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嘘つき魔術師、虚無に陥る

 意識が戻ったとき、世界は暗転していた。なにも見えない。


 ルジェリが彼女を探し出し、師団に連れ帰ってくれたことは覚えている。そのときはまだ、一時的なものかと思っていたのだ。

 だが、そうではなかった。熱を出して、何日か寝込んで。ようやく起き上がっても、イシュダヴァの感覚は戻らなかった。

 意図して魔力を放出すれば、反射は感じ取れる。だが、以前のようにはいかなかった。自分がどれだけ魔力でていたのか、ほぼ無意識にそれを使っていたのかを思い知ることになった。


 そればかりではない。魔術をうまく使うことすらできなくなっていた。

 外傷は少なかったものの、魔術師としては無事ではない。

 医官の言葉も、ほとんど耳に入らなかった――それほど、イシュダヴァは衝撃を受けていた。


「魔族が君にかけいてた呪術が消えたことで、魔力の流れが変わったのだろう」


 そう告げる師団長の声さえ、なんだか幻のように感じられた。


「新しい流れに慣れればいい。大丈夫、君ならできる」


 もう放っておいていただいて結構です、と。そう返したかったが、うまく言葉にならなかった。


「上官、歩く練習の時間です」


 ルジェリは当然のように毎日やって来て、彼女の面倒をみた。熱が下がってからは、運動訓練にも付き添った。というか、サボらせてくれなかった。


「歩きたくないんだ……ずっと寝ていたいなぁ」

「許可できません。時間と運動強度は、決められております」

「また許可制か……厳しいな、わたしの護衛騎士は」

「失礼ながら上官、軍とはそういう組織です」


 しれっと答えられて、イシュダヴァは起き上がるしかなかった。


 歩く練習とは、病室を出て医局の中庭を一周し、また病室へ戻るだけのことだ。それでも、イシュダヴァには怖かった。これが怖いということなのだと認識をあらためるほどだ。

 ルジェリが彼女の手をとり、自分の肘に掴まらせる。気をつけないと、全力でぶら下がってしまいそうだ。感触のあるルジェリの肘を除けば、あたりはすべて虚無だったから。

 半歩後ろを歩いていた護衛騎士は、今は彼女と並んでいる。いや、半歩前か。


「定位置が、変わってしまったね」

「ご不快ですか」

「いや? ただ思っただけさ」


 ほんの少し歩いただけで息が上がり、結局、ルジェリに抱き上げられて部屋に戻された。

 視えなくなって逆に実在感を増したように感じられるのは、ルジェリだけだ。ふれる機会が多いからだろう。魔力で視てもしっかりしていた輪郭は、実際、固かった。


「いやぁ、歩くのってこんなに難しかったかな。足を交互に出すだけなのに、うまくいかない」

「前回よりは、お上手になられました」

「前回どれだけひどかったんだ」

「次は、もっとお上手になられますよ」

「次かぁ……」


 次ってなんだ。なにも考えられない。イシュダヴァは、以前のイシュダヴァとはまったく違うなにかになってしまった。自信もない。まともに動けもしない。魔術も使えない。


 ――これが相討ちということなのかもな。


 命は長らえたが、魔術師としての自分は死んでしまったのだ。魔族とともに。


 医局では、眼球が戻ったから視力も……という話もあった。だが、イシュダヴァにとって視力とは、魔力で視ることだった。肉眼で見ることには、なんの魅力も覚えない。

 それに、瞼がまったく持ち上がらないのだ。瞼ってどれだよ、というのが正直な感想だ。なにをどうすれば動くのか。わからないので放置しているあいだに、退院の日が来た。


「上官、準備はお済みですか」

「なにもすることがないからねぇ」


 着替えくらいは、用意してもらえば自分でできるようになった。袖の端がめくれていたりするようだが、ご愛嬌というものだ。こんな役立たず、せめて愛嬌くらいないと。

 医局からイシュダヴァの部屋まで、今のイシュダヴァにとっては永遠に思える距離があった。

 虚無だ。虚無しかない。その中を歩いていくのだ。脂汗が出る。歩行訓練で馴染んだ病院の中庭でさえ、怖かったのだ。通ったことがあったはずの場所も、今となっては未知の虚無である。


