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婚約破棄された夜、冷徹公爵の「眠るだけの契約妻」になりました 〜触れない約束なのに、毎晩同じベッドで溺愛されています〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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22/39

第21話 雷も悪夢も呪いもないのに、手を繋いで眠りました

 朝。


 私は目を覚ました。


 最初に。


 天井を見た。


 次に。


 横を見た。


 そして。


 見なかったことにした。


 もう一度。


 天井を見る。


「……」


「……」


 手。


 繋がっている。


 昨夜から。


 ずっと。


 私の右手と。


 アレクシス公爵の左手。


 指まで。


 しっかり絡んでいる。


 いや。


 ここまでは。


 まだいい。


 よくはないけれど。


 問題は。


 昨夜。


 誰が頼んだのかということだ。


『手を握ってもらってもいいですか』


 私。


『これは、呪い対策ではありません』


 私。


『それでも、いいんですか?』


 全部。


 私。


「……」


 消えたい。


 今すぐ。


 布団ごと。


「リリアーヌ」


「寝ています」


「起きている」


「寝ています」


「返事をした」


「夢です」


「それは俺の言い訳だ」


「少しくらい貸してください」


「嫌だ」


「どうして!」


 思わず顔を向けた。


 アレクシス公爵が。


 こちらを見ている。


 目が。


 合った。


 すぐ逸らした。


「……おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、は?」


「おはよう」


「はい」


「何だ」


「何でもありません」


「朝から変だな」


「誰のせいだと思っているんですか」


「俺か?」


「……半分」


 言った。


 アレクシス公爵が。


 少しだけ目を細める。


「残り半分は?」


「私です」


「ああ」


「そこは否定してください」


「なぜだ」


「何となくです!」


 本当に。


 この人。


 私を見る。


 ずっと。


「……見ないでください」


「なぜ」


「顔が」


「赤いな」


「だから言わないでください!」


「事実だ」


「あなたは本当に、正直なら何でも許されると思っていますね!」


「ああ」


「認めるんですか!」


 私は布団を鼻まで引き上げた。


 でも。


 右手は。


 まだ繋がっている。


「……公爵様」


「なんだ」


「手」


「ああ」


「まだ繋がっています」


「ああ」


「離さないんですか?」


 聞いてしまった。


 馬鹿。


 自分から聞く?


