
おかしい。
絶対に。
おかしい。
私は。
隣に立つハロルドを見る。
「ハロルドさん」
「はい」
「昨日」
「はい」
「私、何をしました?」
ハロルドが。
私を見る。
アレクシス公爵を見る。
また。
私を見る。
「どこからご説明いたしましょう」
「そんなに!?」
「ハロルド」
アレクシス公爵の声。
低い。
「何でございますか」
「余計なことを言うな」
「旦那様」
「何だ」
「リリアーヌ様ご本人がお尋ねでございます」
「黙れ」
「かしこまりました」
早い。
でも。
ハロルドの口元。
少し笑っている。
「待ってください!」
「はい」
「教えて」
「旦那様から禁止されましたので」
「私の昨夜のことなのに?」
「はい」
「私には知る権利があります!」
「もっともでございます」
「なら!」
「旦那様」
「駄目だ」
「公爵様!」
「何だ」
「なぜ隠すんです?」
「お前が後悔する」
「もうしてます!」
「ならこれ以上増やす必要はない」
「何をしたか分からないまま後悔するほうが嫌です!」
アレクシス公爵が。
少し。
黙った。
「本当に?」
「本当です」
「後悔しない?」
「分かりません」
「どちらだ」
「聞いてから決めます!」
「面倒だな」
「誰のせいですか!」
私は。
身を乗り出した。
「教えてください」
「嫌だ」
「どうして!」
「嫌だからだ」
「子供ですか!」
「ああ」
また認めた。
本当に。
最近。
開き直りすぎでは?
「では」
私は。
一つずつ思い出すことにした。
「私、帰ってきて」
「ああ」
「あなたに、お帰りって言われました」
「ああ」
「それが嬉しくて」
アレクシス公爵が。
少し。
こちらを見る。
「……何ですか」
「いや」
「言ってください」
「そこは覚えているのか」
「覚えてます」
「ああ」
「その後」
頭を押さえる。
「お茶会で」
「ああ」
「公爵様は、私しか見ていないと言われたと」
「ああ」
「聞きました?」
「ああ」
顔が。
熱い。
「それで私」
「ああ」
「本当かと」
「ああ」
「聞きました?」
「ああ」
「……」
「……」
「死んでいいですか」
「駄目だ」
「即答」
「ああ」
「では忘れてください」
「嫌だ」
「どうして!」
「覚えているからだ」
「答えになってません!」
ハロルドが。
紅茶を注いでいる。
絶対に。
聞いている。
もういい。
いや。
よくない。
「それで」
私は続ける。
「他には?」
「知らん」
「嘘」
「ああ」
「認める!」
腹が立つ。
でも。
少しずつ。
記憶が戻ってくる。
私。
近づいた。
アレクシス公爵へ。
上着を。
掴んだ。
「……」
私は。
自分の手を見る。
「公爵様」
「なんだ」
「私」
「ああ」
「あなたの服」
「ああ」
「掴みました?」
「ああ」
「離さなかった?」
「ああ」
「どのくらい」
「長かった」
「具体的に!」
「知らん」
「絶対知ってます!」
「数えていない」
「そこは数えないんですね!」
「全部は数えない」
「何を数えているんですか!」
話が。
変な方向へ行く。
「それから?」
聞く。
アレクシス公爵は。
答えない。
「私、何か変なことを言いました?」
ぴたり。
空気が。
止まった。
これ。
ある。
絶対に。
ある。
「公爵様」
「何だ」
「言いましたね?」
「……」
「何を?」
「覚えていないなら」
「教えてください」
「嫌だ」
「なぜ!」
「お前が困る」
「もう困ってます!」
「もっと困る」
「どれくらい?」
「かなり」
「そんなに!?」
私は。
頭を抱えた。
何。
何を言ったの。
好き?