 ――なんてことだ。わたしは上級魔族を倒した英雄だぞ。


 しかし、怖いものは怖い。なかなか足が進まなかったため、途中からルジェリに運ばれることになった。

 やがて自分の部屋に着いた……らしい。毎日暮らしていたはずだが、結局、そこも虚無だった。

 彼女を寝台に押し込みながら、ルジェリが滔々《とうとう》と弁舌を垂れ流す。


「当分、出歩くのは禁止です。退院は、上官がわがままを通しただけですからね? あんまりうるさいんで、医局が面倒になって放り出したというのが実情です。試しに魔術を使ってみるのも禁止です。この部屋は、重唱魔術で魔術禁止空間にしてあります。なにかしても発動しないのが当然です。上官の復調とも不調とも関係なく、ただただ発動しません。ご了承ください」


 要は、おとなしくしろということだろう……と、イシュダヴァは理解した。


「……ルジェリだなぁ。戻って来たって気がするね」

「早く元気になって、本格的な宴会を主催してもらわないと困るんです。イシュダヴァ様の具合はどうだ、宴会はいつだ、とせっつかれるのは自分なので」

「はは、頑張ってみるよ」

「あなたは頑張らないで寝ていてください」


 ぴしゃりといって、ルジェリはなにか作業をはじめた。たぶん荷物の整理だろう。荷物を持ちつつイシュダヴァも抱えて歩くのだから、護衛騎士も大変だ。

 大変だとは同情するが、ルジェリがいるあいだに会話がしたい。話しているあいだは、彼女をとりまく虚無のことを忘れられるからだ。


「話をするくらいなら、かまわないかい?」

「時間を区切った方がいいですね。会話も体力を消耗するものですから」

「許可制かぁ」

「申しわけありません」

「なんにも申しわけないと思ってなさそうな声だ」


 笑ったら、ついでに咳き込んでしまった。あっ叱られると思うと同時に、小言が飛んできた。


「寝ていてください」


 ルジェリだなぁと思ったが、それはさっきも告げたから、くり返すのはやめておいた。


「今は気分がいいんだ。ほんとうだ。嘘じゃない」

「嘘じゃないと念押しする嘘つきほど、あやしいものはないですね」

「……じゃあ、会話はしなくてもいいよ。部屋にいてくれないか。不安なんだ」


 すっ、と音が消えた。ルジェリが荷物の整理をやめたのだ。


「不安? なにがでしょうか。善処します」


 思ったより真剣な口調で問われ、イシュダヴァは困ってしまった。深い意味などない。周りが虚無で怖くて、ずっと不安なだけだ。


「いてくれればいいんだ。ここが魔術師団で、わたしの護衛騎士がいて、だから――」


 だから、なんだろう。ルジェリに留まってほしいのか? そうだ。その通り!

 いやでもさすがにこの歳で――といってもイシュダヴァは自分の年齢など数えていないから、正確に何歳であるかは知らないのだが、でもこの歳で!――ひとりは寂しくて不安です、とは白状しづらい。


「――うまくいえないんだが。いや、こんなの恥ずかしいな」

「今さら恥ずかしがる年頃ですか」


 なぜか的確にイシュダヴァの思考を突いてくるあたりが、もうほんとにルジェリだ。

 容赦なく、言葉はつづく。


「聞きましたよ。師団長が入団なさった頃にはもう、ここにいらしたそうではないですか」

「恥ずかしいな……」


 呆れたように、ルジェリが小さく息を吐いた。


「で、なにが恥ずかしいんです。白状しないでごまかす方が、あとから恥ずかしくなりますよ」

「実体験か」

「ご明察です。で、なんですか?」

「まぁ……つまりだな……なんだか、みんな夢みたいな気がするんだ」

「夢ですか」


 うん、とイシュダヴァはうなずいた。


「これはわたしが見ている都合のいい夢で、ほんとうはまだ、魔族の訪れを待っているような気がするんだ。皆がやさしくて、親切で……まぁルジェリはルジェリだから安心するけど、なんだか変なんだ。ふわふわしていて……現実感がない」