 普通。


 離したければ自分で離せばいい。


 なのに。


 私は。


 彼に聞いた。


「お前が離せばいい」


 やっぱり。


「そうですね」


 指を。


 少し動かす。


 離そうとする。


 その瞬間。


 アレクシス公爵の指に。


 わずかに力が入った。


「……」


「……」


「公爵様」


「なんだ」


「今」


「何だ」


「離さないようにしませんでした?」


「していない」


「しました」


「していない」


「しましたよね?」


「証拠は?」


「私です!」


「証拠にならない」


「またそれ!」


 思わず。


 笑ってしまった。


 そして。


 気づく。


 アレクシス公爵の目の下。


 少しだけ。


 暗い。


「……公爵様」


「なんだ」


「寝ました?」


「ああ」


「本当に?」


「ああ」


「何時間?」


「……」


「公爵様?」


「分からない」


「寝てないんですね!」


「少しは寝た」


「どれくらい?」


「目を閉じた」


「それは寝たとは言いません!」


「横にはなっていた」


「屁理屈!」


 私は起き上がった。


「どうして寝なかったんですか!」


「眠れなかった」


「なぜ」


「知らん」


「知らない?」


「ああ」


 私は。


 彼を見る。


 彼も。


 私を見る。


 それから。


 繋いだ手。


 心臓が。


 嫌なほど大きく鳴った。


「もしかして」


「違う」


「まだ何も言ってません!」


「分かる」


「何がです?」


「言うな」


「でも」


「リリアーヌ」


「はい」


「朝から俺を困らせるな」


 昨夜と。


 同じ。


 低い声。


 私は。


 もう何も言えなかった。


 代わりに。


「……手」


「ああ」


「そろそろ離します?」


「お前が決めろ」


「ずるい」


「またか」


「またです」


 結局。


 どちらが最初に離したのか。


 よく分からなかった。


 ただ。


 手が離れた瞬間。


 少しだけ寒いと思ったことは。


 誰にも言わない。


     ◇


 朝食の席。


 ハロルドは。


 私を見る。


 アレクシス公爵を見る。


 また私。


 またアレクシス公爵。


「何ですか」


「いいえ」


「絶対何かあります」


「お二人とも、随分と眠そうでいらっしゃいますので」


「寝不足です」


 私は答えた。


「さようでございますか」


「何ですか、その顔」


「どのような顔でございましょう」


「全部知っている人の顔です」


「何をでございますか?」


「それは……」


 言えるわけがない。


 呪いも出ていないのに。


 雷も鳴っていないのに。


 自分から夫に手を握ってもらい。


 そのまま朝まで繋いでいた。


 など。


「ハロルド」


 アレクシス公爵が言う。


「はい」


「余計なことを聞くな」


「何も聞いておりません」


「顔が聞いている」


「旦那様」


「何だ」


「それはご自身がリリアーヌ様を見すぎているからでは?」


 静かになった。


 私は。


 ゆっくり。


 アレクシス公爵を見る。


「見すぎ?」


「違う」


 早い。


「即答ですね」


「違うからだ」


「本当に?」


「ああ」


 ハロルドを見る。


「ハロルドさん」


「はい」


「本当ですか?」


「私の口からは」


「ハロルド」


「はい」


「黙れ」


「かしこまりました」


 絶対。


 何かある。


 でも。


 聞くのが怖い。


「リリアーヌ様」


 ハロルドが言った。


「本日の午後ですが」


「はい?」


「ロズウェル侯爵夫人より、お茶会への正式なご招待が届いております」


「私に?」


「はい」


 驚いた。


「公爵様ではなく?」


「ご夫人方のみの集まりとのことでございます」


「妻だけ?」


「はい」


 妻。


 まだ。


 その言葉に慣れない。


「嫌なら行く必要はない」


 アレクシス公爵が言った。


「行きます」


「即答だな」


「少し興味があります」


「何に」


「妻だけのお茶会」


「ああ」


「あなたには分からないでしょうね」


「分からん」


「でしょうね」


「何を話す」


「それを知るために行くんです」


「そうか」


「夕方には帰ります」


「何時」


「また?」


「ああ」


「待つんですか?」


「ああ」


 顔が。


 熱くなる。


「……五時くらいには」


「分かった」


「五時三分なら?」


「迎えに行く」


「三分で!?」


「冗談だ」


 私は。


 固まった。


「今」


「ああ」


「冗談を言いました?」


「ああ」


「あなたが?」


「ああ」


「熱でも?」


「ない」


「少し心配になってきました」


「失礼だな」


「だって!」


 ハロルドが。


 静かに目頭を押さえた。


「何ですか」


「感無量でございます」


「まだ午前中ですよ!」


     ◇


 午後。


 ロズウェル侯爵家の庭園。


 私は。


 完全に油断していた。


「まあ!」


「では本当に?」


「毎晩、同じ寝室で?」


 逃げたい。


 今すぐ。


 公爵邸へ。


「ええ、その」


 五人の夫人たち。


 全員。


 私より年上。


 新婚もいれば。


 結婚十年以上の人もいる。


 そして。


 全員。


 目が輝いている。


「リリアーヌ様」


 ロズウェル侯爵夫人が身を乗り出す。


「毎晩、同じベッドでお休みなんでしょう?」


「ぶっ!」


 紅茶を。


 盛大にむせた。


