第10話:神獄の崩壊、そして自由の空へ
大聖堂の奥深く、晩餐会の間は一瞬にして戦場へと変貌した。
床に描かれた『神獄の鎖』の術式が、眩い白光を放ちながらアルティナを拘束せんとうごめく。だが、その光の蛇を、カイルの長刀が片端から叩き切っていく。漆黒の闘気を纏ったカイルの刃は、聖なる魔力そのものを霧散させる「魔断ち」の性質を帯びていた。
「馬鹿な……! 我が神聖術を、人の身で斬るなどありえん! 伏兵ども、何をしている! 異端者を殺せ!」
教皇ベネディクトが狂乱の声を上げる。壁の隠し扉が一斉に開き、仮面を被った「教皇直属・処刑騎士団」の精鋭たちがなだれ込んできた。その数、およそ五十。いずれも人としての感情を去勢され、魔力強化のみを施された殺人人形に近い兵士たちだ。
「カイル、邪魔よ。道を空けて」
アルティナが静かに告げた。彼女の纏う空気は、怒りというよりも「落胆」に近い。最強の剣士として、神の名を借りた卑怯な策に興が削がれたのだ。
「御意。……お嬢様、右側の十人は私が。左側と、奥の老いぼれはお任せします」
カイルが弾丸のように地を蹴った。
彼の動きは、もはや肉眼では追えない。すれ違いざまに、処刑騎士たちの喉笛が裂け、血飛沫が舞う。だが、カイルは一滴の返り血も浴びることなく、死の舞踏を踊り続ける。
一方、アルティナは抜いたばかりの細身の剣を、ただ真っ直ぐに教皇へと向けた。
向かってくる数人の騎士たち。彼らの剣がアルティナに届くより早く、彼女の周囲に「銀の旋風」が巻き起こった。
「グラナート流・天蓋剣――『散華』」
一閃。
アルティナを中心に放射状に放たれた剣気が、周囲の騎士たちの武器と鎧、そして彼らが立っていた石柱までも、豆腐のように滑らかに両断した。
悲鳴を上げる暇さえ与えない。ただ、絶対的な断絶。
「……ひ、ひぃぃっ! 化け物め! 神を恐れぬ不届き者が!」
教皇は腰を抜かし、背後の隠しエレベーターへと逃げ込もうとする。その先には、大聖堂の最下層にある「禁忌の実験場」へと続く道があった。
「逃がさないわ。……カイル!」
「心得ております!」
カイルが投げ放った一振りの小刀が、エレベーターの起動レバーを正確に破壊した。火花が散り、教皇の逃げ道が絶たれる。
アルティナは、瓦礫の山を優雅に歩み進み、教皇の喉元に剣先を突きつけた。
「神の名を騙り、他者の力を奪う。……あなたが崇めているのは神ではなく、自分の虚栄心でしょう? 鑑定水晶が壊れたのは、私の力が強すぎたからじゃない。あなたの国が積み上げてきた『嘘』が、私の真実を支えきれなかっただけよ」
「黙れ……黙れ! 私は選ばれたのだ! この世界を正すために……!」
「いいえ。あなたはただ、私の朝食を台無しにしただけの老人よ」
アルティナの瞳が冷酷に光る。
その時、大聖堂の外から凄まじい爆音と、人々の叫び声が響いてきた。
「……お嬢様。どうやら、王国の追っ手が、こちらにも現れたようです」
カイルが窓の外を見やりながら報告する。
レオナード率いる騎士団の生き残りと、聖教国の国境守備隊が激突している。さらに悪いことに、混乱に乗じて街の地下に封印されていた魔物たちが、教皇の術式が乱れたことで地上に溢れ出していた。
「忙しいわね。……でも、これでちょうどいいわ。全部まとめて、ここで終わらせてあげる」
アルティナは教皇を気絶させると、カイルに向き直った。
「カイル。大聖堂の鐘を鳴らしなさい。街の人々に避難を促すのよ。……その間に、私はこの街を埋め尽くすゴミを掃除してくるわ」
「お一人で? 相手は軍勢と魔物の群れですが」
「あら。私を誰だと思っているの?」
アルティナは不敵に笑い、大聖堂のステンドグラスを突き破って、夜の街へと飛び出した。
***
街の広場。レオナードは絶望の中にいた。
アルティナを連れ戻すために聖教国へ強引に入国したものの、そこで待ち受けていたのは教皇の罠と、地中から湧き出す魔物の群れだった。
「クソッ! 退くな! アルティナ殿を見つけ出すのだ!」
だが、彼の叫びは魔物の咆哮にかき消される。
その時だった。
夜空から、一筋の銀光が降り注いだ。
ドォォォォォォン!!
広場の中央に着地した衝撃で、密集していた魔物たちが一瞬で肉片へと変わる。
土煙が晴れた中心に立っていたのは、月光を背負い、銀の剣を構えたアルティナだった。
「ア、アルティナ……!」
レオナードが声を上げる。だが、アルティナは彼に視線さえ向けない。
「レオナード。……これが最後の警告よ。私はもう、あなたの知る令嬢ではない。……そして、あなたの守るべき『国』は、もうすぐここに来る私の相棒が、その鐘の音とともに終わりを告げるわ」
――ゴォォォォォン……。
大聖堂の鐘が、本来の祈りではなく、終焉の音色を響かせた。
それを合図に、アルティナの全身から凄まじい魔力が解放される。
「グラナート流奥義――『星海・断絶』」
彼女が剣を一度振るう。
それだけで、広場にいた数百の魔物と、王国の追っ手たちの「戦意」が、物理的な衝撃波となって吹き飛ばされた。
殺さない。だが、二度と自分を追おうなどという愚かな考えを抱かせないほどの、圧倒的な格の違い。
「……さようなら、レオナード。王国の皆様によろしく。……私は、世界の果てを見に行くわ」
アルティナは背を向け、カイルが待つ街の門へと駆け出した。
もはや誰も、彼女を止めることはできない。
***
数時間後。聖教国の混乱を後にし、朝焼けの草原を二人の影が進んでいた。
アルティナは旅装に着替え、カイルが引く馬車に揺られている。
「ふぅ……。随分と派手な挨拶回りをしちゃったわね、カイル」
「お嬢様の行く先は、常に嵐が伴いますから。……ですが、これで王国も聖教国も、しばらくは手出しできないでしょう。……さて、次はどの国へ向かいましょうか?」
カイルが手綱を握りながら、穏やかに尋ねる。
アルティナは、窓の外に広がる無限の水平線を眺め、満足そうに微笑んだ。
「そうね。……まずは、海を越えましょう。あっち側には、もっと大きなドラゴンや、もっと我儘な神様がいるかもしれないし」
「心得ました。……美味しいお食事と、最高の景色。そしてお嬢様の剣が冴え渡る場所へ、どこまでもお連れいたします」
当代最強の剣聖令嬢、アルティナ・フォン・グラナート。
彼女の「ざまぁ」は、単なる復讐ではなかった。
それは、自分を縛るすべての鎖を断ち切り、真に望む自分へと生まれ変わるための、美しい儀式だった。
馬車は朝陽に向かって走り出す。
後ろに続くのは、滅びゆく古き国々と、置いていかれた愚か者たちの嘆き。
前にあるのは、まだ見ぬ未知と、隣に立つ唯一無二のパートナー。
最強主従の自由な旅は、ここからが本当の始まりだった。