「皆がやさしいのは当然でしょう。あなたは病人ですし、大業たいぎょうを成し遂げられたのですから。上級魔族の討伐ですよ。ちやほやしない方がおかしいです」

「だからその討伐が成ったというのが、夢みたいで。奴はまだ、どこかに隠れているんじゃないかって。たとえば――わたしの中、とか」


 そうつぶやいてみたら、ほんとにそんな気がしてきた。

 もちろん、あり得ないことだ。奴が中にいるなら、魔力で視れなくなるなんて現象は起き得ない。むしろ、感知力は上がるだろう。


「そっちが夢ですね。魔族がまだ生存している方が夢で、熱を出して寝込んでいる方が現実です。しっかりしてください」

「……君が断言してくれると、そんな気もするな」


 答えて、イシュダヴァはまた咳き込んでしまった。

 喉の調子がおかしい。こんなに喋ったのは、久しぶりだからだろう。


「咳止めを煎じて来ます。それを飲んだら、もう少し喋ってもいいですよ」

「許可制だなぁ。わたしが君の上官だったと思っていたが、それも夢だったか?」

「上官の手綱を引くのが、自分の職務であると心得ております。少々お待ちを」


 ルジェリが部屋を出て行く。扉を閉める音は妙に静かで、たぶん気を遣われているのだとわかった。足音が、どんどん遠ざかる。

 イシュダヴァは大きく息を吐いた。

 少し熱が上がったかもしれない。ちょっと移動して喋っただけで、この体たらくだ。

 体力が落ちてなかなか回復しないのも、自分の魔力がこんがらがっているのも、奴を倒した代償なのだと理屈ではわかるのだが、それでも受け止めきれていない――二度とあいつを恐れなくて済むということさえ。


 そこでようやく気がついた。

 なんという思い違いだ。虚無なのは、周囲ではない。イシュダヴァ自身だ。


 惨劇を生き延びた自分のつとめは、仇を討つことだった。それを果たしてしまったのだから、イシュダヴァはもう虚無だ。相討ちになっておけばよかったのかと考えて、イシュダヴァは顔をしかめた。


 ――あの魔族に魅了されて死ぬのもなぁ。それは嫌だな。


 ほどなくルジェリが戻ってきて、煎じ薬を飲まされた。とても苦い。苦情を申し立てても、同情すらしてもらえなかった。それどころか、もう寝ろという圧を感じる……。


「手を握ってくれる?」

「ご命令とあらば」

「うん、じゃあ命令だ」


 ごめんね、とイシュダヴァは思う。わがままな病人の看病なんかさせて。

 でも、喋っていないとイシュダヴァはどんどん無になってしまう。


「魔力で感知できないって、すごく不便だな……なにもわからない」

「以前から興味があったのですが、俺はどんな風に見えていたのですか?」

「君かい? 君は、なんにもない人型って感じだったなぁ」


 やたらと輪郭がしっかりした虚無のことを思いだし、イシュダヴァは微笑んだ。なんにもないんだけど、と言葉をつづける。


「すごくそこにるんだ。前に君がいっただろう。生きてるんだって。なるほど、生きてるって在るってことなんだと納得した。君が自分を肯定してるの、すごく眩しいよね」


 ややあって、ルジェリが問う。


「それは、上官はご自分を肯定しておられない――と、いうことでしょうか」

「うん? そうだな。だって、わたしは存在しない方がいいからね」


 その答えは、さらりと出てきた。イシュダヴァの中から、なんの抵抗もなく。

 あまり意識はしなかったが、ずっと感じていたことだ。こんな風に魔力がうまく扱えなくなる前から。


「わたしがいるから、魔族が来るんだ。わたしがいたから、皆が死んだんだ。いない方がいいだろ」


 しるしをつけた上級魔族は倒したし、やることも残っていない――なんということだ。あのクソ魔族がイシュダヴァが生きる意味だったとは。むかつくこと、この上ない。

 そんなことを考えていたら、ルジェリがひとこと。


「阿呆ですか」

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