いや。
まさか。
言ってない。
絶対に。
そこまで酔っていない。
たぶん。
「……私」
恐る恐る聞く。
「好きとか」
アレクシス公爵が。
こちらを見る。
心臓が。
止まりそうになる。
「言ってませんよね?」
長い沈黙。
「言っていない」
「……よかった」
言った瞬間。
アレクシス公爵の顔が。
少しだけ。
険しくなった。
「何です?」
「別に」
「今、怒りました?」
「怒っていない」
「嘘です」
「ああ」
「今日はよく嘘を認めますね!」
「寝不足だ」
「また寝てないんですか!」
「少しは寝た」
「何時間?」
「知らん」
「目を閉じただけ?」
「……」
「それ、前もありましたよね!」
どうして。
この人は。
私といると寝不足になるの。
いや。
それは。
少し。
困る。
本当に。
「で」
私は戻す。
「何を言ったんです?」
「言わない」
「公爵様」
「何だ」
「お願いします」
「……」
「本当に」
私は。
真面目に。
言った。
「自分が何を言ったか分からないほうが、怖いんです」
アレクシス公爵が。
しばらく。
私を見る。
それから。
低い声で言った。
「お前は」
「ああ」
「俺に」
少し。
言いづらそうに。
「自分に女として魅力があるかと聞いた」
世界が。
止まった。
「……」
「……」
「私が?」
「ああ」
「あなたに?」
「ああ」
「女として?」
「ああ」
「魅力が?」
「ああ」
「あるかって?」
「ああ」
「何回ああって言うんですか!」
「お前が何度も聞くからだ!」
私は。
両手で顔を覆った。
「終わった」
「何が」
「私の人生です」
「大袈裟だ」
「酔って夫に女として魅力があるか聞いたんですよ!」
「ああ」
「しかも契約夫!」
「ああ」
「もうああって言わないでください!」
「ではどうすればいい」
「知りません!」
本当に。
消えたい。
「ハロルドさん」
「はい」
「聞いていました?」
「どこまでを申し上げればよろしいでしょう」
「聞いていたんですね!」
「ハロルド」
「はい」
「下がれ」
「かしこまりました」
ハロルドは。
すぐに。
出ていった。
逃げた。
絶対に。
逃げた。
食堂に。
二人。
私と。
アレクシス公爵。
気まずい。
息が。
しづらい。
「それで」
私は。
恐る恐る。
聞いた。
「公爵様は」
「ああ」
「何と答えたんです?」
また。
沈黙。
嫌な予感。
「答えてない?」
「ああ」
「どうして!」
「お前が酔っていた」
「でも!」
「覚えていないだろう」
「……はい」
「だから答えなかった」
正しい。
ものすごく。
正しい。
でも。
腹が立つ。
「ずるい」
「またか」
「またです!」
「ではどうしろと」
「知りません!」
「そればかりだな」
「あなたに言われたくありません!」
私は。
紅茶を飲む。
冷めている。
まずい。
でも。
少し落ち着く。
「……公爵様」
「なんだ」
「昨日の私は」
「ああ」
「酔っていました」
「ああ」
「だから答えなかった」
「ああ」
「では」
息を吸う。
怖い。
でも。
聞きたい。
「今なら?」
アレクシス公爵が。
動きを止めた。
「……何が」
「今は酔っていません」
「ああ」
「覚えています」
「ああ」
「だから」
私は。
彼を見る。
逃げない。
顔が熱い。
心臓が。
ものすごく。
うるさい。
それでも。
「今、答えてください」
言った。
アレクシス公爵の目が。
わずかに細くなる。
「本当に聞くのか」
「はい」
「後悔するかもしれない」
「そのときは、そのときです」
「お前は」
「はい」
「最近、随分無茶を言う」
「誰の影響でしょうね」
少し。
笑った。
彼は笑わない。
真剣だった。
「もう一度聞け」
「嫌です」
「なぜ」
「恥ずかしいからです!」
「なら答えられない」
「ずるい!」
「またか」
「本当にずるいです!」
「では」
彼が。
私を見る。
「聞かないのか」
この人。
本当に。
意地が悪い。
いや。
違う。
たぶん。
逃げられないようにしている。
私も。
自分も。
「……分かりました」
私は。
膝の上で。
手を握った。
「公爵様」
「ああ」
「私は」
喉が。
乾く。
「女として」
苦しい。
「魅力がありませんか」
言った。
とうとう。
素面で。
逃げられない状態で。
アレクシス公爵が。
私を見る。
一秒。
二秒。
三秒。
長い。
「ある」
たった。
二文字。
私は。
息を止めた。
「……え?」
「ある」
もう一度。
今度は。
はっきり。
「お前には、女としての魅力がある」
心臓が。
痛いくらい。
鳴る。
「それは」
「ああ」
「慰めですか」
「違う」
「契約妻だから?」
「違う」
「呪いを止められるから?」
「違う」
「では」
聞く。
止まらない。
「どうして」
アレクシス公爵が。
深く。
息を吐いた。
「リリアーヌ」
「はい」
「昨日」
「ああ」
「お前は俺に近づいた」
「……はい」
「服を掴んだ」
「はい」
「離れなかった」
「はい……」
「魅力があるかと聞いた」
「もう言わないでください!」
「聞け」
声が。
低い。
「俺は」
彼が。
少し。
言葉を選ぶ。
「お前を壁際まで追い込んだ」
記憶が。
一気に。
戻った。
背中。
壁。
肩に置かれた手。
近い顔。
唇。
「……」
私は。
何も言えなくなった。
「思い出したか」
「少し」
「そうか」
「……すごく」
顔が。
熱い。
「それで」
アレクシス公爵が続ける。
「口づける寸前まで近づいた」
「……はい」
「止めた」
「はい」
「なぜだと思う」
「私が酔っていたから」
「それもある」
それも?
