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婚約破棄された夜、冷徹公爵の「眠るだけの契約妻」になりました 〜触れない約束なのに、毎晩同じベッドで溺愛されています〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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12/17

第11話 今度は、公爵様も私を抱いていましたよね?

 最初に思ったのは。


 温かい、だった。


 次に思ったのは。


 硬い、だった。


 そして三番目。


 これは以前にも経験したことがある。


 という、とても嫌な予感だった。


「……」


 私は目を開けた。


 黒。


 やっぱり。


 目の前には黒い寝間着。


 少しだけ顔を上げる。


 顎。


 唇。


 鼻。


 閉じられた目。


 アレクシス公爵だった。


「……」


 ここまでは。


 前回と同じだ。


 問題は。


 そこからだった。


 私は彼の胸に頬をつけている。


 私の片腕は彼の腰に回っている。


 まあ。


 これは認めたくないけれど。


 前回もそうだった。


 問題は。


 アレクシス公爵の右腕が。


 私の腰に。


 しっかりと回っていることだった。


「……」


 私は瞬きをした。


 もう一度。


 腕を見る。


 ある。


 間違いなくある。


 しかも、ただ触れているだけではない。


 逃がさないとでも言うように。


 私の身体を引き寄せている。


「公爵様」


 小さく呼んだ。


 返事はない。


「公爵様」


「……」


「起きてます?」


「……」


 怪しい。


 私は顔を上げた。


「起きていますよね?」


「寝ている」


「起きてる!」


 即座に返事をした。


「今、返事しましたよね!」


「夢だ」


「どんな都合のいい夢ですか!」


 アレクシス公爵がゆっくり目を開けた。


「朝からうるさい」


「誰のせいですか!」


「お前だろう」


「どうしてです!」


「またこちら側に来ている」


「……」


 それは。


 確かに。


 反論しづらい。


「でも!」


 私は彼の腕を指差した。


「これは何ですか!」


「腕だ」


「見れば分かります!」


「ならなぜ聞いた」


「どうして私の腰に回っているのか聞いているんです!」


 アレクシス公爵は自分の腕を見る。


 それから。


 私を見る。


「知らん」


「知らない?」


「ああ」


「またそれですか!」


「寝ていた」


「私だって寝ていました!」


「なら同じだな」


「同じじゃありません!」


「どこが違う」


「前回は、私が一方的にあなたに抱きついたんです!」


「ああ」


「今回は!」


 私は彼の腕をもう一度指差した。


「あなたも私を抱いています!」


 言ってから。


 静かになった。


 抱いています。


 という言葉が。


 妙に。


 恥ずかしい。


「……」


「……」


「違います」


「何がだ」


「今の言い方は違います」


「では何と言えばいい」


「腕を回している!」


「同じことだろう」


「違います!」


「何が違う」


「響きが!」


 アレクシス公爵が。


 ほんの少し。


 目を細めた。


「今、笑いましたね」


「笑っていない」


「絶対に笑いました!」


「証拠は?」


「私です」


「証拠になっていない」


「またそれ!」


 腹が立つ。


 ものすごく腹が立つ。


 なのに。


 まだ。


 彼の腕は私の腰に回ったままだった。


「……公爵様」


「なんだ」


「そろそろ離していただけます?」


「ああ」


 すぐに。


 腕が離れた。


 それだけ。


 ただ、それだけなのに。


 少し。


 寒いと思った。


 ……馬鹿。


 何を考えているの、私は。


「何だ」


「何でもありません」


「顔が変だ」


「朝から女性の顔を変と言わないでください」


「昨日より赤い」


「あなたのせいです!」