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫です!」


 しまった。


 禁止した言葉。


 でも今はいい。


「まあ、やはり」


「やはり何ですか!」


「だって」


 隣の伯爵夫人が笑う。


「先日の舞踏会でグランツ公爵閣下をご覧になったでしょう?」


「見ましたけれど」


「あなたが別の殿方と踊っただけで、ワイングラスを砕いたのよ」


「事故です」


「事故?」


「本人はそう言っています」


 全員。


 黙った。


 そして。


 一斉に。


「まあ」


 と言った。


「何ですか、その反応!」


「リリアーヌ様」


 年配の侯爵夫人が言う。


「結婚して何年目です?」


「……数日です」


「では仕方ありませんね」


「何が?」


「夫という生き物の分かりにくさです」


「分かりにくい?」


「ええ」


「うちの夫なんて」


 別の伯爵夫人が口を挟む。


「私が実家へ一週間帰るだけなのに、二日前からずっと機嫌が悪いんですよ」


「それなら寂しいと言えばいいのに」


 私が言うと。


 全員が笑った。


「それが言えないから夫なんです」


「……」


 アレクシス公爵が。


 思い浮かんだ。


『知らん』


『分からない』


『言わない』


 確かに。


 面倒だ。


「でも」


 侯爵夫人が言う。


「グランツ公爵閣下は随分分かりやすいと思いますけれど」


「どこがです!」


「あなたしか見ていませんもの」


「……はい?」


「舞踏会の間中」


 別の夫人も頷く。


「ええ。他の方と話していても、視線はずっとリリアーヌ様でしたわ」


「そんな」


「本当です」


「でも」


「それに」


 ロズウェル侯爵夫人が。


 少し声を落とす。


「あなたがレオナルド様と踊っている間の顔」


「どんな顔でした?」


「人を殺しそうでした」


「それはいつもの顔です!」


 また。


 笑われた。


「違いますよ」


 年配の侯爵夫人が言う。


「女は分かります」


「何が」


「男が、誰を特別に見ているか」


 胸が。


 どくん。


 と鳴った。


「……特別?」


「ええ」


「でも」


 契約。


 その言葉が。


 喉まで出た。


 言えない。


 秘密だから。


「男の人は」


 私は言った。


「必要な人間を、大切にすることもあるでしょう」


「もちろん」


「愛ではなく」


「ええ」


「必要だから」


 自分で言って。


 胸が痛い。


「なら」


 年配の侯爵夫人が。


 静かに聞いた。


「あなたは、どちらだと思いたいの?」


 何も。


 言えなかった。


「必要だから大切にされている」


「……」


「好きだから大切にされている」


「……」


「どちらを望んでいるの?」


 分からない。


 いや。


 本当は。


 分かっている。


 でも。


 口にしたら。


 もう戻れない気がした。


「……難しいですね」


 私は。


 笑った。


「そうね」


 侯爵夫人も。


 それ以上は聞かなかった。


 その優しさが。


 少しだけ。


 ありがたかった。


     ◇


 お茶会の最後。


 小さなグラスが出された。


「これは?」


「果実酒です」


 ロズウェル侯爵夫人が答える。


「とても軽いものですわ」


「私」


 少し迷った。


「お酒は、ほとんど飲んだことがありません」


「まあ」


「王太子妃教育中は控えるように言われていましたので」


「一口だけなら」


 甘い香り。


 綺麗な赤色。


「では」


 一口。


 飲む。


「……甘い」


「でしょう?」


「美味しいです」


 もう一口。


「でも弱いので、お気をつけて」


「はい」


 そう言われた。


 たぶん。


 聞いていた。


 ただ。


 その日。


 私は。


 自分でも思っていたより。


 いろいろ考えていた。


 アレクシス公爵。


 必要。


 特別。


 好き。


 契約。


 一年後。


 頭の中が。


 ぐちゃぐちゃだった。


 だから。


 もう一杯。


 断らなかった。


 それが。


 よくなかった。


     ◇


 夕方。


 公爵邸。


「ただいま戻りました」


 私は。


 玄関広間で言った。


「お帰りなさいませ」


 ハロルドが迎えてくれる。


「公爵様は?」


「執務室に」


「そうですか」


「リリアーヌ様」


「はい?」


「お顔が」


「顔?」


「少々赤く」


「暑いからです」


 そう言って。


 二歩。


 歩いた。


 少し。


 床が。


 揺れた。


「……あれ?」


「リリアーヌ様」


「床が動いてます」


「動いておりません」


「でも」


 そのとき。


 奥から。


 アレクシス公爵が来た。


「リリアーヌ」


「公爵様」


 見た瞬間。


 なぜか。


 ものすごく安心した。


「お帰り」


 言った。


 たった。


 それだけ。


「……ただいま」


 私も言った。


 すると。


 すごく。


 嬉しくなった。


「どうした」


「何がです?」


「顔が赤い」


「また?」


「ああ」


「今日は皆、私の顔の話ばかりします」


 彼が近づく。


「酒の匂いがする」


「飲みました」


「どれくらい」


「少しです」


「どれくらいだ」


「二杯」


「……」


「何です、その顔」


「お前は酒に弱いのか」


「知りません」


「今分かった」


「そうですか」


「ああ」


 私は。


 彼を見る。


 黒い髪。