「他にも?」
「ああ」
「何ですか」
聞いた。
アレクシス公爵が。
立ち上がる。
「え?」
こちらへ来る。
一歩。
また一歩。
私は。
反射的に。
椅子から立ち上がった。
「公爵様?」
「なんだ」
「近いです」
「ああ」
「どうして」
「答えるためだ」
「口で答えられます!」
「そうだな」
「では!」
でも。
止まらない。
私は一歩。
後ろへ。
また。
一歩。
背中。
壁。
「……」
「……」
昨日と。
同じ。
違うのは。
私が。
完全に素面だということ。
「公爵様」
「なんだ」
「これは」
「ああ」
「何ですか」
「昨日の続きだ」
心臓が。
本当に。
壊れそう。
「昨日は」
彼の声が。
近い。
「お前が酔っていた」
「はい」
「だから止めた」
「はい」
「今日は?」
「……素面です」
「ああ」
「でも」
「何だ」
「触れない約束」
言った。
大事なこと。
彼が。
止まる。
本当に。
ぴたりと。
それ以上。
近づかない。
「そうだな」
低い声。
「お前の許可なく、触れない」
「……はい」
「だから」
彼は。
私を見たまま。
「触れない」
少し。
安心した。
そして。
少し。
残念だった。
最低。
私。
本当に。
「でも」
アレクシス公爵が言う。
「これだけは言える」
「何ですか」
「お前に魅力がないなら」
彼の顔が。
少しだけ。
近づく。
触れない。
でも。
吐息が分かる距離。
「俺は毎晩、あんなに困っていない」
頭が。
真っ白になった。
「……毎晩?」
「ああ」
「毎晩?」
「ああ」
「何に?」
聞いてしまった。
彼が。
目を閉じる。
「お前は」
「はい」
「本当に」
「何です」
「どこまで聞けば気が済む」
「知りません」
「そうか」
「でも」
私は。
小さな声で言った。
「知りたいです」
彼が。
目を開ける。
「公爵様が」
怖い。
でも。
止めたくない。
「何に困っているのか」
長い沈黙。
「……リリアーヌ」
「はい」
「今はまだ」
その言葉。
また。
「言えない」
「ずるい」
「ああ」
「認めるんですね」
「ああ」
「なら」
私は。
ほんの少しだけ。
勇気を出した。
「いつかは?」
アレクシス公爵の表情が。
変わった。
ほんの少し。
でも。
分かった。
「……ああ」
それだけ。
たった。
それだけ。
なのに。
私は。
もう十分だった。
今は。
まだ。
それで。
でも。
その日の夜。
ベッドに入ってから。
私は気づいた。
とても。
大変なことに。
アレクシス公爵が。
遠い。
「……公爵様」
「なんだ」
「どうしてそんなに端にいるんです?」
「別に」
「落ちますよ」
「落ちない」
「でも」
「寝ろ」
「怒ってます?」
「怒っていない」
「嘘」
「ああ」
「認めるんですか」
「ああ」
「誰に?」
「自分に」
私は。
少し笑った。
「どうして?」
「言わない」
「また?」
「ああ」
「面倒ですね」
「お前のせいだ」
「私?」
「ああ」
「何をしました?」
「何もしない」
「はい?」
「何もしないから困る」
意味が。
分からない。
「何をしてほしいんですか」
聞いた。
すると。
アレクシス公爵が。
布団を頭まで被った。
「公爵様?」
「寝ろ」
「逃げましたね?」
「寝ろ」
「耳、赤いです?」
「見えないだろう」
「やっぱり赤いんですね!」
「うるさい」
私は。
笑った。
声を抑えられなかった。
すると。
布団の向こうから。
「リリアーヌ」
「はい」
「笑うな」
「無理です」
「なぜ」
「嬉しいからです」
静かになった。
しまった。
言った。
口から。
普通に。
「……何が」
アレクシス公爵が聞く。
逃げようと思った。
でも。
やめた。
「魅力があるって」
私は。
暗闇の中で。
正直に言った。
「言ってもらえたことが」
沈黙。
「嬉しかったです」
さらに。
長い沈黙。
「公爵様?」
「寝ろ」
「また逃げた」
「寝ろ」
「でも」
「リリアーヌ」
「はい」
「頼む」
声が。
低い。
本当に。
困っている。
「今夜は、それ以上言うな」
私は。
少し笑った。
「どうして?」
「本当に」
布団の向こうから。
苦しそうな声。
「触れない約束を守れなくなりそうだからだ」
今度こそ。
私は。
何も言えなくなった。
眠れるわけも。
なくなった。
そして。
たぶん。
それは。
彼も同じだった。