「俺は何もしていない」


「しました!」


「何を」


「だから!」


 言えない。


 抱いた。


 なんて。


 もう一度言いたくない。


「とにかく!」


 私は起き上がった。


「これは、あなたにも責任があります」


「何の責任だ」


「枕が落ちたことです」


 床を見る。


 昨夜。


 たった一つだけ置かれた国境線。


 その枕は。


 やっぱり床に落ちている。


「お前が落としたかもしれない」


「あなたかもしれません」


「証拠は?」


「ありません」


「なら分からない」


「でも、あなたの腕は私の腰にありました」


「ああ」


「つまり、少なくとも私だけが悪いわけではありません」


「そうか」


「そうです!」


「なら半分ずつだ」


 私は黙った。


「……何がですか」


「責任だ」


「ずいぶん簡単に半分にしますね」


「不満か?」


「いえ」


 少しだけ。


 不思議だった。


 責任を半分にする。


 そんなことを。


 今まで誰かに言われたことがあっただろうか。


 失敗したら私の責任。


 何かが足りなければ私の努力不足。


 アルベルトが困れば私が助ける。


 セシリアが泣けば私が我慢する。


 ずっとそうだった。


「……半分」


「ああ」


「本当に?」


「枕の話だろう」


「そうですね」


 少し笑った。


「何だ」


「いえ」


「気になる」


「何でもありません」


「またか」


「あなたの真似です」


「三回目だ」


「数えてるんですか?」


「ああ」


「暇なんです?」


「忙しい」


「じゃあ忘れてください」


「嫌だ」


 本当に面倒な人。


 でも。


 たぶん。


 私も同じくらい面倒だ。


     ◇


 こんこん。


 寝室の扉が叩かれた。


「旦那様。リリアーヌ様。お目覚めでしょうか」


 ハロルドだった。


 私は慌てて答える。


「起きています!」


「さようでございますか」


「何ですか、その間!」


「いいえ」


「絶対何か思っていますよね!」


「扉を開けてもよろしいでしょうか」


「少し待ってください!」


 私は自分を見る。


 寝間着。


 髪はたぶんひどい。


 アレクシス公爵も寝間着姿。


 そして。


 床には一つの枕。


 ベッドは乱れている。


 駄目。


 絶対に誤解される。


「公爵様」


「なんだ」


「ベッドを直してください」


「なぜ俺が」


「二人の責任は半分ずつでしょう!」


「枕の話だ」


「今はベッドもです!」


「面倒だな」


「早く!」


 私は自分の側を整える。


 アレクシス公爵は動かない。


「公爵様!」


「別にいいだろう」


「よくありません!」


「なぜ」


「ハロルドさんが誤解します!」


「何を」


「何をって!」


 言えるわけがない。


「とにかく!」


 そのとき。


 扉の向こうから。


「旦那様」


 ハロルドの声がした。


「何だ」


「昨夜ご用意した境界用の枕は、一つで足りましたでしょうか」


 沈黙。


 私は床を見る。


 枕。


 一つ。


 落ちている。


「……足りませんでした」


 正直に答えた。


「さようでございますか」


 声が。


 妙に嬉しそうに聞こえる。


「では今夜は二十個ほどご用意いたしましょうか」


「お願いします!」


「必要ない」


 アレクシス公爵が言った。


 私は彼を見る。


「必要です!」


「同じことだ」


「違います!」


「十個でも一個でも落ちた」


「二十個なら落ちません!」


「三十個なら?」


「もっと安心です!」


「ベッドで寝る場所がなくなる」


「あなたが床で」


 言いかけて。


 やめた。


 駄目。


 この人が床で眠ると言ったら。


 私はまた。


 嫌だと言ってしまう。


「何だ」


「……何でもありません」


「またか」


「もう数えないでください!」


 扉の向こうで。


 ハロルドが咳払いをした。


 絶対。


 笑っている。


「朝食のご用意が整っております」


「分かりました」


「なお」


 まだ何かあるの?