 灰銀色の目。


 いつも怖い顔。


 でも。


 今は。


 全然怖くない。


「公爵様」


「なんだ」


「今日」


「ああ」


「お茶会で、あなたの話をされました」


「俺の?」


「はい」


「何を」


「私しか見ていないって」


 アレクシス公爵が。


 止まった。


「……」


「……」


「本当ですか?」


 聞いた。


 酔っていなければ。


 絶対に。


 聞かなかった。


「リリアーヌ」


「はい」


「酔っているな」


「逃げましたね」


「逃げていない」


「では答えてください」


「何を」


「私しか見ていないって」


「……」


「公爵様?」


 私は。


 一歩。


 近づいた。


 彼が。


 少しだけ。


 後ろへ下がった。


「どうして逃げるんです?」


「逃げていない」


「逃げました」


「お前が近い」


「いつもあなたが言うことでしょう」


「今は違う」


「どうして?」


「酔っているからだ」


「関係ありません」


「ある」


「ありません」


 もう一歩。


 近づく。


 アレクシス公爵が。


 また下がる。


 面白い。


「公爵様」


「なんだ」


「困ってます?」


「ああ」


 即答。


 笑ってしまった。


「珍しい」


「頼む」


「何です?」


「これ以上、近づくな」


「どうして?」


「俺が困る」


 また。


 その言葉。


 私は。


 彼を見上げた。


「何に?」


「……」


「前も教えてくれませんでした」


「リリアーヌ」


「はい」


「今日はもう寝ろ」


「嫌です」


「なぜ」


「まだ聞いてません」


「何を」


「私しか見ていないの?」


 また。


 聞いた。


 アレクシス公爵が黙る。


 私は。


 少しだけ。


 悲しくなった。


「答えたくない?」


「違う」


「じゃあ」


「……」


「公爵様」


 私の手が。


 勝手に。


 彼の上着を掴んだ。


「リリアーヌ」


「何ですか」


「離せ」


「嫌です」


「なぜ」


「分かりません」


 本当に。


 分からない。


 でも。


 離したくなかった。


「お茶会で」


 私は言った。


「聞かれました」


「何を」


「必要だから大切なのか」


「ああ」


「好きだから大切なのか」


 彼の身体が。


 わずかに固くなる。


「公爵様は」


 喉が。


 少し苦しい。


「どっちです?」


「今答えることではない」


「どうして」


「お前が酔っている」


「ずるい」


「そうだな」


「認めるんですか」


「ああ」


「じゃあ」


 私は。


 上着を掴んだまま。


 もっと近づいた。


「もう一つだけ」


「駄目だ」


「まだ聞いてません」


「分かる」


「私」


 言った。


 声が。


 小さくなる。


「本当に」


「ああ」


「女として魅力がありませんか?」


 アレクシス公爵の表情が。


 変わった。


 はっきり。


「誰が言った」


「アルベルト殿下」


「その話はした」


「でも」


 私は笑った。


 たぶん。


 上手に。


 笑えていない。


「七年です」


「ああ」


「七年一緒にいた人に言われたんですよ」


「……」


「女として魅力がないって」


「リリアーヌ」


「だから」


 喉が。


 熱い。


 酔っているせい?


 違う。


 たぶん。


 泣きたい。


「公爵様も」


「言わない」


「まだ聞いてません」


「分かる」


「本当に?」


「リリアーヌ」


 低い声。


「二度と」


 アレクシス公爵が。


 私の肩を掴んだ。


 強くはない。


 でも。


 逃げられない。


「俺の前で」


 一歩。


 近づく。


 今度は。


 彼から。


 私の背中が。


 壁に触れた。


「自分に魅力がないなどと言うな」


 息が。


 止まった。


 近い。


 顔。


 唇。


 呼吸。


「どうして」


 私が聞く。


 彼の目が。


 私を見る。


 真剣に。


 苦しそうに。


「それ以上」


 低い声。


「俺を困らせるな」


「何に?」


 また。


 聞いた。


 今度は。


 アレクシス公爵が。


 逃げなかった。


 でも。


 答えもしなかった。


 ただ。


 私の顔へ。


 少しずつ。


 近づいた。


 一センチ。


 もう少し。


 唇が。


 触れそうになる。


 私は。


 息を止めた。


 でも。


 その直前。


 彼は。


 止まった。


「……公爵様?」


「駄目だ」


「どうして?」


「お前が酔っている」


「それだけ?」


「ああ」


「本当に?」


「……」


「また嘘?」


 彼は。


 目を閉じた。


 そして。


 深く。


 息を吐いた。


「頼むから」


 額が。


 私の額に触れた。


「今夜は、それ以上聞くな」


 私は。


 もう。


 何も言えなかった。


 でも。


 上着だけは。


 離さなかった。


 そして彼も。


 私の肩から。


 手を離さなかった。


 私たちは。


 あと少しで触れそうな距離のまま。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 翌朝。


 私は。


 この夜のことを。


 ところどころしか覚えていなかった。


 それが。


 さらに。


 面倒なことになる。


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