第11話:黄金の砂と、隠された傷痕
聖教国ルミナリスの喧騒が遠い過去のように思えるほど、周囲の景色は一変していた。
アルティナとカイルを乗せた馬車は、大陸の南西に広がる広大な「ザラーム大砂漠」の入り口に差し掛かっていた。見渡す限りの熱砂と、陽炎に揺れる地平線。空は抜けるような青だが、その美しさは命を拒絶する過酷さと表裏一体だった。
「ふぅ……。流石にこの暑さは、剣を振るうのにも工夫が要りそうね」
アルティナは、薄手のシルクで作られた旅装の襟元を緩め、手にした扇子で涼を求めた。プラチナブロンドの髪は、砂を避けるために緩く編み込まれ、その白銀の輝きが黄金の砂漠の中で異彩を放っている。
「お嬢様、失礼。冷やした果実水をご用意しました。魔力で保冷しておきましたので、少しは凌げるかと」
御者台からカイルが、結露した銀の杯を差し出す。
アルティナがそれを受け取る際、ふと、カイルの横顔をじっと見つめた。
この灼熱の地に入ってから、カイルの雰囲気はどこか変わっていた。いつも通りの完璧な従者ではあるが、その琥珀色の瞳は、時折、遠い砂の彼方を見つめては、鋭い痛みを堪えるように細められるのだ。
「……カイル。ここが、あなたの生まれた場所の近く、なのね?」
カイルの手が、一瞬だけ止まった。
彼は静かに頷き、視線を地平線へと戻した。
「左様でございます。……かつてこの砂漠のどこかに、影を操り、風を友とした一族がおりました。人々からは『砂の狩人』と恐れられ、ある時は王族の守護者として、ある時は暗殺者として生きた者たち。……私の、本当の家系です」
「『影の一族』……。王国でもお伽話として聞いたことがあるわ。一夜にして消滅した、呪われた民だと」
「呪い、ではありません。……裏切りです」
カイルの声が、低く、砂に混じる熱風のように乾いた響きを帯びた。
彼の手が、無意識に腰の長刀の柄にかけられる。
「聖教国の影の部隊――先代の処刑騎士たちが、一族に伝わる『太陽の涙』という秘宝を求め、集落を焼き払いました。私は……当時まだ幼く、父に地下水路へ突き落とされ、ただ一人、泥水を啜って生き延びたのです」
アルティナは杯を置き、カイルの隣に座った。
彼女の白い手が、カイルの逞しい、しかし強張った拳にそっと重ねられる。
「……話してくれて、ありがとう。あなたがなぜ、あの教皇に容赦なかったのか、ようやく分かったわ。……そして、なぜ私がここに来たかったのかも」
アルティナは立ち上がり、砂漠の向こう側を剣先で指し示した。
「カイル。あなたの過去は、私の過去でもあるわ。……あなたの故郷を壊し、誇りを奪った連中がまだそこに隠れているというなら、私の剣ですべて暴いてあげる。……主従の契りっていうのは、そういうものでしょう?」
「お嬢様……。私は、貴女にそのような重荷を負わせるわけには……」
「重荷? 勘違いしないで。これは私の我儘よ。……あなたの故郷で、最高の景色を見て、最高の酒を飲みたいの。……邪魔な『ゴミ』が残っているなら、ついでに片付けるだけ」
アルティナの不敵な微笑み。それは、どんな絶望をも一蹴する、最強の剣士のみが許される光。
カイルは一瞬、呆気に取られたように目を見開き、やがて――旅に出てから初めて、心からの穏やかな笑みを浮かべた。
「……敵いませんね。やはり、お嬢様は私の太陽です」
カイルは馬車から降りると、砂の上に片膝をつき、アルティナの手の甲に誓いの接吻を落とした。
「承知いたしました。……私の故郷、砂に埋もれた『黄金都市ガザ』へご案内しましょう。そこには今も、一族の仇である『砂漠の王』を自称する盗賊団が、聖教国の後ろ盾を得て居座っております」
「いいわ。ドラゴンの次は、砂漠の王ね。……楽しみになってきたわ。カイル、案内しなさい。私たちの新しい旅の目的地へ」
馬車は再び走り出す。
砂煙の向こう側、かつてカイルからすべてを奪った因縁の地が、その口を開けて待っていた。
***
数時間後。
砂漠のオアシスにある小さな宿場町。そこは、行き場を失った犯罪者や、富を夢見る荒くれ者たちが集まる「無法者の掃き溜め」だった。
アルティナとカイルが宿屋の門を潜ると、一斉に下卑た視線が注がれる。
白い肌の美女と、上質な装備を持つ褐色従者。彼らにとって、これ以上の獲物はない。
「おい、姉ちゃん。ここから先は『砂漠の王』の許可なしにゃあ一歩も進めねえんだ。……命が惜しけりゃ、その綺麗な身体で交渉してもらおうか?」
酒の匂いを撒き散らす大男が、アルティナの進路を塞ぐように立った。
アルティナは足を止め、カイルを見上げた。
「カイル。この人、なんて言ったのかしら? 私、砂漠の言葉はあまり詳しくないの」
「お嬢様。……『死に場所を自分で選びたいので、手伝ってほしい』と仰っているようです」
「あら、奇特な方ね。……じゃあ、望み通りにしてあげて」
カイルが動くよりも早く、アルティナの扇子が男の顎を跳ね上げた。
パキィィィィン!! という硬質な音。
男は巨体を宙に舞わせ、宿屋の壁に深々とめり込んだ。
「……さて。砂漠の王の使いの方々。……私の従者の機嫌が悪くなる前に、案内してくれるかしら? ちょうど、彼の故郷の『お掃除』に来たところなのよ」
静まり返る宿場町。
最強の令嬢と、過去を背負った従者の「砂漠無双」が、今、静かに幕を開けた。