「昨夜、公爵邸に早馬が到着しております」


 アレクシス公爵の顔から。


 少しだけ。


 柔らかさが消えた。


「誰からだ」


「北方神殿の調査団からでございます」


 私は彼を見る。


「神殿?」


「ああ」


「呪いを受けた?」


「ああ」


 昨日までの話。


 十年前。


 北方遠征。


 古代神殿。


 黒い石碑。


「何か分かったんですか?」


「まだ分からない」


 アレクシス公爵はベッドから降りた。


「朝食の後に読む」


「私も」


「駄目だ」


 即答。


「なぜです?」


「お前には関係ない」


「あります!」


 思わず大きな声が出た。


 彼が振り返る。


「私はあなたの呪いを抑えるためにここにいるんですよ?」


「ああ」


「だったら関係あります」


「だが」


「契約妻だから?」


 言ってから。


 少し胸が痛んだ。


「本当の妻じゃないから、聞かせられない?」


 アレクシス公爵は黙った。


 私は後悔した。


 何を言っているの。


 まだ。


 昨日の言葉を引きずっている。


『今はまだな』


 その先が。


 気になって。


 気になって。


 仕方ない。


「すみません」


 私は顔を逸らした。


「変なことを」


「分かった」


「え?」


「お前も読め」


 今度は私が黙った。


「いいんですか?」


「ああ」


「本当に?」


「ああ」


「どうして」


「お前にも関係がある」


 今。


 今さら。


 それだけで。


 嬉しくなる自分が嫌だ。


「……そうですか」


「ああ」


「ありがとうございます」


「礼はいらない」


「でも」


「それより支度しろ」


「はい」


「髪がひどい」


「だから女性にそういうことを言わないでください!」


 やっぱり。


 台無しだ。


     ◇


 朝食の席。


 テーブルの中央に。


 一通の手紙が置かれていた。


 厚い羊皮紙。


 黒い封蝋。


 そこには。


 見たことのない紋章。


「これが?」


「ああ」


 アレクシス公爵が封を切る。


 私も隣から見る。


「近い」


「読めません」


「向かいに座れ」


「文字が小さいんです」


「なら持っていけ」


「あなたも読むでしょう」


「……」


「……」


「好きにしろ」


 少しだけ近づく。


 肩が触れそう。


 近い。


 意識すると。


 急に呼吸が難しくなる。


「何だ」


「何でもありません」


「また」


「数えない!」


 手紙を読む。


 そこに書かれていたのは。


 古代神殿の再調査。


 石碑の残骸。


 古代文字の解読。


 そして。


 一つの新しい事実だった。


『呪いを鎮める対となる者は、単なる媒介ではない』


 私は声に出した。


「単なる媒介ではない?」


 アレクシス公爵が黙る。


 続きを読む。


『呪いを受けた者と対の者は、時間の経過とともに互いの夢、痛み、感情の一部を共有する可能性がある』


「……夢?」


「ああ」


「痛みも?」


「ああ」


 怖くなった。


「つまり」


 私は彼を見る。


「あなたが苦しめば、私も?」


「可能性があるだけだ」


「でも」


「まだ何も起きていない」


 アレクシス公爵は手紙を取ろうとした。


 でも。


 私は離さなかった。


「続きがあります」


「読む必要はない」


「あります」


「リリアーヌ」


「読みます」


 珍しく。


 彼が嫌そうな顔をした。


 だから余計に気になる。


 私は続けた。


『特に夢の共有は初期段階で現れやすい。対となる者は、呪いを受けた者が最も深く恐れる記憶を見ることがある』


 私は。


 黙った。


 アレクシス公爵も。


 何も言わなかった。


「公爵様」


「なんだ」


「あなたが一番怖い記憶は?」


「知らん」


「嘘です」


「嘘ではない」


「では」


 少し迷った。


「十年前の神殿ですか?」


 彼の表情が。


 ほんの一瞬だけ。


 変わった。


 それだけで。


 答えが分かってしまった。


「……そうなんですね」


「忘れろ」


「嫌です」


「なぜ」


「あなたの真似です」


「四回目だ」


「だから数えないでください!」


 それでも。


 アレクシス公爵は笑わなかった。


 私は手紙を見る。


 なぜか。


 胸騒ぎがした。


     ◇


 その夜。


 私は。


 夢を見た。


 暗い。


 寒い。


 どこか分からない。


 石の壁。


 血の匂い。


 誰かが叫んでいる。


『閣下!』


 知らない声。


『触らないでください!』


 黒い石碑。


 何かが。


 動いている。


 人のようで。


 人ではない。


 そして。


 若いアレクシス公爵がいる。


 今より少しだけ幼い顔。


 十九歳。


 その手には。


 血がついていた。


『俺のせいだ』


 彼が言う。


『俺が連れてきた』


 誰かが倒れている。


 一人。


 二人。


 三人。


 もっと。


『俺のせいだ』


 また言う。


 違う。


 違うでしょう。


 そう言いたいのに。


 声が出ない。


『全員』


 十九歳のアレクシス公爵が。


 こちらを見る。


『俺が殺した』


「違う!」


 私は叫んだ。


 目が覚めた。


「っ……!」


 息ができない。


 暗い寝室。


 自分がどこにいるのか。


 一瞬分からなかった。


「リリアーヌ」


 低い声。


 アレクシス公爵。


 隣にいる。


「夢か」


 何も言えない。


 身体が震える。


「リリアーヌ」


 手が伸びて。


 止まった。


 触れない契約。


 私の許可なく。


 触らない。


 こんなときまで。


 守るんだ。


「公爵様」


「なんだ」


「手を」


 声が震えた。


「握ってもらえますか」


 一瞬。


 間があった。


「ああ」


 大きな手が。


 私の手を握る。


 温かい。


 でも。


 震えが止まらない。


「夢を見ました」


 彼の手が。


 少しだけ固くなる。


「神殿の」


「……そうか」


「あなたがいました」


「ああ」


「みんな死んで」


「ああ」


「あなたが、自分のせいだって」


 沈黙。


「本当ですか?」


「寝ろ」


「公爵様」


「寝ろ」


「答えてください」


「今夜は無理だ」


 初めてだった。


 彼が。


 こんなふうに逃げたのは。


 いつも。


 正直だった。


 言いにくいことでも。


 無愛想に。


 でも答えた。


 なのに。


「……分かりました」


 私は言った。


「今夜は聞きません」


「ああ」


「でも」


 手を。


 少し強く握った。


「一人で抱えないでください」


 アレクシス公爵が黙る。


「私は契約妻です」


「ああ」


「本当の妻じゃない」


 自分で言って。


 少し痛かった。


「でも」


 私は続けた。


「少なくとも一年間は、あなたの隣にいます」


 返事はない。


「だから」


 怖い。


 言っていいのか。


 でも。


「少しくらい、半分にしてください」


 彼が。


 こちらを見る。


 暗くて。


 顔はよく見えない。


「何を」


「責任でも。痛みでも。夢でも」


「馬鹿なのか」


「今日はよく言われます」


「そんなものを欲しがるな」


「欲しくはありません」


「なら」


「でも、あなた一人が全部持つ必要もないでしょう」


 長い沈黙。


 それから。


 手が。


 少し強く握り返された。


「リリアーヌ」


「はい」


「お前は面倒な女だな」


「あなたにだけは言われたくありません」


「ああ」


「認めるんですね」


「ああ」


 少し笑った。


 でも。


 目の奥が熱い。


 また眠るのが怖かった。


 あの夢を見るのが。


「公爵様」


「なんだ」


「もう一つ」


「ああ」


「お願いしてもいいですか」


「言え」


「その」


 恥ずかしい。


 でも。


 怖い。


「もう少し」


 声が小さくなる。


「近くにいてもらえますか」


 アレクシス公爵は。


 何も言わなかった。


 ただ。


 少しだけ。


 こちらへ近づいた。


 私は。


 迷って。


 迷って。


 それから。


 自分から。


 彼の胸元に顔を寄せた。


「……」


「……」


「これは」


 私は言った。


「呪い対策です」


「ああ」


「怖い夢を見ないための」


「ああ」


「それだけです」


「ああ」


「何か言ってください」


「全部聞いた」


「そうじゃありません!」


 少しだけ。


 彼の胸が揺れた。


「今、笑いました?」


「笑っていない」


「笑いましたね?」


「寝ろ」


「逃げましたね」


「寝ろ」


「公爵様」


「なんだ」


「手」


「ああ」


 私の手を。


 彼が握る。


 そのまま。


 私は目を閉じた。


 怖かった。


 でも。


 さっきよりは。


 ずっとましだった。


 そして。


 眠りに落ちる直前。


 聞こえた気がした。


「……ありがとう」


 低い声。


 聞き間違いかもしれない。


 でも。


 確かめるのは。


 やめておいた。


 たぶん。


 今はまだ。


 それでいい。


 今はまだ。


 この言葉の続きが。


 少しずつ。


 怖くなくなってきていた。


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